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いい報告と悪い報告(後篇)

 聞いたことのない名前の酒だ。


「濃い酒を、炭酸水で割っているのよ」


 エレオノーラもナンコツのカラアゲを一つ摘まみ、ハイボールをキュッ。

 へぇと相槌を打ちながら、ラインホルトもつられて、グラスをキュッ。


 炭酸水というもの自体については聞いたことがある。東王国には炭酸水で醸した白葡萄酒もあるというが、残念ながらラインホルトはまだ実物にお目にかかったことがない。

 改めてグラスを見ると、ぷつぷつとした泡がグラスの中を漂っている。


 エールやラガーと似ているが、それよりも少し刺激が強い。

 この泡が口当たりのよい飲み口の秘密だろうか。

 居酒屋ノブには他所で見ない酒が色々ある。今更種類が増えても驚かないが、美味い酒にありつけるのは、ラインホルトとしてもありがたい。


「ハンスが仕事を覚えてきたので、新しいことに挑戦してみようかと」


 揚げ物の油を切りながら、タイショーはどこか嬉しそうだ。


「なるほどねぇ」とエレオノーラがグラスを指先で傾けて弄ぶ。

「それにしても、昼間から仕事中に飲むには少し強いお酒かもしれませんね」


 ラインホルトが指摘すると、ゴドハルトが噎せ込んだ。


「ま、まぁ、確かにそうかもしれんな」

「いいことがあるから何か飲みやすい酒をって注文したのはゴドハルト、あなたでしょう?」


 エレオノーラにも追撃を加えられ、ゴドハルトはうぅむと黙ってしまった。

 しかし、飲みやすい酒、というのは面白い切り口かもしれない。

 どうしても酒場は男性客が主体になる。

 軽い飲み口で楽しく酔えて料理によく合い、値段はそこそこ。そんな酒があれば、女も愉しめる酒場ができるかもしれない。


 これから古都は、忙しくなる。

 今は周囲の農村や都市からあぶれた人手が集まることで回っているが、都市が一回り大きくなるということは人手が足りなくなるということだ。


 必然的に、女性の活躍する場も増えてくる。

 女性も男性と同じように仕事で疲れるのだから、酒場で羽目を外したくなるのではないか。

 ラインホルトは、頭の中の帳面に、この考えを書き留めておく。

 いつかきっと、役に立つ日が来るに違いない。


「さて、待たせたね。今日の料理は揚げペリメニだよ」


 リオンティーヌが皿に盛った揚げ物をどんと三人の真ん中に置く。


「おいおい、オレたちはまだ会議中で」


 抗議するゴドハルトの目は既に揚げペリメニに釘付けだ。説得力のないことこの上ない。

 実際、後に話すべきはラインホルトの悪い知らせだけなのだから、ここで空気を換えるのは悪くない話だ。


「まぁまぁ、固いこと言いっこなしだよ。熱い内が美味しいんだからさ、早く食べておくれよ」


 これは以前に大好評を博した、ハンスのアレという料理を揚げたものだろう。

 ハンスのアレは、ラインホルトも大好物だ。

 小麦を練って薄くしたもので、豚の挽肉と野菜や香料を包み、焼く。

 たったそれだけかと思うのだが、これがまた実に美味い。


 焼いたものも美味いし、少し皮を厚手に作ったものをスープに浮かべたものも居酒屋ノブの昼の品書きとして供されることがあり、これもまた滅法美味しいのだ。

 煮てよし、焼いてよしなのだから、揚げても美味しいに違いない。


 そっとハシを伸ばしながら、ラインホルトは考える。

 ひょっとして、揚げペリメニは、ハイボールととても合うのではないか?

 はやく試してみたくなり、かぷりと揚げペリメニに齧り付く。


 パリ、じゅわり。

 カラッと上がった揚がった皮の歯触りの後に豚のひき肉の肉汁が溢れ出て……

 そこへハイボールを、キュッと呷る。


 美味い。

 シュワっとしたハイボールと一緒に口にすると、揚げペリメニの油っぽさが気にならなくなる。


 もう一口、サクリ。

 そこにハイボールを、キュッ。


 うん、いい。

 この組み合わせは、当たりだ。


 ゴドハルトもはふはふと言いながら、揚げペリメニを口の中に放り込んでいる。


「あ、こっちーはチーズが入っているのね」


 エレオノーラはエレオノーラで、チーズ入りの揚げペリメニに舌鼓を打ちながら、ハイボールのお代わりを頼んでいた。


「この軽い飲み心地が癖になるな」


 ゴドハルトがハイボールを飲みながら豪快に笑う。


「炭酸水をそのまま飲む人も多いんですよ」とシノブが透明な水の入ったグラスを持ってきた。


 ぷつぷつと泡の立つそれにラインホルトが口を付けると、なるほど、爽やかな飲み口が面白い。


「普段から飲めるようにならないかしらね」


 エレオノーラの問いに、タイショーが顎に手を当てて考え込む。


「炭酸泉といって、自然に炭酸水の湧き出る泉もあるにはあるはずですが」


 タンサンセン。

 その言葉を聞いて、ラインホルトの中で何かが繋がった。

 粘土採掘場にあるあの泉は、ひょっとすると。


 頭の中で、算盤(アバカス)の珠を弾く。

 粘土採掘場としてだけではなく、あそこに人を招くことができれば。

 トマス司祭かエトヴィン助祭に聞いて、タンサンセンについて詳しく調べなくてはならない。


 上手くすれば、莫大な予算の掛かる工事費のほんの一部だけでも、埋め合わせることができるかもしれないのだ。

 ひょっとすると、薬師のイングリドも何か知っているかもしれない。

 健康に害があれば大問題だが、逆に健康にいいということになれば、素晴らしいことになる。


 居酒屋ノブで出すくらいだから健康に心配はないが、タンサンセンが同じものとは限らないからここは慎重に調べた方がいいだろう。


「ラインホルトさん、何かおかしいのか?」


 知らず知らずの内に表情に出ていたようで、ゴドハルトが不安そうに覗き込む。


「いえ、大丈夫です」


 それならいいんだけど、とエレオノーラの口元が緩んだ。

 以前は会うたびに嫌味を言われていたものだが、変われば変わるものだ。


 たった数年。

 そう、この居酒屋ノブでウナギの話をしてから、たったの数年しか経ってない。

 それでもこれだけ、色々なことが変わっていく。


 これまでも、きっと、これからも。

 ラインホルトにとって、その変化が何よりも心地よい。

 昨日よりも今日、今日よりも明日の方がより素敵な生活が待っているというのはとても素敵だ。


「で、ラインホルトさん。何か報告はないかな?」


 いい知らせでも、悪い知らせでも、ここで共有していこう。

 ゴドハルトに促され、ラインホルトはグラスを手に取った。


「そうですね。悪い知らせがありましたが、たった今、いい知らせに変わったかもしれません」


 変わった? とゴドハルトとエレオノーラが顔を見合わせる。

 昼下がりの居酒屋ノブでの会議は、思ったよりもいい方向に進みそうだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] うなぎの時と言い、今回の炭酸泉といいラインホルトさんは持ってるなぁ。
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