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僕の純文学作品集

僕の先祖は初めて二足歩行した猿です。初めて陸に上がった魚です。43億年前地球上で初めて光合成をしたバクテリです

作者: Q輔

「この役立たず。いったいお前は何のために存在しているのだ」


 工事部長が会議室に響き渡る大声で僕を罵倒する。 月に一度の工事部の部署会議の席で僕は肩をすくめて小さくなっている。同期や僕より若手の工事監督たちが、会議室で独りで立たせれ、こっぴどく叱られているダメ工事監督の僕をチラ見してはクスクスと笑っている。


「誠に申し訳ありません。弁解の余地もありません」


 部長がカンカンになるのも致し方ない。僕は今日現場でとんでもない失敗をしてしまった。ハウスメーカーの新築工事で、あらかじめ道路から敷地内に引き込まれている下水の取り付け管と、雨水の取り付け管を、逆に接続するようにウッカリ現場の職人たちに指示してしまったのだ。たまたま現場巡回に来た工事部長が誤接合に気が付いたからよかったものの、このまま竣工していたら、道路に埋設されたこの街の雨水配管に大量の大便が流れてしまうところだった。


 生きた心地のしない。まさに地獄の会議がやっと終わった。意気消沈して会議室を出た。その時僕のスマホに取引先のハウスメーカーの工事次長から着信。


「はい、○○水道の九谷です。これはこれは次長。次長から電話をいただけるなんて珍しいですね。で何か?」「九谷ちゃん。実は、言いにくい話なんだけれどね。弊社の工事監督の山下がね……」――それは、思わぬ人物の訃報だった。


 亡くなったのは、山下君という僕の取引先のハウスメーカーの監督さんだった。水道設備会社の工事監督である僕は、つい先日も彼の配下で二世帯住宅の新築現場を一緒に竣工させたばかりだった。


 自殺した。……とのこと。


 いつ? どこで? どのように? 僕は咄嗟に怒涛の質問ラッシュをした。しかし詳しいことは一切教えてくれなかった。ハウスメーカーの上層部からの指示で、次長も詳しく話せない立場なのだそうだ。話の端々から推測する限り、事業拡大に伴う過度な仕事量、プレッシャー、ストレス、自殺の原因はそんなところだ。葬儀の連絡はどの会社にも出されていない。密葬で執り行うとのこと。そりゃそうだ。ブラックな情報が洩れ、世間への報じられ方次第では協力会社も客も先方を見限りかねない。ひっそりと、内密に、フェイドアウト、フェイドアウト……。


「私は、何の取柄もない人間ですから」「私は、居ても居なくてもいい存在ですから」「私は、九谷さんのように強くはありませんから」山下君は、繁忙期の現場で竣工に追い込まれると、そんなことを口癖のように言うやつだった。随分ネガティブな若者だな、悩みがあるなら相談に乗ってやろうかな、その度に僕はそう思ったが、ひょっとして自暴自棄な発言をすることで、身に迫るプレッシャーを彼なりに軽減しているのかな、と考え直しいらぬお世話は控えてきた。


 彼は、四十半ばの僕より一回り以上も年下の青年だった。歳は離れていたが、僕たちはとても親しかった。八年前、僕の務める会社の大のお得意様であったそのハウスメーカーにマイホームを注文した。その時我が家の新築工事を担当してくれたのが山下君だった。入社後の研修期間を経て、実際に工事を彼一人で担当するのは僕の家が初めてとのことだった。新人を我が家を担当にすることについては、先方の次長からから「山下に経験を積ませてやって欲しい」と直々にお願いがあった。どーぞ、どーぞ、こちらこそ光栄です。と僕は答えた。そう、僕の家は、山下君が建てたのだ。


 竣工式の時、四方祓いといってお酒とお米を四方に撒いて回る神事がある。着工時の地鎮祭はともかく、戸建住宅の竣工式で神主なんて滅多に呼ばない。通常は建築業者がリードして執り行う。「それでは、北の方角から時計回りにお酒とお米を撒いて行きましょう」山下君はそう言って、堂々と南に向かって歩き出すような人だった。


 持たされたトックリが妙に軽い。「山下君、これお酒入ってる?」と僕が尋ねると、「はい、大丈夫。うーん、大丈夫。だと思います」と彼独特の困ったような笑みで、実にアバウトに答えた。僕にはどこから見てもカラのトックリにしか見えないのだが、山下君を信じて、て言うか、山下君の顔を立てるだけの意味合いで、とりあえずトックリを両手で持って、酒を地面に撒くモーションをした。


