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旅立ち

数年前から書きたかった作品です。子供主人公の王道ファンタジーかと思いますので、お好きな方は是非読んでみてください。

 これから、これから、ある所に、ネコミミと呼ばれる種族が住んでいました。

 地球上の人間が築き上げた文明が、崩壊した後のお話し。

 世界の摂理が弱肉強食となり、人間があらゆる種族の中で、その立場が下から数えた方が早くなってから既に数年の月日が流れました。

 あらゆる種族とは、悪魔、鬼、怪物、魔獣、妖精、そういった物達です。

 ですが、人間は最下層ではありませんでした。更にもっと下の弱い立場にされてしまった種族がいます。

 彼女らはネコミミと呼ばれました。

 臆病で、疑う事をしない素直すぎる性格。力が支配する世界では、彼女らは歪んだ愉悦の為に苛められ、利用され、慰みに使われ、奪われ、騙され、犯される、そんな存在でした。

 人間もまたネコミミを迫害する事で、自分達が底辺ではない事を確認するのです。

 ネコミミとは、成体でも小さな体躯――人間から見ると十歳くらいの大きさ――で、姿も可愛らしい女の子。猫のような耳と尻尾を持っていました。

 保護欲掻き立てられる、なのに、ネコミミであるというだけで、見捨てられた、何者も救わない種族。

 本当にそうなの?

 断じて違う!

 そう叫んだ者がいました。



 空気が澄みきった冷たい夜。

 世界中に散らばったネコミミ達は一斉に満天の星空を見上げた。

 一様にボロを纏った彼女らは、広野から、山間から、崩壊したビルの隙間から、捕らえられた牢獄から、彼のメッセージをその頭部に生えた猫のような耳で聞く。

 ――我が愛しき娘達、泣いているかい、寂しさや恐ろしさに震えていないかい。

 私は君達の王様だ。

 旅をした。長い長い道程を歩き、この文明の崩壊した世界を見てきた。我が溺愛する家族と共に。

 そして知った。我が娘とも言えるネコミミが虐げられている理不尽を。

 許せなかった。全てを助けたかった。

 だが、これまではその術がなかった。

 悔しいだろ。悲しいだろ。今も痛みを抱えているのではないか。泣いていい。叫んでいい。甘んじては駄目だ。憤れ。

 しかし、覚えていて欲しい。君達は必ず救われる。私が、俺が、俺達が救ってみせる。

 もう一度言おう、私は君達の王様だ。ここに宣言する。ネコミミ王国樹立を!

 直ぐに迎えに行けないかもしれない。だから私は君達にギフトを送る。さあ、受け取って。それはネコミミの瞳でなければ見えず、ネコミミの耳でしか聞こえない物。探して、それを以て、王国に来るんだ。

 君達の、ネコミミの為の王国、ファミリアへ――

 流星雨が瞬く。

 響き渡った声の反響が消えてしまう前に、彼女らはそれを仰ぎ見ながら鳴いた。

 ニャー、ニャー、ニャー、ニャー。

 切なげに、縋るように、求めて。

 ニャー、ニャー、ニャー。

 泣くように鳴き、聞いた者の心が引き裂かれそうな声で、必死に、夜空に手を伸ばし。

 ニャー、ニャー、ニャー、ニャー、ニャー、ニャー。

 希望を信じて、他の種族にどやされようと、叩かれようと、鳴き続けた。



 世界がぐちゃぐちゃに混沌と変わっても季節は廻る。

 誰もがだらけてぐったりしてしまった灼熱の夏が終わり、秋か訪れた頃、早朝のひやりとした空気を感じながらウナナは目覚めた。

 ああ、また窓を開けっ放しで寝てしまったのか。

 ボロ小屋そのものと言っていい隙間だらけの家で、関係なしに外気は入ってくるのだが、姉に見つかると怒られてしまう。

 そんなわけで、もう少し毛布を被っていたいのも我慢して、彼女は眠気眼を擦りながら起き上がった。

 一度ちゃんと覚醒してしまえば、チュンチュンと鳴く小鳥の囀ずりも爽やかに聞こえてきた。

 ウナナはベッドから降りて、とことこと駆け、まずは外へ。

 何度も縫い直したパジャマ姿のまま、小さな井戸に向かった。

 水を汲み上げ、桶を覗く。幸せと恵みへの感謝を持った自分の顔が水面に映る。

 ウナナはネコミミの中でも小さな女の子。青いふわふわした癖っ毛で、それを肩まで伸ばしている。誰もが愛らしいと称していい、いつもの自分。

 そして感謝は、いつでも清らかな水がある生活に。この豊かな地に。

 顔を洗い、猫のような耳の横に跳ねた寝癖を直し、ウナナは家に戻る。

 台所があり、テーブルがあり、椅子があり、姉のソーニャが待っていた。

「おはようウナナ、さあテーブルについて。早くしないと学校に遅れるわよ」

 ソーニャはネコミミとしては背が高く、ウナナと同じ青い髪を背中にかかるほどに伸ばしている。尻尾の毛並みも上等な美女だった。

「うん、分かってる。あっ、えと、おはよう、お姉ちゃん」

 やれやれと言いたげなソーニャの笑みに肩を竦めながら、ウナナはテーブルに着く。

 朝食は雑穀のスープ。この辺りに昔住んでいた人間の置いていった田畑から自然に生えた物を採取して食材にしていた。

「ねえ、ウナナ、アンタ、また窓を開けっ放しで寝てたでしょ」

 ぎくりと尻尾の毛が一瞬逆立って、すっ呆ける。

「にゃにかなー、にゃんでだろうにゃー」

「ウナナっ」

「うひっ……」

 小さなネコミミのウナナは、毎晩、星空を眺めていた。

 お星さまは綺麗だったが、ウナナが見ているのはその先にある希望だ。

 この集落に辿り着く前、姉のソーニャと共に荒野を彷徨っている時、彼女らはあの声を聞いた。とても優しく、温かく、一心に語り掛けてくれているような。

 悲しい事だらけの世界で、苦しい事だらけの世の中で、虐めっ子しかいない地上で、初めて、守ってくれると言ってくれた存在。

 王様ってどんな人なのだろう?

 それは小さな胸に芽生えた憧れ。あの夜に聞いた声を思い出すだけで、春の陽だまりのようにポカポカと体が温かく感じる。

「もう寒くなってくるんだから、風邪をひいたりしたらどうするの?」

「でも……」

 ウナナは探し続けている。王様の声がした夜空から、ギフトが舞い降りてくるのではないかと考えていた。

 ハア、と一つ溜息をついたソーニャは、先に食事を済ませて食器を片づけ始めた。

「もう、季節が一周回った。この集落の者の中で、あれを見つけられた者はいない。私達は、ここで、上手くやっていくしかないの」

「まだ一周だよ」

「希望を持たせるような話をして、それを信じて、私達はいったい何度騙されてきたと思っているの?」

「王様は違うもん」

 ぷくっとウナナの頬が膨らむ。大きな愛らしい瞳に潤いが生じだしていた。

 これ以上言ったら、本当に泣きだすだろう。そう感じて、ソーニャは話題を切り上げた。

「ほら、早く食べちゃって。学校、行くんでしょ?」

 まだ納得できない様子ながら、ウナナはスープをかき込んだ。ブスッとしながら、自分の部屋に戻り、着替えをする。

 服はそんなに持ってはいない。この集落のネコミミの殆どがそうであろうが、ウナナが身に着けたのは、布キレを繋ぎ合わせて作ったワンピース。だから生地の色も柄もバラバラで、ある意味芸術的な配色となっている。

 だがウナナはこれが好きだ。姉のソーニャがやはり拾い集めた糸で縫い合わせて作ってくれた物だから。ソーニャは人間が残していったTシャツとデニムを着ていたが、小さなウナナのサイズに合う物が、見つからなかったからである。

 この集落にやっとの思いで辿り着いた数か月前では、二人とも半裸のボロに、千切った毛布をマント代わりにしていたのだから、今ではよくここまでのまともな生活ができていると感じる。

 あの頃は、そう、ひたすら死なないようにするのが精一杯だった。

 ウナナはふと思い出すと、いつまでも不機嫌な様子を姉に見せるわけにはいかないと思い「行ってきまーす」と朗らかな声を張り上げた。

 後方から「気を付けてね」と返ってくる声を聞きながら、チビ猫は歩きだす。

 ここはネコミミだけが住んでいる集落。

 様々な場所から放浪の末に集まった者らによって作られた他よりはずっと安心できる、安全な場所だった。

 四方を深い森に囲まれて、小さな禿げのように空いた土地は、他の種族から見つかり難く、近寄り難い。更にここには、昔住んでいた人間が残していった田畑の跡が残っていた。栽培といった知識のないネコミミだが、落ちた種もみなどから、少しは生えてきたりして、収穫は取れたし、周りの森に住む動物を狩る事もできた。

