ねぎまみれの日(後篇)
まだ熱い皿に気を付けながら、エーファはフォークでグラタンをすくった。
ぱくり。
「んんっ」
チーズと濃厚なホワイトソースの風味が口の中で広がる。
とろとろとした食感は幸せそのものだ。
続いて、皿の中に顔を覗かせた白ネギにフォークを伸ばす。
ちょうどいい長さに切り揃えられた白ネギは耐熱皿の底に丁寧に並べられているが、オーブンでしっかりと温められ、とろりと柔らかくなっていた。
シャク、トロッ。
白ネギの歯ごたえはそのままに、中から甘みが溢れてくる。
こんなに甘い食べ物だったのかという驚きに、エーファは思わず目を瞠った。
グラタンという料理そのものは、タイショーがクローヴィンケルに出したのを見たことがあったけれども、エーファが口にするのは、はじめてののことだ。
シャクシャクとした白ネギと、とろとろのホワイトソース。
そして、マカロニのくにくにとした食感。
エーファは口の回りが汚れるのも構わずに、フォークを動かした。
ほんの少し鳥ミンチが加えられているのも料理にコクと食べ応えを与えている。
「こいつは驚いた。白ネギってのはグラタンにしても美味しいんだね」
リオンティーヌも美味しそうに舌鼓を打ちながら、これに合う酒は何かなと呟いていた。
自分の家で採れた白ネギがこんなに美味しい料理になるなんて。
驚きながらフォークを動かしていたら、いつの間にか皿が空になってしまっていた。
煮た白ネギも焼いた白ネギも好きだが、このグラタンというのはまた格別だ。
「あの、タイショー。一つお願いがあるんですけど」
おずおずと頼むエーファに、タイショーはすぐに笑顔で答える。
「ああ、弟さんと妹さんも連れて来てくれたら、いつでも作ってあげるよ」
よかった、とエーファは安堵に胸を撫でおろす。
確かにこの料理は、まだ湯気の出ているアツアツを食べさせてあげたい。
そうこうしている内に、昼営業の時間になった。
慌ててエーファが皿を片付けていると、硝子戸が元気よく引き開けられる。
「いらっしゃいませ!」
「……らっしゃい」
矢のように入って来たのは衛兵隊のイーゴンだ。その後ろから同僚のヒエロニムスもゆっくりとついてくる。
「タイショー、シノブさん、今日のお昼は何がおすすめかな?」
何事も豪快なイーゴンがカウンターにどっかりと腰掛けながら尋ねると、タイショーが意味深な笑みを浮かべた。
「今日のおすすめは、白ネギだよ」
「白ネギ?」
隣に腰掛けたヒエロニムスと顔を見合わせるイーゴンの目の前で、揚げ油が温められる。
何でも美味しい居酒屋ノブでも白ネギがおすすめというのはどういうことだろうかという疑問が二人の顔にありありと浮かんでいた。
確かにエーファも、白ネギがあんな風にグラタンに化けるとは思ってもいなかったのだ。
きっと他にも、何か美味しい料理があるに違いない。
ジュッ。
衣を付けた鶏肉がたっぷりの油の海へ飛び込み、いい音を立てた。
カラカラカラカラ……
綺麗に揚がったところを、一度引き揚げ、もう一度。
居酒屋ノブの名物、二度揚げ。
油を切って皿に盛りつけられるのは、ワカドリノカラアゲだ。
しかしタイショーは今日のおすすめは白ネギと言ったはずでは?
