若侯爵と馬鈴薯(後篇)
「揚げる、ですか」
馬鈴薯を揚げるという発想は料理に関心のある者なら誰でも一度は考えてみることだ。
サクッとした食感にホクっとした中身。
軽く塩を振ってやれば幾らでも食べられる。
イーサクも実際に調理してみたことはあるが、なかなか味が良い。特に肉料理の付け合わせとしての相性が素晴らしかったと記憶している。
潰した芋なら誰でも食べたことがあるが、揚げた芋なら確かに人目を引くに違いない。
馬鈴薯の調理法としてはとても優れているとは思うが、一つだけ大きな問題があった。
「それでアルヌ様、油はどうするのですか」
馬鈴薯にせよ、肉にせよ、揚げるためには油が要る。
バッケスホーフ商会が古都の流通を寡占していた頃と比べると食用油脂の値段も随分と安くなったが、まだ農民が普段使いできるような価格帯ではない。
古都の料理人であれば無理なく使える相場になってきている。ただ、それでいいのだろうか。
「まずは店で出せる程度の値段になればいいさ」
料理人なら誰でも思いつく揚げ馬鈴薯が一般的にならないのは、単純に油の値段が高いからだ。
せっかく手に入れた油であれば、肉を焼いたり揚げたりする方に使いたいというのが人情というものだろう。
大身の貴族や僧侶、金を唸るほど持っている商人たちであればいざ知らず、一般の農民までが芋を揚げられるようになるとはイーサクにも思えない。
「しかし、農民が容易く手を出せる額ではないでしょう」
「何もはじめから農民が家で馬鈴薯を揚げる必要はない。古都のような都市部で消費されるようになれば、馬鈴薯に値が付くようになる。値が付けば商人が買い取りに来るはずだ。そうなれば農家が収入を得る方法ができるだろう?」
美味い馬鈴薯料理のために商人が郊外の農民から馬鈴薯を買う。食うや食わずの農民が、僅かなりとも新たに収入を得る道を手に入れることになれば、確かに彼らの生活を向上させることにも繋がるかもしれない。
「実現すれば、とても良い案だと思います」
うむ、とアルヌが満足げに頷く。
「問題は、どのように揚げてやるか、だ」
少しでも気になることがあると早速手を付けてみないと落ち着かないのはサクヌッセンブルク侯爵家の血筋らしい。
客の少ないのを良いことに無理やり居酒屋ノブの厨房に入らせてもらい、イーサクが馬鈴薯を揚げてみることになった。
「本当にお手伝いしなくていいんですか?」
「はい、これは我々の仕事ですから。道具を貸して頂き、ありがとうございます」
タイショーの申し出も断って、イーサクは馬鈴薯の皮を剥いていく。
「この包丁、本当によく切れるな……」
手入れが行き届いているからか、居酒屋ノブの包丁はイーサクが厨房で使っているものよりも切れ味が良い。使い慣れない道具の扱いについてはハンスに手伝ってもらうことにして、さっそくと色々な料理を試してみる。
剥き方、切り方、衣の付け方、揚げ方。
揚げる前に水に浸すか、そのままか。
思いつく限りの方法をイーサクは試していく。
出来上がった揚げ馬鈴薯は、アルヌや他の客たちが試食をするという流れだ。
タイショーやシノブ、ハンスやリオンティーヌには助言を求めない。
アルヌにとっては、自分とイーサクとて思いついたという実績が欲しいのだろう。先代からの重臣に囲まれながらの改革には、思った以上に気苦労も多い。
侮られているわけではないが、敬慕されているわけでもないというのが現状だ。
ここで一つ何かしらの成果を見せつけたいという主君の逸る気持ちが、イーサクには痛いほどよくに分かる。
そんなことで焦らずとも良いとも思うのだが、アルヌがしたいと思うことを叶えるのも臣下たるイーサクの務めだ。
「……大ぶりな馬鈴薯を丸々揚げるのは止めておいた方がいいな」
真ん中に火の通っていない馬鈴薯を皿に吐き出しながら、アルヌが顔を顰める。
