Ex:イレギュラー
キャノラン・ハスシュキーは激怒した。
必ず、かの王女と共に国に帰還せねばならぬと決意した。
……その矢先の出来事であった。
「姫様ぁッー! ピーチトゥナ様ぁー!!」
「キャノちゃん! 静かにッー!!」
大暴れするキャノランは、口に肉を詰め込まれて、子供達に拘束されていた。
キャノランは、ピーチトゥナが城に残る予定を、全く知らなかったのである。
「ふぃーひふふぁははーん!」
「……狐の旦那。こいつ殴って黙らせてもいいか?」
「止めとき。こんなでも公爵令嬢や。ミルクロワで生きていけへんくなるで?」
「ま、マジかよ……」
彼女はこれまで、友人から別人であると諭された"その者"、ピーチトゥナの正体を、見極めることに集中していた。
他の事を考える暇は無かった。目を向ける心の余裕も無かった。ついでに述べると、空腹で思考も鈍っていた。
「キャノちゃん! ぅ、煩くすると、姫様に言いつけるよっ?」
「――フィッ!?」
キャノランは、"大晩餐"以前のピーチトゥナの事を、とてもよく知っていた。
これまでに直接の面識はなく、一言も会話した事もなかったが、その優れた洞察力と観察力と"魔法"を用いて、あらゆる方面からあらゆる方法で調査をしていた。
貴族の社交界で広まっていた噂話は、一つ残らず掻き集めた。広めもした。
ハスシュキー家の伝手も使って、ミルクロワの暗部に探りを入れたりもした。
「うぅぅぅぅぅぅ、ぅうぅ……」
それらの過程で、彼女はピーチトゥナの熱狂的なファンとなった。
またの名を、ストーカーとも言う。
「やっと静かになったっすね」
「金髪の……"足なし"兎。おめぇ本気で鬼に、なるつもりかよ……?」
「――ッ。図体だけの蜥蜴"モドキ"は、尻尾切って細々と生きてるがイイっすよ」
「があ"あ"!? ンだとテメぇッーー?!」
キャノランは、その経験を総動員して、ピーチトゥナ(?)を観察し続けた。
そして、ピーチトゥナ本人に間違いないと、意思を備えていると、確信を得た。
そんな存在に、キャノランは拒絶されてしまったのである。
「ぷァー!! こいつざっこ! 爬虫類の癖に魚類なんすねー!? ざぁーっこ!」
「コノ兎野郎ォ!! ちょこまか跳ねんじゃねぇえよ! 殴れねぇだろーがッ!」
「静かにせい! こな狭いとこで喧嘩するなぁ!」
キャノランは騒動を脇目に、拘束に使われた鞭を、ギュッと噛みしめた。
彼女にも、ミルクロワ貴族の誇りはあった。
ハスシュキーの一族として、幼い頃から様々な教育を受けて育った才女である。
愛国心も、民に対する庇護の精神も、王家に対する忠誠心も備えていた。
「アカン、どっちもキレてるわ。あほども止めるの、ネオマはんも手伝ってな」
「? 消音の魔術は掛けた。暴れても平気だが……片耳を削げば収まるか?」
ただ、それ以上に憧れていたのだ。
吸血姫と呼ばれた一人の王女。同年代の少女が綴った短い人生と、生き様に。
「「――――」」
キャノランは、己の不甲斐なさに怒りを抱いていた。
役に立たなければ、その程度の存在として認識されたまま、終わってしまう。
すべてを一人の王女に押し付け、保護された民と同じ扱いで、国へ返される。
貴族キャノラン・ハスシュキーにとってそれは、耐え難い未来だった。
◆
ネオマは、城を出てからというもの、居心地の悪い状況に悩まされていた。
御者台に座ったルピスが、幌の隙間から猫のような瞳で凝視してくるのである。
『「…………」』
彼は、その原因に心当たりがあった。
手元には、硬く重いハルバードと、赤く怪しい光を放つ宝珠がある。
"ファボールサングレー"と名付けられた魔導球。魔力の貯蔵が可能な武器だ。
彼はそれらの武器と共に、ピーチトゥナから一つの任務を託されていた。
ルピスが知らぬ間に、ルピスには任せられない仕事を請け負った。
