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おもいでの味(参)

 遠慮がちに開かれた裏口から覗き込んでいるのは依田だ。

 その姿をみて、しのぶはほっとした。


 数日経って帰って来たが、特に憔悴している様子もない。出て行った時よりもむしろ、元気になっているようにも見える。扉が無事こちらへ繋がっていることに安堵したように小さく息を漏らすと、依田は照れくさそうに会釈した。


「ただ今戻りました」

「依田さん!」


 両手に抱えきれないほどの荷物を持った依田をしのぶは店内に迎え入れる。

 依田の服装は、しのぶが最後に会った時よりも垢ぬけていた。向こうで買い揃えたのだろう。衣料品の量販店で揃えたらしい上下は、どう見ても普通の日本人だ。


「心配したんですよ!」

「ああいえ、実は昨日にはこの辺りについていたんですが、店の場所がどうしても思い出せませんで。一日、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしていたんですよ」


 申し訳なさそうに依田が頭を掻く。

 どこの路地に入ればいいか分からずにほとほと困り果てていた時に、犬や猫ではない獣がのぶの方へ駆けていくのを見て、やっと見つかったらしい。

 カウンターに座っていた旅人風の客が驚いたように声を上げた。


「お、義父(おやじ)殿!」


 その顔を見て、依田も驚いた表情を浮かべる。


「なんだ、コルムじゃないか。どうして古都にいるんだ?」

「そりゃ義父殿に会いに来たからなんだが……」


 事情は分からないが、どうやらこのお客は依田の娘婿であるらしい。

 二人が再会の挨拶をしようとしたところで、リオンティーヌが止めに入った。


「お取込み中のところ申し訳ないんだが、続きはノレンを仕舞った後にして貰えるかい?」


 そう言って元女傭兵が背中越しに親指で指す先には、興味津々といった表情で二人を見つめる酔客たちの姿がある。


「……その方が、店としても助かるな」


 調理をしながら信之もそう付け加えた。

 確かに、事情が事情だ。聞かれては拙い話も出て来るだろう。

 取りあえず二人には晩御飯を食べながら待ってもらうということにして、いつもより早くに暖簾を仕舞うということになった。

 はじめは居残ろうと頑張る客もいたが、何となく雰囲気を察したらしく、限の良い所まで飲むと渋々お勘定を置いて帰っていく。



「それにしても、無事で良かった。おかえりなさい」


 暖簾を仕舞い、一息付いたところで漸く話が始まる。信之が労うと、依田は茶碗を手に深々とお辞儀を返した。


「どうもご心配をおかけしたようで。恥ずかしながら帰って参りました」

「久しぶりの故郷はどうでしたか?」


 尋ねるしのぶに依田は相好を崩す。


「十数年経っても、あまり変わっていませんでした。随分と田舎ですからね。見知った顔はいくつも見かけましたが、あちらは私のことが分からなかったようです」


 そう言って笑う依田の顔には五十前とは思えない皺が刻まれていた。

 苦労することも多かったのだろう。十数年前の顔は推して知るしかないが、随分と様変わりしているのではないか。

 笑顔のまま依田は傍らに座る男の肩を抱き寄せるようにした。


「そういえばご紹介が遅れました。これはコルムと言って、私の娘婿です。ナ・ガルマンで待っているように伝えたのですが」


 コルム、と呼ばれた男はまだ年若い農夫風の男だ。精悍な顔つきに、純朴そうな瞳が輝いていて、いかにも正直者といった風貌だった。

 そのコルムが窺うような目で依田を見る。


「義父殿はやはり、故郷へ帰っていたのか」

「ああ、出発前にも言っただろう? 故郷へ行って、ちゃんと戻ってきた。大方、心配した母さんの差し金だろうが、何も心配することはなかったというわけさ」


 依田が娘婿である若者に向ける視線はどこまでも優しい。

 だが、その言葉を聞いたコルムはその顔に何とも言えない表情を浮かべた。


「違うんだ、義父殿。俺は、俺は義父殿に詫びに来たんだ……」

「詫び?」


 しのぶと信之、ハンスとリオンティーヌにエーファだけでなく、依田さえも事情が飲み込めないようで顔を見合わせる。

 心の底から申し訳なさそうに、コルムは項垂れた。


「本当はリサを直接連れて来たかったんだが、俺が代理で義父殿に謝りに来た」

「リサ? 娘がどうかしたのか?」


 何かを言おうとしたが、コルムは躊躇うように一度口を閉ざす。

 唇を湿らせるようにして舐め、意を決したようにもう一度口を開いた。


「実は、リサはあの森の焼け跡から、義父殿の故郷へと行き来ができたんだ」


 絞り出すように告白するコルムの言葉に、思わずしのぶも声を上げた。

 依田の通って来た“道”は焼けてしまったと聞いている。

 その“道”が実は、燃え残っていたという事だろうか。

 コルムは続ける。


「リサは子供の頃からあの不思議な焼け跡を通って、ときどき異世界に遊びに行ってたんだ」

「遊びに?」と依田が続きを促す。

「義母殿からあの場所に近づいてはいけないと言われていたから逆に興味が湧いてしまって……」


 ううむ、と依田が呻きを漏らした。そのことは全く知らなかったようだ。

 コルムの話ではリサは時々不思議なものを拾ってきて宝物にしていたらしい。

