添い寝
「……あ、あのね、コーディアルさん。あなたは、か、ぞく、とかいる?」
うつ向いたまま、投げ掛けられた質問。俺はまた、意図が読めなかった。
「いますよ」
「ね、お話聞かせて?」
まるで子供が、眠れないとき親に絵本を読んでとねだるように、ラグさんは俺にねだる。
「いいですよ。……そうですね、母は、父と一緒に外国で隠居暮らしをしてます。二人とも、いつまでも若くて、出歩くのが好きでしたね。仲も良くて。でも、籍は入れてないんです。二人とも。母曰く、あんな薄っぺらな紙で私たちの関係を表せるわけない、だそうです。おかしいですよね」
そこでいったん話を区切って、ラグさんの様子をうかがう。
「そ、れは、仲がいい証拠だよね。少し変わった言い分だけど」
うつむいていて表情は分からないが、少し笑っている気がした。
俺は話を続ける。
「お陰で、俺と兄貴は名字が違うんですよ。俺は母方の、兄貴は父方の名字なんですけどね。そうそう、前に両親から旅行のお土産が届いたんです。どこに行ったかは覚えていないんですけど、テーブルが送られてきて驚きました。やたら大きいし、重いし、なんだろうって期待を膨らませて、開けたらテーブル。しかも、組み立て済みなんですよ。それで、添えてあった手紙には、これよくない? って、たったそれだけ。兄貴は大激怒でしたね」
ラグさんは依然として、うつ向いたままだったけれど、楽しそうだった。
「はい、これで終わりです」
最後のテープを貼ると、ラグさんの体は絆創膏と湿布だらけになっていた。
「ありがとう。あ、あの、ね、もう少し、お話聞いてもいい?」
うつ向いたままだった顔を上げてそう聞いてくるラグさんに、俺は頷いた。ラグさんのパジャマのボタンを閉めながら。
「でも、冷えませんか?」
そう聞いた時に、タイミングよくクシャミをするラグさん。
「ね? そろそろベッドに行った方がいいかもしれないですよ?」
そう言うと、ラグさんは枯れかけの花みたいに、またうつ向いてしまう。
「じゃね、い、一緒に、寝よ?」
この人に危機感とか、貞操観念とか言ったものは備わっていないのだろうか。俺は、好きだと伝えたはずなのに。
「……ひ、一人で寝たくないの。ね、何してもいいから、お願い」
まさかの捨て身でしたか。それはそれは、考えが至りませんで。いやいや、そうじゃなくて。
「ラグさん? いいですか、何を考えてるのかよく分かりませんけど、せめて自分くらい大切にしてください? こんなに傷を作って、きっと悲鳴をあげてますよ、ラグさんの体」
俺は、とりあえず一般論を述べた。
「で、でも、嫌なの、ひとりで、寝るのが」
ラグさんは俺の胸にすがり付いてきた。その体は、少しだけ震えている。
俺は、大きく一つため息をついた。
「……仕方ないですね、一緒に寝ましょう。じゃあ、俺も、シャワー浴びてきますから」
俺、耐えられるだろうか。俺だって一応、健康男子。好きな人が側にいたら、きっといかがわしい気持ちになるに違いない、そう思う。でも、この人は、何となく違うんだ。俺が大好きなラグさんとは少しだけ。
だから、大丈夫と言うわけでは決してないが、この人にお願いされるとどうにも断れなかった。
この人は、少し前までのラグさんより少しだけ幼い気がした。何というか、甘え方を知っている。それは、小さな子供が親に甘えるような、そんな甘えだ。
「うん、分かった」
ラグさんは、嬉しそうに頷いた。そこにはもう、先程の不安そうな目はなかった。
「じゃあ、ベッドで待ってて下さい」
そう言うとラグさんは、また頷いて部屋を出て行った。
俺は、密かに力を抜いた。なんだか、ラグさんの皮を被った、違う人の相手をしている気分だった。
ゆっくりと重い腰を上げて、バスルームに向かう。本当に重い腰だ。本当は上げたくない。でも、あの人はきっと俺を待っているだろう。そう考えると、足が速くならずにはいられないのだ。いくら違う人のようでも、ラグさんはラグさん。それに、あれが演技のようには見えないから、きっと本当に覚えていないのだろう。
だとすると、かなり心配になる。これって一種の記憶喪失ってやつだろうか。もしそうだとしたら、やっぱり医者に診せた方がいいのかもしれない。何か悪い病気にでもなっているかもしれないし、もっと他に理由があるのかもしれない。
