最後通牒ゲーム
青山散華はこの街の学校に転入して、まだ二週間の生徒だった。
気丈な性格が災いしてか、友達が出来ず、ひとりぼっちの学園生活を送っていた。
そんなある日、散華がスマートフォンを使ってゲームをしていると、不意に声を掛けられた。
「そのゲーム、俺もやってるんだ。あっと……ごめん。俺の名前は橘夕治と言うんだけど、けっして盗み見をしたわけじゃなくてさ。チラッと見えたから気になって……」
声の主は夕治だった。急に会話を持たれて戸惑う散華だったが、話す時間が長くなるにつれて次第に打ち解けていった。
バーチャル取引ゲーム――このゲームの特徴として、日記サイトと連動して自分の投資ランキングが世間に晒される点にある。
数々の投資の猛者が、株価が騰がりそうな企業を予想して、日記に書き込む場合がある。散華もまた、日記サイトに騰落が激しそうな銘柄を常日頃書き込んでいた。
最初はこのゲームが流行っているという理由でやり始めただけだった。だが、ランキングが上がるにつれ日記が注目されると、どんどんと返信レスが増えていくのを見て、散華は日増しに強くゲームにのめりこんでいった。
身近に自分と同じゲームをやっている人がいたので、親近感を募らせる散華。
しかし、競い合うゲームで自分より上位にいる夕治が許せなかった。
いつしか啀み合い、互いにランキングが近い位置にいるということもあり、対戦することになったのだ。
たかがゲーム。されどゲーム。
もし夕治との勝負で負けたら、今まで取引で培ったバーチャル資産の半分が奪われる。
散華にとって、それは死の宣告――ネットでの地位が全て無くなるに等しい。
友達がいない散華には、それが痛手だった。
でも自分には必勝法がある。だから絶対に負けるわけがない。
今まで隠れんぼで負けたことが無かった散華にとって、それが奢りとなり足枷となった。
そして今現状、こうなることを予想していなかったのだろう。
散華は、夕治の行動に焦っていた。
二階の右奥にある一室。そこにある暖炉の奥に散華は潜んでいる。
耳につけてあるイヤホンマイクからの情報で、夕治が他の部屋には行っていないことを、使用人から聞かされていた。
夕治はこの場所だけに来て「散華はこの部屋に居る」と言い残していった。
相手がどういう方法で部屋を特定したのかは分からないが、使用人が言っている情報が確かならば、もう一度この場所に来るだろう。
それに夕治は一階の玉座から一向に動こうとしないと聞く。
なにか企んでいるかもしれないが、いずれにせよ決断するなら早いに越したことはないはずだ。
「何なのよ本当に……どうして分かったのよ」
まさか雇ったメイドに、スパイでも居たのだろうか。
疑念を抱く散華だったが、今ここで身を隠す魔法を使ったとしても、勝負に勝った気がしない。
この世には魔法という概念が存在する。
青山散華もまた、魔法が使える生徒だった。
魔法という概念。
科学者たちが編み出した技術は、血液型によって管理される。
A型RH+なら炎、RH-なら水などさまざまな魔法があり、それぞれ全て血液型によって使える魔法が決められていて、それ以外の特性は使えない性質を持っていた。
散華の血液型はAB型RH-。日本で約二千人に一人の血液型だ。
そして彼女の属性は――闇。
魔法を使って姿を消すことが出来る、まさにこの勝負にうってつけの特性だった。
自身の得意魔法で身を隠すのが、この現状を打破するのに最適だろう。
もちろん最初は散華もそうするつもりだった。
しかし――即座に発見された上に、見逃して玉座に待機されてしまっては事情が変わる。
プライドが高い散華には、そうすることが許せなかった。
かといって、この場所に居続ければ、いずれ夕治に見つかってしまう可能性が高い。
部屋に残るよりは他の部屋に移動する方が得策だろう。
そう思いつつ、散華が意を決して暖炉の奥から身を乗り出す。
そうしてゆっくりとドアを開けて廊下まで出てくると、インカムマイクから執事の声が聞こえてきた。
「お嬢様。今少年が二階へと上がりました。注意してください」
その言葉を聞いた瞬間、散華の表情が強張った。
だが、散華の今の姿はメイド服。
最善を尽くし、念のためにと擬装してあった。
サングラスとマスクを掛けて顔の特徴を消してあり、髪も全て黒髪に施してあるので、これなら夕治にもバレないはず。
そんな考えを抱きつつ、廊下を走ってくる夕治の横を平然と通りすぎようとするが、
「チェックメイトだ。青山散華!」
唐突に振り向いた夕治に肩を叩かれた。
「なっ――」
感嘆の声を漏らす散華。手を左右させ、どうして分かったのかという身振りをする。
