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〈銀の虹の姫君〉(弐)

 鎧兜に身を固めたイーサクの下に、次々と報告が入る。


「オーバー=シュルツェン男爵殿、以下二十八名と半分、参集しました!」

「騎士シュワルツェティーゲル殿、従士と親戚、郎党衆を引き連れ、参集!」

「〈兜割り砦〉の糧秣庫より、輜重馬車が続々到着!」

「隣領のアインハント伯爵、麾下の陪臣団と共に着陣!」


 古都の近くに設けられて宿営地には、次々と兵士たちが集っている。

 サクヌッセンブルク侯爵アルヌの名で各地に飛ばした檄文に、多くの貴族たちが礼を返したという格好だ。


 父祖の代から培った信頼は、こういう時にものをいう。

 ましてや「掠奪婚から将来の花嫁を取り返す」となれば、騎士物語に憧れる多くの騎士たちが手弁当で駆け付けるのも無理はない。


 通常、侯爵であるアルヌに仕える旗手たちは年間四十日の軍役召集に無料で応える義務がある。

 けれども今回に限り、騎手の多くは契約上の軍役とは別に、無料での参集を約束してくれた。

 侯爵に恩を売る、と言えばその通りなのだが、古き良き騎士道精神の残り香といえば、そうなのかもしれない。


「イーサク様。隷下の旗手(バナーヘル)は全て揃いました」


 伝令を務める従士に御苦労と伝え、イーサクは馬上のアルヌに報告する。


「手筈は整いました。後は、侯爵閣下の下知を待つばかりです」

「即位式で呼んだばかりだというのに、迷惑をかけるな」

「殿の嫁取りに遅参したとあれば、末代までの恥ですから」


 口元だけで笑ってみせるイーサクだが、その目は全く笑っていなかった。


 掠奪婚。

 黒髪の乙女を追ったイーサクが耳にした言葉に、アルヌは激昂した。

 聞けば、〈四翼の獅子〉亭では掠奪婚の前祝いの宴を支度しているという。

 集められている客は、名うての河賊や、河賊と関わりがあるとの噂の絶えない大河沿いの貴族や騎士ばかりとなれば、黙っているわけにはいかない。


 あれは、オーサ姫だ。

 アルヌの号令一下、近隣の貴族諸氏に大動員が発令された。

 帝国成立以前からの名門貴族、サクヌッセンブルク侯爵家に臣従している貴族は少なくない。

 装備も雑多な軍勢が、隊列を組んで命令を待つ姿は壮観の一言だ。

 大市の如くに翩翻と林立する旌旗の群れに、古都の住民たちもいったい何事かと、城壁から恐々様子を窺っている。


「敵の規模は?」

「物見の報告では、〈四翼の獅子〉亭及びその周辺の宿に、最低でも一〇〇」


 ふむ、とアルヌが右手で左手の籠手を撫でた。

 数でも練度でもサクヌッセンブルク勢が圧倒的に優勢だが、戦場は、都市の中。

 敵の中心となるのは、河賊。乱戦には手慣れている。


 加えて、敵を率いる〈河賊男爵〉グロッフェン男爵と言えば、歴戦の強者だ。

〈小蜥蜴の群れも竜に率いられれば、一匹一匹が獅子に勝る〉というではないか。

 古都の住民に被害が出るようでは武門の名折れだ。

 となれば、イーサクの主であるアルヌの採る戦術は。


「若殿、掠奪婚から嫁を取り返すとは豪儀だな」


 声を掛けてきたのは、先々代からの宿老格であるオーバー=シュルツェン男爵だ。

 戦鎚片手に白髪を振り乱す姿は、悪鬼でも逃げだしそうな迫力がある。

 初代のサクヌッセンブルク侯爵と共に海を渡ってきた一族の末裔で、今は山奥に小さな領土を有していた。


「貴族とは、そういうものでしょう」


 アルヌの答えに、〈白髪悪鬼〉は呵々と豪快に笑う。


「如何にも。後備えは任されよ。侯爵殿は、望むままになされればよろしい」


 ん、と分かるか分からぬかの微かな頷きをアルヌは返した。

 イーサクには、アルヌが何を考えているのかが、それではっきりと分かる。

 侯爵たるアルヌが手を振り下ろし、軍勢が静々と古都の正門に近づいた。

 門を守る衛兵隊に向け、イーサクは朗々と語り掛ける。


「帝室の最も古き同盟者にして、最も猛き同盟者、北方の総大将、サクヌッセンブルク及び諸封土の侯爵、サクヌッセンブルク侯爵アルヌ・スネッフェルスの軍である。開門されたし!」


 しかし、門は開かない。

 城門の上に立つ衛兵中隊長〈鬼〉のベルトホルトが返答する。


「ご挨拶、傷み入る。なれどアイテーリアは帝国直轄自由都市であり、畏れ多くも皇帝陛下の許可なく軍勢を見て城門を開くこと能わず!」


 この門を通りたければ衛兵隊と一戦交えてからにせよ、とでも挑発するような口上に、イーサクは素直に感心した。

 古都の衛兵隊の規模は知っているが、有事でない今は傭兵も雇い入れていないから、侯爵軍に対抗できるはずもない。

 羽箒で撫でるが如くに一掃できる兵力しかないというのに、それでも気炎を吐いて見せる。

 並の胆力でできることではなかった。


 さて、どう返答するか。

 退くという選択肢は、イーサクの主君にはない。

 もう一度開門を促そうと腹に力を込めたイーサクを、アルヌがそっと手で制した。


「貴殿の言い分、もっともである。軍勢は、ここにて留まり、門には私と従者一人だけを入れて貰いたい」


〈鬼〉がにやりと笑った。

 イーサクの隣で、〈白髪悪鬼〉も凄惨な笑みを浮かべる。

 古都の城門が、重々しい音を立て、僅かに一人分だけ、開かれた。


「いくぞ、イーサク」


 仕えるべき主人の言葉に、イーサクは大きく頷く。


「一騎打ちで、敵の大将を倒す」


 その後どうするかは、その時に考えればいい。

 百を超える敵に、主従が二人。

 まるで、吟遊詩人の語る英雄物語の世界ではないか。


 口元が自然と笑みに歪む。

 今日は、とてもいい日だ。

 イーサクは、この主君に仕えていて、本当によかったと、思った。


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― 新着の感想 ―
敵地に大将に副官だけで行く。馬鹿の所業。だが嫌いじゃない。熱いね。
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