元お飾り陛下の断れない依頼と紫瞳の騎士
『お飾り陛下は要らないですよね? じゃあ、そういうことで!』 の続編です。
続きのストーリーが突然降ってわいて思いついたので、気の向くままに書き連ねてみました。
あの国から抜け出して、ようやく二週間が経った。
そんなある日のこと、レア・リーストとして生きる事を決めた女王レイステリアが、微妙な顔をしながら、己の身体にあるだろう痣を思い浮かべつつ、今手にある書物を眺め見ていた。
書物の名は、『五柱の女神による福音書』。この世界における全ての歴史は勿論、レアが知りたかったリィセレ王国の誕生などが書き連ねられている聖書のような書物。
「……ほーん。はぁ、なるほどねぇ」
自分以外は誰もいない、廃墟と化した古き教会で見つけた書物。
ギルドで受けた依頼を無事に終えた帰りに、何か宝でも残ってないかと思って立ち寄っただけだったというのに。
よもや、こんなところでそんな事実を知るとは、レアは思いにも寄らなかった。
(この薔薇の痣が無いと、王にはなれない? という事は、仮に私が女王レイステリアとして魔王化したとして、クライシスが倒しに来たとしても……あの子が王になるかどうかはまた別の話って、ことか)
此度は先代国王である彼女の祖父が死んだその日に、王として選ばれし痣を持つレイステリアが生まれたことで、王の存在しない空白の時というものはなかった。
書物には『初代国王は羊飼いの少年であった』と、また、途中で痣のある王が何者かに殺された際には『数日の空白の期間、王の証を持たぬ者が玉座に座れば国は荒れに荒れまくった。しかしある時、貴族の者より痣のある者が生まれ、その者が新たな王に成り玉座へと至れば忽ち国に平和は戻った。』とは書かれていた。
つまり、仮に自分が死んだとしても、王弟クライシスは王にはなれない。痣のある者の伴侶にならばなれるかもしれないが、彼自身が王になる事は出来ないという事実に、レアは深いため息を吐いた。
(あれだけ、周りに王に相応しいと祀られていながら、その本人が王にはなれないだなんて。女神様も酷な事をされるわぁ……とはいえ、私自身戻る気は更々ないのだけど。むしろ嫌。)
書物には痣のある者こそが王、と書かれているだけで、王の居ない国がどうなるのかは書かれていなかった。どうやら、他国でもそれぞれの女神より花の痣を胸元に宿している者が、王に成っているらしい。
痣のない王などこの世界には存在しない、と書物にはそう確かに書かれていた。
しかし、王の居ない国がどうなるのかとなれば、書物にあるような大体の未来を予想は出来る。
他国に知られれば、まず面倒なことになるだろうと。女神の加護無き国を取り込むなど、他の女神の加護を持つ国であれば恐らくは容易なことだろう、と。
また、特にリィセレ王国と少し仲の悪い国――かのバルエナ帝国は大いに喜ぶだろうな、とあり得る未来を想像していた。
此処で、レア自身に愛国心があれば、今までのように家臣達の前に現れそのまま助けられ、無事に戻って来るという形を取って、また女王として君臨する事もできただろうが……。
転生以前の彼としての記憶を持ち合わせてしまった、今のレアには愛国心というものが存在しない。
それよりも今は、ただ、ひたすらに自分が生き抜く事こそが、何よりも大切だった。
(多分、戻れば魔王化は免れない。……それに、)
一つ、気になる点があった。
「この世界で、ずっと女神様の加護を受けられる可能性が、一体何処にあるのか」
彼女は、彼として生きた過去があるが故に、大して神という存在をいまいち信じられてはいなかったのである。
居るんだろうな、とは思えども、それを信じるか信じないかは別であり、彼女は特別信じていなかったのだ。
そんな事を考えていることは、もちろん、彼女に加護を与えている女神レリィーセレモラには筒抜けなのだが、それが逆に女神の興味を持たせていた。
