徴税請負人と少女の微笑み(後篇)
その様子を見て、ゲーアノートは憮然としている。
自分と違う注文をするヘンリエッタの自主性を重んじたいと思いつつ、ナポリタンを一緒に食べてくれないことに一抹の寂しさを感じているような、複雑な表情だ。
何を頼んだかは、わざわざ尋ねない。
そういう距離感に、何とも面白みがあった。
信之にヘンリエッタの注文を伝えると、うん、と頷く。
すぐに指示を出すと、ハンスが阿吽の呼吸で動きはじめた。
料理は手際。パスタが茹で上がるまでに他の材料の下処理を済ませてしまう。
「ゲーアノートの旦那は、最近は暇なのかい?」
他のテーブルにビールとじゃがいもの鉄板チーズ焼きを運んでいたリオンティーヌが尋ねると、ゲーアノートは片眼鏡の位置を直し、咳払いをした。
「今は冬だからな」
「冬だから?」
「稼ぎの少ない人間が多いのに、税を取り立てて回っても、無駄足になるだろう?」
そんなことも分からないのかと言いたげだが、内容には優しさがある。
冬の取り立ては無駄足になる、というところではエーファがうんうんと頷いていた。
無駄足になるからと言いながら、実際には貧しい人のことを考えてのことだろう。
「ゲーアノートさんは、優しい?」
ヘンリエッタが上目遣いに尋ねると、ゲーアノートはまた咳払いをした。
「優しいのではない。職務を遂行する上で、無駄なことはしないだけだ」
照れ隠しの言い訳にも聞こえるが、ヘンリエッタはむぅと考え込んでいる。
はじめてゲーアノートが居酒屋のぶにやって来た頃は、随分と厳しい取り立てをしていたという話だったが、随分と丸くなった。
しのぶにとっては、大切な恩人の一人だ。
「税はどうして取られるの?」
話は終わりかと思ったが、ヘンリエッタは続けて問う。
適当な返事をせず、ゲーアノートがヘンリエッタの方へ向き直った。
「税は皆のために使うものだ」
「みんなのために?」
そうだ、とゲーアノートは引き戸の方を見る。
「〈馬丁宿〉通り」の道は凸凹だが、以前はもっとひどかった。あのままでは馬が足を引っ掛けて転倒する恐れがあった。だから、市参事会は道を均して綺麗にしたんだ。費用には、古都に暮らす人々の税金が使われた」
それはしのぶもはじめて知った。
確かに道は前よりもきれいになった、という気がする。
他にも、とゲーアノートは直近の税の使い道を指折り挙げていった。
徴税請負人として、取り立ての時に税の使い道を尋ねられるのだろう。その説明には澱みなく、分かり易く、しかも丁寧だ。
「分かったかな、ヘンリエッタ」
大人しく聞いていたヘンリエッタが、次の言葉に周囲の皆は虚を突かれた。
「貴族が贅沢をするためじゃない?」
重い空気が流れる。
ヘンリエッタは幼い視線をしかし、まっすぐゲーアノートから逸らさない。
どう答えるのだろうか。
コポコポとパスタを茹でる湯の音が、耳に大きく響く。
「……そういう貴族も、いる」
お為ごかしでごまかすという方法を、ゲーアノートは選ばなかった。
「私利私欲、つまり自分とその家族のために人々から重い税金を取り立てる貴族は、いる。それも少なくない。否定のしようがない事実だ。もちろん、そういう徴税請負人も」
和やかだった店内の視線は、ゲーアノートに集中している。
「ゲーアノートさんも?」
核心を、ヘンリエッタが突いた。
ゲーアノートが二度瞬きをし、片眼鏡の位置を直す。
「私もかつてはそうだった。そうすることが当たり前だと思っていた。しかし」
そこでゲーアノートは一旦、言葉を切った。
「今はもうそんなことはしない。必要なだけ取り立て、徴税請負人として市から認められる分だけ利益を貰って生活している」
テーブル席で海鮮丼を食べていたイグナーツとカミルが頷く。
それだけでないことを、しのぶも信之も知っていた。
米を仕入れ過ぎた商会の為に手助けしたり、税について困っている人に助言をしたりと、最近のゲーアノートは徴税請負人として求められる以上に、人を助ける為に動いている。
「ゲーアノートさんは悪い徴税請負人じゃないんだ……」
ヘンリエッタは返事を聞いて、考え込んだ。
見た目相応以上に、賢い子供らしい。
いや、エーファやカミラを見る限り、こちらの世界の子供達は総じて日本の同年齢の子供よりも大人びた考え方しているようだ。
ちょっとした行動にしても、実は計算された行動だということも多い。
「さ、お待たせしました」
ちょうど、信之のナポリタンができあがった。
具は玉葱とピーマン、それにもちろん厚切りのベーコンだ。
このゲーアノートの注文も、すっかり定番になった。
もちろん、粉チーズとタバスコも一緒だ。
いつもならばここでゲーアノートはすぐにナポリタンを堪能するために集中しはじめるのだが、今日は少し様子が違った。
何故かそわそわとカウンターの調理場側を気にしている。
どうかしたのだろうかと少し考え、しのぶはすぐに理解した。
最近、ヘンリエッタもいつもナポリタンを食べている。
二人でのぶに来るときは、いつもお揃いだったのだ。
それが今日はいつもと違うものを頼んだから、気になるのだろう。
「ヘンリエッタちゃん、お待たせ」
リオンティーヌが運んできたのは、真っ赤なパスタだ。
「鱈のトマトスパゲッティ、お待たせしました」
トマトの赤に、鱈の白身がよく映えている。
ゲーアノートが怪訝そうにしのぶの方を窺ってきた。
しのぶがヘンリエッタの方を見ると、恥ずかしそうにコクンと頷く。
「ヘンリエッタちゃんは魚が食べたかったんですって」
それでも、ゲーアノートと同じようなものも食べたい。
だから、間を取って、魚を使った赤いパスタはできないか、という注文だったのだ。
「そ、そうか。なるほど……」
複雑な表情を浮かべるゲーアノートを、リオンティーヌがにやにやと笑いながら肘でつつく。
もじもじとヘンリエッタが恥ずかしそうにしながら、フォークを手に取った。
フォークを入れると鱈の身がほろりと崩れる。
幸せそうにパスタをヘンリエッタが頬張った。
ゲーアノートも、ナポリタンに舌鼓を打つ。
親子ではない二人が、親子のようにパスタを食べる。
しのぶの目には、ヘンリエッタの微笑みが眩しく映った。