婚約破棄された直後に求婚された件について
「シュリー・ファルト伯爵令嬢! お前との婚約を破棄する!」
ディミテリ侯爵家主催の夜会。
そこで私は主催者である婚約者から婚約破棄された。
しかも、公衆の面前で。
「私の交遊関係に口を出し、嫌がらせをする女は侯爵夫人に相応しくない! お前との婚約は破棄し、私、ダミアン・ディミテリは、心優しい友人アリエル・メリシュー伯爵令嬢と婚約することを宣言する!!」
「まぁ、嬉しいですわぁ! ダミアン様!」
目の前では婚約者とそのご友人を抱き寄せて偉そうに宣言する。
その様子に呆れる。二人の世界に入りきって、バカみたい。
私が彼女に嫌がらせ? ただ手紙で注意をしただけなのにそれを嫌がらせと捉えるのは飛躍しすぎではないだろうか。
非があるのは二人なのに、大勢の人の前で婚約破棄された私のことなんて気にも留めないで。
「……嫌がらせなどしていませんが、婚約破棄、了承しましょう」
冷静に返事する。好きでもないのにすがりつくのは嫌だ。
…私を晒し者にして、楽しんで。
私の名はシュリー・ファルト。二十一歳で、王立学院で教師として先月まで働いていた。
ファルト伯爵家の長女として生まれた私に婚約者ができたのは、十四歳の時。
格上のディミテリ侯爵家からの強い打診で、格下のファルト伯爵家は断る術がなかった。
ディミテリ侯爵家は先代ディミテリ侯爵が酷い浪費家で、家柄だけはいい貧乏貴族だ。
そんな侯爵家が目をつけたのは資産家のファルト伯爵家の私だった。
色々と理由をつけてはファルト伯爵家から援助を受けていたにも関わらず、事実無根な理由で一方的に婚約破棄してきやがった。
…口調が悪くなった。しかし、本当に腹立たしい。
婚約者のダミアン・ディミテリが私のことを好いていないのはわかっていた。
私の容姿も気に入らなかったんだろう。
目立たない亜麻色の髪に青い瞳の私と対照的なふわふわの桃色の髪に赤い瞳のアリエル・メリシュー伯爵令嬢。
だがこれは政略結婚。相手がほしいのは持参金。私たちは高位貴族と繋がる糸口。そう割りきっていたのに婚約破棄。
しかし、婚約破棄するにしても、なぜここなの?
貴族令嬢がこんなところで婚約破棄されたら二度と婚約なんてできないのに。
そこまでして私を晒し者にしたかったの?
ぎりっ、と強く手を握り締めてしまう。悔しい。婚約者……アイツのせいで恥をかくなんて。
そう思っていたら、私の手を包むように大きな手が触れてきた。
「強く握ったらダメだよ。血が出てしまうよ」
「えっ…」
同時に聞き慣れた声がして動揺する。なんで、どうして。
ふわっと私の手をほどいてくるのは、今日いるはずのない彼で。
「なんで…」
「母上のツテで急遽来たんだ。……間に合わなくて、ごめん。――それでは、僕が彼女に求婚してもよろしいですか?」
「はっ?」
「えっ?」
不快だが、婚約者だった人と声が重なる。
「? たった今、婚約破棄しましたよね?」
「な、なぜ…貴方様がし、シュリーを……」
元婚約者が口を震わせながら彼に尋ねる。
それは私も思う。こっちはこっちで話が飛躍している。今、なんて言った?
「そろそろ婚約破棄する頃合いではないかと思って来たんですよ。彼女は僕の大切な人なので」
大切な人のところを強調して、彼はニコッと微笑みながらダミアンを見る。
「そんな彼女が晒し者になって一人帰るのが許せず、つい出てきてしまいました。さて、シュリー・ファルト伯爵令嬢」
淡々と話すと、今度は彼が私に跪いた。……えっ?