 何よりも地下水が豊富で清んでいる。それまで泥水ばかりを啜ってきたから、透き通った水が雨ばかりでない事をここで初めて知った者もいただろう。

 余所からすれば、ここはネコミミにとって楽園のようにも思える。

 しかし、不安は残っている。

 いつか、この場所が、他の種族に見つければ――。

 誰もが考え、誰もが考えたくないと思っていた。

 ウナナは集落の端にあるボロの自宅から、中央の広間に向かった。

 ネコミミという種族は若く、一番の年長でも二十年くらいしか生きていない。そして何故か牝しかいなかった。どこから産まれたのか、それすら誰も覚えていない。

 彼女らは気付いたらこの世界に存在していた。

 ウナナには母親も父親もいない。ウナナだけでなく、全てのネコミミが、誰かの腹から産まれたという記憶も記録もなかった。

 気付いたら、自分はネコミミであり、ウナナという名前だった。ソーニャは姉で、自分を大切にしてくれる存在だ。それだけは最初から知っていた。

 そんな中でも、体の小さな、まだ幼いと思われるネコミミらを集めて、この集落では学校を開いていた。

 晴の日の午前中、三日続けたら、一日お休み。場所は集落の広間で行われる。

 ウナナが広間に到着すると、既に十匹程度のネコミミが集まっていた。

 皆、小さかったが、中でもやっぱりウナナが一番のちびっ子だ。

 もう全身知った顔だ。笑顔で手を振る。ここに座れと、一人の子が招きよせてくれる。

「はーい、皆さん、今日も全員元気に集まりましたね。では、おはようございます」

 一斉に返した先に、丸い眼鏡をかけた茶色いストレートの髪をした大人がいる。先生役のチャロさんだ。

 ネコミミには個体それぞれが特別な力が備わっている。チャロさんの場合、知能を記憶力が高く、この集落にやってくるまでに、人間の残していった記録などを多く読み、見て、知識を蓄えてきていた。先生役にはうってつけである。

 教科書なんて物はないから、生徒は皆、じっと黙って猫の耳を立てて、先生の話を聞き洩らさない体勢をとった。

「じゃあ、今日は、この世界の成り立ちについて、お話しします。

 日付といった概念、えっと、考え方ですね、が無くなってしまって、どれほど前からは分りませんが、世界は今とは全然違っていました。人間が沢山、それは、ここらの森の木の数よりもずっと多い程、住んでいて、大きな文明を築いていました。電気を利用したり、ガスを利用して、繁栄していたんです。

 それがある日、何の前触れもなく、巨大な時空震が起きて世界はバラバラになったのです。

 えっと、皆さんはジグソーパズルって知っていますか?

 丁度あれが壊されたみたいに、世界中の土地が、瞬時に飛ばされてしまったのです。例えば、ニューヨークという町が半分だけ、中国という国の砂漠に行ってしまったり、パリという町の隣に、ハワイという島がやってきたりしたんです。

 その結果、人間達は大混乱になりました。しかも、時空震の裂け目から、異界の種族が大量に現われ、やはり混乱していた彼らもやみくもに暴れたんです。

 それまでの人間の世界はとても複雑でしたから、何かをするにも、上司、という存在の許可が必要だったのですが、世界はバラバラになっていたから、連絡がとれません。武器を持った強い人間はその力を存分に発揮する前に、殺され、好き勝手に暴れる悪魔や鬼たちに世界は蹂躙されます」

 チャロさんは一端、子供達を見回す。キラキラと純粋な瞳で見ていた。が、きっと半分も理解できていないだろう。

「こほん、そういったわけで、人間が支配していた世界は終わりを告げて、現在のような世の中になったのです。

 さて、私達の住んでいるこの集落の一帯も、元々はまったく別の場所になった土地が飛んできて、繋がってできています。ほら、西側の森と、東側の森では、生えている植物が違うでしょ。先生が調べた結果、西側はかつてシベリアと呼ばれた土地で、東側には桜が沢山あるから、日本という場所の物じゃないかと思うんです。

 ここまでは分りましたか?」

 しばし沈黙。それから、ハッとした表情になり、はーい、という元気な返事が聞こえてきた。

 うん、たぶん解かってない、そう確信できた。

「えー、では、次に、これまで色々な種族について、お話ししてきましたが、今日は人間についてです」

 すると、朗らかな空気が変わった。

 誰もが、一度は人間から嫌な目に合わされている。それはチャロさんも同じであったが、これから小さなネコミミ達が生きていくのに、これは必要な知識だ。

「人間は、肉体的にはとても脆弱な生き物です。前の世界でも、人間よりも力の強い生物は沢山いました。でも、人間はどの生物よりも賢かったのです。知恵を使い、生き残る術を模索して、繁栄し、大きな文明を築いたのです。知っての通り、見た目は私達に似ています。大人の大きさは私達よりもずっと大きいのですが、子供と並ぶと、それほど違いがない事が分かると思います。違いは、この耳と尻尾――」

「全然違うっ!」

 誰かが叫んだ。

 叫んだその子は、それから膝を抱えて泣く。隣の子が肩を抱いた。

 思い出した事があるのだろう。楽しい思い出でない事は確かだ。

 どんよりと静まり返り、すすり泣く声だけが響く。

「皆……、聞いて、これは、私達が生き残っていく為に、必要な事なの」

 俯いている子が多い。ウナナは周りを見回し、おろおろとしてしまう。困っている先生、辛い思い出に落ち込んでいる小さなネコミミら。

 一番小さなウナナが立ち上がる。

「王様だって、人間だよね」

 空気がまた変わった。

 これはまだ噂でしかない。この集落に辿り着く前に、何匹かのネコミミは、人間のある男が小さな国を作ったという話を耳にしている。ネコミミの王国に行こうとしていた一団と行動を共にしていた者もいた。彼女は、途中で仲間と逸れてしまったが、多くの者が王様は人間だと言っていたという。

 ざわざわと皆が騒ぎ始める。

 ――そうだよ、皆、王様の事、好きなはずだもん。

 戸惑い、憧れ、困惑、希望、複雑な表情が見え隠れしていた。

 それはウナナが予想したのは少し違う反応だった。

 もっと大騒ぎしていいはずなのだ。皆で王様万歳と踊り出すくらいになったって、驚きはしない。ネコミミの国、ファミリアってどんな国だろうって、語り合って、楽しい夢を見ればいいじゃない。

「お、王様だって人間だから、私はもっと人間の事、知りたい」

「ウナナちゃん……」

 チャロさんは嬉しそうに微笑んだ。一番小さな彼女が場の雰囲気を何とかしようとしてくれた事を喜ばないはずはない。

『私は知りたくない!』

 それは鼓膜ではなく脳内に響いた。キーンと揺さぶられるような感覚に、誰もが顔を顰める。

 その子はウナナを睨んでいた。泣きそうな瞳で。

 緩やかなウェーブをした金色の髪、綺麗な顔立ちの彼女はアイラといった。誰もが美少女と認めるような彼女だが、声を出す事ができなかった。その代わりに得たのが心の声、テレパシーと呼ばれるものだ。

 詳しい事は知らない。でも、この集落にやってくる前に、人間とのかかわりで酷い目に合い、それから声を失ったのだと聞いている。

『もう私はよく人間を知っている。あいつらは、卑怯で、意地悪で、裏切る』

 ウナナはたじろぐ。でもこれだけは言いたかった。

「全ての人間がそうじゃないでしょ。だって、王様みたいな人間だって――」

『王様だって一緒だ!』

「違うもん!」

『違わない。だって嘘ばっかりじゃない。誰かギフトを見つけた? ネコミミの為の王国なんて作れるはずない』

「何でそう決めつけるの? できるもん、あるもん、ネコミミの王国」

『先生だって、人間は脆弱だって言ったでしょ。弱いものが、弱いものを引き連れて、どんな国を作るっていうの?』

「王様は特別だもん」

『会った事ないくせに、何で分かるの』

「アイラだって、会った事ないくせに、王様の悪口言うな!」

 ふー、ふー、と互いに深い息を吐き、睨み合う。

 皆は黙って二人を見詰めていた。先生もおろおろと間に入れないでいる。

 二人の言いたい事も、気持ちもよく解かったから。だからどっちの味方にもなれないでいた。

 涙目で睨み合ったまま時間が過ぎる。譲れない想いを抱えたまま、どう収拾をつけるのか。その時、

 ぽか!

 アイラのちっちゃな拳がウナナの頭に当たった。

 周りの皆の毛がびっくりして逆立つ。

 うう、と唸ったウナナ。泣いたら負けだと我慢する。

 するともう一度、ぽかっと叩かれた。

 じわっとウナナの瞳に滲んだ涙は今にも溢れそう。

 だけどその前に、

 ぽかぽかぽか――ウナナは反撃を開始した。

『何回も叩くの反則!』

「そっちから叩いたんでしょ!」

 ぽかぽか、ぽかぽかぽかぽか……。

 肩叩きとしても弱すぎる拳のぶつかり合いだが、互いに鬱陶しい。

 向こうが止めないから、こっちも止めない。チビッ子同士の意地の張り合い。

「ふ、二人とも、止めなさい!」

 チャロ先生の声で、周りの生徒達が一斉に止めに入った。

 数匹がかりで押さえられたウナナとアイラは、ふー、ふー、と興奮した息遣いで、まだ互いに睨み合う。

 そして、

「もう、絶交にゃ!」『絶交にゃ!』

 ウナナは今日初めて喧嘩というものをしたのだった。



 学校はお日様が一番高くなるまで。

 真っ直ぐに帰ったウナナは、ソーニャの用意してくれていた昼食を摂りながら、メモを確認した。

 今日は南の森で恵みの採取を行う予定だ。寒くなる前に、少しでも蓄えを増やしておく必要があった。

 姉は先に行っているはずで、メモには待ち合わせの場合が書いてある。

 食事を済ませたウナナは、まだ気持ちをモヤモヤとさせたまま、手伝いへと急いだ。

 まだ日差しは暖かく、走るとほんのりと汗ばみそう。だけどウナナは急いた。とにかく、学校であった出来事をソーニャに話して、自分に同意して、慰めて欲しかった。

 頭を撫でてもらいながら、ウナナの言っている事は正しいと認められたい。

 そんな期待をしていたのだが、

「ウナナが悪い」

「えー、にゃんでっ」

 獣道を分け入りながら進むソーニャの後をついていきながら、ウナナは頬を膨らませた。

「アイラちゃんの気持ち、アンタ、考えたの?」

「王様の悪口言ったんだよ。それに、先生だって、人間の事を知るのは大切だって……」

 ソーニャは注意深く辺りを見ているが、ウナナには振り返ってくれない。茸や木の実を探すのは大事だとは分かるが、少しは妹にも目を向けて欲しいものだ。

「チャロはいいの。問題は、アイラちゃんがどんな想いだったか、気遣ってやれたかなんだよ」

「知らない、王様の悪口言う子なんて」

「ウナナっ」

 納得ができない。ウナナは自分がした事が決して悪くはなかったと思っている。

 アイラが嫌いというわけでも、気持ちがまったく解らないというわけでもなかった。

 ただ譲れなかった。自分が憧れ、大好きな存在を貶されて、退くことはできない。

「嫌いっ……、お姉ちゃんも、アイラちゃんもっ」

 心にもない事を言っている。口にした途端、胸の奥がチクチクと痛みを感じた。

「私の事は嫌いでいいけど、本当にアイラちゃんを嫌いなままでいいの?」

 ウナナは拗ねたまま、それ以上は口を閉ざした。

 やれやれと言いたげな溜め息がソーニャから漏れる。

 それでも一人で森の中から家に帰れないウナナは、ソーニャの後に続き、黙々と採集を手伝った。昨日までは、新しい発見の度に、驚き合い、喜び合い、笑い合ったのに、今日はまったく楽しくない。

