新人衛兵とまかないチャーハン(後篇)
「どういうことだ?」
顎で静かにイーゴンが指し示す方には、リオンティーヌがいる。
今でこそ女給仕に収まっているが、かつてベルトホルトと戦場で剣を交えたこともある本物の傭兵だ。ベルトホルトに傷をつけた数少ない敵手でもある。
「……ふむ、イーゴン、お前はあの女性をどう見る」
「身のこなしからして、かなりの手練れかと」
イーゴンの観察眼は、さすがだ。
足運びや身のこなしから、弓を執ればイーゴンに分があるが、剣では恐らく歯が立たないだろうという戦力分析を手短に申し述べる。
「慧眼だな。俺の読みでも、まぁそういうところだと思うよ」
以前ベルトホルトが剣の教師役として衛兵に指導してほしいとリオンティーヌに頼んだのは、まんざら冗談でもない。
込み合った居酒屋ノブの店内でも、踊るような足運びで巧みに料理を運び註文を取るリオンティーヌの動きは、戦場を生き延びた者だけが手に入れることのできる練度を感じさせる。
やはり、惜しい。
掃除をするリオンティーヌの一挙手一投足をイーゴンは見逃すまいと熱心に見つめている。
あまり露骨に見るのはどうかと思っていると、チャッチャッチャッと卵を掻き混ぜる音が厨房から聞こえてきた。
何を作ってくれるのかと見ていると、どこからともなく取り出したのは、厚切りのベーコンだ。
一目で上等の逸品だと分かる品を、豪快に切り分けていく。
熱したフライパンに油が敷かれ、先ほど掻き混ぜた卵をさっと炒める。
卵を皿に除けると、次はベーコンだ。ネギとキャベツと一緒に炒めると、ベーコンの脂の美味そうな匂いが店内に漂ってくる。
そこに、大量のライス。
手際よく炒めるジャッジャッという音に思わずベルトホルトの喉が鳴った。
除けておいた卵を加えてさっと炒めると、更に盛り付ける。
「お待ち遠さま、しのぶのまかないチャーハンです」
ライスを炒める料理は、ベルトホルトもはじめてだ。これはハシではなく、レンゲで食べるとよいとエーファが教えてくれる。
よく気の付くことだ。自分の娘も、こんな風に育ってくれるのだろうか。
「さ、イーゴンも。冷めない内に食べよう」
まだリオンティーヌの方を気にしながら、イーゴンがレンゲを口元へ運ぶ。
一口、二口、三口。
反応を見るのを楽しみにしていたのだが、イーゴンは黙々とレンゲを動かすだけだ。
なんだ、つまらない。
普段芋ばかり食べているのなら、珍しい料理を食べた時くらいちょっとくらいは驚くなり何なりしてくれてもよさそうなものだ。
少し呆れながら、ベルトホルトもチャーハンを頬張る。
ぱらり、と口の中で、チャーハンが散らばった。
「ふんむ」
これは食べやすい。
居酒屋ノブで出てくるライスは他の料理と一緒に食べると美味いのだが、単体ではどうしても味気ない。だが、チャーハンというのはその欠点を補って有り余る、一つの料理だ。
ネギとキャベツのシャキシャキとした食感も面白いが、何と言っても素晴らしいのは、厚切りベーコンの旨みだ。
ベーコンの薫香と塩味とが、チャーハンを一段上の料理へ格上げしているということが、舌で感じられる。
しかし、勿体ない。
こんなに美味いものを食っても反応なしということは、イーゴンは本当に料理には関心がないと見える。
そう思ってイーゴンの方を見遣ると、丁度チャーハンの最後の一口を食べ終えるところだった。
食べ終わっても、感想はないんだろうな。
せっかく作ってくれたシノブに悪いな、と思ったところで、イーゴンのレンゲがまた動いた。
虚しく宙を二度三度と掻き、漸くイーゴンは皿の方を見つめる。
「あ……」
まるで捨てられた犬のような悲し気な表情を一瞬浮かべ、照れ隠しのようにイーゴンは小さく咳払いをした。
「すみません、少し量が足りなかったようなので、もう一皿頂けますか」
珍しいこともあるものだ。食事の追加を要求するイーゴンなど、はじめて見る。
「ごめんなさい、今ので冷ご飯がなくなっちゃって」
間髪を入れずに詫びるシノブの言葉に、イーゴンが小さく、え、と漏らすのをベルトホルトは聞き逃さなかった。
「本当にすみません……」
頭を下げるシノブにいやいやとイーゴンが恐縮する。
そのイーゴンの背中を、リオンティーヌがバンバンと掌で叩いた。
「うちの食事が気に入ったのなら、また来たらいいさ。衛兵とも縁のある居酒屋だからね。今度はタイショーの料理をたらふく食っておくれ」
「は、はい!」
まるで上官に対するような返事をするイーゴンの様子を訝しみながら、ベルトホルトは支払いのために財布を開くのだった。
翌日、修練が終わり、家路につこうとするベルトホルトを呼び止める者がある。
イーゴンだ。
「ベルトホルト隊長、昨日はありがとうございました」
「いや、礼を言われるほどのことじゃない」
馴染みの居酒屋を紹介しただけで畏まった礼を言われると、なんだかこそばゆい。
「自分の如き若輩に、あのような秘密の場所を教えて下さるとは」
「……秘密の場所?」
何やら妙な勘違いをイーゴンはしているのではないか。
少しばかり嫌な予感がしたものの、そんなことは億尾にも出さずにベルトホルトは言葉の続きを促す。
「美味な食事に、あれだけ手練れの護衛を給仕として忍ばせておく……不思議に思ったので、実は今日の昼休憩にもあの店を訪ねてみたのです」
イーゴンはそこで、あの居酒屋ノブの秘密を見た、と熱弁を振るった。
「水運ギルド最大手の〈水竜の鱗〉のゴドハルト氏、同じく水運ギルド〈金柳の小舟〉のラインホルト氏、教会のトマス司祭に、ヨハン・グスタフ伯爵閣下、それと市参事会のゲーアノート氏まで、実に錚々たる人々があの店で昼食を摂っておられました」
言われた面子を思い浮かべ、ベルトホルトはいつもの常連じゃないか、と思ってしまう。
だが、言われてみれば古都の重鎮と呼ぶにふさわしい人々だ。
ひょっとすると、自分の感覚の方がおかしかったのだろうか。たまたまだという気もするし、そうでないという気もする。首を捻って考えるが、どうにもよく分からない。
「自分もあの店に足を運び、衛兵として有事に備えます」
「うむ。しっかり励めよ」
思わず答えてしまってから、ベルトホルトは大いに後悔した。
イーゴンが目をきらきらと輝かせて、秘密の護衛作戦についての私案を語りはじめたからだ。
全てが誤解で、居酒屋ノブが単なる居酒屋だと説明して納得させるのに、ベルトホルトは更に十日間を費やすこととなる。