「どうか、僕――ギルバート・アストロゼアと婚約してくれませんか?」
「……はっ?」
そして私はなぜか、年下の幼馴染に求婚された。
***
ギルバート・アストロゼア。十八歳。
私が住むラングストン王国の王家の次に力を持つアストロゼア公爵家の嫡男。
濃い紫の髪に赤紫色の眠たそうな目つきをした青年で、希少な風の魔力を持つ魔法使いでもあり――かつての私の幼馴染。
私の父とギルバートの父が友人だったため、小さい頃は私たちも仲良くしていた。
ギルバートは子どもながらに大人っぽかったが、私には懐いてくれていたので、かわいがっていた。
しかし、それも私が婚約してからは距離を持つようになり、疎遠になっていた。
教師と生徒として王立学院で会うことはあっても人目がつくし、ギルバートは賢い子なので、必要以上に近づくことはなかった。
……いいや、一度だけあった。
あれはギルバートが卒業する数ヵ月前、準備室でダミアンが浮気していると私に話してきたのだった。
あの時は荷物を運ぶ手伝いを女子生徒に頼んでいたのに、半ば無理矢理代わりにしたことに違和感があったら、そう言われて驚いたのはよく覚えている。援助を受けているのに浮気しているとは露にも思わなかった。
浮気を聞いた私は両親に話し、調査してみた結果、ギルバートの言う通り、ダミアンは浮気していた。
アリエル・メリシュー伯爵令嬢。十八歳になるメリシュー伯爵の庶子で、王立学院とは違う女学校に通う最近社交界デビューしたばかりの令嬢。
そのことを問いただすと侯爵家は「友人」と一点張り、ダミアンなんかは怒鳴りつけてきた。
ただの友人が必要以上に密着し、抱きついて、手を繋いだりするの?
膠着状態になったので、メリシュー伯爵令嬢に手紙で遠回しに注意を出したけど、それを嫌がらせと認識された結果、婚約破棄された。
――それが昨日のことだ。
「……どうして、うちに来てるの?」
「だってもう学院は先月卒業したし。婚約を申し込んだのに返事がなかったから、アプローチしに来たんだ」
堂々とファルト伯爵邸の庭で紅茶を飲むギルバートに質問するとそう返ってきた。
あのあと、ギルバートは私をエスコートしてうちに帰してくれた。
ダミアンはギルバートに何か言っていたけど、ギルバートは「楽しい時間に水を差してしまい申し訳ありません。どうぞ、ごゆっくり」と言って笑いながらも目は笑っておらず、ダミアンを無視して私を連れて侯爵邸をあとにした。
ギルバートが私をエスコートして帰ってきたため、両親は驚いていたが、経緯を話すとダミアンに怒り狂っていた。
「…公爵夫人の知り合いに協力してもらって昨日の夜会に乗り込んだの?」
ギルバートを見ると、ニコッと微笑む。
「婚約破棄なんて他人が主催の夜会でするなんてありえないし、結婚まで半年きってたからね。まぁ、公衆の面前で婚約破棄も常識知らずだけど、彼ならやりかねないから」
「…お父様はカンカンだから、婚約は白紙になるでしょう。…でもね、ギルバート。あんなこと言わなくてよかったのよ?」
ギルバートの目を見て言うと、こてんっと首を傾げる仕草をする。
「あんなことって?」
「とぼけないの。…助けてくれたことは感謝してる。でも、婚約を申し込むなんてなに考えてるの? あんなこと言って。ややこしくなるでしょう?」
「僕は本気だよ、シュリー」
「…えっ?」
思わずギルバートの目をじっと見てしまう。
「本気じゃないとあんなこと言わないよ。さっきから言ってるけど、アプローチしに来たんだよ」
アプローチ、だと?
ついさっきもそんなこと言ってたけど、冗談だと思っていた。
本気で、私と婚約?
