6話目
馬車は正面玄関の石階段の前で停まった。
ペルジーノは降りると、辺りをぐるりと見渡した。
屋敷を囲むように森が迫っている。鬱蒼としげる樹木の葉が空を遮り、筋状になった僅かな日だけが点々と屋敷を照らす。ましてや今は冬だ。辺りは一段と薄暗い。屋敷は代々伝わるものなのか石壁の間には厚い苔が生え、屋根からは大きな氷柱が何本も下がっている。蔦が好き勝手に這い回り今にも窓から中に侵入しそうだ。
荒れ放題の玄関を前にして、まるで魔女の屋敷だと口をついて出そうになるペルジーノは慌てて口をつぐむ。
「ごめんなさい、古い屋敷で驚いたでしょう?薄気味悪いかしら」
「いえ、小さい頃読んだお城を連想させて」
「あら、何の本?もしかして雪の女王?わたしね、ここが魔女の屋敷だって言われるのすごく嬉しいの。だってそう見せるためにあえて手入れしていないのよ」
夫人は楽しそうに唇を震わせて笑った。ペルジーノは「あえて」と聞き返す。
「そうよ、魔女って素敵でしょう。この外観だけで気味悪がる人たちの訪問なんてこちらからお断り。何をされてもいい、魔女に魅了されてどうしても会いたいって人だけがここには来るのよ」
夫人の幼い微笑みにペルジーノは深入りもできない。夫人は嬉しそうに身をよじる。
突然鋭い視線を感じた気がした。ペルジーノは屋敷を見上げ違和感のする方向を探した。屋敷の一番上の窓から誰かがこちらを見ている。何年も開けられていないのだろう窓には枯れた蔦が絡みついていてよく見えない。しかし人影はゆらゆらと映っている。ペルジーノは目をそらせなかった。
夫人がペルジーノの背を押した。驚いて小さく体がはねる。
「ここにいては寒いわ。中へ入りましょう」
その視線を気にしながらも、促されるままペルジーノは屋敷に入った。
すぐに屋敷の案内を夫人本人がして回った。
「ここは客室。その奥は洗面台と浴室よ。客人用だからあまり使わないように」
一階、二階とまわり、三階には奥の階段を使って上がった。
「三階はほとんど私たち家族の部屋よ。ここが私の部屋。いい、ペルジーノ。奥の階段を上ってすぐ右側が私の部屋ですからね。わかりましたね」
ベリーニ夫人は念を押す。突き当たった部屋だ、他の部屋と間違えることもなさそうだ。「分かりました」と答えるペルジーノに微笑んで、ベリーニ夫人は奥へと進み、廊下に面した一室のドアを開ける。
「そしてここがあなたの部屋。前はアンドレアのお部屋だったの」
部屋は綺麗に掃除されていた。ちょうどジョバンニと使っていたあの部屋と同じ程の広さの部屋だった。だが衣類などの生活用品は何一つなくひどく空虚な感じがした。だからこそ本が詰まっている大きな本棚が目に付いた。
「すごい、たくさんの本」
ペルジーノはここに来て初めて息を弾ませた。
「アンドレアも本が大好きだったのよ。好きに使って頂戴。でも絨毯にインクはこぼさないで、あと部屋はいつも清潔に」
「分かりました」
ペルジーノはベッドの横に荷物を下ろし、夫人を振り返った。廊下の光を逆光にした夫人の顔は笑いを噛み殺しているようなほほ笑みを浮かべていた。ペルジーノの心臓が一瞬気持ちの悪い脈をうった。今までいろんな人間の感情を推測し行動してきたペルジーノだったが、未だに夫人が何を思っているのか掴めない。
気をそらすために話題を変える。
「マドリーニャの部屋はどこなんですか」
「え」と夫人は不思議そうな顔をする。ペルジーノも少し戸惑い「マドリーニャにも挨拶したいんです、家族になるんでしょう」と説明する。
「ああ、そうね。ついていらっしゃい」
言い方が悪かったかと、少し反省をしながらペルジーノは婦人のあとについて歩いた。
上ってきた階段と反対側に突き当たるドアがあった。
夫人はドアをノックする。
「マドリーニャ、帰ったわよ。開けますよ、良いですね」
優しく甘い声で夫人はドアの向こうに話しかけた。これが母親の声なのだとペルジーノは羨ましくなる。
ドアを開けると、車椅子に座った少年がこちらを見つめていた。