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【閑話】〈幼王〉の密命

 ジャン=フランソワ・モーント・ド・ラ・ヴィニーは天井を見上げ、目を細めた。


 数百の諸侯の旌旗(バニアー)が王城の広間を飾り立てている。

 これらは全て、東王国王家に永久の忠誠を誓った家、そして優れた勲功を挙げた者の旗印だ。


紐帯(リアン)の間〉と呼ばれるこの広間へ立ち入ると、清冽な空気にいつも身が引き締まる。

 治天の君が家臣や陪臣と親しく接するために儲けられたこの部屋に、ジャン=フランソワが招じ入れられたことは片手の指で足りるほどしかない。


 高い足音を耳にし、ジャン=フランソワは慌てて顔を伏せた。


「〈オイル人とオック人の王と森の民の王〉、〈大陸の統治者〉、〈信仰の守護者〉たる、東王国国王、ユーグ二世陛下、御入来」


 式武官が厳かに宣言し、〈絆の玉座〉に何者かが腰を下ろす気配がする。

〈幼王〉ユーグだ。

 姿を見ずとも、身に纏う凛とした空気が英明な君主としての器を感じさせた。


(おもて)を上げよ」


 この声には聞き覚えがある。

 奇譚拾遺使(きたんしゅういし)の副長官、シャルル=アレクサンドル・ラ・クトンソン子爵だ。

 鶴のように痩せた老人で、三人いる副長官の中だけでなく、存命の奇譚拾遺使の中で最高齢。

 ユーグ陛下の曽祖父の代から仕えているという老臣である。

 はっ、と声を上げるが、恐懼して顔は伏せたまま。それが、作法だ。


「此の度は国王陛下への拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じ上げ奉ります。畏れ多くも、(しん)、ラ・ヴィニー郷のロテール・モーントの息子、ジャン=フランソワ、勅命により謹んで(まか)り越してございます」


 よし、何とか噛まずに挨拶を言上できた。

 親から授かった自分の名前よりも複雑な言葉を口にすることなど滅多にないジャン=フランソワにとって、謁見は常に緊張の連続だ。


「苦しゅうない。楽にせよ」


〈幼王〉の声がかかり、やっと姿勢を崩すことができる。

 当然、顔は伏せたままだ。


「ジャン=フランソワ。そなたに、陛下より密命が下った」


 シャルル=アレクサンドル翁の朗々とした声が広間に響く。


 密命。それも、国王陛下直々の密命だ。

 帝国より勅命で呼び戻されたのは何事かと思ったが、よもや密命とは。


 あまりの喜びに、ジャン=フランソワ・モーント・ド・ラ・ヴィニーは(むせ)び泣きを漏らしそうになった。

 奇譚拾遺使に奉職して苦節十数年。

 ついに国家の命運に関わるような重大な任務を任されるようになった、ということだ。


「か、畏まりましてございます」


 上ずりそうになる声を必死に堪え、ジャン=フランソワは辞をさらに低くした。

 うむ、と〈幼王〉の声が聞こえる。

 式武官がシャルル=アレクサンドル翁に何かを渡した。

 その手つきは、顔を伏せ、距離があっても分かるほどに慎重そのものだ。


「これを……入手させる。そう、入手させねばならない」


 含みのある言い方だった。

 届ける、ではいけないのだろうか。或いは、手渡す。

 密命というだけあって、不思議な言い回しをするものだ。


「ラ・クトンソン様、その小包の中身は……?」


 投げ掛けた不用意な質問に、シャルル=アレクサンドル・ラ・クトンソンの槍鉾のような視線がジャン=フランソワ・モーント・ド・ラ・ヴィニーを射抜いた。

 これが真剣での立ち合いであったなら、ジャン=フランソワの両肩より上は、随分と軽くなっていたに違いない。


〈知るべき者のみ、知る〉


 奇譚拾遺使の規矩(おきて)の一つだ。

 秘密の露見を最小限に抑えるため、不必要な情報は下々の者には知らされない。

 今回の一件は、それほど重要だということだ。


 少し考えて、ある考えが不意に過る。

 まさか。


 暗殺、という言葉がジャン=フランソワ・モーント・ド・ラ・ヴィニーの頭の中に反響した。

 そうであれば、荷物を扱う厳かな手つきにも納得がいく。


 あれは、〈火精(サラマンドラ)の秘薬〉に違いない。

 木炭と硫黄、それに硝石を特別な配合で混ぜ合わせると完成する、恐るべき災厄の兵器。

 それをいったい、誰に「入手させろ」というのだろうか。


「入手させるべき、相手は」


 尋ねるジャン=フランソワの声が、緊張に震える。


「……入手させるべき、相手は」


 心なしか、副長官の声音も張り詰めているようだ。

 知らず、ジャン=フランソワ・モーント・ド・ラ・ヴィニーは息を呑む。

 絞り出すような声で、シャルル=アレクサンドル翁はその名を告げた。



(さき)の王女摂政宮、帝国皇后、セレスティーヌ・ド・オイリア陛下だ」


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