「私、昨日婚約破棄された女よ」
「でも相手に非がある。伯爵は動いているんでしょう? ならシュリーに非がないのは直にわかるよ」
「私、三つも年上よ。女が年上なんてダメでしょう」
「それはシュリーの考えでしょ。僕は別に気にしないけどねぇ」
淡々と反論してくる。昔はこんな子じゃなかったのに。
「僕、小さい頃からシュリーのこと好きだったよ。シュリーは姉のように振る舞ってたから告白しても正しく受け取ってくれないと思って、もう少ししてからって思ってたら婚約するんだから」
ニコッと笑いながら、ギルバートは私の右手に左手を重ね、少し腰を浮かして柔らかい、けど低い声で私の耳元で囁く。
「だからあの男が浮気しているの知った時チャンスだと思ったよ。三歳差なんて大したことないよ? …今日はシュリーの好きな花を持ってきたから、部屋に飾ってくれたら嬉しいな。…じゃあ、また来るね」
囁いたギルバートからクスッと笑う声が聞こえた後、すっと立ち上がり、私に挨拶して去っていった。
「……はっ?」
今日の、いや昨日から私は「はっ?」や「えっ?」ばかり呟いている気がするが。なんで…なんで…。
「なんであんな近距離で囁いてくるのよっ…!!」
元婚約者にすら近距離で話したことのない私は、それだけで顔に熱が集まり、熱くなってしまった。
***
それから頻繁にギルバートが訪問してきた。
忙しいはずなのに訪問してはお茶をして、プレゼントを渡してくる。
お父様はディミテリ侯爵家とメリシュー伯爵家に婚約破棄に対する慰謝料を、浮気の証拠書類を持って請求している。
侯爵家はダミアンに大激怒していて、お父様に許しを請うているらしいが、認めないだろう。
おかげで私は被害者という認識になっているが…。
「ねぇ、裏で糸引いてない…?」
「ん? 集まりの時に少し話してるくらいだよ。殆どは伯爵の手腕だよ。どのみち、わかることだったんだから」
「そうだけど…」
「ダミアン・ディミテリはこのままだと廃嫡かもね」
「廃嫡…」
明日の天気を語るかのようにギルバートが話すけど……廃嫡か。
それだけ侯爵家は怒っているってことだ。
どうやらダミアンの独断だったらしく、しかも、そこでアストロゼア公爵家の子息が私に求婚してきて、その話題で持ちきりだ。
しかし、廃嫡とは…。感情のままに目立つ場所で婚約破棄するからだ。
優しくしてもらったこともないから、同情なんてしない。
「で、どう? 僕との婚約、考えてくれた?」
「……」
ギルバートの言葉に口をつぐんでしまう。
確かに、私は被害者という認識のおかげで、婚約はできる感じになっているが…。
「公爵様たちは…どう思っているの?」
「シュリーとの婚約? 反対なんかしてないよ。シュリーのことはよく知っていて、むしろ今回の件では同情してるし」
「そう」
名門アストロゼア公爵家からの求婚。良縁なのはわかっている。
ギルバートの隣は居心地いいし、ディミテリ侯爵家のように強引に婚約を結ぼうとはせず、私を尊重してくれているけど…私が気にしてしまっている。
ダミアンのことは好きじゃなかったけど、婚約破棄されて恥ずかしかった。
婚約破棄された傷物令嬢……もう二十を超えているので令嬢とは言いにくい年齢だけど、そんな私がギルバートの側にいていいの?
公衆の面前で、婚約破棄された私と結婚してギルバートの名前に傷がつかないか心配で。
私のせいで迷惑かけたくない。だから――。
「…私、ギルバートを異性として見れない。小さい頃から見ているから……弟のように思ってたから」
目を伏せて、詰まりながらも話していく。
半分は本当。ギルバートはずっと弟のように思っていたから。
…異性の方は、よくわからない。
自分を慕っていた小さな男の子から青年になったのはわかるけど…。
「…僕のこと、嫌いではないんだね」
「! 嫌いなんかじゃないわ! ギルバートだけが助けてくれて……本当に、本当に感謝しているもの」
ギルバートが来なければ、私は一人で帰って笑い者になっていただろう。それがギルバートが来たことで、笑い者にならずに済んだ。
「そっか。…なにも別にいきなり異性として見てなんて思ってないよ。シュリーが僕を弟のように見ているのはずっと前から知っているから。だから、もう少し、僕とこうして二人で過ごしてほしいんだ」
ギルバートがまた、私の手に自分の手を重ねる。
不覚にもドキッとしてしまう。
最近、会う度にこうして手を重ねたり、髪に触れたりしてスキンシップしてくる。
昔は、私の方が大きかったのに、いつの間に大きくなって。
まるで、知らない男性みたい。
「…私よりも、アストロゼア公爵家に相応しい令嬢はいるわ」
「それを決めるのはシュリーじゃないよ。…そうだ、これプレゼント」
「いいわよ。もうたくさん貰ってるから」
「ダメ。これだけは貰って」
しばらく攻防するも、絶対引かないという意思を感じてしぶしぶ受け取る。なんで。
貰ったのはシンプルな透明な石がついたブレスレット。
「これは…?」
「外出の時は必ずつけて」
…? 外出時は必ず?
