第1部 第6話
「目を瞑ってても、赤いマルとバツが瞼の裏に浮かぶ・・・」
「あ。俺も」
「私、病気かしら?『マルバツ病』とか」
「『赤ペン先生病』ってのはどう?」
「うわ、なつかしい!」
そう言いあって、俺とコン坊は顔を見合わせため息をついた。
「・・・俺達ってよく一緒にため息つくよな」
「新米教師同士、悩みどころが一緒だからね」
そして、二人して自分の机に目を戻し、またため息をつく。
「まだ半分も終わってない・・・」
「私も・・・」
そこにはデンと積み上げられたプリント。
そう、答案用紙だ。
1学期の中間テストの答案用紙。
くそー!なんでこんなに多いんだ!!!
「お二人とも、もう10時ですよ?残りは明日にしたらどうですか?」
「山下先生・・・先生は後どれくらいで終わりますか?」
「これが最後の1枚です」
「最後!?」
俺とコン坊は声を合わせて叫んだ。
だって、日本史って今回のテストの最終科目で、
今日の3時に終わったとこじゃないか!
それでもう全員分の採点が終わったのか!?
「すげー・・・」
「日本史は1問1答形式ですからね。マルとバツをつけるだけです。
数学は解答過程を見ないといけないでしょうし、英語も答えは一通りじゃないから大変ですよね」
「はあ・・・」
それはそうだけど、数学ABC担当の森田先生ももう採点は終わってる。
まあ、テストも初日だったけど。
俺の担当する数学ⅠⅡⅢは昨日だったにも関わらず、まだ半分も終わってない。
テストを作るのもかなり大変だったが、採点がこんなにも大変だったとは。
「日本史も来年あたりから論文形式を取り入れますからね。こんなに早くは採点できないですよ」
「そうですか・・・」
「あれ?この答案用紙・・・遠藤って本城先生のクラスですよね?」
ツンツンだな。
「そうです。何か変な解答してましたか?」
「はい」
はいって。おい、遠藤、何をしでかした。
「1問、簡単なサービス問題に見せかけた引っ掛け問題を出したんですけど」
「引っ掛け問題?」
「そうです。これ、何をしている絵だと思いますか?」
そう言って、山下先生は俺とコン坊に問題用紙を見せた。
何時代かわからないけど、農民らしき男達が、
何かの小屋のようなところに押し入ってる絵だ。
「えーと・・・米騒動?」
「お、近藤先生、見事に引っ掛かってくれましたね」
山下先生が愉快そうに笑う。
「え?違うんですか?」
「米騒動に似てますが、これは、打ちこわし、です」
打ちこわし?
なんか聞いたことあるような、ないような。
「時代も一緒だし、内容も似てるから、米騒動と間違いやすいんですよね。
打ちこわしより、米騒動の方がメジャーですし」
「遠藤も引っ掛かってたんですか?」
「はい。しかもウケを狙ったようで、『米々クラブ』って書いてますね」
「・・・」
「『米騒動』でも間違ってるし、『米々クラブ』も間違ってますよね?
『米米クラブ』ですよね」
「・・・」
痛い!痛すぎるぞ、遠藤!!!
「・・・すみません。よく言い聞かせておきます」
なんで俺が謝らないといけないんだ。
でも何故か激しく申し訳ないぞ。
「そういう訳で米々遠藤君。キミは1週間連続で日直だ」
「ひでー!」
「ひどいのはどっちだ。死ぬほど恥ずかしかったぞ、俺は。
定期テストでウケを狙うとはいい度胸だな」
「数学はよかっただろ?」
「クラスで40人中15番。まあまあだな」
「ほら」
俺は、採点済みの答案用紙を教壇に取りに来た遠藤に小声で言った。
「でも藍原は5番だったぞ」
「・・・」
「はい、日直頑張ってー」
ちなみに1番は言うまでもなく月島だ。
しかも満点。
数学のテストで満点ってなんだ。
更に他の科目でもいくつかで1位を取り、
余裕の学年トップだ。
米々遠藤の分を、月島が取り返してくれた。
ありがたい。
窓際の月島を見る。
別に嬉しそうでもなんでもなく、
相変わらずの無表情、無関心、という感じ。
でも・・・
俺は生徒達に答案用紙を返しながら、昨日のことを思い出した。
テスト最終日、俺は遠藤の「米々クラブ」にも負けず、11時まで頑張ったが結局採点は終わらず、
昨日も9時までかかって、ようやく採点を終わらせた。
疲れた頭を振りながら、帰る準備をして校門まで行って・・・
教室の戸締りの確認をしていないことに気がついた。
警備の人がいるから心配はないと思うけど、
万が一、ってこともある。
俺は仕方なく教室に戻った。
すると、2年5組に明かりが点いていた。
消し忘れたのかな?戻ってきてよかった、と思い、ドアを開けると・・・
「月島!?」
「あ。先生」
なんと月島が残っていた。
時間はもう9時半近い。
「お前、こんな時間まで何やってるんだ?」
「勉強です」
勉強・・・って。1日前に中間テスト終わったとこなのに?
俺はいつも8時前後に教室の戸締りにくる。
月島は、3年生に見習って欲しいほど真面目で、
毎日8時頃まで残って勉強している。
部活はやっていないようだ。
だから、俺が戸締りに来るとよく月島に会う。
「もう9時過ぎてるぞ」
「え?あ・・・」
「何の勉強してたんだ?」
「数学です。でも分からないところがあって考えてたら、もうこんな時間なんですね」
月島が腕時計を見ながら、少し息をついた。
「どの問題?」
「これです」
月島は問題集を指差した。
「ああ、これは・・・」
それから2、3分、俺は月島にその問題の解き方を教えた。
「あ、なるほど」
「わかったか?」
「はい。ありがとうございます」
「・・・あれ?この問題って・・・」
俺は初授業の時を思い出した。
月島は一度、質問しようとして、「勘違いでした」と質問を引っ込めた。
今、月島が悩んでいた問題は、それとよく似ている。
「月島。最初の授業の時、俺に質問しようとしてやめたよな?
あれって、やっぱりわかってなかったのに質問をやめたのか?」
「え?そんなことありましたっけ?」
「あったよ。これと似た問題だった」
月島は右手で左胸あたりの制服を軽く握ってしばらく考えていたが、
そうでしたっけ?と言うと、帰る準備をしだした。
「先生、さようなら。ありがとうございました」
「ああ。気をつけて帰れよ」
月島を見送った後、俺は教室の戸締りを確認しながら思った。
もしかして月島は、あの時、俺が質問に答えられなかったらどうしよう、と心配してくれたんじゃないか?
新米教師が初授業でいきなり生徒からの質問に答えられなかったら、
新米教師には堪えるだろう。生徒の評判も落ちるだろう。
この高校では特にだ。
だから、月島は質問を取り下げた。
しかも、「今の説明でよくわかりました」と言って俺の株を上げてくれた。
お陰で俺は他の生徒から「いい教師」と思われ、遠藤達とバスケもできるようになり、
だいぶクラスに打ち解けることができた。
月島は、自分が周りにどう思われてるか、自分の発言がどう周りに影響するか、
ちゃんとわかってて、それを利用して俺を助けてくれたんだ。
幸い、月島が取り下げた質問は俺が答えられるレベルではあったけど。
なんだ、月島のやつ。
何事にも無関心な振りして、結構色々と見てるんじゃないか。
生徒のそんな意外な一面を見つけるのも、教師の醍醐味、だな。