第1部 第16話
教室を戸締りしながら、
窓から外を見た。
夕日に照らされた綺麗な緑が眩しい。
私立朝日ヶ丘高校は、この緑豊かな小高い丘に、10年前に開校したばかりの、
真新しい高校だ。
レベルも高く、ほとんどの生徒は大学に進学し、
その大学も有名なところが多い。
一流大学への進学率で言えば、やはり6年制の私立にはかなわないけど、
3年制の普通の高校の中では全国でもトップクラスだ。
欠点と言えば、部活が弱いことくらいか。
これは勉強に力を入れている学校としては仕方が無いけど。
そういう訳で、ここは保護者からの人気が高い。
「子供に行って欲しい都内の高校ランキング」なるものでは、
3年制私立高校の部で常にトップ3をキープしている。
ただ、小学生・中学生からの人気は、そう高くない。
まず入る為には中学時代にかなりの勉強を必要とするし、
入学後も授業についていくには相当の努力が必要だ。
都心から離れているため、遊びに行くのにも時間がかかる。
加えて駅から学校までも徒歩だとかなりあるため、
ほとんどの生徒が駅からバスを使ってる。
俺も、車通勤を余儀なくされている。
保志校長はこんな人気があるとか無いとかなんて、
気にする人じゃないけど、
理事長はそうはいかない。
やはり経営者として、保護者からだけでなく、小学生・中学生からも人気を集めたい。
だから最近は部活にも力を入れだし、
顧問にはその道のセミプロのような教師を置いたりしている。
勉強の方も、一層力を入れることで、公立や6年制私立へ流れていく生徒を
朝日ヶ丘に持ってこようとしている。
まあ、勉強が苦手な生徒はますます離れていくだろうけど。
とにかく、そんな理事長にとって、
開校以来まだ一人も出ていない「T大合格者」は喉から手が出るほどほしい。
そして今それを一番期待されているのが、他でもない月島だ。
でも、春に月島が出した進路に関するアンケートは白紙だった。
つまり、俺は何気に大切な任務を負っている。
「3年になるまでに、月島にT大の受験を決心させる」ことだ。
T大ともなれば、3年になってから目指すようじゃ遅いだろう。
少なくとも2年の間に、そのつもりにしておかないと、間に合わない。
俺だって、一社会人だ。
生徒の将来とか、教育者としての理想とか、かっこいいことも考えるけど、
やっぱり自分自身の成果もほしい。
自分の努力や頑張りは、上や周りからも認められたい。
だから、
月島が3年になった時、俺が担任をするかどうかはわからないけど、
なんとかそれまでに月島にT大を希望させたい。
それも、周りからの期待とか圧力とかではなく、月島自身に「T大を受験したい」と、
思わせたい。
だから月島に嫌われたくない、ってほどセコイ考えはないけど、
少なくとも月島から教師としての信頼を得ておきたい。
それなのに・・・不信感を得ている場合じゃないぞ、俺。
「あ、先生。ここにいたんですね」
「・・・月島ー」
「?どうしたんですか?」
ホッとして、その場にしゃがみこんだ俺を見て、月島は驚いた。
「何かあったんですか?私のこと、探してました?」
「うん・・・」
「なんですか?」
一昨日のことなどまるでなかったかのように、普通な月島に気が抜けた。
「いや・・・。月島、いつ学校に来たんだよ」
「朝からいましたよ?あ、でも藍原さん達が今日は先生の誕生日だって教室で騒いでたから、
ずっと図書室で勉強していました」
「・・・昨日も?」
「昨日は用事があったから、学校には来てませんけど」
「・・・デート?」
調子に乗って聞くと、月島は顔をしかめた。
「そんなんじゃありませんって」
「うん、冗談。悪かったよ」
俺は立ち上がって、月島の方へ歩いていった。
「いいよなー。用事があるなんて。俺、誕生日なのに何の予定もないし」
「歩君と遊ばないんですか?」
「・・・それって、予定って言うのか?誕生日の予定にしてはあまりに色気が無さ過ぎだろ」
「そうですね」
そう言って、月島は少し微笑んだ。
今日はちょっと目も笑ってる。
「先生、誕生日だったんですね。おめでとうございます」
「え、あ、うん。ありがと」
「知ってたら、先生にも何か持ってきたのに・・・でもこれじゃあ、貰っても嬉しくないですよね。
そもそも、生徒が教師に何かあげるって、ダメなのかな・・・」
月島は独り言のように呟きながら、鞄から何かを取り出し、俺に差し出した。
それは、薄っぺらいビニール製の袋。
それも1枚ではない。
50枚はあろうかという量。
「・・・なんだ、これ?」
「ギグレスターのトレカです」
「え?」
袋の絵を見ると、確かにすっかり見慣れた、あのギグレスターのキャラクターらしき絵が。
でもなんでこれを月島が持ってるんだ?
