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完璧な昼ごはん(前篇)

 赤葦の間を縫うように進む舟の舳先で、何かが水音を立てた。

 魚だ。大きい。

 河でも食卓でも時々お目にかかる馴染みの顔だが、生憎とニコラウスは名前を知らなかった。

 丸々と太った身は、バターで焼くと美味そうだ。


 埒もないことを考えながら、旅装の肩に降り積む粉雪を払いニコラウスは慎重に櫂を操った。

 この辺りには、河賊(かぞく)が出る。


 賊と言っても正確には賊ではない。

 土地の貴族の黙許を受けて、通行料をせしめることを生業としている人々のことだ。商人や旅人の舟から力づくで金品を召し上げ、その一部を運上金として貴族へ献上する。


 言わば、河賊行為を金で黙認してもらっているのだ。

 しかも金を巻き上げるときの彼らの言い分は「河賊から守ってやることへの謝礼」であるというから、始末が悪い。


 以前は何度も討伐隊が編成されたというが、それも昔の話だ。

 後から後から湧いてくる河賊たちに、沿岸の貴族はついに音を上げた。

 そうなると、逆に利用しようという輩も現れる。

 今は貴族といえどもどこも家計は厳しいというから、積極的にこの河賊をけしかける家さえあるという。


 河賊の中には図々しくも貴族の家臣を自称している者までいて、商人たちも手を焼いていた。

 要求に屈し、通行札を買って舟の舳先へ掲げておけば襲われないというが、あまりにも高額だ。

 通行札を買わない舟は見せしめのように襲われるから、自然と河を遡る商人の舟はほとんどなくなってしまった。


 ニコラウスの役目は、河賊の動向を探ることだ。

 当然、水運ギルド〈鳥娘(ハルピュイア)の舟歌〉のエレオノーラの指示である。

 粉雪舞い散る中を船頭に身をやつして櫂を握っているのはそのためだった。


「船頭さん、古都はまだかしら」

「すみませんね、もう少しかかりそうです」


 ニコラウスは舟の後ろへちょこんと座った老婦人に笑顔を向ける。

 小柄で品のよいこの老婦人は、ニコラウスの知り合いではない。

 海から古都へ遡上する途中、杖を突いて一人で歩いているのを見かねて拾ったのだ。


 身なりや口調から、どこぞの貴族だろうとニコラウスは当たりを付けた。思い立って巡礼の旅にでも出たのだろうが、護衛の一人も付けないというのは、いくら何でも不用心に過ぎる。

 北方三領邦の問題が解決したとはいえ、老婦人の一人旅を推奨できるほどに平穏無事というわけではない。とりあえずの目的地を尋ねてみると、古都へ行きたいという。

 それならば、とついでに御同乗願ったという次第だ。調査任務には、老婦人を舟に乗せてはならないという申し送りはなかったから、問題はない。


 二人を乗せた舟は、ゆっくりと上流へ向かって進む。

 途中、河賊の組んだ木造の水塞をいくつか横目に通り過ぎた。

 水塞とは言っても、釣り小屋に毛の生えたような代物だが、何艘か小舟が係留されている。

 ここから河を行き交う舟を監視して、手頃な獲物を掠奪に出撃するに違いない。


 道連れができたのがよほど嬉しいのか、老婦人はニコラウス相手に色々と話しかけてくる。


「この辺りはね、ガレットが美味しいのよ」


 ガレットか、とニコラウスは呟いた。

 そう言えば久しく食べていない。

 ソバの粉を溶いて薄焼きにし、肉や野菜など色々な具材を巻いて食べるガレットは、この辺りの家庭の味だ。


 元は東王国でも西の方の食べ物だというが、物好きな貴族がソバと一緒に広めたのだという話を昔の恋人から聞いたことを思い出す。

 庶民の食べ物と見做されがちだが、ハムを巻いたガレットを林檎酒と一緒に食べるのは、なかなかに美味い。


 味を思い出すと、久しぶりに食べたくなってきた。しかし、どうしたものか。

 古都でもガレットを食べさせる店の一軒や二軒、探せば見つかるだろう。

 とは言え、今日のところは、ガレット探索はお預けだ。

 今は、一刻も早く身体を温めたい。そうとなれば、目指す店は決まっている。


「あら、古都が見えてきたわ」


 老婦人が歓声を上げた。

 揺蕩(たゆた)えど、沈まず。

 川面から見る古都の姿は、まるで大河に浮かぶ巨船のようだ。


果たしてこの船は、これからどちらへ向かうのだろうか。

 詮無きことを考えながら、ニコラウスは櫂を操り〈鳥娘の舟歌〉の差配する船着き場へと舟を滑り込ませた。




「いらっしゃいませ!」

「……らっしゃい」


 鉛色の空を避けるように飛び込んだ居酒屋ノブ。

 昼営業よりは遅く、夜営業よりは早い時間にも拘わらず、店内にはいつも通りの暖かな空気が見ている。

 いつもと違うのは、厨房に立っているのがタイショーではない、ということだった。


「や、兄さんも食べていくかい?」


 にこやかに何かの粉を溶いているのは、〈四翼の獅子〉亭のリュービクだ。

 古都で一番の宿屋の料理長がどうしてこの場にいるのかを、事情通のニコラウスはもちろん知っている。先日の晩餐会の一件で、居酒屋ノブの面々に色々と世話を焼いてもらったからだろう。


〈獅子の四十八皿〉の評判で、宿は連日超満員。

 来年の大市まで予約が埋まっているというから、大したものだ。

 その礼にノブの厨房に立とうというのだろう。このリュービク、なかなかに人がいいのかもしれない。

 お忍びなのか、侯爵であるアルヌまで何食わぬ顔でカウンターでラガーを啜っていた。


「何を食べさせてくれるんですか」


 物怖じすることなく、ニコラウスはカウンターの一席に腰を落ち着ける。

 こういう場合、尻込みしたり遠慮をしたりすると貰いが少なくなるものだ。

 受けられる厚意は何でも貰うのがニコラウスの生き方だった。


「まぁ、この辺の家庭料理をちょっとね」


 なるほど、確かに家庭料理というのはいいかもしれない。

 高級料理なら、〈四翼の獅子〉亭なり〈飛ぶ車輪〉亭なりで食べればいいのだ。

 確かに、家庭料理を味わう機会というのはなかなかないだろう。


「ちょうど、ガレットなんかが食べたかったところなんですよ」


 ニコラウスのガレット、という言葉に、リュービクがにやりとする。鎌をかけたのが大正解というところだろうか。

 食べたいと思った時に、食べたいものにありつける。

 これぞ、完璧な昼ごはんというものだ。


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