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ガラスの靴はいらない  作者: 朝日奈 松葉
サギソウ~夢でもあなたを思う~
27/41

 ラグさんは、俺の突拍子もない告白に動くのを忘れたように固まった。

「……あ、ぼ、ぼく、は」

 ラグさんの言葉を、途中で遮る。

「いいんです。答えが欲しい訳じゃないんです。ただ、知ってて欲しいだけなんです」

「あ、う、うん。分かった」

 もしかしたら、ラグさんは拒絶の仕方を知らないのかもしれない、なんて馬鹿なことを思ってしまうほど、その言葉は真っ直ぐだった。

「ありがとうございます。さて、この怪我、手当てしちゃいましょうね。あ、でも、シャワー浴びてからの方がいいですかね? いやでも、血が出てるのは、先にした方が良さそうだけど、痣の方は……」

 俺は兄貴と違って、医療とかには全く興味が無いのでさっぱり分からない。そんな俺を、ラグさんは見ている。それがさらに、俺を焦らせる。

「じゃあ、とりあえず、血が出てるところだけ手当てしましょうか」

 何とか、それだけを口から押し出した。

 そして、ポケットに絆創膏常備な俺。実は自分用だったりする。

 早い話、俺はよく怪我をする。まあ、そんなことはどうでも良い。

「手、怪我した所見せて貰えますか?」

 早く、ラグさんの手当をしないと。

 俺の表情を伺いながら、おずおずと差し出される手にどんどん絆創膏を貼っていく。我ながらなかなかの手際だと思う。

 貼り終わる頃には、絆創膏だらけになってしまったラグさんの手は、それでも、その手が綺麗に見えた。決して細くは無いが、指が長くてしっかりとした手は、とても冷たい。

「はい、終わりましたよ。本当にさっきは、すみませんでした。シャワー浴びて、暖まってきて下さい」

 俺は、ラグさんにそう勧めた。

 ラグさんは、絆創膏だらけの手を胸当たりに持って行って軽く握った。さっきもやっていたのを観ると、どうやらそれが癖らしい。

「でも、あの、片付けが……」

 そんなことを言って渋るので、俺は自分がやるからと言って、半ば強引にラグさんをバスルームに押し込んだ。

 シャワーを浴びる音がしてきたのを確認して、割れたお皿の片づけに取りかかる。が、正直に言って、コレをどこに捨てたらいいのかよく分からない。しばらく考えた末に、新聞紙で包んで捨てることにした。それから、掃除機を探し出し小さい破片をすわせた。

 その次は、お皿を洗った。ここまでは問題ない。問題はここからだった。木の食器棚の中には、丁度何人分の食器。全てが三つずつしかない。コップも、スプーンもフォークも、全てだ。全て同じデザイン。落ち着いて見るとその全ての表面が、ざらついていてモノの姿を反射しないようになっている。

 よくよく考えてみると、この食器棚も扉が木で作られていて、中が見えないが姿は映らない。振り返って目に飛び込んできたシンクも、姿が映らないようになっている。リビングに行って見えたテレビは、どの扉の位置からも画面が見えないようになっている。ドアノブにすらカバーが掛けられている。

 俺は、正直ぞっとした。割れた鏡も、ずっと閉めっぱなしのカーテンも、この家の全てが人の姿を映さない。そんな簡単なことに今更気付いた。遅い、遅すぎる。

 存在自体には気づいていた。でも、何故かそれを気にとめなかった。それはきっと、そこまで気にとめる暇がなかったからだろう。

 そう、あの人の事を考えるのに、あの人の視界に入りたくて、精一杯だった。本当にそれしか考えられなかった。

「あ、あの、……コーディアルさん? どうかしたの?」

 戸惑いを隠し切れていない声に振り返ると、予想通りにラグさんが立っていた。

 どうやらラグさんは、俺のことを“コーディアルさん”と呼ぶことにしたらしい。

「……」

 立っていた。そう、立っているんだ、目の前に。

 けれど、居心地が悪そうに立っている割には、パジャマの上着のボタンは最後まで閉められていないし、髪は少し濡れているし、頬は少しだけ紅潮していた。早い話、俺みたいな若造から見たら、襲って下さいって言っているようにしか見えない。