すると夕治がため息をついて、こう言った。
「……散華は長身だから、その格好でも普通に気付くぞ」
身体的特徴までは隠し切れないほどの、見栄えのあるプロモーション。
それに金髪を覆いかぶさるために使用した長い黒髪は、メイドにしては不自然だった。
「な、なんのことでしょうか……」
あくまでしらを切り通す散華。緊張した面持ちで夕治を見る。
「サングラスで表情は見えないけどさ。声でバレバレだぞ? どうする……もう降参か?」
呆れ顔で夕治が言ってくる。こんな簡単に勝負が決まるはずではなかった。
自分が勝利することだけを念頭に置いて、その後の予定まで考えていたというのに。
このままでは面白くない。とすれば――最後の手段。
「だ――だれが一回勝負って言ったのよ! 三回勝負に決まってるでしょ!」
散華が声を荒らげ、夕治に向かって指を差す。
話の筋が通っていない一方的な弾圧。
その支離滅裂な言動に、夕治が驚いて目を瞠った。
「三回勝負。それだったらアタシが勝てるはずよ! 今のは前哨戦! そもそも、あなたが鬼だったからいけないのよ。アタシが鬼で、使用人全員を使って全力で探し出せば――」
「おいおい待て! それだと勝負にならないだろ!」
慌てふためいた夕治が言葉を返す。それを見て散華がニヤリと笑った。
「そうよ。それを二回連続ですれば、今度こそアタシの勝ちだわ!」
目前にまで見えた勝利。しかしあと一歩のところで崩された。
虚栄を張るにはいささか分が悪いが、このまま押し通すしか方策が無い。
そう思ってしきりに三回勝負を提案すると、夕治が肩をすくめて嘆息をついた。
「……分かったよ。じゃあこの勝負、引き分けでどうだ? そもそも負けたからって次は三回勝負と言うのは、どんなゲームでもルール違反だろ」
「引き分け……?」
「ああ。そのかわり、一つ条件がある。俺と一緒に――部活をやってくれないか?」
夕治がそう言うと、散華は意外そうな顔をして目をしばたたかせた。
今回の対戦で勝利した場合、夕治にずっとゲームの相手をしてもらうつもりだった。
一緒に居ても気楽に話せるし、物怖じせずに接してくれる。
そんな夕治をたった一回だけの勝負で、仲たがいにしたくはない。
だからなんとしても勝っておきたかった。
青山財閥――どんな会社でも関連しない事業は無いと言われるほどの大企業。
その経営者である散華の父親は、多忙極まりないスケジュールのせいで散華と中々接する機会が無かった。
学校が終わって、家に帰ってきても親が居ない。
屋敷に居るのは執事とメイドだけ。
執事は子供の頃から付き添っているので親身になれる存在だが、他のメイドたちとは心を通わせることはなかった。
誰もが散華を避けてきて、そして上辺だけの関係を築こうとしてきたからだ。
だが、夕治は違った。自分と一緒に何かをやろうと言ってきた。
避けられて怖がられてきた散華の人生において、誰かと共にして行動することが今までに無かったのだ。
「ん……青山、急にどうしたんだ?」
好奇の目を向けていた散華に、夕治が尋ねてくる。
初めて仲間という存在が出来たという喜び。そのせいで我を忘れていたのだ。
今まで傍若無人で、相手に敵意を剥き出しにして生きてきた。
だから自分は夕治に嫌われているだろう。今までずっとそう思っていたのに。
「……ッカで良いわよ」
「ん?」
「ほ、ほら。青山だと、親の威厳が有り過ぎるでしょ? 本来は英字でChikaなの。日本に来た時に、読み方をそのまま漢字に当てたのよ。だからその……チッカで良いわよ」
「いや……別に俺は、青山でも良いんだが……」
「――うるさいっ! あなたを仲間と認めてあげるってことよ!」
気恥ずかしげに言葉を吐く散華。
わだかまりを放出させるような、そんな思いを夕治にぶつける。
前の学校では、散華は誰とも相手をせずに心を閉ざしていた。
転入しても、またいつもと同じ毎日が来るだけ。
そう思って近寄ってくる者を常に拒み続けてきた。
でも今は違う。この街に転入してきて本当に良かったと実感する。
当たり前の日常が、変わろうとしているのを散華は予感した。
細長い廊下を練り歩き、談話室へと移動した夕治と散華。
室内には木目調の円卓があり、二人が向き合って座っている。
暖炉の奥に籠もっていた散華も正装に着替え、対面席で夕治を眺めていた。
「さっきの対戦は引き分けにしておいたから安心してくれ。その代わり、俺と部活をやってくれるって話で良いんだよな?」
「……分かったわよ。でも、なんの部活を始めるの?」
「俺はこのゲームで、どうしてもランキングの上位になって、入りたい企業があるんだよ。だから投資同好会を設立したいんだ。散華も一緒にやってくれないか?」