 重苦しい気分のまま、時間だけが過ぎていき、久しぶりにソーニャがウナナに話しかけた。

「そろそろ帰るよ。暗くなる前に森を出ないと、やばいから」

 気が付くとお日様はだいぶ低い位置まで降りてきている。

 ウナナは急に恐ろしい事を思い出して、ソーニャに駆け寄って彼女の腕をとった。

 森にはゴーストが出ると言われている。日中に遭遇する事はないが、日が沈むと音もなく近付き、不意に現われ、捕まるとそのまま死の世界に連れ去られてしまうという。

 初めてその話を聞いたウナナは、怖くなって夜もおしっこに行けず、おねしょした経験があった。

「さあ、帰ろう」

 優しげな姉の声に、ウナナは小さく頷いた。

 そんな事もあって、夕食の頃には、すっかり機嫌もなおったウナナは、今宵も夜空を見上げる。

 ――王様……、王様は悪い人じゃないよね。私は、いつかきっと王様に会いに行くよ。王様の国、ネコミミの国まで……。

 うとうととしだすと、ギシギシと鳴るベッドの上で、ウナナは直ぐに眠りに落ちていった。

 …………………………………………、

 ――どうして、アイラを見捨てるの?

 心が引き裂かれそうな悲しい声が聞こえた。

 ――あんなに仲良くしてくれたのに……。

 夢の中で聞こえてくる。

 ああ、これはあの子の想いが、溢れだしているんだ。ウナナはぼんやりとそう思った。そう、夢の中にいるから漠然としか思えない。

 今日の出来事が、彼女に切ない思い出を揺さぶった為だった。

 それは一匹のネコミミの体験。

 ネコミミなら誰だって一度は同じ様な経験をしているよくある話。

 世界がまさしく大地さえ混沌として、人間は地上の支配者ではなくなった。

 とある家族は異界からやってきた異形の種族から逃れて、安全な場所を求めて放浪していた。

 家族にはお父さんがいて、お母さんがいて、そして娘がいる。

 廃墟となった都市を通過するうちに、家族は餓鬼と呼ばれる低級の存在に取り囲まれた。

 武器を持たない人間は弱い。お父さんが必死で持っていたシャベルを振るったが、いよいよ追い詰められる。

 そんな様子を見ていた。見ているだけで怖かった。

 女の子が泣いている。お母さんがその子を抱き締めていた。お父さんはもう体力が限界のようだ。

 隠れながらぶるぶる震える。

 直ぐにその場から離れなきゃ自分も次の餌食になるかもしれない。

 でも動けない。

 どうしてか、動けない。

 家族が叫んだ。

 誰か、助けてくれ! その時、心が弾けたようだった。

 ニャーーーーっ!

 飛び出していた。

 滅茶苦茶に両手を回し、泣きながら餓鬼の群れに突っ込んでいた。

 そうだ、私はあの人間の家族を助けたくて離れられなかったんだ。

 驚いた事に、餓鬼どもは鳴き声に驚いて逃げていく。反響していた。知能の低い奴らは、大軍が押し寄せたと勘違いしたのだ。

 気付くと、家族が駆け寄っていて、何度も何度も、ありがとうと言ってくれる。

 嬉しかった。

 こんな嬉しい事がこの世界にはあるのだと知った。

 それから家族の一員のようになって一緒に旅をする。

 長く長く一緒にいた。僅かな食料を別けあう。女の子とは仲良しで、いつも同じ毛布にくるまって寝た。お父さんも、お母さんも、二人は本当の姉妹のようだと言ってくれる。

 だから頑張る。怖い種族が襲ってきたら、いつも矢面に立って、戦い、囮になり、怪我を負った。その度にまた、ありがとう、を言われて嬉しくなった。人間よりもネコミミの方が痛みに強いから、これでいい。これでいいんだ。

 ――私、家族の為に頑張ったよ。なのに、どうして?

 やがて一つの新しい町に辿り着いた。

 そこは人間が集った、だけど、悪魔が支配する町。

 怖かった。だけどそこには豊富な食料がある。要領さえ良ければ、生きていられる町なのだ。

 悪魔に貢献した人間には、安全と十分な食料が約束されていた。

 新参の家族は、ここでの居場所をどうにかして確保する必要があった。これ以上、放浪を続けても、安心できる場所なんてきっと見つからない。

 町に入れてもらいたい人間が大勢集まって、悪魔の為に何ができるか順番に聞かれていった。ある女は肉体を捧げると言う。ある男は拷問を手伝うと言う。老人は孫の為に、死んだら魂を差し上げると泣いた。

 とても長い列が進み、順番がやってくる。

 恐ろしい形相の悪魔が踏ん反り返って座っていた。竦みあがる。

 だけでも家族はとてもついていた。悪魔が欲する貢物を持っていたからだ。

 一匹だけ前に押し出され、きょとんとすると、

 お父さんも、お母さんも、娘も、口を揃えて言った。


 このネコミミを差し上げます。


 にゃぁあああああああぁ――ッ!

 その絶望の叫びを最後に、声を失った。

 …………………………………………、

 目覚めたその時、ウナナは泣いていた。



 今日は学校がお休みだ。

 お弁当を作って、ウナナとソーニャはまた南の森へと出かけていった。一冬越すには、まだ何度か保存のきく食料を集めておかなくてはならないからだ。

 口数も少なくウナナはしょんぼりと歩く。森に辿り着き、珍しい茸を見つけても、気分は晴れてはいかなかった。空は晴天であるけど。

「……ウナナ、どうかした?」

 昨日のように拗ねているわけでも、いじけているわけでもないが、元気のない妹の様子には起きた時から気付いていたソーニャ。聞き出すタイミングは、昼食のお弁当を広げた時だった。

「あのね……、夢、見たの。あれは、きっとアイラちゃんの……」

 ウナナは昨晩の眠りの間に見た光景をソーニャに話す。瞳に涙をいっぱい溜め込みながら、自分の体験した事のように、声を引き絞りながら語った。

 優しげに微笑みながら、ソーニャは一通り黙って聞いてくれる。

「そう……、良かったね、ウナナ」

「良かった……の?」

「ええ、アイラちゃんの体験はとても辛い事だけど、それがウナナに届いたのは、きっと貴女に分かって欲しかったから。友達だから」

 ぐっと込み上げてくるものを感じて、耐えきれず、ウナナは泣いた。

 ニャー、ニャー、ニャー……。

 泣き終えるまで、ソーニャは頭を撫で続けてくれた。

「……仲直り、できるかな?」

「うん、できるよ、きっと……」

 そんなに難しい事はない。ネコミミは皆、素直な良い子ばかりだ。「ごめんにゃさい」その一言で、全て解決するに違いない。

 ひとしきり泣いたお蔭か、お昼を済ませた後の採集では、ウナナは元気を取り戻していた。鼻歌を口遊み、野鳥とコラボ。遊ぶように作業を続け、踊るように移動する。

 この集落の暮らしは穏やかだ。ここにやって来るまでは、辛い事の連続で、心も体も疲弊していた。

 そうか、友達と喧嘩できるのも、仲直りをするのも、楽しい事なのだ。いつもまでも、ここで、このまま……。

 本当にそれでいいの?

 平和なように見えていて、ここは、本当は――。

「ねえ、お姉ちゃん……」

「なに、ウナナ?」

「いつか、皆で、王国に行くのかな?」

 ソーニャは木の実を取ろうとしていた手を止めた。少しの沈黙の後、

「行かないよ」

 ポツリとそう言ったのだ。

「どうして? ねえ、どうして?」

「私達は今、何とかやっていけてるじゃない。行く必要がないの」

「王様の所の方がもっと安全だよ、きっと。行った方がいいよ」

「何処にあるかも分からないんだよ。ずっと、ずっと、遠い場所かもしれない」

「でも……」

「私はもう、あんな、想いをして、彷徨いたくない」

 ウナナは一瞬、反論の意見を失った。

 覚えている。あの辛い旅の日々を――。

 荒んだこの世界に残された食料は限られていた。栽培、養殖、そういった技術を持っていたのはかつての人間だけで、力を持った種族は、ただ奪い、殺し、食らうのみ。

 二匹は放浪の中、ようやく僅かな食べ物――お芋を見つけ、久しぶりの食事にありつこうとしていた。

 美味しそうだった。涎が漏れて、そのまま食べよう、いや焼こう、と考えるだけでも幸せだった。

 そこに、一人の人間がやってきた。

 彼は言う。私には三人の子供がいて、もう数日何も食べさせてやれていません。どうか、その芋を譲ってはもらえませんか?

