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〈鮫〉とトンカツ(後篇)

「トンカツ……」


 運ばれてきた皿を見て、〈鮫〉は唸った。

 皿の上に鎮座している料理は、一見するとシュニッツェルのように見える。シュニッツェルなら、〈鮫〉も知っている。確か仔牛の肉を木槌で叩いて薄く延ばし、油で揚げ焼きにする料理だ。とても美味しいと聞いているが、仔牛の肉など艀主や人足では滅多に口にできるものではないから、噂でしか聞いたことがあるだけだ。


「こんなに高価なものを」

「いえ、トンカツはこの店ではそれほど高価な部類に入りませんよ」


 笑って答えるラインホルトの言葉に、〈鮫〉は慌てて店を見回した。トンカツが、高い部類ではない。つまり他の料理もシュニッツェルと同じくらい高いということではないか?


 一見すると異国情緒漂うだけの居酒屋だが、ひょっとすると恐ろしく高級な店なのではないだろうか。考えてみればギルドマスターが贔屓にするような店なのだ。まさか王侯貴族御用達ということはないだろうが、豆スープの店とは比べ物にならない店なのかもしれない。


「あ、あの……やっぱり、仔牛は」

「あ、すみません。トンカツは仔牛ではなく、豚肉です。やっぱり牛の肉が食べたかったですか?」


 尋ねられて〈鮫〉は子供のようにブンブンと首を横に振った。ここは大人しくトンカツを食べよう。このギルドマスターは善意で何をするか分からない。ただでさえ大きな恩があるのに、これ以上重ねられては返し切ることができなくなる。


「さ。冷めない内に食べましょう」


 大人の掌よりも大きいトンカツはあらかじめ切り分けられている。


「このソースをつけて食べてくださいね。塩でも美味しいですよ」


 シノブが小壺から小皿にソース(ゾーセ)を取り分けてくれる。どろりとしたソースは濃厚で、微かに甘い果物の香りが感じられた。塩のミルもテーブルに置かれる。

 塩。

 艀主をしていた頃から、しばしば扱った商品だ。色のついた塩は内陸で産する岩塩だろう。海の塩と岩塩のどちらが美味いという話には〈鮫〉は関わりがなかったが、いい値段で取引されていたことは知っている。


 端の一切れをフォークで刺す。

 いい感触だ。

 ザクりとした表面とジューシーで肉厚な中身。

 食に耽溺する方ではないが、これには思わず喉が鳴った。

 削った岩塩をつけ、口に運ぶ。


 ザクッ

 何だこれは。

 豚肉なのに、甘い。脂がこんなに甘いなんて、〈鮫〉は今まで知らなかった。その旨さを、岩塩が引き立てている。


「どうですか?」

「……その、こういうものを食べるのが初めてなので、とても美味しいということをどう伝えればいいのか」


 ジョッキのラガーに口をつけながら〈鮫〉の言葉を聞いて、ラインホルトの口元が緩む。


「そういう時は、美味いって言えばいいんですよ」

「……美味い。とても、美味いです」


 次の一切れには、ソースを付けて。

 これも美味い。甘くて辛くて複雑な、とにかく美味い。


「お米も一緒に食べると美味しいですよ」


 運ばれてきたのは、白い(ライス)だ。言われるままに木匙ですくって食べる。

 瞬間、口の中に幸せが広がった。


 なんだこれは。なんなんだ。

 カツを頬張り、ライスを食べる。添えられていた細く切った甘藍(キャベツ)も食べる。

 美味い。美味い。美味い。


「いい食べっぷりです。それでこそ、〈鮫〉ですね」


 食べる〈鮫〉を見ながら、ラインホルトはトンカツでラガーを飲んでいる。ああいう食べ方もあるのか。けれども今はこの幸せを心行くまで堪能したい。

 こんな褒美に、どう報いればいいんだろうか。


「そういえば」とラインホルトが話を切り出した。

「鮫という魚は、他の魚と違って、卵ではなく、子供を産むそうです。知っていましたか?」


 最後の一切れを刺したフォークを持ったまま、〈鮫〉は首を横に振る。そんな話ははじめて聞いた。鮫という綽名を奉られたが、知っているのは獰猛で血の匂いに寄っていき、人さえも食べるということだけだ。

 卵ではなく自分と似た姿の子を産むということは、子に愛情があり、育てるということだろうか。


「〈鮫〉という名前の貴方には、獰猛に古いしきたりを食い破って貰いたいだけじゃないんです。後輩を導き育てるような、そんな幹部に育って欲しい」


 頬張っていたライスを飲み下し、ラインホルトの目を見て、しっかりと頷く。 

 ギルドマスターであるラインホルトの言いたいことが、〈鮫〉にも漸く理解できた。実際の鮫が卵を産もうが子供を生もうが関係ない。食い破る者としての〈鮫〉だけでなく、子を育てるものとしての〈鮫〉としての役割が自分には求められているのだ。


「おかわりも注文できますからね」


 シノブの言葉を聞いて、〈鮫〉は大きく頷いた。


「トンカツを、もう一人前……いや、二人前お願いします」


 はい、とタイショーが好意的な笑顔で返し、揚げ油がまた音を立てはじめる。


「トンカツの恩には、必ず報います」


 静かに、しかししっかりと宣言する〈鮫〉に、ラインホルトは優しく頷いた。





 最終的に〈鮫〉はトンカツを五枚食べ、ライスは七杯おかわりした。その日の晩は甘藍を使ったメニューはお休みになったという。


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― 新着の感想 ―
腹が減った…。よし、トンカツを探しに行こう!
[一言] 「トンカツの恩に」っていうのにちょっと笑っちゃいましたw いやそうなんだけど、合ってるんだけどぉ~ってw 面白かったです。蝉川さんの書かれるストーリーの雰囲気がとても好きです^^
[一言] 王侯貴族御用達…当たらずとも遠からず(笑)。 実際は、自国のみならず各国セレブ御用達なんだが(爆)。
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