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大海を知った蛙

作者: 翡翠童子

知らなければよかった。知らなければこんなに苦しまなかった。こんなに苦しむって分かっていたら大海になんて出ていかなかった。


前は外の世界でも自分の力は通じると思っていた。外の世界でも自分は一番になれると信じていた。過信していた。全然駄目だった。自分と同レベルのやつなんて砂漠の砂粒ほどいた。自分より優れたやつなんて星の数ほどいた。


自分はちっぽけで取るに足りない。


所詮自分はいきがっていただけなのだ。小さな世界の中でリーダーを気取っていただけで、それは外の世界では通用しない。


大海にいると心が折れそうになる。自分の卑しさをまざまざと見せつけられるようで、自分の力不足を理解させられてるようで。

優れたやつに劣等感を覚え媚びへつらい、自分より劣っている者に対しては威張り散らす。こんな低俗なことを平気でやるようになった。そんな自分に嫌気がさす。なのに、それを止めることができない。


大海にいる限り自己嫌悪が膨れ上がる。だから自分は井の中に戻ることを決意した。いや、戻らざるを得なかった。




井戸の中は自分にとってかつての世界だった。その中は自分の全てだった。だから、戻ったら少しは安堵できるものと勝手に思っていた。


そんなことはなかった。井戸の住人に、急に戻ってきてどうした、と尋ねられる度に嘘をついて誤魔化すことに対する罪悪感。逃げ出したという敗北感と自責の念。これら全てが自分を押しつぶす。捻くれて折れ曲がった心をさらに潰す。


前の心地よかった世界は酸素がほとんど存在しない窒息死しそうな世界に変わった。いや、分かっている。変わったのは井戸の世界なんかじゃない。自分の見方が変わったから息苦しいんだ。


ただ自分にどうしろと言うのだ。大海に出れば劣等感に、井戸の中にこもれば息苦しさに喘ぐばかり。


大海だろうと井戸の中だろうと苦しいんだ。しんどいんだ。死にたくなるんだ。こんな思いをするぐらいなら、大海になんて行かなきゃよかったんだ。井戸の中から出なかったら、自分はずっと満ち足りた、幸福な生活を送れたんだ。


なんで自分はわざわざ外の世界に出たんだろう。なんでそんな愚かなことをしたんだろう。


あぁ思い出した。井戸の中が退屈だったから、外に出て何かしてやろうと思ったんだった。その思いはとっくに消え去ってしまったが。


つまり自分は自分がしたいことをして勝手に絶望して勝手に塞ぎ込んでるってわけだ。とんだ我が儘小僧だな自分は。


あぁ、もう自分への苛立ちと失望が収まらない。こんな自分なんて生きていても価値なんてない。せめて井の中の蛙であれば多少なりとも価値はあったかもしれない。だが、大海を知った蛙には、今の自分には生きている価値はない。


見上げると、井戸によって縁取られた丸い夜空が見える。自分にとって世界はこれだけで良かったのだ。分相応に生きるべきだったのだ。



こうして、この蛙の生は幕を閉じた。

読んでいただきありがとうございました。

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