 ……やっぱりカラだった。


 山下君は次長にこっぴどく叱られていた。


 その横で僕の妻は爆笑していた。ごめん、山下君。僕も笑わずにはいられなかった。着工から竣工まで山下君はずっとこんな調子だった。なんだかんだで僕の夢のマイホームは完成した。なんだかんだで僕の家は山下君の記念すべきデビュー作となった。


――――


 通夜式にも呼んでもらえないとのことで、山下君と親しかった業者仲間が安い居酒屋に集まった。今夜は彼の弔い酒だ。狭いテーブルに個人経営の若い電気屋、年配の工務店の社長、女性の内装業者、そして水道屋の僕。僕たちは枝豆と山盛りポテトフライをつまみに生ビールをごくごく煽った。山下君との思い出を僕は独壇場のように語った。我ながら少し悪い酔い方をしていた。


 他の三人は、はじめのうちはシンミリと僕の思い出話に耳を傾けてくれていたが、ぐだぐだと長い話に次第に飽きた様子で、徐々に山下君とは何の関係の無い内容に話題を切り替えはじめた。


 若い電気屋が何気に「自分のルーツ」つまり「家系の自慢話」をはじめた。僕の家系は代々なんたら藩の奉行職で、なんたらの戦いで大きな手柄をたてうんぬん。そうしたら工務店の社長も女性の内装業者も、まあ、その場のノリで負けじと自分のとこのルーツを語りはじめた。俺の母方の先祖が徳川家の旗本だったうんぬん。私の家系はかつて信長に仕えたなんたら家でかんぬん。


 あら、いやだ。みなさん、びっくり仰天の血統の末裔。おいそれと酒など酌み交わせるお立場ではないお歴々であられたのね。オラなんだか恐れ多くなってきただよ。オラみたいなもんがこうして高貴な出自のあなた方と、今宵この場末の居酒屋で一緒に生ビールのジョッキを空けながら枝豆の皮をしゃぶっていてもよろしいのかね。


 しっかし、あれだな、愛知県に古くから住んでいる家系の人たちは、信長、秀吉、家康の三大英傑がらみの家系自慢が多いよなあ。「先祖は、しがない足軽でした」とか「先祖は、水飲み百姓でした」なんて言う人に出逢ったことねーんだよなあ。ほんと昔の日本に「平民」って存在したのかよ。どいつもこいつも先祖は偉人なんだよなあ。なーんてこと考えながら一人で黙々と日本酒のぬる燗を呑みはじめ、腐って腐って腐り果てていたらば――


「九谷さんは?」


――と女性の内装業者が僕に尋ねてきた。


「九谷さんのルーツは?」


 僕のルーツ??? え~っとぉ……


 僕の先祖は愛知県民ではない。僕の父は福岡県福岡市生まれ。僕の母は千葉県館山市生まれ。父と母は就職先の東京で知り合い、その後いろいろあって愛知県名古屋市に駆け落ちして来たらしい。そんなんだから双方の親族とも僕の家族はずーっと疎遠だったし、そんな両親の馴れ初めをかろじて知っているぐらいで、自分のルーツなんて微塵も知らねえ。だたまあ「家系自慢大会」の発言の順番まわって来ちゃってっからさ。とりあえず何か言っとけーって状況だからさ。


「僕のご先祖様はあなた方なんかよりもっと偉大ですよ。聞いて驚くなかれ。僕の先祖は初めて二足歩行した猿です」


 ほらね。案の定僕の発言にまわりは白けた。


「……てか、九谷ちゃん、そういうのいいから……」


「あらそう? んじゃあ、僕の先祖は初めて陸に上がった魚です」


「いやいや、面白くない。荒唐無稽」


「んじゃあ、僕の先祖は、さかのぼること43億年前地球上で初めて光合成をしたバクテリアです」


「それは、ただの誇大妄想でしょうが」


 な~んか険悪なムードになっちゃって。その日はお開きになっちゃって。それから、へべれけに酔った僕は一人、千鳥足で駅に向かって歩いた。何だかとても不愉快だった。たくよぉ~、江戸時代にはニセ家系図が大流行したというじゃねーかコンニャロー。武士の中には没落した名家の家系図を金で買う奴がいたっていうじゃねーかバッキャロー。先祖代々の言い伝えだって怪しいもんだろう。先祖の事実に後世が一代につき一割だけ美談の着色をして言い伝えたとして、それが十代も続けば、もはや原型をとどめぬ100%でっち上げのホラ話になんじゃねーのかコンチキショ―。