 必死で、泣きながら頼まれて、同情した。

 二匹は空腹に胃がきりきりしていたけど、互いに頷き合って、持っていた芋の全てを差し出した。ネコミミは人間よりも丈夫だから、まだ死なないから。

 男は何度もお礼を言って去っていった。

 良い事をした。腹は満たされなかったけど、心は満たされたと思った。

 でも、少しして、彼を見かけると、悲しくて悔しくて、泣きそうになった。

 男には家族なんていなかった。焼いた芋を喰らいながら、馬鹿なネコミミに合えて、本当にラッキーだったと呟いたのだ。昨日も同じ手で、他のネコミミを騙したらしい。

 ある時には、ソーニャだけが出会った人間の男らに連れられていった。直ぐに戻ってくるから、待っていなさい――ウナナは、膝を抱えて信じて待った。

 お昼から、日が沈むまで待ち続け、ようやくソーニャが僅かばかりの食糧、缶詰と呼ばれる物を一つ持って戻ってきた。

 姉は元々ボロボロだった着衣を更に乱れさせていて、体のあちこちに痣を作っていたが、にっこりと笑いかけてくる。二匹で、缶詰を分け合って食べた。ソーニャが人間の男らに何をされてきたかなんて聞けなかった。

 ただ姉の為に、どんなにか辛い目にあってこれを手に入れた彼女の為に、ウナナは「美味しいね、お姉ちゃん」と言って、笑ってあげる事しかできなかった。

 それでもね、お姉ちゃん――。

「でも、ウナナは王様に会いたい。王様ならきっと、私達、ネコミミを幸せにしてくれるんだよ」

「やめて、ウナナ……。もう、王国の話も、王様の話もしないで」

「でも……」

 それ以上は言い返せない。知っているから。ソーニャが自分を守るために、どんなに辛い目に合ってきたかを。こんな自分が、ただ妹であるというだけで、彼女から保護されてきたのだという事実を。

 説得する言葉を必死で考える。浮かぶのは自身の感情だけで、姉を動かせるとは思えなかった。

 だけど、ここで言わなくちゃ、希望は消えてしまうのではないか?

 気持ちだけでも伝えよう。幼い思考で振り絞った答え。

「あのね、おね――」

「しっ……。静かに……」

 姉の手が妹の口を塞いだ。

 緊張が伝ってくる。だから、ウナナは言われるまま黙った。

 ソーニャの猫のような耳がピクピクと動き、周囲を警戒しだしている。ウナナも真似るように聞き耳を立てた。

 ………………足音、金属がぶつかり合うような響き、微かな唸り声がする。

 尻尾の毛が逆立った。

 何かが近付いてきている。一体や、二体ではないだろう。数字をやっと十まで数えられるようになったウナナは、大勢だと判断した。

 ソーニャに視線を送る。

 強張った顔をした彼女は、妹の肩を抱いて、一緒に姿勢を低くする。

 息を殺すようにして、気配を消し、じっと留まった。

 大勢の足音がどんどん大きくなってきて、森の草木を分けてこちらに近付いてくる。

 鼓動が高鳴った。そんな音さえ、周囲に漏れてしまっているのではないかと心配になる。

 二匹は動かない。動けない。

 やがて、奴らは現われた。

 ――ヒっ……。

 悲鳴をあげそうになって、なんとか堪えた。

 ウナナは知っている。奴らはオーガと呼ばれる醜い鬼の一族だ。数は十を四回は数えたほどいる。

 それだけではなく、更に大型のサイクロプスという一つ目の巨人も五体。

 そして一団の最後を進んでいくのは、黒いローブを纏った男性体だった。人間に似ている。だが尖った耳をして、真っ黒な肌をしていた。

 禍々しい一団が繁みの向こう、直ぐ傍を通過していく。

 肩を抱いてくれるソーニャの腕の力が増し、彼女の震えも伝ってきた。二匹は冷や汗を流しながら、奴らがこちらに気付かずに過ぎていってくれるのを祈る。

 大型種族の響く歩みの振動と強烈な威圧感に心が潰されそうに感じても、じっと我慢をする。もう少し、もう少しで、行ってくれる。

 あと少し――。

 黒い男が立ち止った。二匹のいる繁みの前で。

 彼は濁った血のような赤い瞳で周囲を見回す。

 ――気付かにゃいで、気付かにゃいで……、王様……ウナナ達を守って……。

 ぎゅっと瞳を閉じた。もう怖くて泣き叫ぶ一歩手前になっている。

 そいつは――立ち去った。一団の後を追って、どす黒い闇の気配は遠くになっていく。

 一抹の安堵と共に、ウナナは王様への感謝を思う。ただ、事態が深刻である事は幼い彼女にも察せられて、心配そうに姉を見詰めた。

「行ってくれた……。でも、あの方角は……」

 ネコミミの集落がある。

「お、お姉ちゃん……」

「さっきの奴はきっとダークエルフだ。オーガの一体や二体なら何とかなるけど、あれは軍隊だよ。ダークエルフが指揮官」

 ソーニャがウナナに向き直ってくる。しっかりと両肩を掴み、真っ直ぐに瞳を見て、強く、厳しく言った。

「よく聞きなさい。アンタはここに隠れているの。私は村に戻って、直ぐに皆に知らせてくるわ。大丈夫、奴らよりも、私達の方が足が速いもの。ここで合流して、皆で逃げるのよ」

「や、やだ……、私も……」

「ウナナ……、待てるよね。アンタはいつも私を信じて待っていてくれたでしょ。お姉ちゃんが嘘ついた事、なかったよね」

「うん……、分かった。早く、戻ってきてね」

 約束の指切りを交わすと、それからのソーニャは素早かった。

 草木を疾走し、樹木の枝に飛び乗り、一目散に集落を目指していく。

 そう、これが正しい選択だ。ウナナの足では姉のように早くは駆けられないし、あんなに身軽に跳ぶ事もできない。今は一刻も早く皆に窮地を知らせなくてはならない時なのだ。ウナナがついていっても足手まといにしかならない。

 自分ができることは孤独の寂しさに耐える事。大丈夫、このくらいへっちゃら。

 姉の姿がどんどん小さくなって、見えなくなっていく。すると、一気に不安が雪崩のように押し寄せてきた。

 昼間の森を怖いと思った事はない。今いる場所は、何度か訪れていて、帰りの道順も熟知していた。

 なのに、どうしてか、震えが止まらなくなった。

「お姉ちゃん……、お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん……」

 膝を抱えて両肩を抱き締める。寒くなんてなかったけど、そうしないと心が凍えてしまいそうに感じた。

 静かだった。時間が止まってしまったのかと思うほどの静寂に、だが小鳥の鳴き声は聞こえて、確かに時が進んでいる事に気付く。

 姉は無事に集落に辿り着いただろうか? 奴らがやってくる前に、皆、避難する事はできるのだろうか?

 大型の種族は、足は遅い。だけど、歩幅は大きいから、体力はあるから、いつまでも追いかけてくる。馬鹿だけどしつこい。しかもダークエルフという奴がついてきていた。

 ううん、きっと大丈夫のはず。姉の足は集落でも一番速いし、ネコミミは臆病だけど、それだけに危険を素早く察知して逃げられるはず。こんな底辺の種族でも取り柄はあるのだ。

 でも、もしも、姉が間に合っていなかったら。もしかして、途中で奴らに見つかってしまっていたら。

 ソーニャが殺される。

 姉が、大好きな姉がいなくなってしまう。

 浮かんだ恐ろしいイメージにウナナは耐えられなくなった。

「いやだ、いやだ、いやにゃぁ……」

 じっとなんてしていられなくなって、立ち上がったウナナは、森の中を走り出した。

 横から飛び出していた木の枝に腕が擦れようと構わず、ウナナには前しか見えなくなって、集落へと急ぐ。

 木の根っこに足を取られて転んだ。だが直ぐに立ち上がって、また駆ける。

 幼いウナナが入っていけた場所からだったから、そんなに遠くはない。気持ちが急いていたせいもあって、遠く感じたが、それも少しの間だけ。

 森と集落を隔てた入口が見えて、そこから影が見えてきた。

 誰かいる。酷い孤独を覚えていたウナナは、そちらに向かって声を張り上げようとしたが、危うく飲み込んだ。

 その影はネコミミなんかよりもずっと大きかったのだ。

 ――オーガだ!

 ウナナは樹の陰に隠れて、両手で口元を塞いだ。

 どすん、どすん、大きな足音がゆっくりと進んでいく。唸りをあげて、辺りを見回しながら奴は徘徊していた。

 もう集落に、奴らは辿り着いてしまっていたのだ。

 では、仲間はどうなっているのか?

 ウナナが自分を落ち着かせるように胸に手を置き、考えた。

 皆、逃げる事はできたのだろうか? もし捕まっていたら、どうなってしまうのだろうか? その時、自分はどうしたらいいのだろう?

 ネコミミは貴重な種族だった。愛らしい姿をしながら、個々にそれぞれが特別な力を持っていて、利用価値が高かった。素直すぎて、臆病な為に、ちょっと騙せば、ちょっと脅せば、言う事を聞く。

 こんな荒れ果てた世界でネコミミは高く売れた。奴隷にして働かせれば、人間よりも効率よく、しかも長く動き回る。臆病ではあるが身体能力が高い個体もいて、戦場に立たせれば、大きな戦力となった。

 奴らは狩りにやってきたのだ。

 姉はウナナのいる場所を合流地点とした。なのに、ここに辿り着くまで、誰とも遭遇していなかった。

 ――逃げられなかったんだ!

