第274話
「司っ、戻ったの?」
「あぁ、アンジュ。早く荷物を纏めてくれ」
「・・・っ」
甲板へと降り立った俺を、海を眺めていたアンジュは出迎えてくれた。
「アンジュ?」
「知らないっ‼︎」
「お、おい・・・」
突然駆け出し、船室のある階段を駆け下りて行くアンジュ。
「・・・」
取り残された俺は、自身の頭を掻きながら立ち尽くした。
「参ったなぁ・・・」
どうやら機嫌を損ねたらしいが、ゼムリャーは動きが読めない為、アンジュの件には其処迄時間を掛けられ無いのだが・・・。
「はぁ〜・・・」
俺は溜息を吐きながら、潮風を浴びるのだった。
「頭ぁ」
「ん?ナウタさん」
「戻ってたんですかい?」
「えぇ、アンジュを避難させようと」
「そうですかい」
「・・・」
先程別れたナウタは今船に戻って来た様だ。
「船に残るは危険ですからな」
「ナウタさん、良いんですか?」
「何がですかい?」
「いや、今回の策ですよ」
「へいっ」
「・・・」
ナウタは本当に何の事か分からないという顔で、当然の様に応えて来るのだった。
「今回の策は、船に残るナウタさん達の危険度が高いですし、何よりナウタさん達はフォール将軍から紹介された時には、此の状況を想定してなかったでしょうし・・・」
「そんな事ですかい」
「そんな事って・・・」
「確かにあっし等は、此の状況は想定してやせんでした」
「・・・」
「然しながら、命の危機は常に想定してやすぜ」
「はぁ・・・」
海の漢だからか、ナウタの発言には必要以上な気負いは感じられず、平静を保ちながら淡々と発せられたものだった。
「あっし等乗組員一同、嬶には子種は残して来てやす」
「ナウタさん・・・」
「後は、此奴を海に還しに行くだけでさぁ」
「え?」
自身の厚い胸板を叩きながら、ナウタの発した言葉。
俺が反射的に聞き返すと、ナウタは其の表情に豪胆な笑みを浮かべながら答えた。
「魂でさぁ」
「・・・ナウタさん」
「へへ」
「すいませんが、まだ還しには行けませんよ」
「頭?」
「私がゼムリャーを狩りますし、まだナウタさんには船の舵を取って貰いますので」
「へ、へへへ。頭ぁ?」
「何です?」
「坊主への土産話を頼みますぜ?」
「・・・えぇ。神龍の倒れるところを、しっかりと其の目に焼き付けて下さい‼︎」
「へいっ‼︎」
ナウタは俺の言葉に力強く応え、準備へと向かうのだった。
「さてと・・・」
俺はそれを見送り、一度部屋に戻り身体を休めた。
「・・・ん?」
船室のベッドの上、いつの間にか眠りに落ちていた俺は、部屋をノックする音に目を覚ました。
「つか・・・」
「誰だ?」
「司、私よ」
「アンジュか、ちょっと待ってくれ」
部屋の外から掛かった声は、昼間機嫌を悪くし自身の船室へと籠っていたアンジュのものだった。
「どうしたんだ?」
「・・・別に、良いじゃない。船に乗ってから、殆ど話す機会も無かったんだから」
「ん?そうだったか?」
「・・・くっ」
俺が惚ける様にすると、忌々しげな表情を浮かべて見せたアンジュ。
小声であの冷徹ワンコめなどと、アナスタシアに対するであろう恨み節を呟いていた。
(・・・まぁ、結構絞られてたからなぁ)
アナスタシア曰く、アンジュは本当に家事能力が全く無かったらしく、かなり厳しく指導する必要があったらしい。
「仕方ないだろう、アンジュは予定外の乗組員だったのだから」
「分かってるわよ」
「なら、良いが」
「・・・っ」
「それと、明日にはどんなに抵抗しても、避難して貰うぞ」
「・・・分かったわ」
「・・・」
俺からの通告に、諦めた様に返事をしたアンジュ。
ただ、其の表情からは、昼間の様な有無を言わさぬ拒否は感じられ無くなっていた。
「ねえ、司?」
「ん?」
「司はどうしてそんなに闘いたいの?」
「ん?神龍とか?」
「違うわ。司は闘い其のものが好きみたい」
「え?」
「どうして?」
アンジュから飛んで来た、全くと言って良い程意外な質問。
「いや、俺ってそんなに好戦的に見えるか?」
「見え無いわよ。だから、聞いているんじゃない」
「ええ〜・・・」
「何よ?」
「いやぁ、全く言ってる意味が理解出来ないんだが・・・」
「はあ〜、もう良いわよ」
「・・・」
「目を瞑って」
「え?」
「祈りを捧げてあげるから」
「・・・」
「早くっ」
「・・・分かったよ」
以前のディシプルの教会の時と同じ様に、されるがままに瞳を閉じ膝をついた俺。
頭上からはあの時の様に、祈りの言葉が降って来たのだった。
(そういえば、あの時は・・・)
部屋に漂う爽やかな香りに、教会でのアンジュとのキスを思い出し、少し頰が熱くなるのを感じた。
やがて、アンジュの声が途切れ・・・。
「も、もう、目を開けても良いか?」
「待って」
「いや、でも・・・」
「もう、少しだから」
「・・・」
俺は徐々に緊張で、自身の身体が硬くなるのを感じた。
(あれ・・・?)
ただ、そんな俺を包み込む爽やかな香りが増していった。
(此れはアンジュの・・・?でも落ち着く香りだよなぁ・・・)
アンジュの香水のものであろう爽やかな香り。
其れは、此の状況も含め、いつ始まるとも分からないゼムリャーとの闘いへの不安も和らげていった。
「良いわよ、司」
「あ、あぁ・・・。っ⁈」
「・・・」
「どうし・・・?」
アンジュへの問い掛けの言葉を発しようとした俺の口は、眼前の光景に途中で固まってしまった。
「・・・司」
日頃からは想像も出来ない程の、消え入りそうな声で俺の名を囁くアンジュ。
其の姿は一糸纏っておらず、其の純白の肢体に、月光に照らされ煌めきを放つブロンドの髪が良く映えた。
「アン・・・、ん」
「んん・・・、ん」
どうして良いかは分からなかったが、腕をアンジュへと伸ばした俺。
アンジュは自身に何かを掛けようとしたと感じたのか、俺の唇を塞ぎ甘い香りで、其の思考能力を奪って来た。
「・・・ん」
「・・・」
重ねられた唇は互いの意思の証となり・・・。
アンジュの震える手に自身の其れを重ねた俺は、其の手をしっかりと握りしめながら、其の清浄に穢れを混ぜて行くのだった。




