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異世界居酒屋「のぶ」  作者: 蝉川夏哉/逢坂十七年蝉


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日替わり(後編)

「タイショー、これって……」

「うん、大豆だな」


 夜の厨房。水で戻す前の豆を一粒齧り、タイショーが頷く。

 ダイズという聞きなれない名の豆は、連合王国から来た遍歴商人が売っていたものらしい。


「裏口の向こうと同じ食べ物は結構あるみたいですし、何を驚いているんですか?」


 あちらの世界にあってこちらの世界にないもの、こちらの世界にあってあちらの世界にないもの、そして両方の世界にあるもの。

 様々な食材を吟味しながら献立てを考えるタイショーを横で見ているハンスにとって、どうしてダイズだけが特別なのか分からない。


「ハンス、大豆は味噌や醤油の原料になるのよ」


 ダイズの入っていた壺を矯めつ眇めつしながらシノブが呟くように言った。

 ミソ。

 ショウユ。

 この二つは、ハンスを悩ませる二大食材だ。


 居酒屋ノブで働きながら、ハンスはいつかノレンワケしてもらおうとあちらの世界の料理の研究を続けている。

 ノレンワケするからには、こちらの世界の食材だけで勝負したい。

 そう考えたときに真っ先に立ち塞がるのがミソとショウユだった。

 コンブやカツオブシもあちらの世界と同じ物は手に入らないが、代替品は何とかなりそうだ。

 ただ、ミソとショウユだけはどうにもならないと思っていたのだ。


「じゃ、じゃあ、そのダイズっていう豆を調理すればミソやショウユが作れるんですか?」

「作るのはとても難しいけど、不可能ではない、かな……」


 顎を人差し指で掻きながらそう言うタイショーの表情は険しい。

 ミソやショウユを作るには発酵という作業が必要だというのはタイショーから聞いたことがある。

 比較的簡単に作れるミソと違い、ショウユを作ろうと思えば色々な研究も必要になるそうだ。

 古都の気候で作れるかどうかというのも、調べなければならない。


「問題はそのダイズって豆がまとまった量、安定的に手に入るかどうかだね」


 腰に手を当て、リオンティーヌが溜め息を吐く。今回はたまたま手に入ったが、次に手に入れる方法がなければミソ、ショウユ作りに手を出すのは無駄になる可能性がある。


「あら?」

「どうした、しのぶちゃん?」

「大将、この壺……醤油の匂いがする」

「醤油の?」


 ダイズを別の容器に移し、壺の匂いをみんなで嗅ぐ。確かに、ハンスでもはっきりと分かるほどのショウユの匂いだ。間違いがない。


「……こっちの世界にも、ショウユがある?」


 ハンスの知る限り、帝国にはショウユに似た調味料は存在しなかった。一番似ている魚醤(フィゾーサ)でも、味わいが随分と違う。

 だが、連合王国になら、あるのかもしれない。

 海の彼方の連合王国は、帝国や東王国とは文化が少し違うと聞いていた。ひょっとすると、ショウユやミソに似た調味料を使う人々も住んでいるかもしれない。


「結論を出すのはまだ早いよ、ハンス。今はそれよりも明日からの昼営業の準備をしなくっちゃ」

「それもそうだな」


 リオンティーヌの言葉に頷き、ショウユの話はそれでお流れになった。


 一晩掛けて水で戻したダイズを柔らかくなるまで水で煮て、コンブと一緒にことこととダシで煮詰めて行く。煮汁がなくなれば完成だ。

 時間の掛かった料理だけに味がしっかりと沁みている。


 ハンスは食べ飽きてあまり豆が好きではなかったが、この豆料理は気に入った。

 濃口ショウユの味は肉体労働で疲れた労働者の舌を喜ばせる。今はまだ春だが、これから暑くなってくれば味の濃い料理の出番はますます増えてくるだろう。


 ショウユ。

 あの黒い液体がハンスの心を捕らえている。

 連合王国へ行けば、ダイズが手に入るのか。今すぐにでも確かめに行きたいが、ハンスは修行中の身だ。そんな我が侭が許されるはずもない。


「ハンスさん。そのお皿、少しサラダの盛が少ないですよ」

「あ、ああ、ごめん。エーファちゃん」


 皿洗いをしているエーファに指摘されて、ハンスは我に返った。

 集中、集中。今日は大切な昼営業の初日だ。見れば確かに定食の盛がまちまちになっている。これではいけない。

 気持ちを切り替えて、仕事に集中する。


「しかし何で鶏の胸肉を揚げたらヒガワリになるのかね」

「そりゃおめぇ、雄鶏が鳴いたら日が変わるからだよ」

「ちげぇねぇ」


 テーブル席で談笑する三人組の労働者は、夜営業では見ない顔だ。三人とも美味そうにタツタアゲを肴にトリアエズナマを飲んでいる。

 今までノブに来られなかったお客さんが、楽しげに食事をするのを見ていると、ハンスはなんだか勇気付けられた。