 その結論はきっと正しい。では、ウナナがこれからとるべき行動はなんなのか。

 ネコミミは臆病だけど、仲間を見捨てたりはしない。

 小さな誇りが、小さな体を動かせる。

 オーガの気配が遠ざかると、ウナナはこっそりと集落に潜り込んだ。

 小屋の陰に隠れながら、少しずつ、広間の方へと向かっていった。

 まだ誰とも再会していない。不安はどんどん募っていく。

 でも、もう一匹きりは嫌だった。何よりも姉に会いたくて、探し回る。

 また一体のオーガの気配。また、また、また。正面側にも、右側にも、左側にも醜い鬼が歩き回っていた。

 このまま次の家まで進んでも見つかってしまうだろう。

 そんな時、ウナナが見つけたのは、一つの大き目のダンボールだった。一番小さなウナナなら丁度体がすっぽりとその中に入る。

 ダンボールに空いた穴から外を確認しながら、ゆっくりと移動する。オーガの視線がこちらに向いたら止まり、じっとして、別の場所に向いたら、また移動を開始した。

 そうやって、ちょっとずつ、ウナナは集落の中心にある広間までようやく辿り着いたのだ。

 そこには――。

「おい、本当にこれで、ここにいるネコミミは全員なんだな?」

 ダークエルフが一体のオーガに話しかけている。

「ダブン、ソウ、コレ以上、見ミツカラナイ」

 集落の皆が広間に集められていた。肩を寄せ合い泣いている者。膝を抱えて項垂れている者。皆、ウナナは知っている。

 チャロ先生が気丈にダークエルフを睨んでいた。大きなネコミミ達が、小さなネコミミ達を庇うように囲んでいる。

 怖い、怖い、怖い、怖い――でも、助けたい。

 それは夢で見たあの子の感情に似ていた。

 アイラのように大声で叫んだら、大軍が来たと思って奴らは逃げるだろうか?

 無理に決まっている。ここでは声は反響しないし、きっとあのダークエルフは驚きもしないだろう。

 どうしよう、どうしよう……逃げ出したい気持ちと、助けたい気持ちが鬩ぎ合い、雁字搦めになって動けないでいたその時だった。

『痛い、痛いよ、止めてぇ……』

 金色の髪を掴まれて、一匹のネコミミが引き摺られてきた。

 ――アイラちゃん!

 彼女の頭部の痛みがそのまま伝ってくるような心の叫びが、脳内に響いてくる。

 うわぁあああ――っ。

 苦しい、呼吸が止まりそうに感じる。不安や悲しみも一度に伝って、ぺしゃんこにされてしまいそうだった。

 ウナナが隠れたダンボールの前をオーガに引き摺られるアイラが過ぎていこうとしたその時、二匹の視線が合った。

 ああっ、助けなきゃ……。

 動けなかった。夢の中では、アイラは何も考えずに飛び出していたのに、自分は怖くて動けない。ただ震える事しかできなかった。

 ごめんにゃさい、ごめんにゃさい、ごめんにゃさい、ごめんにゃさい……。

 詫びて済む事なんかじゃないのに、言い訳したって、自分だけ助かろうとしているのに、それでも動けない。

 アイラは――、

 にっこりと笑った。

 髪を掴まれ、体を砂利で擦られる痛みは続いているのに、嬉しそうに微笑んだ。

『良かった、ウナナちゃんが、まだ無事で……』

 うにゃぁぁああああああぁあぁあ――――っ!

 ポロポロと大粒の涙が、ウナナの瞳から毀れていく。咽び泣いた。

 まだちゃんと謝っていないのに、仲直りしていなかったのに、アイラは自分がまだ捕まっていない事を喜んでくれている。心の声は何よりも正直で、嘘なんかつけないから。

『ウナナちゃん、よく聞いてね。今は泣いちゃ駄目だよ。いい、ウナナちゃんだけでも逃げるの』

 ――でも、でも……。

『このままじゃ、皆、何処かに売られて奴隷にされちゃう。だから、ウナナちゃんが私達の味方になってくれる存在を探してきて欲しいの。例えば……王様とか』

 ――アイラちゃん……。

 今、やっとアイラの、そして集落の皆の気持ちをはっきりと理解できた気がした。

 本当は皆、王様を信じたかったんだ。

 だけど、この集落は外よりはまだマシだったから、王国の事も王様の事も考えないようにして、外に出るのを拒んだ。

 ウナナは自分のやれる事を一つ教えられて、勇気が湧いてくるのを感じた。

 ――分かった。アイラちゃん、待ってて、私が、必ず、王様を連れて戻ってくるから!

『うん、信じて、待ってる』

 袖口で涙を拭うと、ウナナはダンボールごと反転して、集落の外へと注意深く移動し始める。

 しかし、

『ウナナちゃん、尻尾出てる!』

 慌てて隠そうとする。オーガの一体が顔をダンボールに向けようとした。

 ニャー、ニャー、ニャーとこれまで以上にアイラは暴れ出し、注意が逸れた。

 少しずつ、とウナナは慎重に集落の外へと通じる道へと向かっていく。

 今度はズズっと引き摺る音が響いてしまった。

 捕まっていたネコミミ達が一斉に歌い始めた。

 ~いつも、いつも、夢を見ているネコミミさん。お山の向こうは、にゃにがあるかにゃぁ、川の先にはにゃにが待っているのかにゃ。夢を見てても食べられにゃいけど、夢を見てたら心は満腹、それは、それーは、甘い、お味。お砂糖よりも、蜂蜜よりも、甘い、あまーい、御馳走にゃぁ~

 突然、素っ頓狂に歌いだしたネコミミらに、ダークエルフは目を丸め、それから怒鳴り散らした。

「ええい、止めろ! 五月蠅いぞ、お前ら」

 持っていた鞭が地面に叩きつけられる。でも、ネコミミ達は歌うのを止めなかった。ウナナが無事に、見つからず、集落から脱出できるようにと。

 ――皆、ありがとう。

 ここでは泣けない。立ち止まれない。声を漏らしてしまって、ここにいる事がばれてしまったら、せっかく皆が注意を引き付けてくれているのに、無駄になってしまう。

 もう少し、あとちょっと。あの家の陰まで行ければ、直ぐに森に逃げ追うせる事ができるはずだ。

 突風が舞った。

 ダンボールがぴゅーと飛んでいってしまう。

「はにゃ!?」

 驚きのあまりに、皆、歌を止めてしまった。彼女らの向かった視線の先に、四つん這いで可愛いお尻を突き出しているウナナがいる。

 慌てて、全員が視線を外す。

 でも――。

 恐る恐るウナナが振り返ると、ダークエルフがやっぱり瞳を丸めてこちらを見ていた。

 チャロ先生が叫んだ。

「ウナナちゃんっ、逃げてぇ!」

 立ち上がる。そして走る。一目散に。

 振り返っては駄目だ。仲間全員の想いを背負って、自分は逃げなければならないのだ。

 呆然としていたダークエルフであったが、

「な、な、な……、お前ら、アイツを捕まえろ!」

 号令と共に、呆けていたオーガどもがウナナを追いかけだす。

 歯を食い縛る顔をしながら、ウナナは森に飛び込んだ。

 草を掻き分けながら、重圧が迫ってくるように感じる。恐怖に逃げているが、それだけではなかった。

 これは希望の為の逃走である。ネコミミ集落の皆が、どれだけウナナに期待しているかは分からなかった。一番小さな、まだ何の特殊能力も発現していない彼女が、本当に王様の元まで辿り着き、救援を呼んでくる事ができるか、問われればその可能性は極めて低いとしか言いようがない。

 助けを求めてきて――これ自体がウナナが心置きなく逃げる為にしてあげられる唯一の手段であったから、お願いしたに過ぎなかったのかもしれない。

 でも、ウナナは行こうと決めた。

 でなければ、ネコミミに希望が一切なくなってしまうから。

 走る、走る、走る。

 足が縺れ、何度転んでも、また前だけを向いて駆けた。

 オーガの咆哮が後方から聞こえ、細い木々がなぎ倒されて、ドスンという重い足音がどんどんと近付いてきているように感じた。

 もう泣いてもいいから、ウナナは泣きじゃくりながら、息を切らしながら、森の中を進んでいく。

 ネコミミの方が、オーガよりもずっと足が速いはず。

 だが恐ろしい気配は迫ってきていた。

 ダークエルフの魔法で、奴らの俊敏さが強化されていたのだ。

 そして、小さなウナナの体力はそれほど多くはなかった。

 心臓が破裂しそうに激しく脈打っている。喉がカラカラに乾き、呼吸も儘ならなくなってきた。

 ウナナは自然に進みやすい場所を選んでしまった。

 それはダークエルフに率いられた一団が切り開いてできた道。本当なら、大きな体のオーガらが通りにくい、細い場所を選んで、進むべきだったが、考えている余裕なんてなかった。

 故に、

「ミーツケタ……」

 巨大な影が背中から覆ってきた。

 ウナナはここで初めて振り返る。そこで見た物は、濃緑の肌をした二足歩行の巨体。知性の欠片も感じさせない醜き鬼の姿。

「ヒイぃイ――っ!」

 棍棒が振りかざされている。奴らは獲物を殺すつもりがなくても、一度はそいつを叩き付け、動きを止めたがった。

 いつもならウナナでもかわせる。だが、もう体力も限界で、しかも相手は魔法で俊敏さを上げられていた。

 振り返ったぶんだけバランスを崩して、また倒れ込んだ。

 もう駄目だ。ウナナは少しでも痛くないようにと、両手で頭を抱える。

 ――ごめんにゃさい、皆……。私、逃げられなかった。うう……。

 今度は悔しくて泣いた。仲間が必死で逃がしてくれたのに、このままでは希望が全部消えてしまう。

 オーガが棍棒を振りかぶり、今、下ろされようとした。

「ウナナ――ッ!」

 ウナナとオーガの間に一匹が飛び込んでくる。

 ハッとして顔を上げて、ウナナは見た。

 ――お……お姉ちゃん!

