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鼠と竜のゲーム(弐)

 注視するゲオルクに、遊び人風の男は、事も無げにベーコンの皿を差し出した。


「どうぞ。ベーコンは美味いからな」


 覇気も何もない。ゲオルクに怖れをなした風でもない。

 ただただ自然にベーコンを差し出すと、男はテンプラを注文する。


 ゲオルクは、唖然とした。

 いったい、何なのだ。拍子抜け、とはこのことだった。

 何事もなかったかのようにゴマドーフを食べる男が憎々しく思えてくる。


 目の前で美味そうに湯気を立てているベーコンが、途端に詰まらないものに見えてきた。

 せっかく手に入れたのに、手に入れただけで満足してしまう。

 ゲオルクにはよくあることだった。悪癖、と身近な人間に(そし)られることもある。

 奪うまでが大切で、奪った後のことには興味が湧かないのだ。


 肉厚でいい加減の焼き色のついたベーコンが目の前で無為に冷めていくのを見るともなしに見ていると、隣の遊び人風の男が声をかけてきた。


「人探しかい?」

「何故そう思うのかな?」


 男は視線で冷めつつあるベーコンと、温くなったラガーを示す。オトーシ、という小皿料理も、もう乾いていた。


「居酒屋に来ているのに、酒にも肴にも手を付けない。誰かを待っているにしては、辺りを見渡すときの仕草に密やかさがある」


 声音には咎めるような色はない。どちらかと言えば、面白がっている風がある。


「そうだ、と言ったら?」

「手伝いくらいならできるかもしれないな。顔は広い方だと思う」


 なるほど、確かに遊び人風の男は世間知に富んでいるように見えた。

 古都より北に位置する〝背中〟ほどの所領から出てきたばかりのゲオルクにとっては、ありがたい申し出だ。


「ではお願いしようか」


 うん、と遊び人は頷いた。口元には微笑さえ浮かべている。




「サクヌッセンブルク侯爵のアルヌ・スネッフェルスを探している」


 声を潜めて、ゲオルクは探している相手の名前を出した。

 果たして男は驚くだろうか。一笑に付すかもしれない。表情の変化を見て信頼に足るかどうかを計ろう。ゲオルクは微かな動きも見逃すまいとする。


 しかし、男の反応は予想外のものだった。


「ああ、それなら探す必要はないよ」


 男はゲオルクの方に向き直り、居住まいを正す。


「申し遅れた。私の名はアルヌ。アルヌ・スネッフェルスだ。以後、お見知り置きを」


 思わず、ゲオルクは手にしていたジョッキを取り落としそうになった。

 まさか侯爵ともあろう者が居酒屋に平服で訪れ、しかもこれほどまでに馴染んでいるとは。

 それにしても、隣の席に座っているとは、何という僥倖(ぎょうこう)だろうか。普段あまり敬虔な方ではないゲオルクでも、この幸運を神に感謝したほどだ。


「私はゲオルク。ゲオルク・フォン・ウンターベルリヒンゲンだ」


 ああ、とアルヌが頷く。

 侯爵が全ての騎士を把握しているとは思わないが、〈鼠の騎士〉の悪名を持つゲオルクの名ならどこかで耳にしたことがあるかもしれない。


「出会いを祝して乾杯でも?」


 アルヌに尋ねられ、ゲオルクは大きくかぶりを振った。


「いや、私は貴公に苦情を申し立てに来たのだ」

「苦情?」


 不思議な言葉を聞いた、という風な表情でアルヌは手に持ったジョッキに口を付ける。


「そうだ。運河の浚渫、これを取り止めて頂きたい」

「運河の浚渫を? 理由を聞かせて貰ってもいいかな?」


 調子が狂わされた。

 既に進みはじめている運河浚渫への疑問など、言下(げんか)に退けられると思っていたのだ。


「生活です」


 ゲオルクは語気を強めた。聴衆の関心を引くためだ。

 一対一の舌戦ではなく、周囲を巻き込んだ場に引きずり込む。

 これが〈鼠〉の戦い方だった。


「大河の(ほとり)にはその恩恵を受けて暮らしている者が多く暮らしている。運河が通れば、その生業(なりわい)は破壊され、貴族も農民もその生活の糧を失って路頭に迷うことになるのではありませんか」


 論難に聞こえぬように、しかし相手の逃げ場を的確に封じるように。


 ゲオルクの目的は、金だ。

 本当のことを言えば、運河が通ろうがどうなろうが関係ない。物流の中心が運河から外れようが変わるまいが、ゲオルクの領有するウンターベルリヒンゲンが貧しいことに変わりはなかった。


 だが、他の貴族は違う。

 河賊を(けしか)け、通行税を毟り取り、大河を行き交う商人から財貨を搾り取っている貴族たちには、死命を制する大問題だ。


 その貴族たちを〝代表〟して、ゲオルクが侯爵や古都市参事会と交渉する。

 大河沿いの大小諸侯は未だに運河に対して旗幟を鮮明にしていない。サクヌッセンブルク侯爵と古都市参事会、そして大商会の動きがあまりにも迅速だったからだ。

 上手くやったとゲオルクでさえ舌を巻く鮮やかさだった。


 けれども、一度ゲオルクが反対活動を焚きつければ、乗って来る貴族は必ずいる。

 今やどの貴族も内実は貧しい。厳しい財政を支えている運河の通行税が激減すれば、体面を保てなくなる家は十や二十では利かないはずだ。

 反対運動を使嗾(しそう)し、時には妨害行動に手を染め、侯爵家や市参事会から詫びの金をせしめる。


 運河を通す意思があるのなら、確実に金を払うはずだ。ゲオルクは反対の運動を代表することでその詫び金の一部を正当な報酬として手に入れる。

 金だけではなく、懐柔のために領地もついてくるかもしれない。


 人生は、奪い合いだ。

 奪えるものがあるのに奪わない奴がいるならば、代わりにゲオルクが奪ってやる。

 ゲオルクはこれまでそうやって生きてきたし、これからもそうするだろう。


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― 新着の感想 ―
[一言] アメリカの民事訴訟の弁護士かな?
[一言] 「悪党に生優しい世界」なオチだけは勘弁して欲しい。 数話使ってしっかり罪状を積み上げヘイトを収集したんだから、最後は袋叩き簀巻きで運河か竜に噛み付いた罪で絞首刑を期待します。 そういやラ…
[一言]  注視するゲオルクに、遊び人風の男は、事も無げにベーコンの皿を差し出した。 「どうぞ。ベーコンは美味いからな」 ↑ 格が違ぁう!(ノ´∀`*) 同じ店で同じ料理を食べても同じ土俵には立てない…
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