第2部 第7話
「月島。放課後、職員室に来い」
「はい」
4限の授業が終わった時、俺は教壇の上から月島にそう言った。
普段こそこそと家でしか会えないから、
こうやって人前で堂々と月島と話せるのは気持ちいい。
それに、教師として月島に接することができるのは、
月島に対して「どーだ。ほら、俺はやっぱり先生なんだぞ」とちょっと胸を張れる。
・・・って、俺、子供っぽ過ぎ?
もっとも、呼び出しの内容が大したことでなければ、の話だが。
実は今、月島はちょっとした問題児だ。
「月島。これ、なんか書けよ」
「なんでもいいですか?」
「いい訳ないだろう」
俺は月島に一枚の紙を差し出した。
冬休み中に書いて始業式に提出しろと言った、進路希望アンケートだ。
要は、受験したい大学を第1希望から第3希望まで書いて来いってことなのだが・・・
「なんで、一つも大学を書いてないんだ?」
「まだ決めてないからです」
「4月にはもう3年生だぞ。いい加減、本気で考えないと・・・」
T大は間に合わないぞ、と言い掛けて、なんとか言葉を飲み込む。
これは月島自身が決めることだ。
「3者面談でも使うんだから、なんか書け」
「じゃあ、第1希望だけでもいいですか?」
「ああ。どこか考えてるのか?」
俺はちょっとドキドキしながら訊ねた。
「K大」
K大?
「・・・関西の?」
「はい。関西の」
「・・・」
俺はジロっと月島を睨んだ。
もちろん月島が本気で行きたいのなら、止めはしないけど・・・
うん・・・
止めないけどさ・・・
「もうちょっと考えてもいいですか?」
「・・・わかった」
月島は珍しく、ふーんっだ、とでも言うような表情をして、
職員室を出て行った。
「ぷぷぷ・・・やられたわね、本城君」
隣で堪えきれずコン坊が噴出す。
「・・・あいつ・・・」
「T大とほとんどレベルの変わらないK大って言われちゃ、文句の言いようがないわよね、
教師としては」
コン坊は「教師」の部分を強調して言った。
そう。教師としては文句の言いようがない。
くそっ。
「先生、離して下さい」
「ダメ」
次の日曜。
月島が家に来るなり、俺は月島をベッドに押し倒してキスをした。
月島は結構本気で抵抗したけど、
さすがに俺の力にはかなわず、
組み敷かれたままだ。
「イヤです」
「聞き飽きた」
「ダメです」
「同じ」
「・・・嫌いになりますよ?」
俺はため息をついて起き上がった。
「分かってるよ。冗談だよ」
「冗談ぽくなかったです」
まあ、半分本気だ。
「月島があんなこと言うから悪いんだろ」
「あんなこと?」
「K大受けるなんて言うから・・・」
「ダメですか?」
「ダメじゃないけど・・・本気なのか?」
「冗談です」
俺はもう一度月島を押し倒して、ベッドで抱きしめながら言った。
「そーゆー性質の悪い冗談はやめろ」
「本気だったらいいんですか?」
「・・・本気だったらな」
「・・・いいんですか」
「なんだよ。『ダメだ』って言って欲しいのかよ」
「・・・うーん、わかりません」
女心は複雑でよくわからん。
本当に行きたい大学があるなら、
例えどこでも「頑張れ」って彼氏には言って欲しいものじゃないのか?
ダメだって言われたって困るだけだろ?
「でも、K大は本当に冗談です」
「・・・じゃあ、どこ受けたいんだよ」
月島は俺から目を逸らした。
本当に嘘のつけないやつだ。
俺はそんな月島を見て、コン坊が月島の元気がないと言っていたのを
ようやく思い出した。
コン坊の推測は珍しくハズレのようだ。
「月島。行きたい大学あるんだろ?」
「・・・」
そしてきっとそれはT大じゃないんだ。
おそらくは・・・。
なんで気づかなかったんだろう?