 だいたいよぉ~、さかのぼって自慢してよい歴史はいつまでだあ。線引きがあるなら教えてくれっつーの。江戸時代か? 戦国時代か? 源平の頃までなら常識の範囲内か? 縄文・弥生時代あたりは誇大妄想か? 僕のルーツは初めて二足歩行した猿。これ紛れもない事実なのであって。つまりあの猿は、僕のひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいおじいちゃん。くそったれ。信憑性がないのはどっちだ。荒唐無稽なのはどっちだ。誇大妄想なのはどっちだ。完全に悪酔いしたらしい。道端にしゃがみ込んでしばらく休んだ。何の気なしに、おぼろげに輝く満月を見上げた。


 おーい、山下君。なぜ死んだ。君は馬鹿だなあ。全ては生きていればこそじゃないか。今日は辛くとも明日は楽しかったかもしれない。枝豆や山盛りポテトフライをたらふく食べられたかもしれない。いつかとんでもない大金を手にしたかもしれない。ある日すごい美人とよろしく出来たかもしれない。でもそれもこれも生きていればこそ。生きていればこそじゃないか。死んだら何も出来やしないぞ。


 聞いてくれ、山下君。先祖がいたから今自分がここに存在しているという当たり前の事実を当たり前に踏まえるとね。僕にはごく自然に湧いてくる感情があるんだ。生きることの厳しさに心を病む人、引き籠る人、道を踏み外す人、自殺する人、自分は弱いと嘆く人、そんな人たちの人生の顛末を見聞きするたびに僕は思うんだ。


 我々の先祖はね、その長い長い歴史のなかで、幾度となく彼らを襲ったであろう、たくさんの侵略や戦争のなかを生き延び、たくさんの天災や飢饉のなかを生き延び、たくさんの苦難や苦労のなかを生き延び、そのなかで人を愛し愛され後世に子孫を残したという、血統の誰一人欠けることなく運も才能も実力も兼ね備えた選ばれし者たちなのだよ。


 荒唐無稽と笑うかい? 誇大妄想と嘲るかい? 僕たちが今ここに存在しているのが何よりの証拠だよ。僕たちはみんな選ばれし者たちなのだ。だからこの世に何の取柄もない人間なんていない。居ても居なくてもいい存在なんてない。弱い人間なんて本当は一人もいないのだよ。君が今日そのルーツを終わらせたのだ。とりあえず、向こうでご先祖様に謝り給え。


 ああ、何だかもう、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった。面倒くさい。今日のところは、考えることの一切をや〜めた。スマホで妻に電話する。山下君の訃報を告げる。「弔い酒をしこたま呑んだ。今から帰る。寒くてしかたがない。熱い風呂を入れておいてくれ」途中何度も電信柱に寄りかかりながら、かろうじて家路に辿り着いた。


――――


「酒臭い。さっさと風呂に入ってよ」


 玄関に入るなり、妻が僕を脱衣場に押し込める。長い時間外で酔いを醒ましていたのが悪かった。寒さで体がかじかんで震えている。


「奥さん、お風呂アツアツになってる?」


 パンツを脱ぎながら妻に最終確認をする。ユニットバスの扉を開けてシャワーの栓をひねる。室内にもわっと湯気が広がる。シャンプーで頭を洗う。


「この役立たず。いったいお前は何のために存在するのだ」


 気が付くと僕は、何度お湯をかけても曇る風呂場の鏡に物申していた。違います。鏡に申しているのです。鏡に映る、あなたのことではありません。


「うー寒い寒い。さーて湯舟に浸かりますか」


――と独り言を呟き、風呂蓋を勢いよく開けた。


……カラだった。


「お、お、お、おーい、奥さーん。何これー。浴槽にお湯が入ってませんけどー」


 大声で妻を呼ぶ。


「ふふふ、カラのトックリ山下君の弔い風呂よ。そこで山下君を弔え。この酔っ払いめ」

 

 ユニットバスの折れ戸を少しだけ開け、妻がこちらを覗き込み、ほくそ笑んでいる。


 見えるか、山下君。僕はこれからも、君が建ててくれたこの家でこうして暮らしていくよ。君がこの世にどれだけの恨み、辛み、怨念を残して死んだのか、そんなこと知ったことか。山下君、見てろ。僕は君が建てた家で、これからもチョー幸せに暮らしてやるからな。覚悟しろ。生きていればこその高笑いをずっとずっと君に聞かせてやるからな。それが君への供養です。


「は〜、いい湯だあ」


「あはははは。入ってる。入っている。呆れた人。相変わらず変な人」


 カラの浴槽に肩まで浸かり、全裸でガタガタ震えながら強がりを言う僕を見て、妻が脱衣場でお腹を抱えて笑っている。

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