他世界の人間の記憶を持つが故の、誤差であった。
痣を持つ者以外が女神の創りしその玉座に座れないのならば、人の手で新たな玉座を造り、其処に王と崇める者を座らせてしまえば良いのに、と考えるレア。
彼女の考え方は、この世界、では異端だった。
誰もが考えそうな事を、されど、この世界ではその誰もがそれを考え付かないのだから。
最も、それが女神の加護を支えとして生きてきた、国、あるいは世界に根付いてしまった国王へのあり方なのかもしれないが。
あれやこれやと考えを終え、一つ小さな息を吐く。
レアは他に何か使えるかもしれないと思い、手にある書物をギルドの依頼品も入っている鞄の中へとしまい、ふと、教会に残る女神像を見つめた。
「……あの子は、今、どうしてるんだろうか」
――「姉上! 見てください、虹ですよ!」――
将軍ヴェルデ・メリアルに常日頃から強くあれと鍛えられていた、今世の弟クライシスを思い出す。
自分より五つも年の差のある弟。女王レイステリアの補佐として生まれ、前世に見たゲームでは魔王を倒すべき勇者になる王子。
使い物にならない風に演じていた自分を、それでも姉として接してくれていた優しい子。
父も母も自分を疎ましく思っていたのに、あの弟だけはずっと側に居てくれていた。
ゲームの事を思い出さなければ、きっと、ゲーム通り、仲の良い姉弟として、……しかし、いつかは魔王と勇者として、対峙しなければならなかっただろう。
「痣と王が関係なければ、私としては……本当にあの子にこそ、王が相応しいと思うのにね」
レアは、レイステリアは、弟の事だけは気がかりであった。いつか自分を支えると言ってくれていた弟。
確かに、理不尽な運命で魔王として倒されるのは癪だが、あの弟自身については彼女も憎めなかったのだ。
「どうせなら、私のこの痣を半分にし。クライシスへ、その半分を分けてあげてくれてもいいのに」
……なんて前例が無いんだから無理な話か。とレアは溜め息をこぼしながら言葉を紡いだ。
痣が半分になれば、弟へこの痣の半分が分けられれば、もしかしたら玉座に付けるかもしれない。
そして、自分は本当の意味での、自由の身を得られるかもしれない。
そんな、彼女の些細な願い事。
レアの言葉を、思考を、かの女神レリィーセレモラはもちろん聞いていた。
聴いている上で、成る程と感心していた。まるで、その手があったかとでも思うかのように。
女神は決して愚かではないが、レアのように他の世界を見た事はなかった。この世界という箱庭の中の女神、それ故の無知でもあった。
女神レリィーセレモラは一人で微笑む。それはそれで、面白そうだ、と。
――そうして、彼女の願いは確かに叶えられた。都合よく解釈したらしき女神の言葉と共に……。
*****
リィセレ王国、女神レリィーセレモラを主神し、国の神聖なる花を掲げた――通称:薔薇教の総本部。その場所にある厳かな大聖堂で、一人祈りを捧げる青年が居た。
彼の名はケレス・アダントン。この薔薇教の大司教である男だ。
彼は先日起きた奇跡――女神レリィーセレモラの降臨とその理由について、今一度女神に問いたいとこうして祈りを捧げていた。
しかし、何度どんなに願っても祈っても女神が再度現れることはなかった。
本日の祈りを終え、ケレスはふと息を吐いた。今日も限りなく王城は大騒ぎに見舞われているだろう。その様を考えるだけで気が晴れなかった。
ーー女神レリィーセレモラの降臨。
『我が愛しの薔薇の子が願ったからこそ、特例として此度のみ痣を半分だけ王弟に分け与えよう』
『王の痣を持ちながら、未だ帰らぬのは、あれが酷く賢く優しい娘だからぞ』
『此度の薔薇の子は類稀な数奇なる運命を課せられている……そのため、自らの評価を犠牲にしてでも、己の愛しい国民を傷つける未来を選びたくなく、進んでこの国より去った』