つまりは、嫉妬である。
ただの嫉妬、されど嫉妬。種族として上位の捕食者から向けられた強い思念は、ネオマの胃を痛めるのに、十分な威力を帯びていた。
「『ッ!?』」
幸いにも、そんな緊迫状態は、馬車の後ろから響いて来た轟音によって消えた。
地鳴りが響いて、城壁が全壊したのである。
――異能による大規模な重力改変。
遠目に目撃した破壊の模様は、二人の目にも信じがたい光景だった。
「領域を抜けて安全な場所に着いたら、話す」
「……約束ですよ? それでは急ぎましょう」
ルピスの〔念動〕の出力が上がり、馬車が急加速した。
時速にして150[km/h]オーバーの速度で、極寒の領域に突入する。
「「「!?!?」」」
ルピスは記憶から手繰り寄せたルートを辿り、馬車を操り、山道を激走する。
縦横無尽。その計算された運転技術は、馬車の車体を傷付けることはない。
速度を維持したまま、30分と少しで猛吹雪の領域を抜けた。
こんこんと雪が降り積もる、延々と続く不毛の雪山へ出られた。
「「「――――」」」
そのまま馬車は、谷に沿って山を下り、雪解け水が流れる川に到達した。
やがて近くに雪洞を発見すると、その脇に馬車を停めた。
「「「…………」」」
馬車が止まるやいなや、子供達は次々に馬車を降りた。
そして――吐いた。
「「「「……ッ!!」」」」
突然の行動、突然の嘔吐に、ルピスは何事かと驚いて、彼らを見た。
「……。……なぜ、山道を……わざわざ……?」
『え? こちらの方が見つからないと思って……。ぶつけたりしましたか……?』
事実、ルピスの運転は正確だった。が、乗員のことはまるで考えていなかった。
彼女にとって丁寧な運転と速度は、一般人にとっては死のジェットコースター。
「……ぱんつ、汚れちゃったっす。……ウチの一張羅……」
「……。川で洗ってこいよ。もう気にする奴なんて、いねぇからよ」
特に感覚が鋭い獣人にとっては、拷問に等しい時間だった。
更に食後であることも踏まえると――最悪の一言である。
「ぅぇぇ……きっつぅ……なんちゅう荒い運転や……」
「ラディ兄! 楽しかったね!!」
「……モレンは平気で、良かったなぁ……兄ちゃん、あないな馬車、もう嫌やゎ」
狐人ラディアータは顔色を悪くしながらも、立ち上がった。
雪熊に水を飲ませていたルピスに、ふらふらした歩みで近寄っていく。
「こな場所で停留するんか? 入口に仰山骨あるし、奥に何匹かおるで?」
「? すべて殺してしまえば、問題はございませんよね?」
「……あんさん。用心深さが売りのネコタバ商会の、娘さんやろ?」
ルピスは、雪熊の世話をしていた手を止めて、振り返った。
「――私のこと知っていらしたのですか?」
「僕らの一族と取引しとったしな。ほんま噂通りで――変わったんやなぁ」
「そうだったのですね。知りませんでした。……もしかして主様とも、交流を?」
声の抑揚を抑えたルピスに、ラディアータは曖昧な表情で、ゆっくりと頷いた。
「末姫さんは、昔は本性がもっと恐ろしゅうてな。なんどか話す機会はあったけども、どれも僕を見てるちゅうより、も……ぉぐぅっぷ!?」
急に腹を折り、間近で限界を超えた狐人から、ルピスはスッと横へスライド。
向けていた視線も逸らして、かわりに雪洞の奥に目を向けた。
◆
ここは魔族も滅多に足を踏み入れない、多数の魔物が生息している地域。
過酷な氷雪気候に適応した蓑笠小鬼を始め、分厚い皮膚の下に脂肪を備えた雪豚鬼。雪原と同化して捕食を仕掛ける氷粘体。空腹のまま1ヶ月も戦闘を行う雪熊。多数の群れを組織する灰凶狼。獰猛で貪食な雪斑虎などなど。
一部地域では、目撃するだけで狂気に侵される幻氷鹿。体高が小山ほどもある巨躯の霜巨人。氷雪を自在に操る白竜といった、希少モンスターも住む危険地帯である。
「奥からゴブリンが7、オークが3。来るぞ! 入り口から離れろ!!」