低温でじっくり揚げれば火を通すこともできるのだろうが、そのためにはかなりの油が必要になってしまう。
本命は細かく切った分ということになる。
「くし切りや細切りは……かなり良いな」
食べやすい大きさに切り、小麦粉をまぶして揚げた分に対する感想だ。
だが、塩味だから喉が渇く、と言ってアルヌは試食中だというのにリオンティーヌを読んでトリアエズナマを註文しはじめた。
周りの客たちも、アルヌに続く。
サクサク。グビリ。
サクサク。グビリ。
トリアエズナマの肴として簡単に摘まめるから、イーサクが試作を作るのを待っている間に食べるにはちょうどいいのかもしれない。
註文を取っているわけではないのだが、他の客たちも同じものをと頼んでくるので、イーサクとハンスは他の試作品と一緒に揚げていく。アルヌはもう二皿目に手を出していた。
居酒屋ノブにカラカラと馬鈴薯を揚げる音が響いている。
皮付き、皮なし、潰したものに衣をつけて揚げたもの。
考えてみれば馬鈴薯というのは実に多彩な調理が可能な食べ物だ。手伝いとして入ってくれたハンスも色々な方法を試してみてくれる。
サクサク。グビリ。
サクサク。グビリ。
「一度潰したものに衣をつけて揚げるのはなかなかいいぞ」
潰した馬鈴薯にテンプラのような衣をつけて揚げる方法はイーサクもなかなか気に入っている。
衣や中の具に工夫を凝らせば、色々と面白いことができそうだ。
試作品に評価を下しながらも、アルヌの手は止まらない。
先ほど作ったくし切りの揚げ馬鈴薯を肴に、アルヌは悠々とジョッキを空にしていく。
「アルヌ様、そのくし切りの分も随分とお気に召したようですが」
「ん、ああいや、確かに美味い。確かに美味いんだが、これだけでご馳走になるというほど素晴らしく美味い、というわけではないんだ。ないんだが……」
不思議だ、と呟きながら揚げ馬鈴薯をアルヌは摘まむ。
あれだけのテンプラを既に腹に収めているというのに、いったいどこに入るのだろうか。
サクサク。グビリ。
サクサク。グビリ。
呆れるイーサクの気持ちを知ってか知らずか、アルヌはひょいひょいと揚げ馬鈴薯を食べる。
試食してみると単なる馬鈴薯なのだが、確かに後引く味だ。
アルヌのしているように塩を軽く振ってみると、実にいい塩梅の味になった。
これならば、トリアエズナマにもよく合うだろう。
しかしアルヌも言うように、これだけでご馳走というほどではない。もう少し食べたいと思うのだが、これだけで晩餐会の一皿というのは難しいだろう。
これはこれとして、イーサクは試作を続ける。だが、なかなかしっくりこない。
思いつく限りの方法を試し、馬鈴薯を揚げていく。
「なぁイーサク」
何杯目になるか分からないジョッキを干しながら、アルヌが何か閃いたように呟いた。
「アルヌ様、何か思いつかれましたか?」
「いや、ひょっとすると、これでいいのかも知れん」
これ、と言いながら、皿に残った揚げ馬鈴薯をひょいと摘まむ。
空になってしまった皿を見て、また同じものを揚げなくては、と無意識に考えている自分にイーサクは驚いた。
もう少し食べたい。
揚げ馬鈴薯に塩を振っただけのものなのに、異常に後を引く。本当はさっきから、冷えたトリアエズナマが飲みたくてしょうがない。揚げ油の熱気のせいもあるが、喉がカラカラだった。
そこに適度に塩気のある揚げ馬鈴薯は、気付けば拷問にも等しい力を以ってイーサクを責め立てている。
なるほど、アルヌの言う通りかもしれない。
今の自分たちが目指しているのは、馬鈴薯を食べたくなる工夫であって、究極の一皿や至高の料理を作り上げることではないのだ。
ふと気になって、イーサクは店の客たちに視線を巡らせた。
皆、美味そうに試作の揚げ馬鈴薯を食べ、トリアエズナマを呑み、談笑している。
これだ。これでいいんだ。