「ね、良いもんだろ、昼営業」


 注文が一段楽したのか、リオンティーヌが話しかけてくる。


「美味しそうに食べてくれるのを見るのは嬉しいよ」

「そうだろ、そうだろ」


 満面の笑みを浮かべたリオンティーヌの顔は、ノブに勤め始めたときよりも明るい。溌溂とした表情の影に時折見せる寂しげな憂いもどこかへ消えてしまったようだ。


「……ハンス、ショウユのことがそんなに気になるのかい?」

「そりゃまぁね。ショウユとミソがあれば、タイショーからノレンワケを許されたときに随分と楽になるし」

「随分と先の話じゃないか」

「問題は一つずつ片付けていかなきゃ」

「それもまぁ、そうだね。それは大事な考え方だ」


 いらっしゃいませ、というシノブの声が響く。

 また次のお客が入ってきたらしい。より多くのお客さんに食べてもらおうという作戦は見事に成功している。皿洗いのエーファも大忙しだ。

 タイショーが揚げて食べやすい大きさに切ったタツタアゲを、ハンスが皿に盛っていく。

 盛りつけているだけなのに、額に汗が滲んだ。

 忙しい。際限なく忙しさが押し寄せてくる。それでも、これは心地よい忙しさだ。


 昼営業は、仕込んでいたワカドリの胸肉がなくなるまで続いた。


「お疲れ様でした!」

「お疲れ様!」


 一度ノレンを下した店内で、酒精抜きの乾杯をする。

 初日にしては大成功だ。短い時間に限っての開店だったが、客の入りとしては平日の夜営業とほとんど変わらない。

 客の並ばせ方や注文の取り方にエーファが早速新しい工夫を提案していく。

 皿洗いという立場は、店の中のことが意外にもよく見えるようだ。


「そういえば、リオンティーヌさんは?」


 シノブに言われて見回すと、確かに店内に姿がない。カウンターには檸檬水(レモネード)の入っていたグラスがそのままになっている。


「さっき、ちょっと出てくるって言ってたよ」


 言いながらタイショーはもう晩の仕込みに取り掛かっていた。慌ててハンスも厨房に入る。

 いつもより仕込みに掛けられる時間が短いから、手際よく進めていかなければならない。


「リオンティーヌさんがどこかへ行くって、珍しいね」

「心配しなくてもその内帰ってくると思うよ」


 心配そうなシノブをタイショーが慰める。

 ハンスとしても気にはなるが、リオンティーヌは強い。何かあっても大丈夫だろうという信頼感があった。


「何か気になることがあったのかな……」


 残った皿を洗いながらエーファが呟く。そうだとして、急に飛び出していくほど気になることとは、いったいなんだったんだろうか。考えてみるが、ハンスには思い当たらない。


「ごめんごめん、急に飛び出してさ」


 結局、リオンティーヌが帰って来たのは日が沈みかけた頃、夜営業の直前だった。


「リオンティーヌさん、いったいどうしたんですか?」


 ぷぅと頬を膨らませるシノブに、リオンティーヌは苦笑を浮かべ、決まり悪そうに頭を掻く。


「いやね、大市にダイズを持ち込んだ連合王国の商人を探してみようと思ってね」

「ああ!」


 確かにそうするのが一番早い。

 商人から情報を聞けば、壺からショウユの匂いがしたことの説明も付くかもしれなかった。


「それで、結局どうだったんですか?」

 勢い込んで尋ねるハンスに、リオンティーヌは力なく首を振る。

「結論から言うと、上手くいかなかった」

「見つからなかったってことですか?」

「そうじゃないんだよ、シノブ。ウニのマルコにダイズを売った遍歴商人は確かに見つかった。問題なのは、その商人がダイズの出所をしらなかったってことなのさ」

「どういうことですか?」


 エーファの頭を撫でながらリオンティーヌが言うには、連合王国からの遍歴商人もダイズは別の遍歴商人から買ったのだという。


「買った遍歴商人も売った遍歴商人もどっちも連合王国の人だったってのは確かなんだ。連合王国にダイズがたわわに実る約束の地があるらしいってことが分かっただけでも儲けものだね」


 そう言ってリオンティーヌはハンスに片目を瞑ってみせる。

 これだけ調べたのだから、真面目に仕事をしろということだろう。同期の仕事仲間というのは本当にありがたい。


 ただ、知れば知るほどダイズの出所は気になってしまう。

 本当に連合王国にあるのなら、探しに行きたい。それが無理なら、誰か人に頼んで探しに行ってもらいたい。

 今日のオススメにする予定のワカドリのカラアゲを仕込みながら、ハンスの心は遥か連合王国へと飛んでいく。

 夢に到る手がかりが見つかったのだ。


 その日は本営業が終わっても、家に帰っても、ハンスの気持ちは高ぶったままだった。


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