「良いけど……アタシは、株の知識なんて持ってないわよ?」
「へ……? それだったら、どうやってランキングの上位までのぼり詰めたんだ?」
夕治が言うと、散華が後ろを振り向く。そして執事に向かって手招きをした。
呼応するように執事が傍まで行き、夕治に向かって一礼する。
「夕治様。それは――私が教えたのでございます。その……お嬢様に株を教えようと思ったのですが、中々理解を示してくださらなくて……」
言葉を選ぶかように慎重に言う執事。
その様子を見て、散華自らが事情を説明した。
「アタシが使用人たちにゲームを登録させて……その資金を全部奪ったのよ」
このゲームの手持ちの仮想資金は、まず百万円からスタートされる。
その資金を全部使用人から奪うことで、散華はランキングを上位まで押し上げていった。
株の知識を全く持たない散華の勝利の方程式。
それを聞いて夕治が嘆息をついた。
「それって……完全にチート行為じゃないか」
「この方法だと、勝率は百パーセントだったわ。でもランキングがあがるにつれて、百万ずつコツコツ稼いだとしても、上位にあがれなくてね……。あなたはどうやって投資とか覚えたのよ? 普通は高校生で株なんて知ってる人は居ないわよ?」
「俺か? 俺はだな……」
言ってポケットからスマートフォンを取り出す夕治。
操作をして画面を散華に向けた。
「これを使って、株のトレーニングをしていたんだよ」
言われて散華が確認する。見ると画面には奇抜な衣装を着たキャラクターが並んでいた。
タイトルが書かれていて散華が今まで目にしたことが無いものが映っていた。
「……なんか女の子の絵が写ってるんだけど、何これ?」
「これは、恋愛シミュレーションゲーム。言ってみればギャルゲーというものだ。そして断言する! ギャルゲーと株は通じるものがあると!」
「……はい?」
強く主張する夕治の発言に、散華が目をしばたたかせる。
「株っていうのは言ってみれば『売ると買う』の二択だろ? ギャルゲーも選択肢で動くものなんだ。俺はこれを使ってトレーニングをして――流れというものを掴んできたっ!」
目を輝かせながら力説する夕治。どうやら本心で言っているらしい。
その発言を聞いて、散華は転校初日のことを思い出した。
「ああ……だからあなたは、アタシに声を掛けてきた時、馴れ馴れしかったのね……」
「普通はああやって声を掛けるもんだと思ったけど……違ったか?」
「いや……違うと思うけど」
なにぶんそういう経験が無いので散華も分からない。
声を掛けられたことはあるが、皆が父親という後ろ盾を恐れたり、あわよくば利用しようと目論む者ばかりで、夕治のような存在は希有だった。
「まあいっか……株の知識が無かったとしても、俺が教えれば良いだけだもんな……」
独り言のように夕治が呟く。
バックにある企業を利用しようという雰囲気でも無く、純粋に仲間を探しているだけなのだろう。
その点は特段気にしていなかったが、一つ腑に落ちないところがあった。
「でも――さっきのかくれんぼ、どうしてアタシがあの部屋にいるって分かったの?」
散華がおもむろに聞いてみる。
今回の対戦は、万全を期して臨んでいる。
散華の提案に執事が保険策を練りあげ、数回のデモンストレーションを経てようやく夕治を招き入れたというのに、あっさりと牙城が崩れてしまった。
偶然勝ったというのは考えにくかった。
すると夕治が腰をあげ、散華の傍まで寄って小声で囁いた。
「……誰にも話さないと誓うか?」
その問いに散華がコクコクと頷いて返事をする。
そしてそのまま夕治が言葉を継いだ。
「俺の血液型は……RHnull。A、B、O、ABのどの血液型にも属さない型で、日本に六人しか居ない血液型だ。そして俺の特性は――音。耳で波長を聞き分けたり、遠くの音まで聞いたりすることが出来るんだよ」
さもありなんと答える夕治。事の顛末はこうだった。
夕治の特性魔法――常人の耳には届かないほどの小さな音をとらえる能力を駆使して、散華の靴音から大体の場所を特定する。
そしてメイドたちの声を聞いて、屋敷のどの場所に来たら、散華に注意を促すのかを調べあげた。
その二つの情報を基にして、散華の居場所をありだしたというものだった。
話を聞いた散華が唐突に立ち上がり、テーブルを勢い良く叩く。
「そんなの卑怯だわ! やっぱりさっきのゲームは無効よ!」
「いや、与えられたルールに則って隠れんぼをしただけだろ。それだったら散華も魔法を使えばよかったんだし、おあいこだろ?」
「使おうと思ったわよっ! 使おうと思ったんだけど……」
