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竹輪の磯辺揚げ(前篇)

 古都を貫く運河。その岸辺に植わった柳が、風にそよいでいる。

 かつては古都を〈金柳の都〉という雅称(がしょう)で呼ぶものもあったが、今ではいくつかの屋号にその名を留めるばかりだ。


 水運と陸運の交わる流通の要衝として隆盛したのも今は昔。

 三つの水運ギルドは暇を持て余し、運河に行き交う(はしけ)もまばらになった。

 ああ栄光の日々よ、何処(いずこ)へ。


 そう嘆かれていたアイテーリアに僅かばかりの変化の兆しが見えはじめたのは、ここ数年のことだった。

 柳の木陰で涼む通行人に水や麦酒を売る行商人の横を、屈強な人足達が荷を満載した荷車を押しながら行き交う。水運ギルドに雇われた男達だ。

 諸肌を脱いで荷車を押す背中には玉の汗が浮き、隆々と盛り上がる肩肉は陽に焼けて赤銅(しゃくどう)の色になっている。


 荷の量は、確実に増えていた。

 一昨年よりも去年、去年よりも今年、先月よりも今月と、留まる所を知らない。


「いい具合だな」


 運河に停泊する平底舟から艀へ荷物が移される様に目を細め、ラインホルトが独り言つ。

 海港から大河を通じて北方三領邦の荷を運んできた平底舟は荷を下ろせばここで解体され、それ自体も木材として販売される仕組みだ。


 艀を曳く騾馬(らば)たちの鳴き声が耳に心地よい。

 下ろされる荷に刻印された紋章も様々だ。帝国西部に覇を唱えるビッセリンク商会の物が頓に多いが、北方三領邦や帝国東部、遠いところでは連合王国や遙か東方の大公国からの荷もあった。

 まだ年若いラインホルトはかつての古都の栄華を知らない。


 しかし、今は亡き父や祖父から聞かされていた繁華さはこの程度ではなかった。

 古都はもっと栄えることができる。

 そして、水運ギルト〈金柳の小舟〉も。


 賃雇いの人足やギルドの幹部達に声を掛けながら、ラインホルトは現場を見て回る。

 父が急逝して跡目を相続したばかりの頃には分からなかったことが、随分と理解できるようになってきた。

 各商会の紋章から、人足達の使う符牒や手仕草、平底舟から艀へ荷を下ろす作業の手順、その逆、他のギルドとの折衝もあれば、どんな騾馬が賢くて使い勝手がいいかも知る必要がある。

 何もかもを独学で学ばねばならないラインホルトにとっては、現場が何よりの学びの場だ。


 陽が中天高く昇ると、作業は一段落する。休憩の時間だった。

 腹を空かせた人足達が、ギルドの管理している飯場へと向かう。

〈金柳の小舟〉で管理している飯場は四つあるが、いずれも手狭になっていた。


 嬉しい悲鳴と言うべきだろうか。

 荷が増えれば必要な人足の数が増え、そうなると飯場は必然的に足りなくなる。

 人足達には交替で食事を摂るように勧めてはいるものの、限度があった。


 働かざる者に与えるパン(ブロート)の持ち合わせはないが、働いている者にはパンとスープ(ズッペ)が必要だ。それも、可及的(かきゅうてき)(すみ)やかに。

 古都には〈金柳の小舟〉以外にも二つの水運ギルドがあり、人足達はいつでもラインホルトを見限ることができるのだから。




 木造の飯場には、溢れるほどの人足達が詰めかけている。

 ここで午前の分の給金と、食事に交換できる勘合符(チケット)を受け取る仕組みだ。

 午後まで熱心に働く者もいるが、大方の労働者は午前の分の銅貨を受け取ればそれで仕事を上がる。後は陽の高い内から麦酒の杯を傾けるという寸法だった。


 ラインホルトから見ればその日暮らしは危なっかしく思えて仕方が無いのだが、彼らにしてみれば呑気でそれなりに幸せな生活なのかもしれない。


「ああ、ラインホルトさん。こんにちは」


 気さくに声を掛けてくる人足達に挨拶を返しながら飯場の中を覗くと、目当ての男がいた。


(ハイ)


