第2部 第12話
「電話に穴が開きますよ、坂本先生」
坂本先生は強張った表情のまま電話からゆっくりと顔を上げ、
俺を見た。
あ。今、俺にも穴が開いたゾ。
1年生と2年生は学年末テストも終わり、春休みを前に浮き足立っているが、
今日の職員室は朝から一種、異様なムードに包まれている。
大学の前期合格発表の日なのだ。
3年生の担任はもちろん、
他の教師も緊張を隠せない。
合格発表は10時から。
まだ9時半だから、いくら電話を睨んでも、
誰からもかかってくるはずがないのだが、坂本先生は席を立とうとしない。
俺は坂本先生の隣の席に(山下先生の席だ)、座って小さな声で話しかけた。
「杉崎は河野先生の電話にかけてくるんじゃないですか?」
「そうだけど・・・私にメールはくれると思う」
見ると、電話の横に携帯が置いてある。
なんだ、そっちを睨んでたのか。
「受験番号聞いてないんですか?」
「どうして?」
「インターネットで見れるでしょう」
坂本先生は、パッと俺の方を見た。
「そっか!その手がある!」
最近は大学のHPで合格発表を流す大学も多い。
「まあ、それも10時からですけどね」
「そうね・・・でもやっぱり本人から聞きたい。例えメールでも」
その気持ちはなんとなくわかるな。
俺はちょうど授業がなかったので、なんとなくそのまま坂本先生の隣にいた。
坂本先生も緊張のせいか、俺が気にもならないようだ。
「手応えはどうだって言ってました?」
「まあまあ、って。数学次第みたい」
「あー・・・苦手って言ってましたもんね」
「そうなのよ。他の科目は問題ないけど、数学をカバーできるほどじゃないし」
「私立は?」
「受けてない」
「そうですか・・・」
時計の針が10時を回る。
他の3年の担任達も、坂本先生同様、電話から目を離さない。
10時10分。
最初の電話が鳴った。
3年1組の担任である早川先生の電話だ。
職員室の緊張が、一瞬にしてほどけた。
10時直後に電話をかけてくるのは、合格の連絡に決まってる。
不合格なら急いで電話してこないもんな。
もちろん全員が不合格なんてことはありえないけど、
最初の合格の連絡が入ってくるまでは、なんとなく教師はみんな落ち着かないものだ。
案の定、早川先生の電話から「受かってました!」と言う声が漏れ聞こえた。
教師の間から、「おおー!」と言う喜びと安堵の歓声が上がる。
続け様にあちこちの電話が鳴り始めた。
電話の数だけ合格者がいる。
早い時間にたくさん鳴ってほしい。
昼過ぎの電話は不合格と思っていい。
俺の横でも、坂本先生が涙を浮かべながら「おめでとう」と受話器に向かって話している。
ただ、電話の向こうの声は杉崎ではないようだ。
坂本先生が受話器を置くとすぐに、再び机の電話が鳴った。
と、同時に携帯も鳴った。
メールじゃなくて電話だ。
俺と坂本先生は一瞬、顔を見合わせ、
俺は机の電話を、
坂本先生は携帯を取った。
「はい。朝日ヶ丘高校です・・・うん、今、坂本先生は他の電話に出てて・・・」
坂本先生を横目に見ると、もう涙をポロポロこぼしながら、
「よかったぁ」と満面の笑みだ。
俺も胸をなでおろす。
「うん。そうか、おめでとう。坂本先生に言っとくよ」
俺が電話を切っても、坂本先生はまだ杉崎と話していた。
俺も来年、こんな感じなんだろうか?
さすがに泣きはしないだろうけど、月島から合格したって連絡がきたら、
どんな気分かな?
意外と泣いたりして・・・それは避けたい。
月島だけじゃない。
今俺が教えている生徒達の受験結果なんか、
冷静に聞けるかな?
ようやく携帯を置いた坂本先生は、俺の方を見た。
まだ涙が止まっていない。
「ほ、ほんじょうーせんせー、ううう」
「はい。よかったですね」
俺は苦笑しながら、思わず坂本先生の頭をポンポンと軽く叩いた。
だってなんか、子供みたいだ。
「東野って男子生徒から、合格しましたって電話でしたよ、今の」
「そ、そう・・・東野君も・・・よかった・・・ううう」
坂本先生はもうそれからずっと泣きっぱなしで電話を受けていた。
さあ、俺も今日はやっかいな仕事が放課後に待っている。
どうやって乗り切るかな・・・。
「和歌さんの成績でしたら、H大は全く問題ないと思います」
おお。月島のこと「和歌さん」なんて初めて言ったぞ。
そういえば俺達、相変わらず「月島」「先生」だよな。
二人ともそんなこと気にしたことないけど、
卒業後はどうしようか。
ま、今はそんなことどうでもいい。
「普段の素行も大変良いですし」
そうそう。
ちょっと真面目すぎるくらい。
お陰でホテルも行けやしない。
「何かご質問とかありませんか?」
ないよな?
こんだけ成績もいいんだしさ。
早く終わろうよ。
しかし。
月島母は、手ごわかった。
「はい。娘がいつもお世話になっております」
「・・・いや、その・・・こちらこそ・・・」
月島が、ちょっと!お母さん!、と言って母親をつつく。
当の母親は、え?何?とニコニコ顔。
今日は3者面談最終日。
いよいよ、待ちに待っていない月島の番だ。
普通なら月島みたいな優秀な生徒の面談は教師も親も本人も楽なもんだ。
俺と月島が付き合ってるといっても、そのことに変わりはない。
しかし!
俺と月島が付き合ってるということを、月島の母親が知っているとなると事態は一変!!
この面談の気まずいこと気まずいこと。
ただ、気まずいと思ってるのはどうやら俺と月島だけらしい。
月島母は、終始ニコニコしながら、俺の顔をジッと見つめている。
さすが、月島母だけあって、考えてることはすぐに顔に出る。
大方、「へえー。これが娘の彼氏なのねえ」なんて考えてるのだろう。
でも一応ここ、学校だしさ。
俺、教師だしさ。
思ってても口には出さないでくださいね。
ましてや「お世話になってます」なんて言ってる場合じゃありませんよ。
むむむ。
一筋縄ではいかないな、月島母。
「先生!もう面談お終いでいいですか?」
おお。優等生・月島らしからぬ、失礼な発言。
でも大助かりだ。
「うん。そうだな」
月島は、なおも何か言いたげな母親を無理矢理引っ張って、教室を出て行った。
恩に着るぞ、月島。
こうして、高校2年生イベントは全て終了した。
無事かどうかは疑問が残るが。
遠藤とか、遠藤とか、遠藤とか。
あいつ、藍原と一緒にY大を受けるって言ってるけど、大丈夫か!?