ネオマはそう叫ぶと、洞穴の入り口に立って、ハルバードを構えた。
子供達は慌てて、馬車の影に隠れる。
「ギャーガ」「ギャウギャギャ?」「……ギャ??」
現れた防寒具を着た色白のゴブリンに、ネオマは魔力を宿した瞳で睨んだ。
〔魔眼:恐慌〕それはかつて、ある都市を混乱に陥れた、曰く付きの能力。
「「「ギャガギャウギャギャぎゃ!!!」」」
ゴブリンたちは瞬時に恐慌状態に陥り、同士討ちをし始めた。
そしてネオマは、混乱する集団に空から強襲。
数秒にも満たない短時間で、ゴブリンを殲滅した。
「ゴォゥ?」
『その場で、"止まってください"』
「――?!?!」
辛うじてネオマの能力に抵抗できていた雪豚鬼達も、ルピスの視線に囚われて硬直した。身体の全機能が〔支配〕されたのである。
ルピスは無造作に近寄り、レイピアで首筋を撫でた。
静かに心臓を貫いて、血液を吸い出して、殺した。
「「「…………」」」
子供達は、自ら命を差し出すように殺されたオーク達を見て、何をしたのか正確に理解ができなかった。
ただ、ルピスにだけは絶対に逆らってはいけないと、強く本能で理解した。
「奥へ行って残りも退治してきますね」
ルピスは、洞穴内を調べることにした。
汚れた地面に触れないよう〔飛行〕を発動して、純白の翼を展開。
ふわりと浮いて、奥へと向かう。恐れもせずに月明かりも無い暗闇の中へと。
「綺麗になりました。中へ行っても大丈夫ですよ」
そしてルピスは、1分も経たないうちに鼻を摘まみながら帰ってきた。
物音1つ汚れ1つも確認できないが、その言葉を疑う者は一人もいなかった。
『ではネオマさんは包み隠さず話してください。"契約"、しましたよね?』
「ぁ……ぁぁ、了解。もちろんだ。約束したからな」
ルピスに笑顔で凄まれて、ネオマは覚悟を決めた。
ルピス・エライは吸血鬼である。
主君から与えられたのは"子供を安全な場所まで護送する"という命令だ。
それを放棄する事は無いし、ネオマ自身の行動を邪魔される危険性はない。
彼はそう判断して、ピーチトゥナから任された仕事の詳細を、ルピスに話した。
包み隠さずに全てを、何も疑問に思うこともなく。
◆
ピーチトゥナは保険の内容と、これからの予定をネオマに伝えた。
内容自体は、非常に単純な作戦だった。
-*******-
『盟主エスマーガと普通に戦って、倒しきれる可能性は限りなく0に近い』
『奴の命は1つじゃない。奴は間違いなく、眷属と生命力を共有化している』
『血族を削りきれない場合は、地上に追い立てて、朝日を浴びせる作戦を企てる』
『夜明けと共に上空から奇襲をかけろ。この球で領域を突破できる?ならあげる』
『無理なら諦めて帰る。やるならオレごとで良い。燃える吸血鬼を確実に滅ぼせ』
『敵はハッコ同様に思考を読むだろうけど、作戦内容は漏れない。安心して良い』
『この記憶"も"消す。たとえ忘れようと、オレの経験は必ずそういう行動に出る』
-*******-
そうピーチトゥナは、混乱するネオマに向かって自信満々に告げた。
日光下で自由に動けるネオマに任された、支援の依頼である。
命の保証がない、奇襲と特攻。たった、それだけの事だった。
――この瞬間までは、そうだった。
「話は全て聞かせて頂きましたの!!!」
そんな会話の内容を、キャノランはバッチリと盗聴していた。
「……は?」「……え?」
ネオマとルピスの近くに有った、オークの死骸が弾けた。
中から臓物まみれのキャノラン・ハスシュキーが飛び出した。
彼女は、オークの死体内にコッソリと隠れて、潜んでいたのである。
――職業:着ぐるみ。
命を持たない任意の対象を"着こむ"という、職業の能力によって成した盗聴だ。
ちなみに、彼女の私室には、ピーチトゥナの姿を模した着ぐるみが無数にある。
