第1部 第14話
「おっせー!って、お前の方が、おっせー!だぞ、歩!」
もう11時を回っているのに、
元気一杯の歩が麻里さんに手を引かれ家から出てきた。
「こんばんは」
「あ。こんばんは。歩君、元気ですね」
「はい。私が余りに遅いので少し昼寝して体力が回復したみたいなんです。
あ、昼寝っていいませんよね、夜寝?ですかね」
麻里さんが申し訳なさそうに微笑んだ。
その笑顔が、俺の中でピピっと反応した。
この人、誰かに似てるなと思ったら、月島だ。
いかにも「デキる」って感じのキャリアウーマン、
そしてこの控えめな笑顔。
月島はきっと将来こんな感じの女性になるんだろう。
「真弥!お前、ガッコの先生だろ?明日から休みだろ?俺と遊べ!」
「おお。歩。勘違いすんな。生徒は休みでも先生は毎日学校があるんだよ」
「えっ。そうなのか・・・」
空気の抜けた風船のように、歩から力が抜ける。
プシューって音が聞こえてきそうだ。
「・・・なんだよ、どうしたんだよ」
「すみません。歩は明日から夏休みなんですけど、私はいつも通り平日は仕事で・・・。
でも、この子、本城さんは先生だから明日から休みだって、喜んでたんです」
歩に代わって月島・・・じゃなかった、麻里さんが答える。
なるほど。歩の奴、夏休み中は俺に遊んでもらおうと思ってたんだな。
麻里さんがいつも通り仕事ってことは、平日は歩は一日中このおじいちゃんの家にいるって訳か。
この辺りは歩の学校から歩いて来れる距離ではあるが、
歩の学校の学区ではない。
つまり友達も近くにいない。
そんなところで、例えおじいちゃんやおばあちゃんがいると言っても、
一日中過ごすのは小学校3年の男の子には物足りないだろう。
「・・・わかった。俺、学校はあるけど、いつもより全然早く帰ってこれるから、
それから俺と遊ぼう。宿題もみてやるよ」
「ほんとか!?」
「ああ」
「やったあー!」
まあ6時には学校を出れるだろう。
それから家に車で着くのが6時半くらいだから・・・
2、3時間は遊べるかな。
「そんな・・・申し訳ないです」
麻里さんが本当に申し訳なさそうにする。
なんか、月島に似てると一度思うと、ますます月島に見えてくる。
ふふん、月島が俺にこんな申し訳なさそうにしてるなんてなんか面白いぞ。
「気になさらないでください。40人の高校生相手にするより遥かに楽だし俺も楽しめますから。
俺、10コ下の弟がいるんです。だからこういう小さい子の相手は好きなんですよ」
「そうですか・・・。じゃあ、申し訳ないんですがお願いいたします。
改めて御礼はさせて頂きますので」
「いえ、そんなのは結構です」
副業って訳じゃないけど、
子供の面倒を見て何か御礼をもらうのはよくない。
麻里さんと俺がそんな話をしている間、
歩は遊び相手ができたのが嬉しいのか、
夜道を一人駆け回っていた。
そんな歩を見て、麻里さんが小さく呟いた。
「うち、母子家庭なんです。だから歩、本城さんみたいに遊んでくれる男の人が大好きなんです」
「え?そうなんですか・・・」
離婚したのか、元々シングルマザーなのか・・・
そういえば、確かに歩を父親が迎えに来ているところを見たことがないし、
歩から父親の話を聞いたこともない。
父親がいなかったのか。
それにしても、それならどうしてこのおじいちゃんちで一緒に暮らさないのだろう?
わざわざ夜遅くに麻里さんが迎えに来て、自宅に帰る必要があるんだろうか?
麻里さんも歩もここで暮らせばいいのに。
まあ他人の家のことだ。
何か事情があるんだろう。
「真弥!俺と遊ぶなら、コレ覚えとけ!」
「えらそーだな、お前。なんだ、コレ?」
「ギグレスターのトレカだ!」
「ぎぐれすたあのとれか?」
全く意味がわからん。
歩が差し出したカードを受け取ると、
そこにはよくわからないお化けみたいな絵が描かれていた。
絵以外に何やら数字とか英語とか・・・
ああ、もしかしてこれって、トレーディングカードってやつか?
どうやって遊ぶのかわからないが、
相手のカードと戦わせて勝てば相手のカードをもらえる、みたいな?
