一目惚れ
「う、嘘だ」
ラグさんの中に、こんな人格がいるなんて信じたくない。
でも、目の前のエミリアはとても楽しそうに微笑んでいる。この微笑みは、人を見下しつつその人の状況を楽しんでいる時によく見られるのもだと、俺はよく知っている。この人に出会ってから、三年も経っているのだ。少しくらいは理解しているものと思う。
「あら、そんなことないわよ。あの子は、意外性の塊なんだから。言い換えれば気分屋なのよ。昨日のこともそうじゃない?」
「昨日?」
なぜエミリアが知っているんだろう。まさか、ヴァンさんが言っていた、ある筋の人、というのはエミリアのことなのだろうか。
俺は急に不安になった。
「ええ、きっと少し切ってみたかっただけなのよ。痛いのかなって」
エミリアは笑みを崩さない。
「どうして、知ってるんだ?」
「私は、あの子の人格の内、何人いるかは分からないけど、そのうちの二人と友達なのよ。その中に一人、自殺しちゃうような子がいたわ。それよりも、あなたがあの子を知っている方が不思議なのよね」
エミリアの笑みの中に、何か真剣な物を見た気がした。
丁度、お弁当は食べ終わったところだ。
「二人もいるの?」
と言うか、ラグさんの中にはいったい何人いるのか気になるところではあるが、今はどうしてエミリアとラグさんが知り合いなのかを追求したい。
「ええ、私が知っている限りでは。でも、教えてあげないわ。全部全部、教えてあげない。……うふふ、だってね、私、悔しいんだもの。あの子は私の最大の理解者だったわ。それなのに、今はいけ好かないあなたに入れ込んでるなんて」
エミリアは本当に不機嫌そうな顔になって、まだぶつぶつと呪詛を唱えている。そういえば、いつだったか忘れてしまったが、エミリアは“何たらの魔女”とか何とか言うあだ名があるらしい。なんでも、どこぞのお嬢さんと正面切ってやり合って最終的に相手を陥れたとか、財産の相続争いで、どんな手を使ったのか、全額自分のものにしたとか。とりあえず、敵に回したくなくなるような噂が絶えない人だ。
でも、全部教えないなんて、そんなことを言われたら気になるじゃないか。
「……で?」
呪詛を誰かに飛ばし終わったらしいエミリアが、俺に何かを促してきた。
何を促してきたのかさっぱり分からない俺は、小首をかしげてしまう。それを見て、エミリアは深いため息を漏らす。いや、漏らすなんてレベルじゃない、吐き出す、くらいの方が正しいだろう。
「だから、あなたとあの子の馴れ初めを聞いてるんじゃないの! まったく、これだから男ってのは……」
「ああ、そ、そうかあ。えと……」
ええと、なんだろう。俺とラグさんの馴れ初め。そもそも馴れ初めって何だろう。
「だから、初めてあったのはいつなのよ? どこで会ったの?」
しびれを切らしたらしいエミリアは、不機嫌になりつつも助け船らしきものを出してくる。ついでにぼそぼそと聞こえてくる、悪態なんかは聞かなかったことにしよう。
「えっとね、会ったのは、一週間とちょっと前で、場所はラグさんのやってるバー」
「はあっ?」
言い終わるやいなや、エミリアは呆れたような、人を小馬鹿にしているような顔になった。
「まだそれしか経ってないの? え、じゃあ一目惚れなの?」
「うん、一目惚れ」
そう、たしかあれは確実に一目惚れだ。まさに、一目見たあのときから、って感じ。
「ああ、そうよね。それが男って生き物なのよね」
エミリアはなぜか、頭を抱えて俯いてしまった。端から見れば、俺がこの大学のマドンナ的存在のエミリアを泣かせているように見えないこともないだろう。
「まあ、そこそこ応援してあげないこともないから、女心が分からなくなったら、いらっしゃいな。相談くらいはのってあげてもいいわ。それじゃあ、お先に、ね」
エミリアは、話すことはもうないのよ、とでも言いたげな笑みを浮かべて、颯爽と食堂から姿を消した。残ったのは、俺と、俺に向けられた殺気の混じった視線だけだ。
俺も、早々にその場から退場した。俺だって命は惜しい。
あげくに、エミリアはラグさんのことをほとんど教えてくれなかった。
もうエミリアは聞いても教えてくれなさそうなので、帰ったらヴァンさんに聞いてみようと思った。不思議なことに昨日から消えなかったもやもやが、嘘のようになくなっている。
結局俺は、そのもやもやの正体を掴めないままだ。
俺は晴れ晴れとした心持ちで、午後の講義を受けて、誰よりも早く大学を出た。
今回は、どのような人格がいるのか、みたいなお話をしようかと思います。
まずは、オリジナル(人格)です。生まれたときからいる人格のことです。基本人格とも呼ばれます。
主人格。普段活動している時間が長い人格のことです。オリジナルと間違われやすいそうです。
交代人格。オリジナル以外の人格です。それぞれに個性があり、役割が決まっていることも多いそうです。
保護人格。すべての人格の力関係、肉体を守る役割をする人格だそうです。
これはあくまでも、先生が診察する上での目安のようなもので、この人格が保護人格だ、と決めつけられないこともあるようです。