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怪しい女(前篇)

 声を嗄らす物売りの声が遠くに聞こえる。

 次第に暑さを増す古都だが、道行く人の影も長くなる夕暮れ時ともなれば涼しさもちょうどいい具合になり、仕事の疲れを癒すために居酒屋の連なる通りを冷やかす人の出も多い。


 居酒屋のぶもその恩恵に与り、開店直後から常連や一見客で引きも切らない忙しさだ。冬の間は煮込みのような温かい肴が喜ばれたが、今は春らしい彩りの豊かなものが好まれるらしい。

 物珍しさもあってか、しのぶは今日だけで十人前も春の山菜天ぷらの注文を受けている。


 のぶの天ぷらは特製のおろし天つゆで食べても美味しいが、塩で食べるとなおエールに合う。

 タイショー自慢の揚げ方でサクリと揚がった山菜の、微かなほろ苦さがエールの当てに最高なのだ。


「乾杯!」

「乾杯!」


 カウンターに陣取って天ぷらを肴にエールを酌み交わしているのは、衛兵隊のハンスとニコラウスだ。

 普段は陽が暮れてすっかり暗くなってからしかやって来ないのだが、ここ数日は日暮れ前のこの時間からいつもの席でわいわいと羽を伸ばしている。


「いいんですか、お二人さん。こんな早くから飲んじゃって」

「堅いことは言いっこ無しだよ、シノブちゃん。ちゃんと訓練も通常の業務も終わらせてから来てるんだからさ」

「ハンスの言う通り。オレたちは何も疚しいことはしてないぜ」


 そう言って呑気に二人がエールを飲んでいられるのも、中隊長のベルトホルトが北の港町に出掛けているからだ。

 一昨日届いた便りによれば、見合いは無事成功。結婚式を向こうで済ませてからこちらに帰ってくるとあった。

 鬼の中隊長さえいなければ、訓練もこの時間に終わるのである。


「でも、ベルトホルトさんが帰って来た時に怒られません? 弛んでるとか鈍ってるとか」

「シノブちゃん、怖いこと言わないでよ。それを考えないようにするためにオレ達ここで飲んでるんだからさ」

「さては嫌なこと言ってオレ達の飲む量を増やそうとしてるんじゃない?」


 二人の言葉には笑顔だけ返し、しのぶは店内に気を配る。

 空いたグラスやもう食べ終えた皿はないか。注文したそうにしている客はいないか。それらを瞬時に読み取って、最良のおもてなしを提供する。不満を感じさせない、寛ぎと憩いの時間の提供。


 それはもう、しのぶの癖と言ってもいいほどに身体に染みついている。

 酒を飲み笑い合う客の間を縫うように給仕するしのぶの動きは舞うようにも見えるらしい。


 馴染みの酔客にお代わりのジョッキを渡してやりながら、しのぶは妙なことに気が付いた。

 のぶには珍しい女の客なのだが、注文しているメニューがどうにも気になるのだ。


「どうしたの、シノブちゃん。アールヴにでも化かされたような顔して」

「ああ、大したことじゃないんですよ、ハンスさん」

「何だい何だいシノブちゃん。水臭いなぁ、このニコラウスお兄さんに話してみなさい」

「いや、本当に詰まらないことなんです」


 そう言ってやんわりと断っては見たものの、やはりあの女性客は妙だという気がする。商家の夫人といった服装に身を包むブロンドの髪の女性は、年の頃で言えば二十前後か。なかなか雰囲気のある美人で、それだけなら怪しいところはないように見える。

 ただ、信之と一緒に居酒屋のぶをはじめて、あんな注文の仕方をする客をしのぶは見たことがない。


「ん、あの客がどうかしたの?」


 しのぶの視線に気付いたのか、ハンスが小声で尋ねてくる。

 手に持つ箸にはフキノトウの天ぷらを挟んだままだ。よほど気に入ったのか、ハンスは山菜天ぷらの盛り合わせをもう一皿追加している。

 他のお客のことに、うんと答えるわけにもいかず、しのぶは曖昧な頷きを返した。


 ブロンドの女が頼んでいるのは、全て乾きものだ。

 スルメにナッツ、チーズなど、ほとんど手を掛けずに出せる物ばかり。

 これで酒でも飲んでいれば、肴の趣味ということで片付くのだが、店に入ってから彼女は一滴もアルコールを頼んでいない。


「怪しいな」


 ハンスの皿からワラビの天ぷらを掠め取りながらニコラウスが呟く。


「怪しいって、何がです?」

「シノブちゃんが見張ってるあの女だよ、ブロンドの。さっきから店の中の様子をこそこそと窺ってる」

「落ち着いて食事をしようっていう雰囲気じゃないよな」


 ニコラウスの串焼き盛り合わせからココロを奪い取りながら、ハンスも同意した。確かに、見れば見るほど妙だという気がしてくる。

 店内を見渡す目つきも、ただ始めて見る物が珍しいという感じではない。


「何か企んでるのかね?」

「やめろよニコラウス、企むとは穏やかじゃないな」

「そうですよ。企むって言ったって、居酒屋で何企むっていうんですか?」

「何も居酒屋で企むってわけじゃないさ。何かを調べてるってこともある」

「調べるって、何を調べるんです?」


 ニコラウスはわざとらしく辺りを見回すと、声を潜めて囁いた。


「……古都で仕入れられる補給物資さ」

「補給物資?」

「シノブちゃんは知らないかもしれないけど、結構この辺りもきな臭くなってきたんだよ」


 こごみの天ぷらを放り込みながらハンスもうんうんと頷く。


「商人にも色々と儲け方があるんだが、その中に酒保商人ってのがある」


 肉汁滴る串焼きを片手で器用に食べながら、ニコラウスが続ける。

 酒保商人というのは王侯貴族や市参事会が雇った軍隊や傭兵隊と契約し、金を貰って物資を補給する商人のことだ。

 危ない橋を渡ることも多いが、それだけに上手くすれば儲けの大きさも並大抵ではない。


「戦争が起こりそうになると、目端の利く酒保商人は予想される進撃路にある街に偵察を出して、何が安く買いつけられるか、手に入りにくいものは何か調べるっていう話だ。そうしておけば、いざ軍隊が通りかかった時に仕事がやりやすくなる」

「変なこと知ってるな、ニコラウス」

「うるせぇ。前の前の前の彼女が酒保商人の娘だったんだよ。続けるぞ」


 最近、帝国北方のいくつかの領邦が帝国の支配から離脱を考えているという噂がある。

 話自体は随分前からあるもので、いくつかの領邦が一つになろうというものだ。帝国成立前に存在した王国の形に戻るのだという。


 本当にそんなことができると考えているのはあくまでも少数派だが、外部に協力者が話は変わってくる。帝国の力を削ごうと考える隣国、東王国が裏で操っているというのはありそうな話だとニコラウスは睨んでいるらしい。


「どちらにしても、この辺りは少しきな臭い。ベルトホルト隊長も随分気にしていたが……」

「本当に酒保商人まで出てきたとなれば、単なる噂話とは訳が違うってことか、ニコラウス」


 頷きながらエールのジョッキを干すニコラウスの顔は、酔人のものから鍛え抜かれた衛兵のものへと変わっていた。

 カウンターの中に目をやると、密談する三人に不思議そうな顔を向ける信之とエーファの顔がある。


 この二人と平和に店を続けていくためにも、あの女の正体を突き止めなければならない。しのぶはそう固く決心した。

 しかし、どうやって探りを入れるべきか。

 考え込み始めたその時、ブロンドの女が手を挙げた。


「すいません、注文よろしいですか?」


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