自分の作った料理でアルヌ以外の人間が笑顔になっているのを、イーサクは久しぶりに見たという気がする。
「それではアルヌ様、この揚げ馬鈴薯の名前は何と致しましょう?」
こういう場合、名前は重要だ。
ノブから広まったと言われているオーディン鍋も、名前が何となくありがたいからという理由でいつの間にか古都の庶民に広く親しまれるようになったとイーサクは聞いていた。
顎の辺りを揉みながら一頻り考えて込んでいたアルヌが、パチリと指を鳴らした。
「そうだな……例えば、こういうのはどうだろう」
秋の古都に夜の帳が静かに下りる。
帝国でも北に位置するこの古い街は、陽が沈めば秋でも随分と肌寒い。
こういう時には温かいスープでも飲んで寝てしまうに越したことはないのだが、このところの古都では密かな人気を集めている料理がある。
「シノブちゃん、〈やみつき馬鈴薯〉をこっちに一皿!」
「あ、こっちにももう二皿追加で!」
居酒屋ノブに註文の声が響いた。はいと応じる給仕の声が耳に心地よい。
若き侯爵が自ら考案したという肴、〈やみつき馬鈴薯〉は、瞬く間に古都の呑兵衛たちの知るところとなった。
慣れ親しんだ馬鈴薯だが、揚げて塩を振るだけで実に良い肴になる。
まったく馴染みのない食べ物よりも、古都の住人に受けは良かった。
そういう訳で秋も深まろうという季節であるにも拘わらず、居酒屋ノブにはよく冷えたトリアエズナマのジョッキを打ち鳴らす客が絶えない。
「タイショー、こっちに〈やみつき馬鈴薯〉をまとめて一〇皿だ!」
「はい、少々お待ちを」
ジョッキを片手に上機嫌なのは、サクヌッセンブルク侯爵たるアルヌその人だ。
「アルヌ様、大盛況ですね」
「めでたいことだ。これで馬鈴薯の値段が上がってくれれば言うことなしなんだがな」
幸いなことに〈やみつき馬鈴薯〉は古都を訪れた商人達にも好評だ。上手くいけば名物にすることができるかもしれないと、市参事会も鼻息が荒い。
問題は油だったが、これも意外なことで解決した。
古都への進出を図るビッセリンク商会が、西方では持て余し気味になっていた食用のシロン油を売り捌くために古都へ持ち込んだのだ。
シロンは春先に白い花を咲かせる草花で、実を搾ると油が採れる。これまでは殻の硬さのせいで油の原料に使いにくかったが、最近では圧搾機も随分と進歩したらしい。
このシロンの実を圧搾して採るこの油は上質とまでは言えないが、比較的安価に手に入る。
タイショーに無理を言って今日の居酒屋ノブでは馬鈴薯を揚げるのにこのシロン油を使って貰っているが、味はそれほど悪くない。
農民が自宅で油を使うというのはまだまだ難しいが、馬鈴薯が売れるようになればまた違ったものも見えてくるだろう。
主君であるアルヌの見据えているのは、更にその先だ。
カラカラカラカラという揚げ音が響き、アツアツの〈やみつき馬鈴薯〉が運ばれてくる。
「お待たせいたしました!」
シノブから受け取った皿に、山盛りの〈やみつき馬鈴薯〉。
「そういえば、済まんなイーサク」
乾杯をしながら珍しく申し訳なさそうにアルヌが詫びた。
「と、申しますと?」
「お前にこういう料理を作らせたことを、だな」
〈やみつき馬鈴薯〉には、確かに華はない。
調理法も至って簡単で、材料さえあればだれでも作ることができる。
そういう泥臭い料理を作らせたことを、主君は詫びているのだ。
ああ、とイーサクの口元が自然と綻ぶ。
司厨長の職を預かっているが、実を言えばイーサクは派手な宮中料理を取り仕切るよりも、こうやって色々試してみる方が性に合っていた。
一皿きりの料理よりも、長く食べて親しんで貰える料理の方が好みでもある。
「どうした、急に笑い出して」
「良いんですよ、アルヌ様。今日はとことん呑みましょう」
秋の夜は更けていく。
主従は、明け方近くまで酒を酌み交わしたのだった。