徴税請負人と少女の微笑み(前篇)
「それが噂の被保護者か」
衛兵中隊長ベルトホルトが尋ねると、ゲーアノートは表情を変えずに頷いた。
衛兵として問い質すという風ではない。
しのぶの目には、興味津々な周囲の皆を代表してベルトホルトがお話を聞きに来かされたように見える。その証拠に、ベルトホルトの視線は話を聞く相手であるゲーアノートではなく、隣にちょこんと腰掛けるヘンリエッタの方に釘付けだ。
迷子として保護されたヘンリエッタは、形式上はゲーアノートの被保護者になっている。
もちろんゲーアノートが子供を育てるというわけではない。そういう一切合切は、イングリドに頼んでいる。
既にカミラが一人いるから大して変わらないという判断だ。
ただ、服やらなにやらはゲーアノートが用立てているようで、今のヘンリエッタはちょっとした貴族の令嬢にも見える。
本人に聞けば否定するだろうが、かなりの猫かわいがりだ。
わざわざ髪結いまで頼んだというのだから、相当なものだと思う。
まだ開店したばかりの居酒屋のぶには客の姿はまばらだが、皆、ヘンリエッタに注目していた。
無理もない。
今でこそ随分と人が丸くなったが、かつては血も涙もないと恐れられていた徴税請負人のゲーアノートが迷子の少女の保護者になったというのだから、話題にならないはずがなかった。
昼はイングリドとカミラと一緒に薬師の手伝いをしているヘンリエッタだが、ときどきこうしてゲーアノートと食事を摂りに来る。
家で帰りを待つヘルミーナと双子のために煮物を持ち帰りで注文しているベルトホルトと、店でばったり出会ったのは、偶然だ。
はじめは離れた席で持ち帰りの料理と晩酌の唐揚げを待っていたベルトホルトが、意を決したように近付いて来て話しかけてきたというのが、事の顛末だった。
社交辞令もそこそこに、気になっていたことを尋ねるのは実にベルトホルトらしい。
「未成年者庇護の届け出は出しているはずだが」
「それはヒエロニムスが受け取っている。律義なものだな」
「文書を扱う仕事をしているのだ。徒や疎かにはできんよ」
「まぁそりゃそうなんだが。保護者なぁ」
未成年を保護する古都の人間は結構多い。
農村の親戚の子を預かったり、兄弟姉妹の子が多過ぎたり、家を継がせる養子として育てたり。
ただ、真面目に手続きをする事はほとんどないとしのぶは聞いている。
市参事会と衛兵隊とそれぞれの町会と、あちこちに書類を提出しなければならないし、手数料も必要になるからだ。もちろん、羊皮紙もインクもただではない。
生活していて段々と分かって来たのは、古都には意外にしっかりとした文書行政が根付いているということだ。
字の書けない人のために読んで聞かせてくれる人もいるし、文字の書けない人のための代書業も何軒も店を出しているのを見かける。意外に繁盛しているようだ。
但し、重要視される書類とそれほどでもない書類があるようで、未成年者保護は後者に属する。
本当はエーファを雇用する居酒屋のぶも書類を提出しなければならないのかもしれないが、一度も注意を受けたことはない。
むしろ、必要かどうかを尋ねたら「何故?」と聞き返されてしまうほどだ。
だからこそ、ゲーアノートの届け出は珍しいことなのだということがしのぶにもよく分かる。
何事もしっかりするゲーアノートらしい。
「さ、ヘンリエッタ。衛兵中隊長のベルトホルトさんだ。挨拶して」
ゲーアノートに促され、ヘンリエッタはカウンター席から立ち上がるとちょこんとお辞儀した。
「……はじめまして、ベルトホルトさん。今後ともよろしくお願いします」
周りで様子を窺っていた酔客たちの間から「おおっ」と声が漏れる。
ヘンリエッタは無口なので、はじめて声を聞いたという客も少なくないはずだ。
「ベルトホルトさんは悪い人を捕まえる仕事をしている」
まるで実の父親のように、ゲーアノートが衛兵の仕事を説明する。
悪人を捕まえること、街を守ること、その他もろもろ。
ヘンリエッタが関心を示したのは、悪人を捕まえるというところだった。
「悪い人って、どういう人?」
「そうだな、規則を守らずに勝手なことをする人、だな」
規則を守らずに、というところで一瞬、ヘンリエッタが身を固くしたように見えたが、しのぶの気のせいだろうか。
「ヘンリエッタちゃんも悪い奴を見かけたら教えてくれよ」とベルトホルトが笑う。
こくこくと頷くヘンリエッタは小動物のようで愛らしい。
「お待たせしました! ハイボールと若鶏の唐揚げです!」
エーファがベルトホルトの唐揚げを運んでくる。
「お、待ってました」
今日の唐揚げはパセリ入り。
双子が生まれて身体に気を使いはじめたベルトホルトのための一工夫だ。
熱々の唐揚げにガブリと齧り付くのを見ていると、しのぶも思わず食べたくなる。
日中の訓練でよほどお腹が空いているのか、実に見事な食べっぷりだ。
唐揚げを齧り、そこによく冷えたハイボールをキューッと流し込む。
ザクリ、と唐揚げを齧る音も、ゴッゴッと冷えたハイボールが喉を滑り落ちていく音も、何とも耳に心地よい。
職場では〈鬼〉の中隊長、家庭では育児パパとして粉骨砕身、八面六臂の働きをしているベルトホルトにとって、のぶでのひと時は憩いなのだろう。
瞬く間に唐揚げとハイボールを平らげると、持ち帰りの風呂敷を抱えて席を立った。
「ありがとう、今日も美味しかった!」
明日の晩酌はチキンナンバンがいいな、持ち帰り料理はウナギ弁当で、とあらかじめ注文して、会計を済ませる。
こうやって先に注文をしておけば、こちらも下拵えに手間取らずにすぐ受け渡しができるというベルトホルトの時短術だ。
気が付くともう、ベルトホルトの姿は目の前になかった。
「……嵐のような男だな」
閉まった引き戸を見て、ゲーアノートが独り言つ。
「まだ麺も煮えていないというのに」
味付けはいつも通りでと信之が尋ねると、ゲーアノートは「もちろん」と答えた。
片眼鏡の徴税請負人のナポリタン好きも、堂に入ったものだ。
「ヘンリエッタちゃんはどうしますか?」
しのぶが尋ねると、ヘンリエッタが恥ずかしそうにもじもじする。
のぶに来た時はいつもナポリタンを食べているが、きっと別のものを食べたいのだろう。
口元に耳を近づけると、ヘンリエッタがぽそぽそと注文を伝えてきた。
「……分かりました!」




