しのぶちゃんの特製ナポリタン(前篇)
甘藍。
そう、甘藍だ。
ゲーアノートは、甘藍を食べている。
古都の市参事会にも籍を持つ名士であるゲーアノートが、ただひたすらに、甘藍を、だ。
酢漬けにさえ、なっていない。
一見すると、本当に、剥いたままの甘藍なのだ。
塩味の利いた海藻か何かと、ほんの少しの調味油。味付けは、それだけだった。
それなのに、何故。
「結構、病み付きになるでしょう?」
給仕の女に尋ねられて、思わずゲーアノートは頷きそうになった。
駄目だ。
こんな料理を認めることは、出来ない。
「確かに創意工夫の溢れる味ではあるがね、お嬢さん。さりとて、歴史と伝統のあるこの古都に於いて、居酒屋の出すメニューとしてはいささか手抜きであるように、私には思えるがね」
言うべきことを言いながら、ゲーアノートは片眼鏡の位置を直した。
秀でた額と鷲鼻にこの片眼鏡で、ゲーアノートはともすれば宮廷大学の教授にも見える。
が、就いている仕事はそれほど高尚なものではない。
「そうですかね、美味しければ良いと思うんですけど」
給仕の女がそう言って微笑むのを見て、ゲーアノートは小さく肩をすぼめた。
美味しければ良い、などという格式も何も無視をした発言を、よりにもよってこの自分の前でするというのは。やはり、無学な異民族の女は給仕にでもしておくのがちょうどよいとみえる。
「……それにしても、この店の主だというタイショーさんはまだお見えにならない?」
トリアエズナマというエールで喉を潤しながら、給仕に問う。
この給仕相手では、話にならない。
ゲーアノートは、この居酒屋に“仕事”に来ているのだ。
「足りない食材の買い出しですから、もう少し掛かると思いますよ? 待ってる間、何か簡単なお料理でも作りましょうか?」
「いいや、結構。この……パリパリキャベツ? という肴をもう少しだけ頂こう」
ゲーアノートの仕事は、徴税請負人という。
市参事会から仕事を請け負って税を徴収する、という仕事である。
もちろん、依頼されたそのままの額を徴収したのでは利益がない。そこでゲーアノートたち請負人は、あの手この手で納税者の粗を探し、少しでも多くの税を治めさせようとすることになる。
差額は全て、徴税請負人の懐に。
敏腕の請負人となると、依頼された額の二倍も三倍も税を集め、宮殿のような屋敷を建てる者さえいるという。
そして今日、ゲーアノートが目を付けたのがこの”居酒屋のぶ”だ。
いつの間にか営業を始めていたこの店は衛兵隊を中心に絶大な人気を誇り、稼ぎも恐らく相当の額になっていると考えられる。
上手く叩けば、結構な収入が望める案件だ。
パリパリ。
パリパリ。
パリパリ。
それにしても、止まらない。
止まらないから、次々と手が伸びる。
気にはならないが塩気はあるので、喉が渇く。
となると今度はトリアエズナマが欲しくなる、という悪循環だ。
ゲーアノートも帝国男児。エールの一杯や二杯で酔うような軟弱さではないが、流石に両の手指で数えられないジョッキを干すと、腹の方が膨れて来る。
「……そうだな。ここで少し口の中の雰囲気を変えておくのも悪くは無いな。何か、お勧めの肴はあるかね?」
「うちは全部お勧めですよ。でも、今は大将がいないから出来ないものも多いんですけど」
「ふむ、そうか」
何でも美味い、と言われると、却って判断に迷いが出て来るものだ。
腸詰めを炙って貰うか?
それとも、燻製肉と馬鈴薯を炒めるという手もある。
いや、しかし。
と考えていると、カウンターの中で何やら湯がクツクツと煮立っている。
何が始まるのかと見ていると、給仕が何かを茹で始めたではないか。
「おい、お嬢さん。……それは、何だ? 私の見立てが間違っていなければ…… 麺、に見えるのだが」
「はい、パスタですよ。私のお昼ごはんです」
「それを、貰おう」
「えぇ、でもこれ、まかないですし…… 居酒屋でパスタって、変じゃないですか?」
何故か渋る給仕の女を、ゲーアノートは怒鳴りつける。
「ここは食いものを出す店で、私は客だ!」
「ああ、はい、そうですけど」
麺。
久しく食べていなかったが、一度見てしまうとどうしても食べたくなる。
帝国でも南部出身であるゲーアノートは子ども時代、毎日のように麺を食べて育ってきたのだ。
徴税請負人として古都で成功を収めてから、実家には一度も帰っていない。
久しぶりに、故郷の味を味わう機会。これを逃す手は、なかった。
「頼む。それを、私に」
「あ、えっと、はい。それは構いませんけど…… 味付けは、こっちで決めさせて貰いますよ? 私、難しいのは出来ないんで」
「ああ、構わない。お任せしよう」
「じゃあ、ナポリタンでいきますね」