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ベルトホルトvs烏賊、居酒屋の大決闘(前篇)

 春の女神は足が速い、と古都の古い諺にある。

 長い冬を終えて緑が芽吹くと女神は足早に帝国全土を駆け巡り、凍てついた大地に春の恵みと心地良い暖かさをもたらすのだという。


 古くからこの地で崇められる女神は同時に恋の女神でもあり、教会の威徳が大地を照らす以前から、春は人々にとって恋の季節であった。

 だが、そんな季節であるにも拘らず、盛大に溜め息を吐く男が一人。


「つまり、烏賊なんだよ」

「烏賊ですか」

「烏賊ねぇ」


 開店前の居酒屋ノブに無理矢理上り込んで大ジョッキを片手に管を巻いているのは古都の衛兵隊の中隊長、ベルトホルトだ。

 傭兵出身の強者で、同格の中隊長の中でも部下の練度が高いことで知られている。


 鍛え上げられた肉体は引き締まり、均整の取れた顔立ちということもあって女性から密かに想いを寄せられることも多い。

 そのベルトホルトを悩ませているのが、烏賊だった。


「でもベルトホルトさんが好き嫌いだなんて、ちょっと意外ですね」


 カウンターに炙ったスルメのゲソを置きながらシノブが不思議そうに首を傾げた。基本的に居酒屋ノブでは何も残さないというのがベルトホルトの印象だ。ベルトホルトも、烏賊だけは食べなくて良いように細心の注意を払って注文するようにしている。


「烏賊は駄目なんだよ、烏賊だけは」


 情けない声を出しながら、ベルトホルトはトリアエズナマを呷る。

 出されたゲソを箸で摘まみ口の前まで持って行くがやっぱり皿に戻した。

 味でも臭いでも見た目でもなく、烏賊であることが駄目なのだ。


「それが急にどうして烏賊を食べなきゃならない何てことに?」


 タイショーの問いかけに、歴戦の中隊長は小さく項垂れた。


「……お見合いに、烏賊が出るんだ」


 ベルトホルトは男盛りの三十二歳。

 傭兵出身ということもあって同僚の中隊長と比べても少し年が上だが、結婚の相手は探せば山のようにいる。

 そのベルトホルトがわざわざ見合いをする相手というのは、まだ十六歳の少女であった。


「見合いという形になってはいるが、知らない相手という訳でもないんだ。オレの親戚の娘さんでな。これが滅法良い女なんだよ」

「十六歳ってことは…… ベルトホルトさんの半分ってことじゃない? エーファちゃんとほとんど変わらないんじゃ……」

「この辺りじゃそれくらいの年の差婚は当たり前。三倍近く離れたカップルも知ってるぜ」


 シノブの野暮なつっこみにベルトホルトはジョッキを傾けながら答える。

 古都を含む帝国北部では男が一人前を認められるのが遅く、自然と適齢期が遅くなる。そのせいもあって、伝統的に年の差婚が多いのだ。

 中には二歳児と婚約したという豪の者もいるが、さすがにそれは例外中の例外である。


「お見合い相手っていうのがオレの一番上の姉の旦那の妹の嫁ぎ先の末の娘さんなんだ。これがもう、気立てが良くて可愛くてなぁ」

「いいじゃないですか。ベルトホルトさん、さてはぞっこんですね?」

「分かるかい、シノブちゃん。お見合いが上手くいったら彼女をこっちに読んで、小さな家で二人で暮らすんだよ。実はもう、家の目星も付けてある」

「それでどうして烏賊が出てくるんです?」


 空気を読まないシノブの問いに、ベルトホルトの血の気は一気に引き、顔色が烏賊のように真っ白になる。


「……その娘の父親っていうのが、街一番の烏賊漁師だからだよ」


 ほとんど消え入りそうな声で答えると、ベルトホルトはもう一度箸でゲソを摘まみ上げる。だが、口に運ぶまでには至らない。


「ああ、それはお見合いで出ちゃうでしょうね……」

「出るだろうな、絶対」

「二人もそう思うだろ? だからオレは烏賊を克服しないと駄目なんだ」

「うちのお店で協力できることなら協力しますよ。エーファちゃんのこともお世話になってますし」


 まだ出勤していないが、この店の皿洗いとして雇われているエーファという娘は古都の外壁近くから通っている。

 居酒屋ノブが夜遅くまでやっているということもあり、ベルトホルトの肝いりで帰りだけ、衛兵隊の誰かがエーファを家まで送って行ってやることになっていた。


「何、警邏のルートがたまたまそうなっているってだけだから」

「でも助かります。親御さんから預かっているエーファちゃんにもしものことがあったら大変ですから」

「そういう雇い主ばかりなら衛兵の仕事もちっとは減るんだろうけどね」


 実際にはエーファを送り届けるのを口実に、ハンスやニコラウス辺りの若手が自主的にやっているようなものである。

 やる気の溢れる若者がそう言っているのだから、上司としてわざわざ止める理由もなかった。


 何故か一度、隣の教会のエトヴィン助祭までがエーファを送りに居酒屋ノブへいくと言い出した時にはさすがのベルトホルトも止めたのだが、未だに理由は分からない。断食の日で暇だったのだろうか。


「とにかくベルトホルトさん、色々と烏賊料理を用意しておきますから、営業時間にまた覗いてみてください」

「ああ、開店前に悪かったシノブちゃん。タイショーも邪魔したね。また夜にでも顔を出すよ」

「いえいえ、困った時はお互い様ですから。また来てくださいね」


 そう言って店を出たベルトホルトはまだ知らなかった。

 昨日タイショーが仕入れに失敗し、今日の居酒屋ノブには大量の烏賊が待ち構えているということを……


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― 新着の感想 ―
[一言] お見合いが上手くいったら彼女をこっちに読んで、小さな家で二人で暮らすんだよ。 呼んでかな?
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