エーファが顎に人差し指を当てて小首を傾げると、タイショーが白ネギを刻みはじめた。
器に白ネギと生姜、それにニンニクのみじん切りを加えて、混ぜ合わせる。
「タイショー、まさか、それを……」
イーゴンの問いに、タイショーが力強く頷いた。
それだけで美味しいこと間違いなしの揚げたてのワカドリノカラアゲに、食慾をそそる白ネギのソースを、たっぷりと掛ける。
「お待たせいたしました! 若鶏の唐揚げ、白ネギまみれです」
白ゴハンと一緒に出されるワカドリノカラアゲに、イーゴンもヒエロニムスも飛び掛かるように齧り付いた。
「美味い!」
午前の訓練で余程絞られたのか、魂の底から響くような声だ。
「この白ネギソース、生姜とニンニクもあることながら、白ネギがここまでワカドリの味を引き立てるとは…… 名脇役とはまさにこのこと」
感心しながら、ヒエロニムスもパクパクと口を動かしている。
シノブも味見をしたそうに覗き込んでいたが、ニンニクが入っているからと諦めた。
その辺りはとても真面目なのが、シノブの尊敬できるところだ。
イーゴンもヒエロニムスもよほど気に入ったらしく、すぐにお代わりを注文した。
「これはいかんな。ライスによく合う」
「危険な組み合わせですね。これだと、いくらライスがあっても足りないじゃないですか。配分を考えながら食べようにも、ハシが進み過ぎる……」
あっという間に三人前ずつを平らげる二人。
掻き込むように食べるイーゴンとヒエロニムスの気魄に、後から来た客たちも我も我もと白ネギソースのたっぷりかかったワカドリノカラアゲを注文する。
居酒屋ノブの名物であるワカドリノカラアゲに食べ慣れた白ネギが組み合わさったのが、食慾に火を点けたのだろうか。
タイショーとハンスの二人でそれなりの量を仕込みをしていたはずのワカドリがあっという間に品切れになったのは、昼営業が始まってからまだ間もない時間のことだった。
ライスも足りなくなり、慌ててハンスが追加を炊く羽目になっている。
「いやぁ、食べた食べた」
「これならまた食べたいですね」
最終的に五人前平らげたイーゴンと三人前半を胃袋に収めたヒエロニムスの二人が和やかに談笑していると、後ろでゆっくりと硝子戸が開いた。
「いらっしゃいませ!」
「……らっしゃい」
すたすたと入ってきたのは、〈鬼〉の中隊長ベルトホルトだ。
ぎくり、とイーゴンとヒエロニムスの二人が縮こまる。
「お、イーゴンにヒエロニムス。二人ともここに来ていたのか。やっぱり昼飯をノブで食べると、気合の入り方が違うからな」
二人の肩をガッシリと掴み、ベルトホルトは上機嫌だ。
「タイショー、外まで美味そうな鳥の匂いが漂って来ていたぞ。今日の午前中は妙に忙しくてな。済まないが、おすすめを大盛りで頼みたい」
にこやかに注文するベルトホルト。
シノブとタイショーは、心の底から申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。本日のおすすめはもう完売してしまいまして……」
「な、なにっ」
目に見えて落胆する、ベルトホルト。
その後ろを、イーゴンとヒエロニムスの二人はこっそりと抜け出そうとする。
「……ちなみに、今日のおすすめはなんだったんだ?」
「はい、若鶏の唐揚げ、ねぎまみれです」
ワカドリノカラアゲは、言わずと知れたベルトホルト中隊長の大好物だ。
かつてはカラアゲの味付けを巡って、ここ居酒屋ノブでニコラウスやハンスと激論を戦わせたこともある。
シノブが品名を答えたのと、イーゴンとヒエロニムスが硝子戸に到達したのは全く同時だった。
「中隊長、すみません!」
詫びながら、引き絞られた矢のように飛び出す二人。
「待てぃ、二人とも! 貴様らが犯人だな!」
しかし〈鬼〉もさる者。
まだ歳若い二人に勝るとも劣らぬ初速で駆け出すと、餓えた獣のような俊敏さで後を追う。
追うベルトホルトに、逃げる二人。
衛兵の営庭に、全力で走っていく三人を、ノブの面々はただ呆然と見送るより他にない。
その様子を見て、シノブの指示でエーファは重要な仕事を任されることになった。
白ネギの買い取りである。
仕事に送り出したはずのエーファが帰って来るなり「買えるだけの白ネギ」と注文したことに、両親は顔を見合わせ、「エーファは騙されているんではないか」と訝しんだ。
結局、白ネギは無事に居酒屋ノブに届き、ベルトホルトは夜営業で満足のいくまでワカドリノカラアゲを堪能することができた。
翌日の訓練で、イーゴンと本来会計であるはずのヒエロニムスがどれだけ絞られたかは、古都の記録には残念ながら残っていない。