白い
俺は、その後のことをよく覚えていないけど、気が付いたら病院にいた。目の前には、手首に包帯を巻かれて、腕には点滴の針が刺されて横になっているラグさんの姿があった。
病院のベッドも、カーテンも、この部屋も、ラグさんまでもが無機質に白かった。黒髪の医者の話だと、心配はないそうで、点滴も輸血をしているだけだそうだ。
皮肉なことに、ここは俺がよく知っている病院、兄貴の病院だった。ラグさんを診た医者は、兄貴だった。兄貴は冷静で、医者として正確に対処していた。救急車を呼ぶことにさえ、手間取った不甲斐ない俺とは大違いだ。
「……ヴァンさん、これで失礼しますね。何かあったらナースコールのボタンはここですので、呼んで下さい。じゃ、俺はもう行くから、ヴェルド」
「あ、うん」
それだけ言うと、兄貴は出て行ってしまった。ヴァンさんとの気まずい沈黙だけが、取り残される。
長い沈黙。どっしりと重く、その静寂が思考混乱させる。いや、混乱させるのは思考だけじゃない、時間感覚も、温度感覚も、全ての感覚を狂わせる。どうして、そんな疑問が俺の中で延々と巡り続ける。そして、俺のせいなんじゃないか、そう結論が出たところで、振り出しに戻る。正直、最近まで落ち着いていた、なんて言われて、最近ラグさんの生活に顔を出してきたのは俺しかいないのに、それを気にしないなんてことは出来ない。真実を知ることさえ躊躇われる。
「ヴェルダンディー、アリー……いや、ラグナードとはどれくらい一緒にすごした?」
急にヴァンさんが、質問を投げかけてきた。俺は視線を落としまま答える。
「そう、ですね、昨日で丁度一週間目でした」
俺は、無駄に考えてからそう答えた。
「そうか」
ヴァンさんの答えは、救いがないみたいに短いものだった。
また、静かすぎるほどの静寂が舞い降りる。
ヴァンさんは、何も知らなかった、とも言っていた。この状況になって、混乱してしまうあたり、確かにそれは当たっているんだろう。俺は、ラグさんについて何も知らない。急にラグさんの生活に出てきて、好きだとか愛してるとか、ふざけていると自分でも思う。でも、その感情を一度だって疑ったことはないし、きっとこれから揺らぐこともない。もちろん嘘偽りもない。
だからこそ、加害者が自分であった時に、恐怖してしまう。好きな人が、ラグさんが、脆くて危うい存在なのはうすうす感じてはいた。でも、こんなに急に変化が訪れるとは思わなかった。一番近くにいたはずなのに、誰よりものこ人を知らない気がする。一番近くにいたのに、この人を助けられなかった。こんな自分が情けなくてしょうがない。無性に悔しい。
そう思うのに、真実をヴァンさんに聞くことは恐ろしい。足がすくみそうに恐い。
ぐるぐると、堂々巡りを続けながら、静寂だけを感じていた。
「ヴェルダンディー、君は、この子に何があったか、知りたくないか?」
唐突に静寂が打ち砕かれた。ヴァンさんの声によって。俺は、反射的に顔を上げた。
「え?」
俺はなんて言っていたのか、聞こえていたはずなのに聞き返してしまった。俺は、真実を知りたくないのかもしれない。やはりその恐怖に耐えられない。
「知りたいんだろう? ラグナードのこと。大体、この子が私をお父さんと呼んでいるというのにも違和感があるはずだよ。親子って年でもないし」
見上げたヴァンさんの顔は、妙に真剣だった。
俺は、目が覚めていく時のように、あるいは答えを見つけた時のように、すっきりした気持ちになっていく。いや、実際に答えが決まったのだ。
「……はい。知りたいです」
たとえどんな答えでも、俺は聞かなければいけない、そう思った。