 ソーニャの拳が、オーガの顔面を捉え、捻じ込み、押し込むようにして、巨体を弾き返す。

 背中から倒れ込んだオーガ。その振動で、森の野鳥が飛び立っていく。

「おね、お姉ぢゃんん……っ」

 もうずっと泣き続けているのに、涙は枯れず、また溢れてきてしまう。

 今すぐ甘えて、抱きつきたくなる。褒めてくれなくてもいい。ただ抱き締めてさえもらえればそれで良かった。

 そんな想いだけで、ウナナは立ち上がる力を得た。

 だが、

「ウナナ、こっちに来ちゃ駄目」

 姉は振り返らず、じっと倒れているオーガを見据え、そいつがまだ立ち上がってくると、舌打ちをして、戦う構えを取った。

「早く逃げて、ウナナ」

「で、でも……、お姉ちゃんも、一緒に……」

「こいつだけじゃないの。どんどん近付いてきている」

「けど……」

「早く!」

 これまでに聞いた事のない姉の真剣な怒鳴り声。ビクッとして、だが、皆の想いを思い出す。

 姉への、あの温もりへの未練を振り切るように、ウナナは叫びながら走り出した。

 うわぁああああぁ――――っ!

 太陽は沈み始めている。真っ赤な夕陽に向かい、ウナナは何も考えずに走るしかなかった。



 ソーニャは少し驚いていた。

 あの甘えん坊で、自分の傍から離れようとしていなかった妹が、あれだけの会話で言う事を聞いて、逃げていってくれた事に。

 たった数時間で、どれほどあの子は成長したのだろう。

 嬉しさと少しの寂しさを感じながら、一度倒されて興奮しているオーガに立ち向かう。

 オーガが棍棒を振りかぶると、ソーニャは懐に飛び込んで、拳を突き上げる。

 二度目の顔面への打撃に、オーガの頭蓋が砕けた。

 ネコミミは決して弱い種族ではない。ただ臆病で、戦いを嫌うだけだ。成体の標準的な能力は、十分にオーガを凌駕していた。だからこそ、あれだけの数をダークエルフは揃えてきたのだが。

 魔法で強化されたオーガどもが追いついてきた。

 ここでこいつらを通すわけにはいなかい。

 ――ウナナ、お姉ちゃんが、ちゃんとアンタを逃がしてあげるからね。

 ソーニャは一般的なネコミミよりも身体能力が高かった。これが彼女の特殊能力にあたる。

 それでも強化オーガ四体を前には、どれほどの勝算もないだろう。

 正面から二体が迫ってきた。ここでは二体同時とかは考えない。まず一体を確実に仕留めて、敵の戦力を早めに少しでも削らなくてはならない。

 どっちから先なんて、迷っては駄目だ。ソーニャは、まず一体に肉薄する。こうすると、他の三体も簡単に攻撃を繰り出せなくなる。

 体格の差をこうやって利用すれば、オーガの同士討ちにだってなることがあるだろう。

 一体のアキレス腱を狙って、鋭く蹴り付けた。

 呻きをあげて、そいつが膝をつく。動きが完全に鈍くなった奴を盾にしながら、他の三体の攻撃をかわし、その隙に一体の頭蓋をまた砕く。

 残りは三体。だが、時間が掛かればもっと多くのオーガがやってくるかもしれない。

 それでもいい。

 集落の広間から、戦力がこちらに回されれば、もしかしたら集められたネコミミ達で反撃ができるかもしれない。

 そんな事を考えながら、ソーニャは二体目の脇腹に掌底を放った。

 巨体が崩れると、彼女はそいつの体に登って二体を挑発する。

 すると、オーガらは、下に仲間がいるにも拘らず、思い切り棍棒を振るってきた。それをソーニャは避ける。

 ぐしゃりと鈍い音がして、オーガの鮮血が飛び散った。これで残りは二体。

 ――ハァ、ハァ、いける。こいつらを倒して、もしもう追っ手がこないなら……。

 妹の後を追ってもいいかもしれない。本当は心配で堪らないから、あの寂しがり屋で、臆病な幼い妹がたった一人で生きていけるとは思えなかったから。

 だが、そうはいかないらしい。

 更に追っ手が放たれていた。オーガが五体、そしてサイクロプスが二体いる。

 ――ごめんね、ウナナ、お姉ちゃん、ここで死んじゃうかもしれない。

 合計九体の大型の魔物を相手に、臆病と言われ続けたネコミミは闘気を漲らせた。

 先の二体のオーガが背中から襲ってくる。

 ギリギリにかわしながら、跳び上がって、一体に蹴りを喰らわせた。

 だが次の瞬間、ソーニャの体は地に叩き付けられる。

「うにゃぁ――っ!」

 これも魔法の強化なのか。サイクロプスがもうやってきていて、オーガよりも大きな平手に叩かれたのだ。

 全身が打撲で悲鳴をあげる。痺れて動けなくなったところを更に大足で踏み付けられた。

「ぐあぁあああああああ――――っ!」

 骨が軋んだ。両目が見開かれ、唇から血反吐が飛び出す。

 立ち上がる事ができない。

 ――ウナナ……。

 妹が走っていった方向に向けて、ソーニャは腕を伸ばした。

 霞んでいく視界。

 しかし、そこに妹を追いかけようとするサイクロプスの姿が入る。

 拳を握り、ソーニャは残った力を振り絞った。

 弾かれたように跳び、一つ目の巨人の背中に飛びつくと、

「行かせるか――っ!」

 それは人間が見たら鬼子母神を思い起こす形相。ソーニャはサイクロプスの肩に咬み付いた。

 振り払おうと暴れる巨人。青い髪が振り乱されるが、ソーニャは肉に牙を食い込ませて離れない。

 妹を想う執念だけで、ソーニャは戦いを止めはしなかった。止めるわけにはいかなかった。だって――妹を愛しているのだから。

 暴力がそれを嘲る。

 ドスン……。オーガの棍棒が脇から払い除けるようにソーニャを叩いた。

 食い千切られるサイクロプスの肉。血飛沫が噴き出すのを見ながら、ソーニャは地上に落ちた。彼女の涙が遅れて舞う。

 地の衝撃からの痛みを感じないほど、肉体は完全に麻痺してしまった。

 動けなくなった一匹のネコミミを悪鬼らが取り囲む。

 思考もまたぼんやりとしてしまい、諦めがソーニャの脳裏を埋めてくる。そこにフラッシュバックするのは、可愛い妹の姿だった。

 拗ねたり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、落ち込んだり、はしゃいだりする愛しい、愛しい宝物。あの子がいたから頑張ってこれた。あの子の為なら、どんな辛い事でも耐えられた。

「死に……たくない。死にたくないよう。ウナナと、離れたくないよぉ……。ウナナ、ウナナ、ウナナ、傍にいてよ……うぐっ」

 堪えようとする涙と想いが溢れてしまった。

 もう、目の前が暗くなり、オーガやサイクロプスの姿も見えなくなる。



 疲れがピークに達している。

 ウナナはもう走れなかったが、前に進む事を止めなかった。

 歩くよりも遅くなった速度で急ぐ。

 だんだんと日が暮れていき、高い樹木の生い茂った森ではもう暗くなっていた。早く森を抜けてしまわなければゴーストが出る。早く皆を助けたい。

 気持ちばかり急くのに、足が徐々に動かなくなっていった。

 ――行か……なきゃ、お姉ちゃん……が、皆が待って……るんだ……。

 よたよたとして、前のめりに倒れた。

「行か……なきゃ……、王様の……とこ……」

 弱々しい自分の息遣い、ザーと流れていく風の音だけが聞こえ、夕闇に体が覆われていく。

 小さな体が森に埋められていった。

「お姉ちゃん……」

 気温が下がっていく。

 寒い、寒い、寒い、寒い……。

 ――違うっ!

 それが大気の冷たさからくるものではない事に気付き、顔を上げた。

 こちらを見詰めている者、あるいは物がいる。

 不確かな存在だった。白い影のようなそれが森の闇に浮かんでいる。

 ――ゴースト?!

 ぶるっと体が震えた。

 逃げなきゃいけないと思うのに、体がまったく動いてはくれない。

 気力を振り絞ろうとすると全身が酷い痛みに喘いだ。

 ゆっくりとゴーストが近寄ってくる。

「あっち……いけ……」

 まだ冥界に連れていかれるわけにはいかない。仲間が信じてくれるなら、どんなに怖くても、ウナナはゴーストを睨み、威嚇する。

 ゆらゆらした白い存在が、もうウナナに触れられる位置まで近付いた。

 腕のようなものが伸びる。

 ――王様、助けて……。

 ぎゅっと瞳を閉じた。

 ガサ、ガサっという音が聞こえてくる。状態に変化はなかった。ただ、背中に軽い物が乗っかってくる感覚だけが続く。

 目を開けると、ゴーストがウナナの周りで腕を振っていた。すると周りの落ち葉が小さな体を覆ってくる。

 ウナナにはこれに何の意味があるのか解からなかった。

 もっと顔を上げて、しっかり様子を確かめようとすると、

「ジットシテイテ、見ツカラナイヨウニ」

 ゴーストが喋った。

 その声色があまりに優しげな事に驚くが、直後、ドスンと大きな足音を聞いてウナナは身を硬くした。

 ――こ、ここまで、追ってきたんだ。お、お姉ちゃんは、どうなったの?