「き、キャノちゃんッ!? またそんな場所で盗み聞きしてたの!?」
「ええ、ピーチトゥナ様に関わる内緒話でした!! そのような重要な情報を共有されないのは、竜神様やロメロン陛下が許しても、この私が許しませんわ!!」
キャノランは、ミルクロワ貴族らしからぬ不遜な物言いで断言した。
「そそそそうじゃなくて! そうじゃなくて!!」
――後に、ピーチトゥナは酷く後悔することになる。
彼女を拒絶して、早々に会話を打ち切ったことを。貴族なら【魔法】を持っているという可能性を知りながら、彼女達を探ろうしなかったことを。
キャノラン・ハスシュキー。彼女はミルクロワ王国の高位貴族の娘だ。
ハスシュキー公爵家の子女として、生まれながらに1つの魔法を保有していた。
ソレは、使い方次第では、国や組織にとって有益になる便利な魔法。
群衆を意のままに操り、1国を滅ぼすことも可能な、凶悪な魔法でもある。
「キャノちゃん! 私情でその魔法は使っちゃ駄目! 暗部に殺されちゃうよ!?」
「ピスタちゃん、私達は何者ですの? ミルクロワ貴族ではありませんの? 民を守り王家を支える貴族の一員として、その責務を果たさなくてどうするのです!!」
「ッ…………」
キリッとした表情をしたキャノランを、ピスタッチは複雑な面持ちで見つめた。
彼女はキャノランの幼馴染であり、親友である。それは間違いない。
ただ彼女もまた、ミルクロワ王国の貴族である。
ハルヴァニア侯爵の子女として、3つの重要な役割を王家から授かっていた。
1つ、キャノランの友として、悪しき道に踏み外さないために導く役割。
2つ、暴走した際に意識を奪ってでも止める、ストッパーとしての役割。
3つ、王国に敵対した場合に、即座に"殺処分"する暗殺者としての役割。
「緑髪の混血種。この女に何を許すつもりだ? 何の魔法を持っている?」
「ネオマ、でしたね。王都襲撃犯の同族である貴様に、渡す情報はありませんよ」
「――ッ!?」
それまでのオドオドとした口調から一変。
ピスタッチは当然のごとく、ネオマを拒否した。
――ミルクロワ王国の為に。
そんな建前を利用した親友の行動を、ピスタッチは止めることはできなかった。
キャノランの性格や趣味。彼女が出した結論とも関係はない。
彼女もまた、現在のピーチトゥナを王女と認めていたからだ。
ちなみに蝙蝠人は抹殺対象なので、隙あらば殺してやろうと考えていた。
「…………」
ルピスの金色の瞳は、キャノランに釘付けになっていた。
彼女は、早期からキャノランの心情を把握していた。シンパシーも感じていた。
ある程度の行動分析も済んでおり、主に対しては不利益を与えないと判断した。
主君を慕っていた少女が、ミルクロワ貴族として何を成せるのか。
ほんのちょっとだけ、キャノランに期待を込めていたのである。
「私が行うことなど、はじめから決まっておりますの!!」
ソレは、言葉を介して感情を増幅し、方向性を誘導する精神干渉の魔法。
【私達もミルクロワ貴族として、全力でピーチトゥナ様をお手伝い致しますわ!】
キャノラン・ハスシュキーは【扇動】の魔法使いである。
◆
キャノランの魔法は、確実に効果を発揮した。
しかし、すぐに変化は起きなかった。
「「「「???」」」」
彼女達の様子を遠くから見守っていた子供達。
彼らへの影響はなかった。
「? 自称魔法使いちゃんの、悪質な冗談だったんっすか?」
「あんだけ魔力を放出しておいて、そりゃねぇーよ」
「……赤蜥蜴は、魔力が見えてたんすね。意外っす」
「――舐めてんのか?」
誰にも自覚は無かった。
けれど、その魔法は最悪――。あるいは最高の形で発動していた。
「僕の体に影響は、無いみたいやな。魔術も使える。モレンはどないなっとる?」
「……私も同じだよ?」
彼らは生贄だった。
吸血鬼が選り好みした吸血鬼が美味しく感じる、上質な血の持ち主。