『――おぬしらは皆、我が此度の薔薇の子の掌の上だったのじゃ』
『薔薇の子を思うならば、あれの事はもう放してやれ。この国に戻せば、何のためにあれが此処まで成したのか、我に願ってまで痣を分け与えたのか。すべての意味が無くなってしまうからな』
『お主等は、薔薇の子に守られたのだと、それを忘れずにいればよい。あれの望みは、国と国民を護れる事じゃ』
衝撃の事実と共に彼の者に分け与えられた証。
女神の愛し子である女王レイステリアが国を想い、国を愛するが故に行った愚行という名の演技の数々。いつかの未来で女王派と王弟派が争うならば、と自らを犠牲にしてまで国と民と弟を愛したこと。
そして、大切な王弟に分け与えて欲しいと祈った薔薇の印。
女神の名の下に証を分け、王が二人となったその瞬間こそが、前代未聞の、新たなる歴史が誕生した日となった。
国民は涙し、臣下は気付かなかった悔しさを零し、ケレスは大司教ではなく一個人として女王の大いなる愛に心を打たれた。
その後、女神は女王を想うならば、彼女のことはもう忘れてしまいなさいと告げ、その姿を消した……。
女王が行方知らずとなって三度ほど週が過ぎた。
女神レリィーセレモラは、本当に女王レイステリアを愛しているのだろう。
だからこそ、ケレスが、――正確には国の民全てが、今一度女王レイステリアにお逢いしたいと思っている事をよくは思っていないのだろう。
ケレスとて今更過ぎると思っている。
いつから練っていたのかすら分からない女王の策にまんまとハマり、その通りに国全体で女王を蔑み、女王の周辺警護を疎かにし何度も危険に晒しても尚そのままにしていた。
誰もが彼女を愚王と嘲笑った。
王弟こそが王に相応しいと言った。
けれど、そんな国をそれでも尚女王は愛し、慈しみ、女神に祈りを捧げて奇跡を起こした。
――彼女は、女王レイステリアはまさしく賢王に相応しい方だったのだ。
だからこそケレスはせめて、一人になった女王がこの世界のどこかで幸せであれと祈る。
そして、この祈りならば、女神は必ず叶えてくれると信じている。
そんなケレスの祈りをよそに、女神レリィーセレモラは彼女の住まう異界で静かに微笑んでいた。
歴史が変わった瞬間を己が起こし、その結果として世界に変化が訪れたことをこの目で垣間見たからだ。
何度かの未来へ目を向けても、それまでは起こり得た女王レイステリアが魔王になる世界が潰えたのだ。薔薇の証が半分になっただけで。たったそれだけの運命で、女王レイステリアの運命も変わった。
己が愛し子の運命が良い方に変化した事を女神は嬉しく思った。
これから先、彼女の運命がどう進むのか。
それまではただ一本道のような未来が、此度より数多の道に枝分かれているのを眺めながら、女神レリィーセレモラは今日も静かに微笑んでいた。
*****
一介のギルド員になった、元レイステリアことレア・リーストはこの場をどう乗り切るか悩んでいた。
彼女が悩むのも無理はない。
もしもを考えた結果、女王であった時に覚えた色変化魔法でこの世界における市民らしい色素を持つ髪色と瞳の色を変えても尚、こういう場面に陥った場合どうすればいいのか分からなかったからだ。
この古びた衣服を着、平民を装っている男……否、王城の重鎮ならばその容貌だけですぐに気付けてしまう、かの宰相である男――ベルンナンド・エンスの依頼を受けるか否かという場面に。
「……それで。あの、何故私にそんな極秘任務を? 私はその、見ての通り駆け出しギルド員ですし……他の優秀なギルド員の方に頼むべきでは?」
いつものおっちゃんことギルドマスターのご厚意により、レアは奥の密室に宰相ベルンナンド・エンスと二人きりにされていた。
魔法により変えた焦げ茶色の髪を一つにまとめ、現在の彼女が持つ同色の瞳は困惑に揺れていた。
戸惑いを隠せないと言わんばかりの声色で、微妙な顔をしつつ宰相の言葉を待った。拙い演技力しかないが、どうにか断れないものだろうか。