 オーガ四体とサイプロクス一体が、ウナナの追跡に送られていた。

 背の高い奴らが周囲を見回す。人間から魔物と呼ばれる彼らにとって、この程度の暗さなど関係なかったが、一匹の小さな存在を見つけられない。

 ウナナは、ゴーストのかけた落ち葉によって小柄な体を隠されていた。

 うつ伏せながら、緊張感に鼓動が鳴る。一つ目の巨人が鼻を鳴らす音が聞こえた。視覚だけに頼らず、嗅覚を使うのは、知能の低いモンスターだからこその優秀な狩人なのかもしれない。

 ――見つからないで、気付かないで……。

 もう走り出せる体力は残っていなかった。

 モノアイからのプレッシャーを感じだす。近くにいると疑っているように思えた。

 ガサガサ……、ウナナとはまったく反対方向の茂みが揺れる。更にそこから移動していくような物音に、オーガもサイプロクスも追いかけていった。

 気配は遠ざかった。

「はにゃ……、良かった……」

 安堵を覚え、ゆっくりと木の葉の中から立ち上がる。

 少しだけだが、元気が戻った。

 ゴーストが優しく微笑んでいるように見えた。

 ――助けて……くれたんだ。

 ウナナは深くお辞儀をする。

「サア、早ク行コウ。仲間ガ、アイツラヲ誘導シテイルウチニ」

 ただの白い影のように見えたゴーストの姿が、少しはっきりとした。

 その形状は、顔があり、腕が二本あり、脚の先の方は消えているが、やはり二本ある。

「人間……」

 また微笑みながら、彼はこっちにおいでと手招きをした。

 もう怖くはなく、冥界に連れていかれるとも思えず、ウナナは後についていく。

 歩きながらゴーストは語った。

「人間……、カツテハ、ソウ呼バレタ。私ハネ、オマワリサン、ダッタ……」

 かつて、世界がバラバラになったばかりの頃、彼は市民を守って戦った。誰もが混乱し、突如現れた異形に恐怖する中、命をかけて他者を守ろうとした存在。

 庇い、自分でない誰かを優先し、後ろで震える者の盾となり、そして倒れていった者。

 人は優しい者から、正義を信じる正直者から、分け隔てのない愛を持つ者から、先に死んでいった。

「どうして、ウナナを助けてくれたの?」

「ドウシテ? 困ッテイル子ヲ助ケタクナルノハ、当タリ前ジャナイカ」

「私は人間じゃないよ。ネコミミだよ」

「同ジ命ジャナイカ」

 嬉しさがウナナの心に溢れてくる。

 襲われていた人間を助けに飛び出したアイラに教えてあげたかった――間違っていなかったんだよ。

 人間はネコミミと全然違うと言った皆に知らせたい――ほら、優しい人が、こんなに近くにいたんだよ。

 気が付くと、多くのゴーストが周りに集まって、ウナナを見守っていた。

 淡い光を放ち、それはとても温かで、穏やかな輝き。

 頑張れ、頑張れ、そう囁きかけてくるような声は、慈愛を放っている。

「ホラ、彼ハ、元自衛官、アッチノ彼女ハ、看護師ヲシテイタ。ソレカラ、アソコニイル彼ハ、学校ノ先生ヲシテイタ……」

 オマワリサンが教えてくれる。もうゆっくりとしか歩けないウナナの歩調に合わせて進みながら。

 思えば集落は四方の森に守られていた。夜行性の獣が集落まで侵入してきて、誰かが襲われた事もない。

 いったい誰が言いだしたのだろう。ゴーストに冥界に連れていかれるなんて。

 ――もっと早く、仲良くできたのに。

 臆病なネコミミらしい勘違い。

「サア、コノ先ニ、アル。急ゴウ」

「何があるの?」

「君ニ、今、一番必要ナ物ダヨ。コノ先、ココヲ抜ケタ場所――」

 ズガガガ――――ッ! 落雷がゴーストを貫き、彼の不確かな白い体が引き裂かれ、消滅していく。

 ウナナは瞳を見開き、刹那、何が起きたか解からず、茫然とした。その一瞬の後、一つの答えだけには辿り着き、唇を震わせる。

 ――オマワリサンが消えちゃう。

 轟音が響き渡る中、幼い心が負った衝撃で声も出せない。

「あ……、あ、あぐ……、オ……マワリサン、ああ、あ――――――――ッ!」

 ついさっきまで前にいた。寂しくないように語りかけてくれて、優しさを与えてくれていた。

 なのに――、

 消えちゃった。

 呼吸困難に陥って膝をつく。

「オ嬢チャン、落チ着イテ……」

 ゴーストらが集まってくる。心配そうにウナナの周りを飛ぶのだが、触れる事はできなかった。

 ゆっくりと空から降りてくる者がある。

「まったく、手を焼かせてくれる」

 漆黒の肌に尖った耳。ダークエルフだった。

「お前以外のネコミミはもう全て我が主の下へと転送した。魔法で、広大な荒野と五つの山を越えた向こう。誰に助けを求めようとしていたかは知らぬが、もう遅い。無駄な足掻きは止めてはくれないか」

 胸を両手でぎゅっと押さえながら、ウナナは慟哭する。

 ダークエルフの言葉など聞いちゃいない。感じている悲しみに心が壊れてしまはないように泣くだけが精一杯だった。

 ニャー、ニャー、ニャー、ニャー……。

「ええい、五月蝿い! 泣き止まぬなら、いっそ叩き潰してしまおうか」

 森の地に立ったダークエルフの呼び声に、オーガが、サイプロクスが集まってくる。

「今のうちにたっぷり調教してやる。言う事を聞かないとどうなるか」

 巨体が迫っても、ウナナは動かなかった。

 ゴーストは確かに人間が肉体を失った、言わば既に死んだ者。だがウナナはお話しもして、短い間ではあるが、心細い彼女の傍にいてくれた確かな存在だった。

 生物と同一で、温かな心があり、意思の疎通ができる。

 だからオマワリサンは殺されたのだと思った。

 散々辛い目にも会ってきたウナナであったが、心を通わせた存在が目の前で殺されたのは初めて。

 こんなに辛くて悲しい事はなかった。

 オーガの棍棒がウナナに狙いをつける。

「立ッテ、オ嬢チャン!」

 ゴースト達が叫ぶ。

 理不尽な暴力にさらされようとする小さなネコミミを見て、彼らは何もしないではいられない。

 元自衛官がオーガの眼前に立ちはだかる。視界を覆われ、放たれた棍棒はウナナから外れた。

 地が激しく揺れて、衝撃に小さな体は飛ばされる。

 ウナナはやっと泣き止み、振り返った。

 多くのゴースト達が、巨体のモンスターらの周りを飛び、その鬱陶しさに奴らは闇雲に暴れた。

 ――ゴーストさん達……。

 ネコミミの仲間だけでなく、彼らも自分を守る為に必死になってくれている。

「サア、今ノウチ、オ嬢チャン、コッチヨ」

 看護師をしていたというゴーストのお姉さんが道を示す。

 立ち上がったウナナは彼女の先導について走った。

「ちっ、たかが思念体が……」

 苛立ちを隠さないダークエルフは、ゴーストに向けて雷撃の呪文を放つ。

 爆音が轟くごとに、ゴーストの断末魔が聞こえた。

 ウナナが振り返りそうになると、

「駄目ヨ、前ダケヲ見テ、走ルノ」

 看護師のゴーストがそう強く言う。

 幼いネコミミはまた泣きそうになるのを食い縛った。

「ソウ、貴女ハ聡明ネ。何ノ為ニ、私達ガ、頑張ッテイルカヲ理解シテイル。モウ少シヨ。ホラ、アソコ……」

 日が完全に落ちて、一筋の月光が照らす、この森で一番古いおじいさんの大樹が見えた。

「何があるの?」

 それはネコミミの大きな耳でしか聞こえない。

「何処にあるの?」

 それはネコミミの澄んだ瞳にしか見えない。

 大樹の根元にやってきたウナナは、耳を澄まし、瞳を凝らした。

 早く、早く見つけなきゃ……。

「焦ッテハ駄目……、集中シテ」

 風の流れ、揺らされる枝葉の音に混ざる呼び声――こっちだよ。

 夜の冷たさに、一滴だけの暖かさを与える月明かりに、僅かに光る。

 あった!

 鼓動が鳴る。それが、憧れ、求め続けた物である確信を抱き、ウナナは大樹によじ登っていく。

 枝に引っかかり、葉の陰に見え隠れするそれを目指して。

 爪を立て、幹に引っかけ、腕を上へ上へと伸ばし、滑りそうになっても踏ん張り、諦めず、登った。

「頑張レ、頑張レ、モウ少シヨ」

 突風に煽られ、服が引っかかり、破れ、でも登る。

 諦めなかったから、それは直ぐ目の前にあった。

 もう幾ばくの力も残っていなかったが、ウナナは振り絞った。

 ニャ――――ッ!

 掴んだ。

 その瞬間に落下する。

 しかし風が舞う。舞ったつむじが落葉を集め、ウナナの背中を守った。

 バサッ……、落葉のクッションの上に落ちたウナナ。痛みはなく、ただ驚きで暫し放心する。

「ウニャ……、生きてる?」

 確かめるように手にしっかりと握った物を見た。

 それは五つの宝石が付いたペンダントのネックレス。

 白い宝石は力強さを感じさせ、金色の宝石は守りの安心感があり、紅い宝石は魔力が溢れ、濃紺の宝石は勇気をくれる。そして黒い宝石からは慈愛の想いが溢れてきていた。

 ――キラキラして、綺麗……。

 さあ、落とさぬよう、無くさぬよう、首におかけ。

 そう聞こえて、ウナナは言われるようにした。ほんのりと温かい。

 立ち上がり、喜びの笑顔と共に振り返った。

「お姉さん、ほら、取ってこれたよ――」

 見守っていてくれていた存在は、白い塵として煙のように消えようとしていた。

「おね……さん……?」

 消えた。

 表情が固まる。何が起こったのか、思考の前に感情が理解し、

 ニャぁアァぁあああぁ――――ぁ!

