第100都市コロニーの危険人物
構築していたアバターを消去して、リアルの体に意識を戻した。
「……ふぅ」
自然と深い溜息が出る。
ずいぶん長い間仮想世界に潜っていた気がする。現実時間では10分も掛かっていないので、それだけ起きた出来事が強烈だったのだろう。
深く沈み込むシートの感触が現実を実感させる。この背中の冷たい感覚は……少し汗をかいたようだ。
――『全身スキャン開始……終了』
パラメータに異常値はない。五感に違和感はない。内臓に損傷も無いし、心臓も動いている。
良かった、身バレで死んでない。
現実世界に戻ったら肉体が死んでいたとか、フルダイブ黎明期ならともかく、今だと笑い話にしかならない冗談の類だからなぁ。
『教育区中央駅に到着いたしました。忘れ物が無いようご確認の上、足元に注意してお降りください』
アナウンスが流れて、昇降車の上昇が停止した。1秒の狂いもない時間通りの到着だった。
案内に従い車両から降りる。そのままゲートに設けられた端末に左手を翳して、運賃の支払いを済ませた。
ここは第百都市コロニー上層部、教育区画。
早朝ながら駅構内の人通りは多い。コロニー附属の小学生の集団。中学生のグループ。同じ高校の生徒も確認できる。
大人の姿はまばらで、大半が未成年だ。防犯の関係で警察機構のAI管理下にあるアンドロイドが多めに巡回している。
そんな人混みの中に、不自然な空白地帯が生まれていた。
何かイベントか、問題でも起きてるのか? 中央に誰かいるようだが……ぁっ。
「?」「!?」
――やべぇ、やばい、目があった。
自然に視線を逸して他人の――くそぅ、手遅れだ!
小走りで近寄ってき、うわぁああ!!
「あっ桃川くんだ、おはよー!」
「……ぉ、はよぅ如月さん」
声が震えかけて、即興でナノマシンに働きかけて声帯を制御する。
これが美人を前にした緊張とか、そんな平和な理由で起きた不調だったら、なんと幸せだったことか。
「今日は学校来るの早いねー? 珍しくないー?」
そう言って隣に並んだ彼女の名は、如月冴楽。
同コロニー附属高校のクラスメイト。黒髪に菫色の瞳、容姿端麗で美少女の類であることは間違いない。
――だが、外見に反して中身は普通ではない。断じて普通にあらず。
周囲を歩いていた人間が更に距離を取り、収穫されるバイオ牛肉を見学するような目で俺を見てくるのが、この状況をよく物語っている。
「始業前にデータの確認と調整作業があるんだよ。AI案件のアルバイトのやつ」
ついでにPチケットの解析もしたかった。
「AI案件? ……ぁー、そーか桃川くんの御実家って、なるほどねー。それってどんなプログラムー?」
詳細を濁したのに、なんで掘り下げる?
はやく次の対処を。いやおちつけ。俺はまだ死ぬような状況じゃない。
――冷静に緊急システム[No.13]をポチる。
するとナノマシンが脳に干渉して、思考速度が底上げされる。
作ってて良かったオリジナルNプログラム。
ちょっと高速で脳細胞が壊死していく副作用はあるけど、治癒再生さえ間に合えば実質ノーリスクだ。
世界が止まったように冷たく感じる。一方で頭はポカポカしてきて、すこぶるイイ感じだ。
更なる機能向上を目指して、サンプル収集目的で、オープンソース化して配布してみるのも良いかもしれない。
とりあえず、これで時間に余裕はできた。
すぐ後ろに控えている女性SPというか、私兵を見てわかるように、如月冴楽は良いところのお嬢様である。
それも日本のコロニー運営の中核、世界でも有数の超が付くほどの名家の生まれだ。
同じコロニー内で暮らしている人間だからと言って、彼女にちょっかい掛けられるのは、無謀な犯罪者か命知らずの馬鹿だけだ。
仮に何か粗相をしようものなら、カンタンな処理で市民権を剥奪されてコロニー外にサヨウナラー……。
ここ数百年の創作物で悪の組織の元ネタとして定番化している、とまでいえば危険人物具合が分かるだろうか。
こんな家が日本に11家もあるというのだから、現代日本の闇は深いよなぁ。
(――現実逃避してる場合じゃない!)
