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居酒屋接待の夜(前篇)

 いいことを思いついた。

 この方法なら、きっと上手くいく。

 マルコは〈四翼の獅子〉亭の前で思わず小躍りをしそうになった。


 商人であるマルコにとって、接待は大切な仕事の一つだ。

 儲けも不安定なのに危険の多い遍歴商人から足を洗い、古都にちょっとした自前の拠点を構えたばかりの今の時期は、特に一つ一つの商談に全身全霊を賭けることになる。


 接待と言っても、相手は色々だ。

 昔なじみの遍歴商人。

 付き合いの出てきた商館の商人。

 革や金物細工の職人と会うこともあれば、聖職者と晩餐の卓を共に囲むこともある。

 珍しいところでは、吟遊詩人と酒杯を交わしたこともあった。彼らの持つ情報は、重要だ。


 とは言え、一番の難物はと尋ねられれば、どの商人も口を揃えてこう言うだろう。


 貴族。


 いと貴き血を引く貴顕の方々から、素性定かならぬ胡散臭い連中まで、この国には貴族と名乗る人々が、掃いて捨ててもう一度丁寧に掃き掃除をしてもなお、有り余るだけの貴族がいる。

 帝国議会もこのことには酷く頭を痛めており、彼ら彼女らの有する領土や諸権利の継承については何度も何度も布告を出しているというのだが。


〈転がしたトリモチと貴族には、色々なものがくっ付いてくる〉なんて俚諺もあるくらいだ。

 凡百の貴族でも、何かしらの利権を持っていることはしばしばある。

 昨日の晩、マルコの接待した相手が正にそうだった。


〈百識の騎士〉ミシェル・ヴェルダン。

 東王国に名高い尚武の家系の連枝である小さな武家の当主だという触れ込みだ。


「や、マルコ。おはよう」

「おはようございます。ヴェルダン殿」


 陽も随分と高くなってから目覚めてきたミシェルに、マルコは恭しく頭を下げてみせた。

 現在は武者修行を兼ねて東王国と帝国とを行き来しているらしい。

 明るい髪を少し長めにたなびかせ、彫りの深い顔は自信に満ち溢れている。


「昨夜はよく眠れましたか?」

「食事の方はまぁあれだったが、ベッドはなかなかいい具合だったよ」


 食事。そう、食事が問題なのだ。

〈四翼の獅子〉亭と言えば古都に隠れることのない名店である。

 先ほど〈獅子の四十八皿〉を完成させたリュービクの料理は、絶品だ。


 ところが、どうにもこのミシェル・ヴェルダン氏はお気に召さなかったらしい。

 やれ、どこそこで口にした何々の方が美味かった。

 やれ、この料理は東王国の何とかいう料理にとてもよく似通っている。

 やれ、料理長の腕は優れているのかもしれないが、その周りの料理人は云々。


 相手の気分を害するわけにはいかないマルコもしどろもどろになるしかない。

 相手は王侯貴族の相手も務める一流店の店員であるから、もし気分を害していたとしても、顔に出すような真似はしなかった。だが、小市民のマルコとしては居心地の悪いことこの上ない。


 それでもこのミシェル・ヴェルダンという貴族を接待するのは、彼が権利を保有している荘園があればこそだ。

 本人は毛先ほども価値を理解していないようだが、ヴェルダンの荘園で採れた林檎から作られる林檎酒は絶品だ。

 酒には一家言あるマルコが、二日続けて買い求めたほどの出来栄えだった。


 これを、古都で売りたい。

 運河が通るにせよ通らないにせよ、これから先、古都には多くの貴顕が訪れることになる。

 彼らが求めるのは、美味い酒だ。


 エール、葡萄酒、蜂蜜酒、薯焼酎(アクアビット)に、林檎酒。

 古都ではまだ層の薄い林檎酒の販路を、しっかりと押さえておきたい。

 調べた限りでは、このミシェル・ヴェルダンさえきちんと承諾すれば、ヴェルダン家の保有する荘園の林檎酒の帝国に対する独占販売権を手に入れることは十分に可能そうだ。

 であれば、誠心誠意尽くして見せるのが商人の心意気ということになるだろう。


「で、マルコ君。今日はどんな趣向でもてなして貰えるのかな?」


 はい、ご期待に沿えるよう努力します、と答えながらも、マルコの心は既に〈馬丁宿〉通りへと向かっている。

 居酒屋ノブに、頼るしかない。

 マルコの思いついたいいこととは、それだった。





「なんだ、異国風とはいえ、単なる居酒屋ではないか」


 不満で鼻を鳴らすミシェルを、マルコが宥めすかす。

〈百識の騎士〉ミシェル・ヴェルダンは、拗ねていた。

 せっかく帝国で商人から接待を受けているというのに、あまり楽しくない。


 本当はこう、もっと珍しい食べ物が食べたいのだ。

 東王国の貴族仲間が驚くような逸品を食べ、王府に帰って自慢する。


〈四翼の獅子〉亭の料理はどれも絶品だった。

 だが残念なことに、ラ・ヴィヨン卿が社交界で宣伝したばかりの料理なのだ。

 どれもこれも美味しかったし手放しで褒めちぎりたかった。


 けれども、このままだと、ラ・ヴィヨン卿の言葉を耳にしてわざわざ古都まで食事をしに来た人みたいになってしまう。

 ここで満足してしまうと、これ以上珍しい料理が出てこないという恐れがあった。だから、敢えて難しい顔をしてやったのだ。


 それとなくチップは多めに包んでおいたのだが、〈四翼の獅子〉亭の人たちはミシェルの気持ちに気付いてくれただろうか。

 ちょっと悪いことをしたなぁと思いながら、それでもミシェルはめげない。

 東王国の王府に住む従妹に自慢できるような料理が出てくるまで、粘るつもりだ。


「いえいえ、意外とこういう店が美味いものを出すんですよ」


 ここでダメなら諦めるしかないといった風だから、付き合ってやるか、という気分になった。

 硝子戸を引き開けるマルコの表情は、まるで祈るようだ。


「いらっしゃいませ!」

「……らっしゃい」


 清潔な店内に、涼やかな空気。

 ミシェルは居酒屋の評価を改めた。

 これはひょっとすると何か美味いものを食べられるかもしれない。

 異国風の店、というのもよかった。期待が持てそうだ。


「……店主、ここでは何を食べられるのかな?」


 まずは自慢の料理を尋ねる。

 そこから、何か珍しいレパートリーを隠していそうなところを突いていこう。

〈百識の騎士〉と謳われたミシェルの、それが作戦だ。

 しかし、黒目黒髪の店主の答えは予想外のものだった。


「お好きなものを仰ってみて下さい。おつくりできるかどうかは分かりませんが、精いっぱい努力させて頂きます」


 ほほう。

 そんなつもりはないのだろうが、料理人の言葉はミシェルの耳には挑発的に響いた。

 両掌を組んで隠した口元で、にやりと笑う。

 黒髪の女給仕にエールを註文しながら、ミシェルはゆっくりと口を開いた。


「それでは、こんなものはどうだろう」


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