――そもそも何故自分が自分を捜す依頼を受けなければならないのか。
「いいえ。これは他国にも多く顔が知られているギルド員には頼めないのです」
「……それは、何故ですか」
レアは宰相の言葉がよく分からなかった。
勿論せっかく逃げ果せた来たのだから見つかるわけにはいかないが、それでも優秀なギルド員に頼まない理由が分からない。
他国に顔が知られているのと、依頼を頼めない理由はどういう繋がりがあるのか。
レアの疑問に宰相は静かに頷いた。
「我が国リィセレにて、つい先日女神が降臨した事はご存知ですね? 前代未聞の分けられし半分薔薇の証の話は今しがたしましたが」
「え、あ、はい……」
それはレアも知っていたし、何より自分の胸元から左半分の薔薇が確かに消えていたのを確認したのだから間違いはなかった。
ただ、それだけで何故か王国全体で手のひらを返したように、行方知らずのレイステリアを稀代の賢王扱いしていたのがよく分からなかったが。
「他国にもかの女神のご降臨は既に知られていますが、実はその内容――行方知らずであることと証の事さえ一切知られておりません」
「はあ……」
降臨の理由が知られていない、となると国中が口を閉ざしているのだろうか。あるいは、それらしい嘘をついたのか。
というか。
「んん?? えっ、あの、女王陛下の行方知らずの件と証の件、私知ってしまったんですけど……?」
先ほど宰相の口からその話の内容を少しでも知ってしまった、他国の人間であると設定した自分はどうなるのか。
宰相は怖いほどニッコリと笑った。
「そうですね」
レアは瞬時に理解した。
これは断ったら殺されかねないと。口封じに殺されかねないと。
何より実践経験も武術も何もかも今のレアより宰相の方が上だろうという、彼の実力を知っている。
「……さて。話を戻しますが、他国には降臨の内容までは知られていません。どうもそこは女神が自ら結界を貼ってくださったようで……というのも、我が民以外の者は聞き取れなかったらしいのです」
それは凄い女神さまさまだなとレアは感心し、宰相の続きを促した。
「少なくとも女王が行方知らずになったのは確かです。もしかしたら他国が女王を人質に我が国を攻め入る可能性も否めない。特にバルエナ帝国ならば」
「だから、こそ。どうして新米の私にそんな大それた任務を、と? それはまた、随分と無茶を言いますね」
一応、レア・リーストは女王レイステリアのご尊顔を拝したことがないという設定を、予め伝えてあるはずなのだが。
それでどうやって女王を捜させるつもりなのか。最も、その女王が己である以上は見つからないのだけども。
「大丈夫です、貴女はただ此方の同行者を連れて国々を歩き回るだけで結構ですので」
何が大丈夫なんだろうか、とレアは胡乱げな眼を宰相へと向けた。
「本来は私が付いて行きたいのですが、そうも言ってられませんので……」
そりゃあまあ、宰相、であるからとレイステリアとしては納得しているが、レアとしては此処は納得しているように見せるのは疑われるだろう。
敢えてあからさまにも「ついてこればいいじゃないか」という目をしてみた。個人的には付いてこないでほしいが。
レアの気持ちをどちらの意味で汲み取ったのか、宰相は苦く笑った。
「…………それで、ええと、その、同行者というのは貴族の方ですか? 私は新米ですし、貴族の方とは、その、ええと……」
レイステリアは持ち前の頭脳を持ってしてほとんどの人間の顔も名前もその役職をも覚えているが、彼等と対話した事はほぼ無いに等しかった。
己の魔王化未来を退ける為、貴族との対話はその何もかもを宰相や将軍ヴェルデ、はたまた大司教のケレスに任せっきりだったのだから無理はないのだが……。
「いえ、貴族では有りません。とはいっても、爵位を持っていないだけで貴族と変わらないと言えばそうなのですが……」