「なにかついているの?」
「しばらく忙しくて中々来れないから。約束守ってね」
「あっ…! ちょっと…!!」
人の質問に答えないで、ギルバートは立ち上がり去っていった。まったく、かわいくない。
***
ギルバートの宣言通り、彼はしばらく私の屋敷に来なくなった。
そりゃあそうだ、と思う。ギルバートは公爵家の跡取りで、忙しいはずだ。むしろ、よく今まで通うことができたと思う。
ギルバートの訪問のせいで、パーティーに参加しても目立ち、殆どパーティーには参加しなかった。
「……」
自室で読書するのをやめ、花瓶に飾られている花を見る。
私の好きな花をいつもくれていたな、と思い出す。
…なんかここ最近頻繁に会っていたからか、寂しく感じる。
そんなこと思う自分に、はっ、となり、首を振る。
「……自分から突き放したくせに何思っているのよ」
そう、別にいいではないか。ギルバートは幼馴染み、それだけだ。
相手に非があったとしても私は婚約破棄された女だ。結婚にも興味はない。これでいい。
それこそ、平民の通う学校で先生もいいかもしれない。
「…久しぶりに外出しましょうか」
侍女に外出すると告げ、準備していく。
ギルバートに貰ったブレスレットを一応つけて、侍女とともに外に出た。
久しぶりの外出は楽しかった。
王都で馴染みのある店に入ったり、好きな食べ物を食べるのはストレス解消になる。
「お嬢様、楽しそうですね」
「ええ、楽しいわ。やっぱり気分転換は大事ね」
私の侍女のエイミーが声をかけてくる。
「よかったです、最近ギルバート様が来なくて寂しそうだったので」
「…そう見えたの?」
「はい」
「……」
周りの目にも見えていたなんて。家だからと気が抜けすぎていたのかもしれない。
…ふと、エイミーに聞きたくなった。
「エイミー、好きってどう自覚する?」
「え」
エイミーがぱちくりと目を見開く。なんか、誤解されてそうなので否定する。
「誤解しないで。…好きって言われたけど、そんなのどう自覚するのか疑問に思っただけ」
「そう、ですか…。私が自覚したのは、やっぱりその人ばかり考えてしまうところからですね。今、何しているか、元気にしているか、自分だけを見てほしい…本当ありきたりなのですが、そんなこと考えているとあぁ恋しているんだなって思います」
「…そうなのね」
今、何しているのだろう。なんで忙しいのか気になってしまう。…会えなくて、声が聞けなくて、寂しい。
それをギルバートに対して思ってしまうのは…。
ぼぅっとしていたら急に左手首を強く掴まれて、意識を戻した。
「いっ…!?」
「お嬢様っ!?」
誰?と思ったらそこにいたのは――アリエル・メリシュー伯爵令嬢だった。
「メリシュー伯爵令嬢…?」
一瞬、彼女だとわからなかった。
深くフードを被り、僅かに見える髪はお世辞にもきれいに整えられておらず、目も泣き腫らしたかのようだった。
「お願いします、二人だけで、少し話をしてくれませんか?」
「…今じゃないとダメなの?」
「お願いします…!」
目を潤ませて必死に頼んでくる。…仕方ない。
「わかったわ。すぐに終わらせてね」
「! ありがとうございます!」
エイミーには目に見える場所で待機してもらい、メリシュー伯爵令嬢に連れられ、大きな階段の端に移動する。
「ここじゃないといけないの?」
「すみません、人通りが多いのはちょっと…。こっちならこの通り、人がまばらに歩いているので」
「…それで、用件は?」
すると、とんでもないことを言われた。
「ダミアン様と結婚して下さい!!」
「…なぜ?」
いきなりわけわからないことを言われて困惑する。
「正式に婚約破棄したから無理よ」
「あなたと婚約破棄したせいで私の実家にも慰謝料発生してるの! お義母様がすごい怒ってて…このままじゃ私、老人の後妻になるの!」