「メンコみたいなもんか」
「ふる!ふるいぞ、真弥!」
「歩に言われたくないし」
「これやるから、勉強しとけ!」
「へいへい」
どうやら、歩なりの御礼のつもりらしい。
俺は苦笑しながらそのカードを眺めた。
とにかく、
月島似の麻里さんと、歩のそんな家庭の事情で、
俺はなんだか、俄然やる気が出てきた。
よし!明日から早く帰ってきて、歩と遊ぶぞ!
って、明日は土曜だ!来週からだ!
「お!さすが月島!夏休みでもやっぱり来てたな」
翌週の月曜の5時過ぎ、俺は5組の教室に顔を出した。
夏休みだというのに当然のように月島は勉強していた。
もちろん、部活の奴らとかは夏休みでも学校にきてるが、
ほとんどの部活は午前とか遅くても2時くらいには終わるので、
この時間にはほとんどの生徒はいない。
「先生もきてたんですね」
「当たり前だろ。授業はなくても仕事はあるんだ」
まあ、さすがにいつもより遥かに楽だけど。
「俺、もう戸締りして帰るんだけど、もしかして月島いるかなと思って」
「?」
「質問とかないか?俺、夏休みの間は6時には帰るから、
それ以降に質問に来てもいないぞ」
「そうなんですか。あ、もしかして篠原先生とデートですか?」
「・・・」
「振られたんですか?」
「なんで俺が振られるんだ。歩みたいなこと言いやがって・・・母親と似てるし・・・」
「あゆむ?」
俺は簡単に金曜の夜の経緯を月島に話した。
「じゃあ、今から子守なんですね。でも小学校3年生だったら先生の方がついていけないかも」
「どーゆー意味だよ」
「体力的にも流行的にも。最近の子供の遊びって、結構難しいですよ」
「・・・そうなんだよな。ほら、これ。意味わかんねー・・・」
俺は財布から、歩にもらったカードを出し、月島に見せた。
この土日、俺はこのカードと睨めっこをしていたが、さっぱり意味がわからない。
「ああ、これ、ギグレスターのトレカですね」
「・・・なんでこんなの知ってるんだよ」
「先生、知らないんですか?ギグレスターって小学生に人気のアニメで、
結構社会現象とかになってるんですよ?」
「・・・知らない」
「教師のくせに」
「俺は高校教師だ」
「そういう探究心の無さが生徒との距離を作るんです」
相変わらずな奴だ。
「月島は歩の母親と見た目も雰囲気も似てるのに、遠慮のなさだけは似てないな」
「歩君のお母さんと、ですか?」
「うん。バリバリのキャリアウーマンでシングルマザー。なかなかかっこいいぞ」
「・・・」
月島が急に黙りこくって、制服の左胸の部分を握りながら俺を睨んだ。
「なんだよ?」
「いくらかっこよくても、シングルマザーと似てるって言われていい気はしません」
「・・・」
「別に、歩君のお母さんのこと非難するつもりはありませんけど」
「・・・悪かったよ」
月島は、別にいいです、と言って、また勉強に戻った。
それ以上、取り付く島もない感じだったので、
俺は仕方なく教室を出た。
・・・怒らせた?
確かに、シングルマザーに似てると言われていい気はしない、か?
俺としては、褒めたつもりだったのに。
俺の周りには、短大を卒業して花嫁修行をした後、エリートの家に嫁ぐ、
って言うのが当たり前って女しかいなかった。
小学校からずっとそういう学校だったからな。
だから、麻里さんのように、バリバリと働く女性はかっこいいと思う。
シングルマザーなんて、尚かっこいいじゃないか。
そりゃ本人は色々辛い思いをしたり、大変なこともあるだろうけど、
俺は凄いと思う。
そんなかっこよさが、月島と似てるって言いたかったんだけど・・・。
家へと向かう途中、俺は、
信号が青に変わってるのに発進しなかったり、
道を曲がり損ねたり、
途中でコンビニに寄ろうと思ってたのにすっかり忘れてたり、
と、変なことばかりしていた。
あれ?
俺、結構動揺してる?
・・・そうだよな、俺は教師だから生徒を怒ったりする必要はあるし、
時にはちょっと落ち込ませることも必要だ。
でも、コレは違う。
俺は月島を傷つけた、だから月島は怒ったんだ。
「どうしよう・・・」
車から降りて、俺は思わず呟いた。
これがコン坊とかなら「ごめんな」で済むだろうけど、
月島は生徒だ。
教師が「ごめん」と言ったところで許してくれるだろうか?
いや、月島は許してくれるだろう。
でも俺という教師への不信感は消えないと思う。
俺って、昔から配慮が足りないってゆーか、
思いやりがないってゆーか、
はあ。