 辛い。辛い。辛い。

 誰もいなくなった。皆、消えて――消されてしまった。

 代わって現れたのは、ダークエルフ。その後ろにオーガとサイクロプスが続いてくる。

「今のが最後の思念体か。ふん、ネコミミなんかに肩入れするからだ」

「……どうして……、お姉さん、最後に笑っていたんだよ。良かったねって、言ってくれたんだよ。とっても優しかったのに、どうして……」

「はん、死者が消えて何を憤る。ああ、本当に、こいつらは面倒臭い」

 支配下にある魔物らをその場に留め、ダークエルフが近付いてくる。

「主の命令だから一匹も殺さないようにしてやったが、お前のように直ぐにビービー泣く奴は、大して役に立つまい。いいよな、一匹ぐらい。嬲り殺したって」

 ダークエルフの翳す掌の周りを邪悪な精霊が飛び交う。

「いいだろ、お前のせいで、思念体どもは消えたんだからな」

 また泣き喚きそうになるのを堪えた。ペンダントの温もりが、鼓舞していてくれたから。

「お、お前が殺したんだ」

 もう逃げ場はない。けど命乞いなんてしない。

 瞳に涙を溜め込みながら、ダークエルフを睨んだ。

「気に入らない。だから……まずは腕を切り刻んで、お前の仲間達に届けてやる!」

 ウナナは瞳をぎゅっと閉じ、唇を噛み締める。その瞬間、命の灯火が消えるその時まで、アイツの喜ぶように泣き叫んでやらないように。

 ――王様、ウナナは頑張ったよ。死んだら、ファミリアに、王国に行けるかな?

 強くペンダントを握り締めた。

 無垢な幼い魂の決意は無惨に散るのか?

 純粋な想いは決して誰にも届かぬのか?

 いな、断じて違う!

 黒い宝石が輝くと同時にウナナの前に青白い魔法陣が現われた。

 軋む空間。強大な力の奔流。渦巻く超絶な魔力にダークエルフが戦慄する。

 天空から轟き、地の底から咆哮があがり、魔法陣の中心に光と影が揺らめいた。

 彼が出現する。

 旋風が割れて、霧散し、森が静けさを取り戻したその時、その者は立っていた。

 ウナナはドキンと鼓動が鳴るのを聞いて、ポーと彼を見つめる。

「おう……さま……」

 無意識に呟き出た。

 その男は人間だった。

 その男は大して立派な服を着ていたわけではない。灰色のシャツにデニムを穿いている。

 その男は黒い髪をして、少し無精髭を生やしていた。

 その男はそれほど逞しくはない。

 だけど、

 安心した。温かく思えた。嬉しくなった。

「ここは……」

 魔法陣から現われた男は辺りを見て、小さなネコミミの存在に気付く。

「王様……ですか?」

 男は微笑み、ウナナに近寄ると優しく頭を撫でた。

「ああ、そうだよ。俺の可愛い娘の一匹。君がそれを見つけたんだね。そのギフトを」

 ウナナはまたも泣いてしまった。だけども、これは嬉しくて、感激して、その涙だ。

「おうざまぁ――、王様、王様ぁぁ……」

 王様がぎゅっと抱き締めてくれる。抱き続けた想いを口にしたくても、言葉が出てこなかった。

 それでも王様はウナナの泣き声だけで、どんな辛い目に会ったのかを察する。

「キサマ……、何なんだ、突然現れて」

 ダークエルフの苛立ちの声。

 王は立ち上がる。

「るせぞ、ゴミ」

 ウナナに見せた慈愛とは真逆の修羅の表情をして、王は傷付いたネコミミを庇うように前に歩む。

 その人間にダークエルフはたじろぐ。

「たかが人間一人が現れたところで……、潰せ!」

 オーガとサイクロプスが一斉に飛び出してきた。

 人間は脆弱だ。

 ――でも、王様だもの。

 小さなネコミミが憧れた王は、彼女の信じる通りの存在。

 降り下ろされる棍棒。

 王の右手はそれを砕き、放たれた衝撃が同時にオーガの上半身を粉々に破壊した。

 サイクロプスの拳が叩き付けられると、左手で捕らえて、何倍もの差も関係なく、腐ったトマトのように握り潰した。

 悠々と、不敵に、静かに怒りを膨れ上がらせ、王は前に進む。

 それはウナナが夢に見た強い王様の姿そのものだった。迫害されるネコミミを救う私達の救世主。

 のたうつサイクロプスと尻込みする残ったオーガらに向けて、王は右手を翳す。

 理解を超えた絶大な力が迸り、シャツの袖か弾けた。

 現れたのは禍々しい赤黒い腕。

「何だ――ッ、それは?!」

 ダークエルフが驚愕を叫ぶ。

 紅蓮の炎が王の右腕を包み、

「焼き尽くせ、ムスペルヘイムフレイム!」

 対象とされた悪鬼らの足下と頭上に魔法陣が描かれ、立ち上る灼熱と雪崩れ落ちてくる炎が挟み込んだ。

 断末魔の叫びすら燃やし尽くし、一瞬で気体に変えてしまう。

 呆然とその場にダークエルフはへたりこむ。

「あり得ない……、何で……、何で、何で、何でだ! だって、お前のその腕はっ」

「んっ、ああ、これか……。こいつは、俺の伴侶が、何処からか奪い、失った右腕の代わりにしたものだ」

「奪った? 奪っただと。では、お前の伴侶とかいうものが、あ、あの方を……」

 答えてやる必要もなく、無駄な事なので、王はまた一歩、ダークエルフへと近寄った。

「ヒイ……」

「簡単に死ねると思うなよ、ダークエルフの邪悪な魔法使い。散々苦しんでから逝け」

 王様が一度ウナナに振り返る。優しげで少し寂しそうな表情で、見てはいけないよ、そう呟くように言った。



 瞳を瞑り、耳を両手で覆った状態で、ウナナは大樹の根元で膝を折って踞っていた。

 肩にそっと手を置かれる。

 瞳を開き振り返ると王様が微笑んでいた。

 あの怖いダークエルフは、もう何処にもいない。

 幼いながらも、王様が何をしたかは聞かない方が良いと察し、まずは立ち上がろうとする。

 が、安心したせいか、もう全く力が入らなくてよろけてしまう。

 そんなウナナを王様は抱き抱えた。

「はにゃ⁉ お、王様……」

「無理をしなくていい。俺なんかで良ければ、寄りかかっておいで」

 揺りかごのような心地好さを感じ甘えてしまう。

「さて、まずは君の名前から聞かせてはくれないか? それから、何があったのか? 辛くて答えられないなら無理をしなくてもいい」

 ウナナは名乗り、自分が覚えている範囲の全てを語った。途中で何度か泣きそうになっても、王様には知ってもらいたくて、堪えて言葉を紡いでいく。

 王様は優しげな表情のまま、頷き続け、しっかりと最後まで聞いてくれたのだ。

「ウナナ、本当によく頑張った。だけどよく聞いてくれ。君が本当に越えなくてはならない試練はこれからなんだ。ウナナ、君が見つけたギフトは、王国最強の六つの力を一時的に召喚するものだ。それも、六つを一度ずつだけ。俺は、あと何時間かすると元いた場所に強制的に戻されてしまう」

「王様……いなくなっちゃうの?」

 ウナナの心細そうな声に王様の腕に微かに力が入った。

「ウナナを一匹ぼっちにしてしまう。だけど、信じてくれ、そのギフトが必ず君の導き、王国に辿り着かせてくれると。いいかい、ギフトは君一人の力ではどうしようもない事態の時だけ発動する。それをよく覚えておくんだ」

 頷きながらも、自分なんかに何ができるのか不安な表情をしてしまう。

「君達ネコミミは自分達は弱いと思っているだろう。だが、それは、ネコミミを利用しようとする存在に騙されているだけだ。違うんだ。ネコミミは強い」

「私達が強い?」

「ああ、ほんの少し勇気を出すだけで、きっと変わる。見てごらん」

 見上げたそこにはギフトを見つけた大樹の枝があった。

「あんな高さに普通の人間は登れない。空を飛べない多くの種族が無理だろう。だが君は登りきった」

 あんなに高い場所だったのかとウナナは今やっと思い知った。

 それが勇気と力の証明。

「ウナナ、俺と自分を信じられるかい?」

 小さなネコミミは力強く頷いた。

 王様はウナナを抱いて歩く。

 森を踏み締め、元いた場所に戻されてここから消えてしまう前に、少しでも愛し子の助けになるようにと。

 やがて、夜が明けるかという頃、一匹と一人は森を抜けた。

「さあ、ウナナ、ここからは君の足で歩かなくてはならない。待っている。あの地で。ファミリア、ネコミミの王国で」

 王様の姿が揺らぎ、薄らいでいく。

「王様っ!」

 もう手を伸ばしても触れられなかった。

 行かないで、そう叫びたい。

 一匹にしないで、そう哀願したい。

 だが、ほんの少し勇気を出そう。

「行くよ。私、必ず王様のいるネコミミ王国へ!」

 一陣の風に瞳を閉じた一瞬の後、王様の姿は完全に消えていた。

 ウナナは零れそうな涙を拭い、朝日が照らしていく、眼前に広がった荒野を見据える。

 踏み出さなければ夢の場所には到達できない。

 ウナナは遥かな道程への一歩を開始した。

読んでいただいた皆様、本当にありがとうございます。

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