敬語が抜け、早口で捲し立ててくる。
それは大変だが、ことを大きくしたのはそっちだ。
手順さえ踏めば慰謝料は発生しても今のような金額ではなかっただろうに、考えもせずに公衆の面前で婚約破棄するのだから当然だ。
「そんなの知らないわ。それにダミアン様と愛し合っているんでしょ? なんとか結婚できる方法考えたら?」
「貧乏なんて知ってたら恋愛なんかしないわ!」
うわっ、今さらっと本音を吐き出した。家柄見て判断したのか。
最近社交界デビューしたのなら知らなかったのだろう。
「ダミアン様もこのままだと家にいれないの! 婚約破棄のこと後悔してるわ。だから許してあげてよ! ダミアン様のこと好きでしょ?」
「いや、政略結婚でむしろ嫌いだけど」
メリシュー伯爵令嬢が目を見開いている。でもさらに驚くべきことを知った。
この子は、例え人の婚約者でも好きなら奪う子だと。
「そんな…ずるいわ! どうしてあなたがギルバート様に求婚されるの!? 私だってギルバート様が好きだったのに…! なのに冷たくされて、優しくしてくれたのがダミアン様で…!」
そうか、この子もギルバートのファンなのか。確かにギルバートのタイプではないだろう。むしろ嫌いなタイプだろう。
いや、別にギルバートの好みを知っているわけではないが。
「私の方が若いのに! お願い、ダミアン様と結婚して。ギルバート様と結婚しないで!」
「少なくとも、ダミアン様の件は無理よ」
話してても埒があかないと思い、歩き出す。
「用があるのならファルト伯爵邸に手紙を出して。勿論、事前にいつ伺いますと連絡してね」
「まっ…! 待ちなさいよ…!!」
女の子なのに力強く、腕を掴まれてそれを引き剥がすと体勢が崩れた。
「あっ…」
下は確か、階段だ。
エイミーの叫ぶ声が聞こえる。
メリシュー伯爵令嬢が僅かに笑う。――もしかして、ギルバートとの婚約を阻止するために、わざと?
そこまで考えなかった自分の頭を呪う。もし、死んでしまったら――ギルバートはどう感じるだろうか。
無性に、会いたくなってしまった。
衝撃に目をおさえると、一瞬光り、誰かに抱き止められた。
「えっ…?」
「よかった、間に合った」
焦った声がするも、声は私がよく知る声で。
顔をあげると、ギルバートが安心したように息を吐いた。
「な、んで」
「僕は風の魔法使いだよ。ブレスレットを介してシュリーの身に危険が迫った時は転移できるようにしてたんだ」
「はっ?」
いやなにそれ。聞いてないんだけど。だからあの時、尋ねても答えなかったのか!
「さて、アリエル・メリシュー伯爵令嬢。今なにをしようとしたの?」
「え…そ、その…」
「あぁ、答えなくていいよ。この場を目撃していた人たちが証言してくれる。だから、君は――騎士団に連行されていいよ」
ニコッと口角は上がっているものの、目はひどく冷めている。……これは、かなり怒っている。
「ギ…ギルバート様! わ、私、あなたのことが本当は好きだったんです! でもダミアン様からアプローチされてつい――」
「そんな話どうでもいいんだけど」
うわっ、告白を遮った。
「僕の目には一人しか映っていない。それに、君みたいな問題行動起こす子は僕、大嫌いなんだ。君がどうなろうが知ったことじゃない。――あ、でも一つ感謝してるよ? 君のおかげでシュリーはあんな男から解放されたから」
「……」
放心状態となったのか、メリシュー伯爵令嬢は騎士団に連行されていなくなった。
数人の目撃者と一緒に、ギルバートが側にいるからとエイミーも事情聴取しに行った。
「大丈夫?」
「…大丈夫、ありがとう」
「僕はダミアン・ディミテリ対策で用意したんだけど、予想外だったなぁ。…シュリー?」
安心したからか、手が震えてくる。
もし、あのまま落ちてたら、後遺症が残らずにいられたのだろうか?
