あなたがいてくれるだけで、わたしは幸せ
ただ、後のことはともかく、今この時の僕は、喜びに溢れていた。
それにある意味では、この時この瞬間をもって、僕らの運命は動き始めたとも言える。
大喜びの僕が目を開いた時、ちょうど、深森も目を開けたところであり、なんとなく二人して見つめ合ってしまった。
「う、上手くいった……のよね? わたしの力、受け取ってくれた?」
「うんっ」
僕は大きく頷き、子供っぽい悪戯心で破顔した。
ちょうど、時間的にも黄昏時で薄暗く、しかもここは見捨てられた廃ビルだ。
「見せてあげる……今や深森が、孤独じゃない証拠を」
宣言すると、僕はその場で集中した……最初だからさすがにやりにくいだろうと思ったものの、むしろ予想以上に簡単だった。
僕が集中した途端、心のどこかで何かが動くような気がして――次の瞬間、実際に僕らの身体はふんわりと浮かんでいた。
深森にはタイプリープだけではなく、PKの能力もあるのだと聞いたが、その事実が今こそ証明された。
手を繋いでいたので深森の身体も僕同様に浮いてしまい、二人でふわふわと黄昏時の屋上をゆっくり移動していた。
多分今なら、僕も深森同様、特殊なタイムリープが可能だと思う。
ただ時を越えるだけじゃなく、異なる世界間を渡ることも可能な能力を得たということだ。
「下へ降りたら、心の中に自分なりの鍵をかけておいてね。さもないと、驚いた拍子に、力が暴走したりするから」
深森が心配そうに言う。
「りょ、了解。だいたいわかると思う」
さっきの発動した要領の、逆をやればいいってことだろう。
「本当は……今後の片岡君のことを、もっと心配するべきだけど……」
囁いた深森は、しかし途中で潤んだ瞳で僕を見た。
「でも、今だけは嬉しいわ。片岡君への能力転送が上手くいったことじゃなく……わたしを心配してくれた、あなたの気持ちが」
「き、気付いてたのっ!?」
舞うように漂いながら、僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。
というのも、深森の指摘が「僕が深森の運命に相乗りするっ」という部分を指しているのだと、なぜかはっきりわかってしまったからだ。
「て、テレパスじゃないよね? その力はなかったはずで」
「能力でわかったんじゃないから安心して、優しい片岡君。ただ、きっとそうだと思っただけ」
深森がそっと僕の身体に腕を回し、あまつさえ両腕に力を込めて抱き締めてくれた。
危うく空中でコントロールを失うところだった。もちろん、すぐに立て直したけけれど。
彼女の髪の香りがモロにして、すいに心臓の鼓動が激しくなった。
バレなきゃいいんだけど。
「ありがとう、片岡俊介君。あなたのお陰で、自殺を思い留まることができた……ものすごく感謝しているの。わたしに望むことがあるなら、なんでも言ってね? 確か、お願いがあるのよね?」
生まれて初めて女の子に――しかも、深森のように妖精じみた綺麗な子に抱き締められ、魂が飛びそうになっていた僕は、慌てて首を振った。
「ま、まだ最初の一歩じゃないか? 本当に運命を共にするとしたら、これからが長い道のりだよ。……だから、最初のお礼約束は、もう少し僕が役に立ってからでいい」
――深森こそ、他に僕にして欲しいことはないのかい?
最後に僕は、そう尋ねた。
彼女は首を振り、優しく微笑んだ。
「あなたがいてくれるだけで、わたしは幸せ」
ああ、僕はこの時の深森の笑顔を、もう死ぬまで忘れないだろうなと思った……あいにくそれは、ただの幻想だったけれど。
ようやく屋上に戻ってから、深森のアドバイスに従って新たな能力に鍵をかけ、後は二人で長い時間を語り合った。
門限をとうに越えてから、ようやく僕は、渋々立ち上がった。
「さすがにもう帰らないと」
「うん。ごめんなさい、引き留めて」
「いいんだ。僕もそばにいたかったから」
自分で言っといてなんだが、真っ赤になってしまった。
ただ、深森も頬を染めていたので、お互い様だろう。
屋上から出て、廃ビルから歩道に戻ると、深森が深い湖のような印象的な瞳で、僕をじっと見つめた。
「……また明日、あえる?」
「もちろん!」
「これからも、ずっといっしょ?」
重ねて訊かれ、僕はもちろん頷いた。
「ずっとずっといっしょだって。さっき口走った通り、僕達の運命が行き着く先まで」
なぜか目を瞬き、深森は慌てて下を向いた。
「仮に悲惨な死を迎える運命だとしても……わたしは片岡君のために死にたい」
小学生の女の子が言うようなセリフじゃなかったけど、多分多くの悲惨な世界と、自分の運命を見つめてきたからだろう……なぜか全然違和感がなかった。
もちろん僕は、慌てて反論したけど。
「死ぬ時だっていっしょだって! なぜそこまで心配を?」
「だって、本当の意味で元の世界、元の時間へ戻るのは、不可能だもの」
深森は寂しそうに教えてくれた。
「世界は周囲に馴染まない存在を嫌うの……だから、私がこの力を使って異なる世界へ渡る度に、少しずつ周囲の世界がズレていくわ。今のわたしにより相応しい世界、あるいはわたしがいるべき世界へと、ズレて漂着する。だからこそ、こうして片岡君に逢える世界にも、行き着いたわけだけど」
そこで言葉を切り、今度は辛そうに言う。
「わたしといえども、この瞬間は今この時だけ。同じ世界、同じ時間へは、もう二度と戻ることができない……どれほど望もうと。だから今の幸せが不安なの」
「そう……なのか」
その時はなにを言われたのかよくわからなかったが、僕はそれでも深森のために言ってやった。
「じゃあ、僕らの縁を信じなよ。もし間違いがあっても、きっと今日みたいに嘘のように鮮やかに出会えるさ」
「うん……そう信じるね」
最後にようやく深森が笑顔を見せてくれ、僕らはそこで別れた。
もちろん、再会の約束をして。
――僕が事故に遭ったのは、その直後のことだった。




