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金貸しの見る未来(前篇)

「何から何までありがとうな、エーファ」


 翌日の朝、エグモントは予定通りに古都を発つことになった。

 律義に礼を言うエグモントの背中には、たっぷりと荷物の入った背嚢が担がれている。

 土産と、弁当だ。


 よいものを食べ、旅塵を落としてぐっすり眠ったからだろうか。

 店を訪れた時にはいかにも見すぼらしかった漁師見習いが、信之の目から見ても今ではちょっとした網元の若衆に見える。

 赤銅色の肌も心なしか活き活きとしているようだ。

 これなら噂の〈魚島〉相手にもしっかりと立ち向かえるに違いない。


 土産と弁当を用立てたのは、エーファだ。

 路銀の乏しいエグモントの代わりに、自分の貯金からしっかりと支払った。

 弁当代は要らないと信之もしのぶも断ったのだが、払うと聞かない。


「雇う側と雇われる側でお金のところをきっちりしないと、後で大変なことになるんですから」


 エーファのこういう律義なところを、信之は気に入っている。


 舟の手配も、エーファがした。

 行きは歩きで古都までやって来たエグモントを北の港町まで送るため舟だ。

 普段から客を乗せて運航しているわけではない。

 古都への上り運航こそ荷物を満載しているが、下りは積み荷がほとんどないとラインホルトがぼやいていたのを、エーファは耳聡く憶えていたのだ。


 いつの間にかラインホルトの水運ギルド〈金柳の小舟〉に直談判し、北の港町まで行く舟に一人分の席を用意してもらったのだという。

 恐るべき手際のよさだ。


 考えてみれば当たり前のことで、舟を使えば帰りはぐっと早くなる。

 それなら両親にも会っていけばとしのぶが引き留めたのだが、エグモントは丁重に断った。

 皆までは言わなかったが、里心が付くことを恐れたのだろう。

 高校を卒業してからすぐに〈ゆきつな〉に就職した信之には、何となく分かる気がした。




「おや、皆さん連れ立ってお出かけだったかな?」


 運河の船着き場から戻ってくると、店の前にはもう客の姿がある。

 アルヌだ。

 遊び人風を装っているが、もう昔のように気品を隠し通すことはできていない。

 古都アイテーリアに隣接する広大な地域を含むサクヌッセンブルク侯爵領を父親から継承した大貴族で、のぶの常連の一人でもある。


「ハンスとリオンティーヌは中で待ってろって言ってくれたんだけどな。営業前の店に入るのも何となくね」


 肩を竦めるアルヌの横で、護衛兼腹心のイーサクが小さく頷いた。

 お忍びで居酒屋を訪れるついでに、市井の空気を堪能したいのだろう。

 執務室だけに籠っての政治は、どうしても意見が偏りがちになるものだとヨハン=グスタフという客が言っていたのを信之はぼんやりと憶えていた。


 しのぶやエーファを伴って店へ入る。

 営業の支度は既に、完全に整えられていた。

 さすがはハンスと視線で褒めると、照れ臭そうに口元だけで笑う。

 調理だけでなく、気遣いやそれ以外でも本当に成長が目覚ましい。


「それでアルヌさん、昼営業より前からいらっしゃったのは?」


 しのぶが尋ねると、アルヌが握り拳で鼻先を掻く。


「本当は予約すべきだったんだろうけど、ちょっとした話し合いに使わせてもらいたくってね」


 アルヌが言い終わるが早いか、硝子の引き戸が恐る恐る引き開けられた。


「あの、居酒屋ノブというのはこちらで?」


 覗き込んだのは人のよさそうな紳士だ。

 つるりと髭のない顔はふくよかで、血色もいい。

 灰色の髪を丁寧に撫でつけて、着ているものも庶民というにはかなり上等だ。


「こちらはザムゾン・シルバーマンさん。銀行家だ」


 銀行家、ですかとしのぶが呟くと、シルバーマンは相好を崩す。まるで揉み手をせんばかりだ。


「ええ、古都を含めたこの辺りで、困った方の手助けをしている者です」


 信之はしのぶの方へ視線を走らせた。

 しのぶと銀行家、鰻と梅干、天ぷらと西瓜。

 過去の因縁から、相性がとても悪い。


 しかしそこはさすが料亭の娘。

 いつも通りにこやかに接客するしのぶの表情に陰りはない。

 貼りついたような笑顔の銀行家とアルヌ、イーサクを、テーブル席へ案内する。


 註文は、酒精(アルコール)なし。

 簡単に摘まめるものと、湯冷ましの水でいいとのことだ。

 一献交えての気軽な商談、という風ではないらしい。


「単刀直入に申しましょう。現状では、計画の遂行は難しいですね」


 革の書類入れから羊皮紙を取り出しながら、ザムゾンは眉根を寄せてみせた。

 両手の指先で受け取った羊皮紙を弄びながら、イーサクは渋面を作る。


「そうでしょうか。計画の完成は莫大な利益を古都にもたらす。先行投資ですよ、御行も必ずや投資した分以上の利潤を回収できる」


 ザムゾンは注意深くイーサクの目を見つめた。

 冷笑、ではない。空想主義者を見つめる現実主義者のそれに近いだろうか。


「仮に……」


 湯冷ましの水に口を付けながら、ザムゾンは例え話を口にする。


「仮に、冬に雪が無くなれば実り豊かな土地になる場所があるとします。みんなそれを望むでしょう。しかし、考えてもみてください、イーサクさん。少々の金貨を積み上げてみせたところで冬の女神の吐息は温かくはなりませんよ。それと同じことです。私の知人たちも、同じように申しておりました」


 我が儘な子供を説き伏せるような口調のザムゾンの言葉に柔和な表情を浮かべてみせながら、イーサクは言葉を受ける。


「ザムゾンさん、忠告ですが、友達は選んだ方がいいですね。蛇しか棲まない洞窟に宝物を取りに行く時に、毒竜の話をする輩と親しくしていたのでは、儲け損ないますよ」


 これは何とも、と信之は顔に出さずに内心で溜め息を吐いた。

〈ゆきつな〉は格式の高い料亭だったから、こういう話もよく耳にしたものだ。

 金の話からは、意図して話から耳を逸らす。


 一意専心。

 心が揺らげば、味も揺らぐ。

 師匠である塔原の教えの一つだ。


「つまり、シルバーマンさんのところでは今後計画に出資はしない、と?」


「既にお約束している分については、契約通りに融通いたします。貸し剥がしなどしては神の御意思に反しますからね。ただ、今以上に融資の増額を、となると状況が大きく動くことがなければ、難しいでしょう」


 イーサクの口から軽い溜息が漏れる。

 話は平行線に終わったらしい。

 椅子に背を預けてそれまで沈黙を守っていたアルヌが、パッと表情を輝かせた。


「さ、シルバーマンさん、イーサク。小難しい話は終わっただろう? せっかく居酒屋に来ているんだ。酒精はともかくとして、何か美味いものを食べても罰は当たらんよな」


 身を乗り出して二人の肩を抱くアルヌに、ザムゾンもイーサクも否やとは言えない。


「タイショー、テンプラを頼む。あと何か、美味いものを見繕って!」


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