「…大丈夫、大丈夫。僕が側にいるよ」
「…バカ。仕事…サボったんじゃないの?」
「父上もシュリーが危なかったと話せば多分許してくれるよ」
「…その時は、私も一緒に謝るわ」
「ありがとう」
安心してしまう。ギルバートに手を握られるだけで。大きな手が、私を守ってくれるようで。
私の方が年上なのに。
メリシュー伯爵令嬢の言葉が反芻する。
『私の方が若いのに!』
どうしてギルバートは私を好いているんだろう。
小さい頃から好きだったというけど、好かれる動機が思いつかない。
「ギルバートは……私のどこがいいの…?」
ゆっくりと言葉を述べて尋ねてみる。
「んー。たくさんあるけど、一番嬉しかったのは、僕をただの子どもとして見てくれたことかな」
「どういうこと?」
ギルバートの言っていることがよくわからない。ただの子ども? 私より年下だから子ども扱いするのは当然なのに。
「ほら僕、風の魔法適性あるでしょう? 魔力を持っているのは珍しいから、昔から色んな目で見られてきたんだよね」
魔力――魔法という特殊な力を操れる力の源。
先天性の力で、魔力持ちは国の宝で大切にされる。
だけど同時に、普通の人間が持たない力を持つ彼らは色んな目で見られる。
「家族は僕を大切にしてくれたよ。でも周りの人は違う。大人は隠せても子どもは素直だからそれが見えるんだよね。羨望に畏怖、どちらも向けられてたんだ」
淡々と明日の天気を話すように話していく。もう、過去のことと割りきっているのか。
「でもシュリーは違った。父上の友人の子だから僕のことを聞いているんだろうなって思ってたけど、シュリーは僕を弟のように接してくれた」
確かに父からギルバートのことを聞いていた。魔力のことを聞いていても、年下なのは変わりないからかわいがっていた。
「弟扱いされたのは初めてだったけど、嫌じゃなかった。いたずらしたら怒ってくれて、一緒に遊んでくれて、本を読んでくれて、嬉しかった」
「それは、私も子どもだったから怒ったけど今はできないわ」
「そうかもしれないけど、嬉しかったのは変わりないよ。気づけば好きになっていった」
赤紫の瞳が私を見つめる。
「僕のこと、異性として見れない?」
「……」
「僕を異性として見れないならそれでもいいよ。でも、せめて七年前に止まってしまった幼馴染の関係に戻れないかな?」
小さく、甘えるようにお願いするのは、かつて弟のようにかわいがっていた幼馴染。
でも、いつの間にか背は伸びて、手は大きくなって、私を抱き止めるくらい力を持つようになって。
落ちる時も頭をよぎったのはギルバートで。
あの時は自分の気持ちがよくわからないまま、異性として見れないと言ったけど、会えなくなるとギルバートのことばかり考えてしまって。
いつの間に、ギルバートは立派な男の子になっていて。
「…幼馴染には、戻れない。だって…もうギルバートはあの時の小さい子どもじゃないもの」
「…そっか」
「だけど…ギルバートも男性なんだなと抱き止めてくれた時、思った。会えなくて…寂しかった」
七年間、関わらなかったら弟のように見ていた子は成長していた。
好き。そう考えると緊張して、声が枯れそう。でも、伝えないと。
「今更なんだって自分でも思うけど…ギルバートのこともっと知りたいって思うのはダメ…かしら」
「…それって」
「婚約破棄された女でもいいのなら…お付き合い…したいです……」
最後は声がすごく小さくなった。だけど言った瞬間、ギルバートに抱きしめられた。
「ありがとう。ありがとう、シュリー。よろしくお願いします」
「…こちらこそ、よろしくお願いします」
交際期間がどれくらいなのかはわからない。
だけど、そんなに長くないと思う。そして、きっと私はギルバートの側にいるんだろうなと心の中で一人呟いた。
読んでくれてありがとうございます。
ここでは本編に書けなかった設定を置いておきます。
シュリー・ファルト:スレンダー美人。実は初恋もしたことない恋愛初心者。婚約者がいたため、恋愛は諦めていた。そのため、すぐに恥ずかしくなる。
ギルバート・アストロゼア:綺麗系の顔立ち。シュリーと初めて会ったのは八歳で、初恋を自覚したのは九歳。
最後のシュリーの告白は風魔法でしっかりと聞いている。
ダミアン・ディミテリ:シュリーの一つ上の二十二歳。
アリエル・メリシュー:かわいらしい容姿。平民から貴族になるものの、平民育ちが長くて強か。