貴族であって貴族でない。爵位を持っていない貴族。
宰相はレアに騎士を連れて回れと言っているのだ。
が。それはレイステリアが辿り着いた答えであり、単なる民草の一人であるレアが思い付ける存在ではない。
ならば、とレアは首を傾げた。
「ええと、何と言えば宜しいのでしょうか――」
「勿体ぶらずに言ってしまえば宜しいかと。どうせその娘に依頼を頼む他ないのです、そして彼女も生きたければ断る筈もない」
宰相の後ろに位置する扉がノックの音もなく開かれた。言い淀む宰相に言葉を投げかけるのは、深くフードを被った身長の高い存在。
フードと赤髪の間から垣間見れた艶やかな紫の瞳。肖像画でしか見たことがない先王の色合いだった。何より、この世界において紫の瞳はとても珍しく、ここまで濃度の高い色を持つ者は生まれにくいとまで言われているはず。なのに。
レアは突然の来訪者を見上げ、ぽかんと口を開けていた。
「いつ如何なる時も、緊急時以外ならばノックもなしに入って来るのはいけない事だとお教えしたでしょう、ジーク」
呆れたようにジークと呼んだこのフードの男を宰相は見上げた。ジークは肩を竦め、レアに近寄る。
「な、なん、ですか……」
驚きで呆けていたレアだったが、近づいて来たジークには警戒した。もしや、実力行使に移るかではないのか、と考えながら。
「…………、ギルドに入ってどのくらいだ」
「は? あ、えっと、明日で丁度一ヶ月になります……」
尋問されているような圧力をかけられ、レアは無意識にぎゅっと己の手を握り締めた。
「何故、ギルドに?」
「……私には、戸籍、ないので。ギルドに入れる適正年齢になったので、戸籍がわりに……生きる為にも」
この国で戸籍がない、というのは貴族の私生児であったり貧困民であったりと様々な理由があるのだが、割と普通の話だ。そして、そういった人間もギルドに入ってしまえばその印が戸籍がわりになる。
けれど、ギルドに入るには適正年齢が設定されている。
その年齢以上でなければ仮にギルドに参加しようにも、参加条件が満たされているかを確かめる為のガラス玉が赤く染まってしまい、反対に問題が無ければ青く染まるのだという。
ガラス玉は色がどちらかに変化するだけで、本当の年齢がそのまま映し出される訳ではない、それはレアにとっては非常に幸いだった。
現在のレアはレイステリアより三つ歳下である、丁度この歳からギルドに参加できるという設定にしていた。
何より、その年齢ならば容姿全てを変えたレアの設定にも信憑性が増すと思ったからだ。
戸籍無しの十二歳、戸籍の為にギルドに参加。
戸籍さえあれば国を出られるし、ギルド員でなくてもいい他の職業に就く事だって出来る。
だからこそ、この国での戸籍のない者達はほぼ皆が十二の時にギルドに参加する。生き延びる為にも。
「成る程」
……納得してくれただろうか、レアはおそるおそるジークを見上げてみた。逸らす事なく見つめ返され、びくりと肩が揺れる。
「あまり怯えさせないでください、ジーク」
宰相の窘める声を聞きながら、レアはゆっくりとジークから目を離した。
一瞬でも怯えてしまった自分に悔しそうな表情をしながら。
「……お前、名前は」
「レア、です。レア・リースト。……リーストの方は、私を育ててくれた方の名前を頂きまし、た」
ここは敢えて父親は居ないとは告げない。そして、母がいたという事も。
その方が私生児なのか否かなのかは、彼らが好きに考えてくれるだろうと思って。少なくともレアが=レイステリアとは考えもしないだろうと思って。
「レア、か。俺はジークフリンド・オルガノーン……騎士をしている」
ジークフリンド・オルガノーン。レアはその名を言葉にせずとも復唱した。オルガノーンという姓は聞き覚えがある。
確か、王弟派の一族の一つだったはずだ。それが、わざわざ女王レイステリアを捜す意味とは?