 ナ・ガルマンから持ってきたという宝物の一つをコルムが頭陀袋から取り出して見せたが、それは清涼飲料水の硝子瓶だった。


「焼け跡から行き来できたのは、リサだけだ。俺も、義母殿も無理だった。三人で話し合って、このことは黙っていようということになったんだ」


 その気持ちは、分からなくはない。

 全く帰れないと思っているところに、ほんの僅かでも望みがあったらどうなるだろうか。

 もししのぶが依田の立場なら、半狂乱になって帰る方法を探すかもしれない。

 微かな希望なら、知らない方が幸せだということはあり得る。


「このことを話すと義父殿が故郷のことを考えて悩むんじゃないかと思って……それで今までずっと話せなかったんだ。本当に、本当に申し訳ない」


 だがそのことを聞いた依田は、得心が行ったという表情だった。


「なるほど、やはりそうだったのか」


 興味深げに頷く依田に、ハンスが尋ねる。


「やはりって、どういうことです?」

「里帰りした時に少し調べたんですよ。自分がどういう目に遭ったのか。原因はあるのかって。この店のことは分かりませんが、私の場合はどうも神隠しと呼ばれるものだったようです」


 依田の話では、故郷には昔から神隠しの伝説があったのだという。

 神隠しなどというと突拍子もなく聞こえるが、今のしのぶにはすんなりと信じることができる。

 居酒屋が異世界に繋がってしまうのだ。少々のことでは驚きはしない。


「郷土史料では神隠しは天狗の仕業だ、ということになっていました。いなくなった者は帰って来ることもあれば、帰ってこないこともあったそうです。極稀に、いなくなった者の子供だけが帰ってきた、という伝説も残っていました」

「子供だけ?」

「ええ、矢澤さん。子供だけです。これはあくまでも私の仮説なんですが、どうやら私の故郷の“道”は子を成すと引き継がれるもののようなのです。不思議な話ですが」


 天狗の作った道は親から子に引き継がれる。だとすると、依田が行き来できなくなったのは。


「それじゃ何かい。ヨダさんがこっちとあっちで行き来できなくなったってのは、つまり……」


 唖然とするリオンティーヌに、依田が頷く。


「妻が娘のリサを身籠ったからでしょう。それで私は天狗か何かの神通力の対象外になった」


 それがちょうど、依田の妻が火を放った日だったということだ。

 燃えてしまったから行き来できなくなったのではなく、妻が身篭ったからそうなった。

 不思議なことは重なるものだが、案外巡り合わせというのはそういうものなのかもしれない。


「帰れなくなった時は随分苦しみました。死のうかとも思った。思い止まったのは、妻がいたからですね。燃やされてしまった当初は随分と恨みに思いましたし、辛くも当たりましたが」


 昔を思い返しているのか、依田は遠い目をした。


「こちらの世界へ来たとき、それはそれは楽しかったですよ。色々苦労もしましたが。行き来ができるというので気楽でしたし。ああいうことがあって帰れなくなったのは、帰ってよかったのかもしれませんね。骨を埋める覚悟ができました」


 微笑む依田に、しのぶは思い切って質問をぶつける。


「でも、帰るか帰らないかっていう選択肢さえなかったんですよね?」


 予想外の質問だったのか、一瞬依田の笑顔が崩れたが、またすぐに元の柔和な表情に戻った。


「選択肢というのは、必ずしも分かれ道の直前にあるものではないのでしょう。私の場合は、妻を娶った時にこうなることは定まったのだという気がします。実際の現象としては違うのかもしれませんが、私の人生という意味では間違いなくあの時が選択肢だった」


 思えば天狗というのも上手い制約を作るものですね、と依田が笑う。


「子供を授かって“道”のこちら側に守るべきものができれば、無責任に逃れることはできなくなるのですから。もちろん私に逃げるつもりはありませんでしたがね。それでも、あれで覚悟のようなものが定まったという気がします」


 語り終えて茶を啜る依田の顔はどこまでも穏やかだ。

 はじめて聞く話だったのか、コルムも神妙な顔をしている。


「しかしコルム、一つ不思議なことがあるんだが」

「なんだ、義父殿」

「リサがナ・ガルマンと日本を行き来できるなら、直接リサが日本へ謝りにくればよかったんじゃないのか? そうすれば、お前もこんな遠くまで旅をする事はなかったのに」


 依田がそう言うと、クルムが慌てたように弁明する。


「それを思い付かない程、俺も莫迦じゃない。そうしようと思ったさ。でも、義父殿、妙なことに、リサが試してみても森の焼け跡が通り抜けできなくなっていたんだ」


 話を聞いていたエーファが、眉根に皺を寄せた。


「……それってひょっとして」

「ああ……!」


 ハンスも手を打ち、リオンティーヌがこめかみを抑える。

 しのぶと信之が顔を見合わせ、依田は何といっていいのか分からないという表情でコルム、の顔をじっと見つめていた。

 事情が把握できていないのは、この場でコルムだけだ。


「いったいどうしたんだ、義父殿……?」


 コルムの逞しい肩にそっと手を置き、依田が諭すように説明する。



「つまりだ、お前は父親になったということだよ」


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