一応アルバイトの内容には守秘義務がある。このさい無視して構わないだろう。
キサラギの前では機密など無に等しい……。国外含む一般の常識ではそうだった。
念のために指向性の通信波を飛ばして、近場のCCC端末に接続。教育区の準1級AIに許可だけ取っておく――ぅぉぉお? もう取れた?
1μsで全情報の開示許可まで返ってきたんですけど。まじか。
……とかやってる間に、SPさんの視線が『お嬢様の前だ。黙っていないでさっさと答えろ』と言わんばかりの鋭さに変わってきている。
一応、まだリアルタイムで3秒も経ってないんですよね。気が短すぎませんか?
というかあのSP、目視で体重と重心を計算すると、外見と結構な誤差があるな……。体温や関節の可動などから推測して、全身に生体兵器を仕込んでるマジの軍人っぽいぞ?
げッ、なんか視線に殺気が籠もりだした。我慢の限界か? 物理で口を割らされるのは困るので、速やかにお答えする。
「次の課外活動で教える小学生高学年用の総合護身術プログラム。あれの配布が来週の頭にあるんだ」
「へー懐かしいなー。私あれ消しちゃったんだよねー。中学のアプデでぐしゃぐしゃポイーって」
「だなぁ、俺も消したよ。はははー」
プログラムの事だ。人間の話じゃないと分かっていても、冷や汗が止まらない。
記憶に新しい3ヶ月前の高校入学式。男子同級生だった島流君が『貴女に一目惚れしました!』と如月さんに告白したら、翌日には親族まるごと住民データが消えたんだよな……不思議だなぁ。
「私も見るよー。元データちょうだいー」
「ぇ? ……ぁ、はいどうぞ」
なんの為に、という疑問があった。
しかし深く考えるのはやめた。ただの好奇心だろう。
金持ちの考える事はよく分からん。
「…………」
SPさんから、スッと中継監視機能付きの通信ケーブルを手渡された。
これ使って送信しなさいと? さすがに準備がいいな。安全対策も万全か。
SPさんの監視の下で手早くデータを送る。
問題もなく完了する。あったら死ぬほど困ってた。
「ほほー。今年の小学生は柔術ベースなんだね? 子供相手のモーションはゆるいねー。ふふっかわいいー」
早速データを解析し終えた如月さん。
付属の試験運用シミュレーターの結果がお気に召したようだ。
ただ、徹底的に効率化された最新の対人捕縛術を見た感想が、ゆるくて、かわいい……?
ちょっとよくわからない感性だし、あとSPさんも何考えてるかわからない視線が怖い。
睨まないで頂けますか。おたくのお嬢様きちんと見ててくださいよ。
「桃川くん。こっちの大人相手の動きは、もーすこし精度上げないと役立たないよ? 先手が取れても、髪の毛掴まれたらおしまいだもの」
……む? 真面目に指摘評価されるとは思っていなかった。
「そうだね。俺も微妙だと思ったんで、そっちは重点的に調整してるよ。まだテスト段階だけど、大昔の資料も色々漁って、制圧力を高めに仕上げてる」
「そぉー? なら安心だねー」
Nプログラムの出来栄えは、個人の評価に直結する。指摘されずとも手抜きはしない。
体内ナノマシン用のプログラム――通称:Nプログラムは"人間が扱う技術"。ゆえにAIではなく、ナノマシン導入者による調整が義務化されている。たとえそれが子供用のお遊びプログラムであっても、だ。
ぶっちゃけ日本のNプログラム大辞典であるAI『ライデン』は、国家が威信をかけて育て上げた準特級。制作段階から任せきっても問題ない能力を完備しており、本体の正確な所在どころかアクセスのヒントすら掴めないほどの鉄壁エリートだ。
それでも人間が手を加える過程を挟んでいるのは、安全性を考慮した……というより意地やプライドの類だろう。
AIが嫌い。なんならナノマシンも嫌い。人間は人間の営みによって人間らしく生きなければならない――という思想を持つ自然体主義派に対するアピールだ。
その茶番に参加できたお陰で、俺は衣食住もろもろを不自由なく得られている。
そんな身なので、AI体制派に文句なんて、口が裂けても言えないが……。
(……不満が無いわけじゃない)
なぜ現代にもなって、生身の体で登校して、講義を受けねばならないのか? オレは不思議でならない。
リアル空間なんて、半径1mの即死判定を持った人間とランダム遭遇する地獄だぞ。
これなら三途の川で気ままに遭難していた方が、よっぽど安心安全――。
「………」「………」
え、なんだ? その無言の笑顔とケーブル?