「……ジークフリンドさま、ですね」
「敬称は要らん。ジークでいい」
でも、とレアが口ごもり宰相の方に戸惑いの視線を向けてみると、何故か彼は穏やかな表情で此方を見ていた。
「ジークで大丈夫ですよ。これから貴女は彼を連れて他国に向かうのですから、他国へ行っても尚敬称付きでは何事かと思われるでしょう?」
「……それは、そうですね。けど、あの、私、まだユーリュ皇国しか行った事無いんですけど」
レアがユーリュ皇国を訪れたのは前回の簡単な依頼――朝の配達で皇国の皇都に足を踏み入れたことがあるだけで、皇国全体に目を向けた事はない。
その時は皇都の雑貨屋、食品店を回る程度で昼過ぎには皇国を出てギルドに戻ってきていた。
「ユーリュ皇国は我がリィセレ王国と同盟国。初めにそこを選ぶとして、行きやすいのは確かだな」
「バルエナ帝国に先に行って欲しいところでしたが……それだと逆に怪しまれ兼ねませんか」
リィセレ王国とバルエナ帝国は敵対している。どういう了見で敵対しているのかは、レイステリアとして歴史を勉強していても理解できなかった。
リィセレ王国の女神レリィーセレモラ、バルエナ帝国の女神ヴァルエナーリア。かの女神同士の永く続く喧嘩に国が巻き込まれているだけ、というのが。
対し、リィセレ王国とユーリュ皇国が同盟国なのは、皇国の女神ユーリュリュシカとレリィーセレモラが姉妹であるが故に、だ。女神同士の仲がとても良い。
ただそれだけの話だ。
「ではユーリュ皇国に行き、ルフルサ公国、ロトラス王国、最後にバルエナ帝国に向かうという感じか。帰りもルフルサ公国を介してだな」
ルフルサ公国は永世中立国。
公国の主神は女神ノエークルフルサ。全ての女神の母なるもの、と言われているほどに全ての国とも仲良い中立国である。
公国自体は他国に囲まれているど真ん中にあるので、各国と隣り合わせになる町に各ギルドを建てている。
レアの所属しているギルドは、リィセレ王国とルフルサ公国の境界すぐ、ルフルサ公国最南端アーシャ町にある。故にここのギルド名は“ルフリィ”。そのまま、二カ国の間にあるから付けられた名前だ。
対しロトラス王国は、バルエナ帝国と仲の良い同盟国だ。
此方もバルエナ帝国の女神ヴァルエナーリア、ロトラス王国の女神フィロトーラスナが姉妹であるからと言う理由だ。
実際に国同士で敵対している――女神同士が敵対しているのはリィセレとバルエナだけであり、他は平和だ。同盟だからと言って必ずしも戦いに参加しているわけではない。
国の主神を奉る教会から「女神がNo!」といったから、という理由で不参加にもできる。
この世界において女神は絶対なる君主だった。
前世の記憶持つであるレアにとっては理解しがたいことだが。
「全てを巡るとするならば、その方法が妥当でしょうね……」
ジークフリンド・オルガノーンが放った言葉に同調するように、宰相が吐いた言葉に耳を疑った。
ちょっと待って欲しい。レアは頭を抱えかけた。
「……あの、もしかしなくても、私もその全ての国を巡るんですか?」
「当たり前だろう。何より、今日ギルドに残っていた新米はお前だけだったしな」
他の新米仲間にも頼めばすぐに巡れると思うのですが、とレアが言うより早くその言葉を読み取った宰相も首を横に振った。
「貴女以外にも何人か新米ギルド員がいることは把握していますが、これは国家的内密な依頼ですので元より人数は少ない方が良いのですよ。それに……他国を巡れることは貴女にも良い話では?」
何が何でも今日に適当な依頼を受けて外に出ておくんだった、とレアも今更ながらに後悔していた。
