4話目
ミサが終わる頃、シスタァがペルジーノに廊下に来るよう促す。廊下には司教と昨日のシスタァたちが待っていた。
「支度は出来ていますか、ペルジーノ」
「はい、司教様」
「お昼にはベリーニ夫人もやってくるそうですからね、皆にお別れは伝えたの」
にこやかに微笑むシスタァに無表情に首を振る。いつものように微笑み返す気にはなれなかった。
「別れは言うのは辛いですからね、それに急なことですから」
「皆に言うのはよしておきましょうか」
ペルジーノはまた首を振る。
「いいえ、今話します」
「あなたは生徒の中心でしたものね」
シスタァたちはそう言いながら顔を見合わせた。やり取りを黙って見ていた司教は、すいとペルジーノの傍へ寄ると彼の肩に皺のいった大きな手をのせた。その手は暖かかった。
「別れを言うのもまた、大切な試練です。皆には私が話しましょう。あなたはお別れの挨拶を」
ペルジーノは黙って頷く。
司教の合図でもう一度大聖堂の扉が開かれた。中のざわめきが外へと漏れてくる。
司教とペルジーノが祭壇に上がると静けさが戻った。
天窓からさす光が聖堂に溢れ、ステンドグラスのマリア像は輝きを増す。司教が話す声がいつもより重く木造に響くような震えを持っている。
ここはこんなにも美しい場所だっただろうか、いや、ただ自分の感傷が全てのものを美しく見せているだけなのだろうか、とペルジーノはぼんやり思い、辺りを見回した。
思った通り、マルコの顔はみるみる青ざめていった。ほかの生徒たちもざわつき始める。ジョバンニだけが静かにペルジーノを見つめていた。ペルジーノは目を伏せ、視線を避ける。
解散の合図とともに生徒たちは一斉にペルジーノを取り囲んだ。羨望と別れを惜しむ感情が入り混じった目がペルジーノにまとわりつく。
マルコは一番にその輪から飛び出し、ペルジーノの腕にしがみつく。
「ひどいよ、ひどいよ。昨日はそんなこと言ってなかったじゃないか」
「ごめんよ、マルコ」
ペルジーノは疲れていた。頭が重い。
「おい、マルコ。お前また上級生の部屋に無断に入ったんだな」
カルマはすかさずマルコに迫り胸を小突いた。マルコは青くなって口ごもる。「突然なんだね」とアールが言う。
彼はペルジーノと同じクラスで、仲が良かった。穏便に物事を済まそうとするところがペルジーノにとって安心できる性格だった。そしてジョバンニが一番嫌うタイプでもある。
「ああ、ほとんど有無を言わせずのことだった」とペルジーノは肩をすくめてみせる。アールは眉尻を下げ微笑む。
「寂しくなる」
「僕もだよ」
ペルジーノも眉を顰めながらも口元で笑ってみせる。
「ねぇ、ペルジーノ。取り消せないの。僕、ペルジーノが行っちゃうなんて嫌だ」
マルコは半分べそをかきはじめながらペルジーノの胸に飛び込んだ。ペルジーノはマルコの小さな頭に手をゆっくりのせ「ごめんよ」と呟く。
「いい加減にしろよ、マルコ」
カルマはいよいよ苛立ち始め、マルコの襟首を引っ張った。しかしマルコは頑として離れようとはしない。むしろペルジーノの腰に回した腕により力を込める。
「嫌だ、嫌だ、ペルジーノ行かないで」
マルコはとうとう泣き出した。ペルジーノはマルコの栗色の髪を静かになでてやった。頭の奥が痺れているような感覚がずっと続いている。
「遠くへ行く訳じゃない。またいつでも来れるんだから」
「嫌だぁ」
マルコは嗚咽を漏らして、くぐもった声をあげる。
マルコの頭を撫でてやりたい、でも腕がだるい。
泣きじゃくるマルコの襟首を掴み、力ずくで引き離したのはジョバンニだった。鋭くマルコを睨む。
「いい加減にしろよ、ペルジーノの服がお前の唾液で汚れるだろ」
ジョバンニはマルコの胸ぐらを掴んでカルマに投げつけた。マルコは悲鳴を上げる。カルマはマルコを受け止めジョバンニを睨む。
「おい、やり過ぎだ」
「お前が甘いんだ。やるならそこまでやれよ。つけあがらせるな」
ジョバンニはペルジーノの手を掴んで輪の中から抜き出した。生徒たちは口々に文句を言ったが、誰ひとり追いかけては来なかった。ペルジーノは抗うこともせず、歩いた。
「疲れてるならそう言えよ。無理してあいつらなんかに付き合ってやることない」
「そんなんだから君は友達ができないんだよ」
「結構だね」
ジョバンニは自分たちの寮室に戻るとペルジーノをベッドに座らせた。ペルジーノはぼんやりと時計を見る。時計は十一時半を指している。ジョバンニが「おい」と言って毛布を投げよこした。ペルジーノは毛布とジョバンニを交互に見やる。
「まだ少し時間あるんだろう、休んでおけ」
ジョバンニはそう言って引き出しから本を取り出す。そして未だ毛布を持ってぼんやりしているペルジーノを鬱陶しそうに睨んだ。
「寝ろ。お前昨日あんまり寝ていないだろ」
「知って、たの」
「当たり前だ」
ジョバンニは自分のベッドに腰を下ろし本を読み始めた。ペルジーノもそれ以上は言わず、ベッドに入ると目を閉じた。
部屋は静かだ。
下の階で生徒が笑っている声、扉が閉じられる音、廊下を走る足音とそれを注意する声、聞きなれた日常の音が遠く聞こえてくる。その中でジョバンニが本の頁をめくる音が心地よい。
「ジョバンニ」
しばらくしてペルジーノは呟く。
「何ンだ」
「なんでもない」
ペルジーノは子供じみた質問を飲み込んだ。
彼のことだ、自分が起きるまでここにいてくれる。
ペルジーノは思い直し息をついた。