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月と若竹煮(前篇)

「言われた通りのものを採って来たよ」


 古都の朝、まだ少し薄暗い時間にイングリドはやって来た。

 籠を背負ったカミラも一緒だ。二人はこのところ早朝から起き出して、近くの森まで山菜を摘みに行っている。居酒屋のぶはその御裾分けを頂いているのだ。


「今日もありがとうございます!」


 白い息を吐きながら、しのぶはイングリドから籠の中身を受け取った。のぶの分だけでも結構な量がある。

 約束していた枚数の銀貨を渡すと、イングリドはよく見もせずにカミラに手渡した。受け取ったカミラはしっかり枚数を数えてから、合財袋に仕舞いこむ。


「なぁに、良いんだよ。薬草採りのついでみたいなもんだ。それにここの山菜料理は酒のつまみとしては上等だからね」

「新鮮な山菜をイングリドさんたちが採って来てくれるからですよ」

「ついでだよ、ついで」


 ついでとは言うが、薬草と山菜では生えている場所も少し違うだろう。それを遠回りして採って来てくれるのだからありがたい。


「そう言えば今日はタイショーが受け取りじゃないんだね」


 空になった籠を背負いながら尋ねるイングリドに、しのぶは思わず手を隠した。手が汚れているのだ。


「今日はちょっと、下拵えがありまして」

「下拵え?」

「ちょっと待って下さいね」


 硝子戸の中に入り、しのぶが持ってきたのは皮のついたままの筍だ。抱えていると独特の肌触りが心地良い。時期ももう終わりに近いが、たまたま綺麗な物が仕入れられた。


 しのぶは筍が好きだ。

 食べるのも好きだが、皮を剥いて下拵えするのも、好きだった。

 だから信之から今季最後の筍が入ったと聞いて、この朝早くから自転車でやって来たのだ。


「筍って言います。手間はかかるんですけど、美味しいですよ」

「へぇ、これをねぇ」


 手渡された筍をもの珍しそうに矯めつ眇めつしていたイングリドが持ち重りを確かめながらカミラにも手渡す。


「これも、採ってきたら買い取ってくれるのかい?」

「えっ?」


 こっちにもあるんですか、という言葉をしのぶは寸でのところで飲み込んだ。

 イングリドには薄々感付かれているような気がするが、裏口の事はまだ話していない。迂闊なことを言って墓穴を掘るのは避けなければならなかった。


「え、ええ。新鮮な物なら買い取ろうと思います」

「だってさ、カミラ」

「明日から採ってきます!」


 最近のカミラは、山菜取りの代金を少しずつ貯め込んでいるらしい。年頃の女の子だから、欲しいものは自分で買えというイングリドからの教育方針だそうだ。

 先日はこっそりのぶの昼営業に顔を出して、エーファと一緒に定食を食べていた。


「しかし、緑筒(みどりづつ)の若木を食べるとはねぇ。やっぱり変わった店だよ」

「変わってますかね」


 最近ののぶは一年前と比べて“変わった店”と言われることは少なくなった。それでも時々こうして思い返すように言われることがある。


「少なくとも今まで生きて来てお目にかかったことはないと思うんだが……ひょっとしてこれまでも料理に使ってたのかい?」

「ええ、イングリドさんも何度か召し上がってますよ」


 そう伝えると、イングリドはひゅーと呟き目を大きくして驚いた風を見せた。


「そいつはびっくりだね。改めて食べてみたいから、今晩お邪魔するよ」


 これから薬草の仕分けと乾燥といった作業があるらしい。それが終わって漸く朝食。それから少し昼寝をして薬屋の開店だというから、なかなかに忙しい。


「ええ、お待ちしております」

「楽しみにしているよ」


 背中越しに片手を上げてイングリドが自分の店へ帰って行く。

 二人を見送りながら、しのぶは今日の献立を筍尽くしにしようと袖を捲った。信之に相談しなければならない。

 日も暮れると居酒屋のぶはいつも通りの大盛況となった。


 今日は月が特に大きい。

 雄月雌月の双月の両方が空に浮かぶと、夜道を往くにも照燈の要らないほどだ。

 開店直後の繁華な時間を過ぎた頃に、イングリドはカミラを伴ってやって来た。


「いらっしゃいませ!」

「……らっしゃい」


 邪魔するよと一声挨拶してから、二人はカウンターに座を占める。


「ああそうだ。もうすぐ二人ほどタケノコ目当てが来るからね」


 これまでイングリドがカミラ以外をのぶへ連れて来たことはない。そもそも古都には係累もいないはずだ。侯爵であるアルヌとは仲がいいが、ここのところは忙しいようであまり店にも顔を出していなかった。


「珍しいですね。お連れさんですか?」

「連れというよりも、お客だね」


 丁度その言葉を言い終わるか言い終わらないかというというところで、硝子戸がゆっくりと開かれた。立っていたのは、ブランターノ男爵である。


「いらっしゃいませ!」

「……らっしゃい」


 何やらうきうきした表情のブランターノは早速イングリドの隣に腰を落ち着けた。


「イングリドさんのお客さんって、ブランターノ男爵だったんですか?」

「ああ、そうさ。例の青筒は男爵の森の外れに生えているからね。腰痛の塗り薬なんかを買いに来た家臣に伝えておいたら、まさかのご本人登場という訳さ」


 ブランターノ男爵の領有する森は古都からすぐ近くにある。山菜や薬草もそこで採っているという話だった。以前は薪を取ることにも随分と厳しかったようだが、最近では人が丸くなったのかあまり目くじらを立てることがない。


「青筒の若木を食べるというのは私も聞いたことがなくてな。珍しいものを食べる機会があるなら是非御相伴に与ろうとやって来たわけだ」

「うちのお店では前々から出していたんですけどね」


 炊き込みご飯や筑前煮をはじめ、のぶでは筍を使った料理が多い。知らない人からしてみれば全くの未知の食材だったのだろう。


「正体を知って食べるのとそうでないのではまた趣が違ってくるだろう」

「それもそうですね。珍しいものを食べに来たということは、もう一方(ひとかた)はクローヴィンケルさんですか?」


 男爵と仲のいい吟遊詩人のクローヴィンケルは美食に目がない。帝国でも名の知れた人物だというは、居酒屋のぶでは美味しい物好きの好々爺にしか見えなかった。


「ああいや。クローヴィンケルは旅の空でな。今日はちょっと珍しい者を連れてきた。ほら、入っておいで」


 ブランターノが外へ声を掛けると、硝子戸がしずしずと引き開けられた。

 豊かな黒髪と白磁のような肌。薄く色づいた唇と、淡い色を湛えた宝石のような瞳。

 絶世の美女が、流麗にお辞儀をして見せる。


「紹介しよう。私の妻だ」


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