月島なら、周囲が自分にT大合格を期待していることくらい分かっているはずだ。
だから、行きたい大学があるのに、言い出せずにいたのだ。
担任であり、彼氏である俺を困らせたくなくて。
「どこなんだよ?隠すことないだろ、正直に言っていいよ」
「・・・H大」
「・・・H大か」
月島は申し訳なさそうに目を伏せた。
やっぱりそうか。
月島レベルのやつが、T大でもK大でもなく希望するなら、
当然、H大だろう。
そしてそれは、俺が教師としては一番困る答えだ。
K大とH大は、T大とレベルはほとんど変わらない。
大きく違うのは、「日本最高峰」と言う肩書きがあるかないかだけだ。
でもその肩書きは、今の朝日ヶ丘高校にとってとても大切なものでもある。
K大は関西にある、ということでちょっと話が変わってくるが、
H大はT大と同じく東京にある。
場所も一緒、レベルも変わらない。
それなのに、「日本最高峰」のT大ではなく、H大を希望する学生は、
H大へのこだわりが強い。
確かにT大とH大はその校風は全く違う。
T大と比べるとH大は、学生数も少なくこじんまりとしている。
場所的にも閑静な街にあり、勉強しやすい環境だ。
だから、「T大ではなくH大に行きたい」と言われてしまうと、
教師には「T大にしとかないか?」と言う理由は何もない。
それは本当にただ、肩書きにこだわってるだけだ。
そして困ったことに、俺自身、月島はH大の方が似合うと思う。
「私、将来したいこととか特にあるわけじゃないし・・・学部も絞れないんですけど、
なんとなくH大が好きなんです」
「うん。わかった。じゃあ、ちゃんとアンケートにそう書けよ」
「いいんですか?」
「うん」
「・・・T大にしろ、って説得しないんですか?先生が、他の先生に何か言われたりしませんか?」
「うん。そんなこと気にしなくていい」
月島は、パッと顔を上げて微笑むと、
俺の首に手を回し、キスをした。
キスされてから気づいたけど・・・月島からキスしてくれたのは、冗談抜きで初めてだ。
もしかしたら、月島、ずっと前からH大に行きたかったのかもしれない。
それを申し訳なく思って、俺に気後れしてたのかな?
かわいそうなことしたな・・・
ほんと、どうして気づいてやれなかったんだろう・・・
彼氏以前に、教師として情けない。
とまあ、反省しつつも、状況が悪い。
ベッドの上で好きな女にキスされてるんだ。
しかも、こっちはずっと我慢してきたんだ。
特にここのところ、かなり無理してた。
月島を大切にしたいのはもちろんだ。
それに俺は23歳だけど、月島は17歳。もうちょっとゆっくり段階を踏みたい気持ちもあるだろう。
そうやって自分に言い聞かせてたけど・・・
俺は取り合えず、キスしたまま月島からちょっと身体を浮かした。
このまま抱き合ってたら、本当に我慢が効かなくなる。
でも、誘惑に負けてまたすぐに身体を落とす。
その拍子に、月島の腰に左手を回した。
右手は月島の顔に持っていく。
俺がちょっと本気モードに入ると、
月島はいつも体をよじって逃げる。
俺も強引には止めない。
だから今日も月島は「あ、まただ」と思ったのか、体をよじった。
でも、月島の腰を俺の左手が抱え込んでいるから月島は体を動かせない。
驚いた月島は顔を離そうとしたけど、今度は俺が離さなかった。
それでも月島は無理矢理顔を少し逸らすと、「やめて」と小さく言った。
だけどそれは俺の頭までは届かず、俺は右手を月島の身体に這わせた。
月島はパンツルックが多いけど、こういう時に限って幸か不幸かスカートだ。
月島もそれに気づいたのか、足を閉じて俺の手をふさごうとしたけど・・・無理な話だ。
俺の手は胸から腰、更に下へと降りていく・・・
その時、月島が涙声で言った。
「先生・・・やめてください」