吸血鬼の血肉に馴染みやすく、変質しやすい性質を持った――起爆剤である。
そうして術者であるキャノランは、魔力を使い果たして笑顔でぶっ倒れた。
「きゅぅー……」
「にゃぅー……」
――と同時に、貴族ピスタッチも、魔力の欠乏により、意識を失った。
"ミルクロワ貴族"として"全力でお手伝い"をした、その結果である。
「「「『!?』」」」
今回は傍観すると思われていた少女が、魔法を使った。
それにより子供達は、キャノランが用いた魔法の正体を、ほぼ正確に知った。
彼らは危機感を高めて、周囲を見回しだした。
互いに警戒し合って、必ず他にも影響を受けた者が居るはずと考えた。
その考えは間違いではなかった。
ただ、この時点の彼らもまた"舐めていた"と言える。
――【魔法】と呼ばれる超常現象。
それが引き起こせる影響と範囲を、見誤っていたのだ。
ハルヴァニア侯爵家子女、ピスタッチ・ハルヴァニア。
彼女が生まれ持つ魔法は――【拡散】
その名の通り、ありとあらゆるものを拡散させる魔法である。
自身に向けられた意識を周囲に散らして、認識を阻害したり。
受けたダメージを周囲に散らして、相手に返したり。
そうした単純な効果は、息をするように簡単に。
彼女が放った魔法は、キャノランの魔法を【拡散】させた。
子供達が受けた【扇動】の深刻な影響を、魔力に乗せて周囲に撒き散らした。
【ミルクロワ貴族として、全力でピーチトゥナ様をお手伝い】
そんな言葉の魔法が【拡散】された。
貴族が魔力不足で倒れるほどの全力で、魔法を放った――その結果。
『ヴォォオォオオォオン!!』
飼い主から"シロクマ"と名付けられていた魔物。雪熊が吠えた。
魔力が乗った遠吠えを発して、洞穴の外へと走り出した。
「!? シロクマさん!?」
これまで起きなかった異常事態に、ルピスは狼狽した。
主君ピーチトゥナから直々に任された"ペット"だ。
彼女にとって傷付けるのは禁忌に等しい最重要保護対象だ。
これまでにない本気の速度で、ルピスは〔飛行〕を発動した。
〔魔眼〕で魅了し、衝撃を完璧に消して、シロクマを回収。
慎重に抱き抱えて、馬車へと連れ戻すことに成功した。
「良かった……」
ルピスはホッと安堵の息を吐きかけて、その息を呑む。
『『『ヴォォォォオォオン!!!!』』』
魔物の暴走は、1体だけに留まらなかった。
魔力を乗せた吠えは、吸血鬼の念話と等しく"情報群"を送れる手段だった。
それは、夜明けを知らせる雄鶏の鳴き声がごとく。
【扇動】の効果は、ミルクロワ北方地域である、魔族領の広域に届いていた。
『『『『『ワォォォォオォオン!!』』』』』
遠吠えは遠吠えを呼んで、夜空に登り――。
【【【GYAOOOOOOO!!!!】】】
やがて大地をつんざく雄叫びとなって、大気を揺らした。
そして、周辺地域に住まう知性あるモンスター達が、一斉に侵攻を開始した。
◆
氷の洞穴が揺れて、氷柱と破片が天井から降って来る。
振動は鳴りやまず、徐々に強く強く、地響きも大きくなってくる。
それは、魔物の大群が押し寄せて来る、前触れに他ならない。
「「「――!!?!?」」」
唐突に降って湧いたイレギュラーな事態に、子供達は混乱に陥っていた。
ネオマも、これからどうすれば良いのか、非常に難しい顔で悩んでいた。
何らかの行動を起こすにせよ、この集団の動向は把握しておくべき――。
そう考えた彼は、しかし信じられないモノを見た。
「――っ?!」
ルピスが、シロクマの毛に顔を埋めて、透明な笑顔で笑っていた。
純粋で無垢で、一切の悪意が含まれていない、少女の喜びを溢れさせていた。
ルピス・エライは吸血鬼だ。
以前、夜鬼ハッコは、彼女を"見込みがある"と称して、血族に勧誘した。
それは嘘つきが嫌いな鬼の言葉で、お世事でない本心からの評価だった。