指摘されて何も言い返せず、ふてくされるように散華が着座する。
要は簡単だったのだ。魔法を使えば勝っていた勝負。
それなのに夕治に玉座に待機されて、プライドを踏みにじられたと散華は思ってしまった。
まるで夕治の掌で踊らされていたかのような、そんな風に思えてきて憤りを感じてくる。
そうしてそのまま目線すら交わさずそっぽを向く散華に、夕治が進言する。
「……俺と散華の血液型は珍しいだろ? 特に投資に関して言えば、絶大な効果を発揮するはずだ。俺たち二人が居れば、どんな不可能だって可能に変わるんだ。ランキングを上げるのだって造作でも無いことだろ?」
柔和な笑みを浮かべる夕治。
その発言に、散華が唇を噛み締めながら思いを巡らす。
便利になっていく社会。
遠い昔――コンビニエンスストアなんて存在しなかったと聞く。
では、昼間働いて夜に余暇がある人は、どうやって食料を調達したのか。
携帯電話が無かった時代。
待ち合わせに遅れそうになった時、どうやって相手に伝えればよかったのか。
便利になったからと言って、何かが劇的に変わるわけではない。
無かったものが追加されるだけだ。
そしてそれは――不便ながらも、代用出来るものが必ず存在した。
だが、夕治と散華の特性。これだけは他で代用することが出来ない。
闇に姿を紛れさせること、波長を聞き分けることは、現代社会の技術でも不可能だった。
「……確かにそうかもしれないわね。でも甘く見てると怪我するわよ。夕治も知ってるでしょ? このゲームの上位の仮想資金の額。ケタがもう、アタシたちより一つも二つも違うのよ?」
眉根を寄せながら散華が反論する。
このゲームは、上位になればなるほど苛烈を極める。
上に立つためには、下位に厳しく、上位の足を引っ張らなくてはならない。
この就職難の時代。誰もが必死になって良い会社に就きたいと考えるはず。
だからこそ、犯罪まがいのことだって数多く存在するし、巻き込まれることもある。
「分かってるさ。このゲームは何でもありだ。既存市場のルールは同じでも、そこから先、法律に関わってくることは全て無視して作られてあるってことをな」
「そこまで分かってるなら、どうしてこのゲームに固執するのよ。確かに上にあがりたい気持ちはアタシも分かるわよ? でもそれは危険と隣り合わせ。普通に勉強しまくって良い会社に就く方が近道のはずでしょ?」
「いやいや……大学まで行っても就職率が六割以下の状況で、もし勉強して就職出来なかったらどうするんだ? 努力したからといって結果に結びつくとは限らないだろ?」
「それは愚者の選択よ! やって損にならないのならするべきだわ!」
「……じゃあせめて同好会の範囲なら良いだろ? 時間もそんなにかけないからさ。さっきだって一緒にやってくれると言ったじゃないか」
「たしかに言ったかもしれないけど……」
そこを突かれると立場が弱くなる。
人に時間を合わせるのが大嫌いな散華。今まで自由気ままに生きてきたのだろう。
与えられた時間は自分のためにある。限られた余暇を他人と過ごして減らしたくない。その考えを崩そうとしなかった。
ましてや負けた時の腹立たしさと相まって、興奮が冷めやらない。
約束を反故するか――押し問答を繰り返すか。
散華が照れを見せながら指を突きつける。
「あーもう! 分かったわよ! でも――二人だけの同好会なら、アタシは嫌だからね!」
怒号を浴びせるようにして言う。
これが散華の選択――口では嫌そうに言うが、結局は何かをしてみたい。
ワガママであるが故の行動だった。
夕治も頷くようにして問いを返す。
「それは大丈夫だ。俺の知り合いで、もう一人誘おうとしている相手がいるんだよ。明日にでも会って話そうと思うんだが――一緒に来ないか? 連絡もしてあるからさ」
「……どういう人よ?」
「利害が一致しているという関係かな……。俺たちと同い年だし女の子だから話しやすいと思うぞ。だから怖がる必要なんてないからさ。散華にも是非会わせたいんだよ」
多少ぎこちない笑みを見せながら夕治がしきりに促してくる。
その表情を見て散華が更に問いを返した。
「……同級生なの? それともあなたの親戚とか?」
「いや……とにかく今度会ってみたら分かるさ。夜も遅いし、続きはまた明日にしよう」
言葉を濁すように言って夕治がそのまま帰路につこうとする。
散華も怪しいと思いつつも、自分で言った手前だ。
初対面の男性に会うよりかは同世代の女子に会う方が気が楽なので、しぶしぶと了承した。
楽しかった時間が終わるにつれて寂しさが募る散華だったが、夕治を晩餐に誘うこともなく、静かに見送って今日の対戦は終了したのだった。