まさか追加でデータ渡せと? 今さっき、テスト段階って言ったはずなのに。
「……ごめん。危険だから調整途中のデータは渡せない」
「うん。来週楽しみにしてるねー」
如月さんは、あっさりと引き下がった。
SPさんも当然といった面持ちで、ケーブルをスーツの内ポケットに仕舞い込んだ。
「――――」
……なにやら、試された気もしなくもないが、まぁいいや。
ひとまず当面の危機は乗り越えられたんだ。良しとしよう。
○
ぜんぜん危機が去っていなかった。
なぜかそのまま如月さんと同行することになった。
大陸間の通信量が増えて、フルちゃんへの御布施がーとか。
ペンギンのミイラをうんじゅう億で買い取ったーとか。
最近は地殻活動が活発で発電量が美味しいーとか。
会話のステージが違い過ぎて会話にならない。正直生きた心地がしない。
コロニー関係の内情を聞くたびに、一般市民が耳に入れていい情報か不安になった。
あとペンギンの買い取りは普通に興味が惹かれた。ロマンには勝てん。
思考加速の連続稼働によって疲労感が蓄積してきて、早期の改良を決意するに至ったころ。
ようやく開放の兆しが見えてきた。
いつもより長く感じる駅の構内を出たところで、眩い光が顔にかかる。
うろんげに上空を見上げれば、太陽もどきが浮かんでいた。
直視し続けても目に害が及ばない人体に優しい太陽だ。
もっとも現代人なら、失明程度は病院ですぐに治癒できてしまえるのだが。
深夜の降雨の影響も綺麗さっぱり消え去り、空気は澄んで心地よい。
いつも通りの素晴らしい天候で、なんら代わり映えのしない空模様。
「本日も晴天なり」
「っぷふー。なに急に黄昏てんのー、おじいちゃんー?」
「それ『優羅くん駄目ッ』――!?」
警告。そして無数の視線、と不自然な静寂。
見回すと、周囲のアンドロイドが全て、足を止めて俺を見ていた。
「……"それ"以上は言っちゃ駄目だよー?」
「ぁ、あぁ、ありがとう」
アンドロイドが動き出して、視線が離れていく。
あのまま気の緩みから皮肉を返していたら、いったいどうなっていたんだ?
さすが如月家のお嬢様だな。噂以上に、ヤバイ。
そして今の先読みの口止めは経験か、女性の勘か。はたまた導入してるナノマシンが高性能なのか。
コロニーの上層市民は、高性能ハイエンドのナノマシンを導入してるという噂はあるが、あの噂は噂に過ぎなかった。
以前気になって多くの市民を調査してみたが、一般市民モデルとの違いは、ナノマシン制臓器が大容量になるという程度で、技術面における差は確認できなかったのだ。
如月家は違うのかもしれない。どんなのを使っているんだろう。少し興味が湧いてき――。
「…………」
――てないです。やめて。
無言でこっちに向けた腕を下して頂けますか、後ろのSPさん。
手首を荷電させながらエグい形に変形させるんじゃない!
……しかも見たこと無いタイプの生体兵器だな。それ、何処で製造してるんです?
くそぅ普通に気になって集中力が削がれてしまう。
あと忘れてるかもしれないけど、おたくのお嬢様のクラスメイトですよ俺。無害で善良なクラスメイト。
クラスメイトには侵入しないで仲良く過ごしましょうって、小学校で教わりませんでした?
……独自の教育受けてそうだ。やっぱり関わるべきじゃなかったか、如月家。
「? どーして紅葉ちゃんと見つめ合ってるのー?」
それはですね、ちゃん付けできるような生やさしい人間じゃないからですよ。
名前は要注意危険人物としてチェックしておこう。調べたら製造元が分かるかもしれないし。
「それよりユウラちゃん聞いてよー。わたしねー今朝ねー、孤児院にすっごい寄付しちゃったんだー。偉いでしょー?」
「へぇ偉いなぁ。けど俺に"ちゃん"は止めt――――」
意味を理解した、瞬間の動揺も、流れる走馬灯も――起こる前に、緊急システム[No.0]をポチった。
ナノマシンの記録も脳の記憶も、まとめて消してしまえばどうという事はない!
作ってて良かったオリジナルNプログラム!
今日も今日とて、第百都市コロニーの地下世界は平和である。
いっそ憎たらしいほどに、代わり映えしない日常がここには広がっていた。