 眼光鋭い寡黙な男は、そう仇名されている。

 座ってパンを囓る〈鮫〉を、ラインホルトは見るとも無しに観察した。


 引き締まった身体に、陽に焼けた肌。ギルドの幹部と言えば帳簿仕事も多いのでそれを言い訳に現場を疎かにする者も多いが、〈鮫〉はそのような怠惰さとは無縁だ。

 昔は個人で艀を持つ艀主(はしけぬし)だったが、いつの頃からかラインホルトの父の傘下に加わり、新参の幹部のようなことをしている。


 この〈鮫〉に、新しい飯場を任せるべきか、否か。


 今のラインホルトの抱えている懸案はそれだった。

 能力の面から言えば、申し分ない。賃雇いの人足達とも上手くやっている。

 生え抜きの幹部ではないから古参の幹部には若干煙たがられているが、それは仕方のないことだ。誰にも疎まれずにいい仕事をこなすことなど、不可能だからだ。


 残る問題は、一つだけ。




 カラカラという油の揚げ音が耳に心地よい。

 考え事をしていると自然と居酒屋ノブで足を運んでしまう。まだ空いた時間に店へ入れた客の特権で、ラインホルトはカウンターではなくテーブル席へと腰を下ろした。


 頼んだばかりのトリアエズナマが、流れるような所作で目の前に現れる。

 まずは、一口。


 ゴクリ。


 よく冷えた黄金色の液体が舌の上に微かな苦みを残して喉奥へと吸い込まれていく。

 ああ、ダメだ。

 一口だけのつもりが、ゴクリゴクリと喉が鳴り、あっと言う間にジョッキの半分が空になる。

 ぷはっと自然に息が漏れ、口元を拭う。


 美味い。


 オトーシとして出てきたサンマのフライも、よい。

 ザクザクとした歯応えが、またトリアエズナマによく合う。

 今日はどういう風に食事を組み立てるのか考えてこなかったが、口の中が揚げ物一色になったので、これで決まりだ。


「ご註文はお決まりになりましたか」

「ええ、あのチクワのイソベアゲというものを」


 足繁くというほどにはないにせよ、ラインホルトもこの店には幾度となく訪れている。

 異国風の店ながら、少しずつ分かってきたこともあった。

 アゲという言葉が付けば、揚げ物だ。それはほとんど間違いない。

 以前その仮説を披露したところ、ゴドハルトが大量のアツアゲを頼んでしまったので、二人で一所懸命食べることになったが、今日は大丈夫だろう。


 註文が済むと、考え事に戻らねばならない。

〈鮫〉のことだ。

 奇っ怪な仇名も、故のないことではなかった。


 かつて、随分な暴力沙汰で名を知られていたという。仇名も、その頃に付いたものだ。

 正直なところ、水運ギルドに雇われる人間は血の気の多い者が少なくない。ラインホルトの耳に入るような喧嘩沙汰でさえ、日に片手の指では足りぬこともある始末。

 その水運ギルドで古参の人間が震え上がるというのだから、よほどの暴れ方だったのだろう。

 ラインホルトがギルドを掌握してからはその兆候はないが、飯場頭(はんばがしら)を任せた時にどうなるだろうか。ラインハルトには、予想が付かない。


 鮫は鮫だ。

 煮ても焼いても、鮫でしかない。


 水運が今よりも停滞していた頃、ミュンヒハウゼンという商会が東王国から鮫を仕入れて古都で大いに売り出したことがあった。

 鮫は腐りにくいから、少々遠回りで運んでも食べられるという評判だったのだ。


 ラインホルトの父親も水運に与る者として新しいものに目が無かったから、さっそく何尾か購って食卓に供されることになった。

 結果は、思い出したくもない。

 無残、という言葉でしか言い表せない味だった。


 その記憶が、ラインホルトの中で〈鮫〉という言葉の印象を悪くしている。

 腕っ節で飯場を纏めるのは、結構だ。幹部の中にはそういう者もいるし、ゴドハルトの差配する〈水竜の鱗〉ではむしろ上に立つ者は強く在らねばならないという風潮さえある。


 しかし、揉め事は御免だった。

 今は、古都にとって大切な時期だ。

 水路の浚渫(しゅんせつ)は既に一部ではじまっている。


「お待たせ致しました。竹輪の磯辺揚げです」


 シノブの声に、ラインホルトは現実へ引き戻された。目の前には皿に盛り付けられた不思議な食べ物が湯気を立てている。

 チクワ、とはそもそも何なのだろう。


 サクリ。


 揚げたてのを口に含むと、微かな磯の風味が鼻腔を擽った。

 濃い味付けではない。しかし、食感が面白かった。

 もちもちとした歯触りは、これまでに味わったことの無いものだ。


 そして、そこに……

 グビリ、グビリ、グビリ。


 冷たいトリアエズナマを流し込む。

 堪らない、とはこういうことだ。


 サクリ、サクリ、グビリ、グビリ。サクリ、サクリ、グビリ……


 追加のトリアエズナマを註文し、イソベアゲをもう一人前頼む。

 至福の時だ。


 キンキンに冷えたトリアエズナマを呷りながら、ラインホルトは想像する。

 チクワとは、何かの植物ではないか。

 川辺に群生する、一面のチクワ。葦のような植物に、チクワの穂がたわわに実っている。

 それを収穫し、その場で皮を剥いてイソベアゲにするところを思い浮かべる。

 これはなかなか楽しそうだ。一度タイショーに頼んでみようか。


「いらっしゃいませ!」

「……らっしゃい」


 来客を迎える声に、自然と顔が引き戸の方を向く。そこには、見知った顔が立っていた。


「お、ラインホルトさん。いい飲みっぷりじゃないか」


 水運ギルド〈水竜の鱗〉のマスター、ゴドハルトが和やかに片手を上げて歩み寄ってくる。


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