何にせよ、前例がある。兄貴の話によれば、ラグさんがこうなったのは、初めてじゃないことは確かなのだ。そのおかげで、何とか対処している。いや、対処、仕切れてなかったよな。キッチンのこととか。最悪なんじゃないか、もしかすると。
ダメだ、ネガティブ反対。ポジティブに行こう。そうしよう。
そう前例があるなら、何か出来るはずだ。
鬱々とそんなことを考えながら、俺はバスルームを後にした。
恐る恐る、ラグさんのベッドルームのドアを開ける。ドアは、キイと音を立てて開いた。
「あ、コーディアルさん」
ラグさんは、俺の姿を確認すると、すぐに掛け布団をめくった。それから、ここに来いと言うように、あいているベッドのスペースをぽんぽんと軽く手で叩いている。
俺は、半ば諦めてその空けられたスペースに腰掛けた。
「ね、お話聞かせて?」
ラグさんは、にこやかに聞いてくる。ラグさんは、この話を相当楽しみにしていたのか、
「ええと、どこまで話しましたっけ?」
と聞けば、
「お兄さんが、テーブルが届いて怒ったところ」
と、即答した。
「そうでしたね、じゃあその続きから」
「続きがあるの?」
「はい、あるんです。その後、兄貴と義姉と俺で、そのテーブルをどうするかって悩んだんですよ。で、悩んで悩んだあげく、突然父が訪れてきて、置き場に困ってるみたいだから貰ってくって言って、持って帰っちゃんたんですよ。何でも、丁度よくそれが必要になったとかで。もう、兄貴はまた怒り出しちゃって、大変でしたね」
「……き、君のお兄さん、怒ってばっかだ」
少し怯えたような声に笑ってしまう。
「ふふっ、そうですね。でも、姉さんには尻に敷かれてるんですよ?」
「へえ、すごいお姉さんなんだ」
「そうですね、世間一般で言うところの、鬼嫁ってやつですかね」
きっと今ここに、レイ姉がいたらなぶり殺しにされるだろうな、こんなこと言ったら。恐すぎる。
「お、鬼。強そうだね」
「ええ、強いんですよ。姉さんは」
ラグさんは、俺の話をとても楽しそうに聞いていた。さっきまでの雰囲気とは大違いだ。
「ね、コーディアルさんも早くベッドに横になったら? 明日も学校あるんでしょう?」
「え?」
俺は今のこの人に、たった一言もそんなことは言っていない。確かに明日は講義がある。でも、俺はそれをさぼろうと思っていたのだ。
「サボっちゃダメだよ?」
ですよね、俺もそう思います。って言いたいところだが、気になることがたくさんありすぎる。
ラグさんは、当たったことが嬉しいのか、にこにことした顔をこちらに向けてくる。
「どうして分かったんですか?」
「あ、当たったの? あのね、お弁当の袋が置いててあったしね、リビングにはリュックが置いてあったでしょ。リュックからは、たくさん本が出てたし、コーディアルさんは社会人ぽくないかなって思って」
ラグさんは今度こそ嬉しそうに笑った。
その表情に、俺はまんまと乗せられてことをようやく悟った。
「ね? だからもう寝よう? って僕がお話してって頼んだんだけど」
「……そうですね」
俺は渋々、ラグさんに背を向けるようにベッドに入った。本当はずっと見張っていたかった。もうこの人がどこかへ行かないように。
「ね、最後に一つだけ聞いて良い?」
俺は、電気を消した。
「はい、どうぞ」
「あのね、コーディアルさん、は僕と一緒に住んでたんだよね?」
「はい、少しだけですけど」
「そっか、分かった。ありがとう」
またラグさんが、どこかへ行ってしまうような気がした。それで、根拠もないのに急に不安でたまらなくなる。ラグさんが寝返りを打つのにさえ、聞き耳を立ててしまう。
俺は、どうしようもなく焦った。
もし、朝起きて、ラグさんがまた俺のことを忘れていたら、俺はどうするだろう。どうしようもない気持ちを、一体誰にぶつければいいのだろう。それどころか、姿が無くなっていたら、俺はどうすればいいんだ。こんなに好きなのに、好きになっても好きになっても、俺の愛したラグさんが、端から消えてしまっていったら。
俺は、絶望の底を覗いた気がした。ひんやりとした何かが、俺を覆っていく。
ラグさんが、また少し動いたのが分かる。大丈夫、まだここにいる。明日はどうだろう。明後日は、どうだろう。
俺は、不安と思考の波の中に入っていく。
その時、ふと、背中当たりに温もりを感じた。
「眠れないの? 僕がお話ししてあげる」
そう言ってラグさんが話し始めたのは、シンデレラ、であると思われるなにか。少なくとも、俺の知っているシンデレラとはかなり違っていた。