暇を持て余していたら、ギルドマスターに呼ばれ、ほいほいと何の警戒もなく部屋に入って、現状に至ってしまったのだから。
とはいえ、宰相の言う良い話というのはつまり、レアとして他国全てを巡れば自ずとレアにのみ他からの依頼が来やすくなるという点だ。
特に配達とかで、他国に行った事があるというのは利点だ。デメリットがあるとすれば、……途中で魔物に襲われたり盗賊に襲われたりする等だが、それ以上の利点ではある。
「何より今回はジークが付きます。貴女が望むならば、今後のためにもジークに剣の手ほどきを受けさせましょうか?」
「……そうだな、それもまあ、アリだろう」
剣の手ほどき。王城の、王弟派の人間から剣の手ほどきを受ける。
騎士と言うのだからおそらく将軍の部下に当たるのだろう。であれば、確かに剣の手ほどきを受けるのは利点だらけだ。
レアの心はぐらついていた。だが、あと一押しが欲しい。レアの心を動かすに値する、決定打になる一押しがあれば……。
レアはジークを見上げておもむろに口を開いた。
「…………基礎魔法も、教えてくださるのなら」
書物を通して魔法は知ってる。その構造も、必要な要素も書物で知っている箇所だけは習得している。とはいえ本棚にあった書物の多くは高度な魔法がほとんどで、レアが得たかった基礎の魔法に関しての書物は見当たらなかった。色変化魔法もその過程で知った。
真昼時に寝室内でボーっとしている演技の最中、「本日は魔法を教わりました! 身体能力を強化する魔法だったんです! すごいですよ、これがあれば重い剣も持てるんです!」と弟のクライシスが興奮した様子でやって来て語りにきた時があった。
確かにそれがあれば、今後にも使えそうだと思っている。足だけを強化して跳躍力を上げるとか、足腰と腕を強化して重たい荷物を普段よりも持つようにできるとか、そういったことに使えたらギルド員としてもっと良い依頼も熟せるようになるはず。
――シン、となる部屋。
まあ、魔法は基礎であってもそう簡単に教えてもらえる訳がないのは知っていた。
教える者によって魔法の使い方が違うし、魔法の組み方によってはその家系が分かるなどのデメリットもある。だからこそ、基礎魔法以外は一家相伝である事が好ましい。むしろ基礎魔法でも他者に教えるのはデメリットになるのかもしれない。
やはりダメかとレアが諦めかけたその時。ジークからため息とともに肯定の言葉が吐き出された。
「…………、良いだろう」
渋々ではあったが、確かに聞こえたその言葉。レアは宰相に視線を向けなおし、力強く頷いた。
「依頼受けます」
「契約成立ですね」
宰相がギルドマスターに告げると言い、ジークを連れて部屋を出て行った後、一人になったレアは息を吐いた。
さて、これからどうするか。思わず乗ってしまったり、欲望のままに一押しを申し上げてみたものの。
此処にレアがいる限り、己が半分薔薇を下に名乗り上げなければ決して見つかるはずのないレイステリアを、どうやって彼らに捜索を諦めさせるかを考えなければならないな、と思いながら……。
【国の種類】
レリィーセレモラ(薔薇)が守護する、リィセレ王国
ユーリュリュシカ(百合)が守護する、ユーリュ皇国
・
ノエークルフルサ(菊)が守護する、ルフルサ公国
・
フィロトーラスナ(蘭)が守護する、ロトラス王国
ヴァルエナーリア(牡丹)が守護する、バルエナ帝国
薔薇と百合→姉:百合・妹:薔薇、牡丹と蘭→姉:牡丹・妹:蘭
菊:全ての母のような女神
薔薇と牡丹は幾重にも喧嘩するほどに仲が悪いが、
百合と蘭はそうでもなくお互い姉妹には苦労していると思っている
菊はどの国とも仲良し永世中立国である
までは考えてあります……。