しかもこんな大量に。
俺の顔から、そんな疑問の色を見て取った月島は説明した。
「私のお父さん、そのおもちゃメーカーに勤めてるんです」
「ええ!?おもちゃメーカーで働いてるのか!?ここの!?」
「はい。そのカードも明後日発売のものだから、歩君も持ってないと思います。
あ、だからまだ友達とかには見せないように言っといてくださいね」
「・・・もらっていいのか?」
「先生にあげるんじゃないですよ、歩君にです。先生は渡し役だけです」
月島は「渡し役」と言う言葉を強調した。
藍原と同じく、生徒から教師へのプレゼントを禁止されていることを知ってるからだろう。
「うち、そういうオモチャとかカードとかいっぱいあるんですよ。
お父さんが持って帰ってくるんですけど、さすがに私はもう興味ないし・・
昔から、お父さんは男の子向けのおもちゃ開発に携わってたから、
元々、私にありがたみはなかったですけど」
これは・・・歩が喜ばない訳がない。
「ありがとう。歩のやつ、よろこぶよ」
「いえ。うちにあっても仕方ありませんから」
俺は月島に向き直った。
「あと・・・こないだは、悪かった」
「こないだ?」
「ほら、月島のこと、歩の母親に似てるなんて言って・・・」
月島はちょっと首をかしげた。
「ああ・・・でも、どうして先生が謝るんですか?」
「あんな風に言われて嫌だったんだろ?」
「え?別に?」
「・・・」
だって、いい気しないって言ったじゃないかー。
俺は肩を落とした。
なんだよ。
俺、一人で勝手に悩んでたのかよ。
月島は何気なく言っただけだったのかよ。
たく・・・何、生徒一人に振り回されてるんだ、俺は・・・。
「先生、もしかして気にしてました?」
「してました」
「じゃあ、お詫びしてください」
「お詫び?」
俺がきょとんとしていると、月島は意外なことを言い出した。
「先生って堀西大学卒なんですよね?」
「ああ」
「じゃあ、堀西大学の図書館に入れますよね?」
「堀西大学の図書館?」
堀西学園には、小学校・中学校・高校・短大・大学それぞれに図書室がある。
中でも大学の図書室は、もはや「図書室」ではなく「図書館」だ。
流行の小説からちょっとした値打ちのある書物まで揃っている。
月島みたいな奴が興味を持つのも頷ける。
でも、大学の図書室に入れるのは堀西学園の関係者と生徒、それに卒業生。
後、その同伴者も1名だけ認められる。
「私、一度堀西大学の図書館に行ってみたかったんです。
先生、紹介状書いてもらえませんか?そしたら先生が一緒じゃなくても私一人でも入れますよね?」
確かそうだった。
「よくそんなこと知ってるな」
「中学生の時、何も知らずに行ったら、受付で『ダメだ』って帰されちゃったんです」
「・・・」
俺は教採の為に大学の図書室を利用したことがあるけど、
ほとんどの学生は図書室なんて行った事もないと思う。
それなのに、部外者の、しかも中学生が興味を持ってわざわざ足を運んだと言うのか。
俺が受付なら、入れちゃうな。
「わかった。でも、俺も一緒に行くよ」
「え?」
「今度の金曜でどうだ?俺、大学に用事があって行かないといけないから、
一緒に行こうぜ」
「いいんですか?」
「うん。昼前にここに来いよ。車で行こう」
「はい!」
月島は好奇心で目をキラキラさせた。