 そんな俺の胸中を知ってか知らずか、ラグさんは俺に近づいてくる。その顔は、だんだんと表情が理解できなくなっていく。

「……ね、あなたも、僕を買ったの?」

 今の、ラグさんの言葉は、残念ながら、すぐには俺には、理解できなかった。

 それでもラグさんは続ける。

「僕ね、たまにあるんだけど、ぼうっとしててね、さっきまでのこと覚えてない時があってね。ええとね、……家に入ったあたりからしか、覚えてないんだけど……」

 俺の脳内では、今までなら絶対にあり得ない状況に、どう対処するべきか、なんて議題で大盛り上がりだった。飛び交うのは、拍手ではなくブーイングの荒らし。

 そんな俺を置き去りにして、ラグさんはパジャマのボタンを外し始める。無言を肯定と取られたらしい。

 俺は、慌てた。だって、俺の理性ってすごく儚いんだよ。

「いっ、いえ、違いますがら。ちょっと。手を止めて下さい!」

 なんとか、ラグさんの手を掴んで止めさせる。

 ラグさんは、訳が分からないと言いたげな視線を向けてくる。それ、俺もあなたに向けていいですか、なんて言えるはずもなく、俺は無意味に説明し始める。

「俺は。ただ、最近になってここで寝泊まりさせて貰ってるだけで、決してそう言った関係ではなく、俺の片思いな訳で、……ええと」

 どうしよう、自分で言ったくせに悲しくなってきた。それなのに、ラグさんは小さな声で、片思い、と口ずさむ。それが無性に、突き刺さった。きっと大出血だ。

「……そう、なんだ。ご、ごめんね、あ、あのっ、こんなことして」

 ラグさんは、不安そうに俺を見上げている。

 もしかして、さっきのことがこの人にそう思わせたのだろうか。さっき、俺が無理矢理この人の傷を見たりしたから。

 どうして、あの時、まずいことが起きるかもしれないと思っていたにもかかわらず、こんなことをしてしまったのかと悔いる。

「いえ、俺の方こそ……。あ、と、とりあえず、怪我の手当てしましょうか」

「……うん」

 俺は、ラグさんをソファに座るように促す。

「ところでラグさん、救急箱とかありますか?」

 そう聞くとラグさんは、無言で頷いてテレビの方に置いてある棚を指さした。

「一番、上に」

 その棚の一番上にある引き出しの中には、確かに絆創膏や湿布、薬の類などが置いてあった。

 俺は、それを確認して、引き出しごと取り出す。その間も、ラグさんは俺を不安げに見ているだけだった。

「えっと、じゃ、とりあえず、背中から手当てしましょうか。服を脱いで貰えますか?」

 俺も、ソファに座った。

「うん」

 ラグさんは、俺に背を向けてパジャマを脱いだ。そうして、あらわになるラグさんの背中にしばらく絶句した。

 ラグさんの背中は、思っていた以上に、傷だらけだった。その大半は真新しい痣だが、中には古傷と呼べるようなものもある。

 これで、喧嘩しました、なんて言われたら、本職がマフィアかと疑いたくなる。

「あ、汚いよね。ごめんね? やっぱり自分でするから……」

 そう言っているラグさんの声は、どうにもやるせなさそうな、悲しい声だった。小さい背中が、さらに小さく見える。

「汚くなんかないです」

「え?」

 俺のとっさの一言に、振り向くラグさん。その目は、少しだけ見開かれている。

「汚くなんかないです。ただ、痛いんだろうなって、そう思って」

 俺は、思ったことをそのまま伝えた。結局、俺に考えて言葉を発するなんて高機能な事は出来ないのかもしれない。

「……痛かったのかなあ。思い出せないかも」

 ラグさんは、体勢をもとに戻し、嘲るようにそう言った。

「痛いのって、忘れられるんですか?」

 この質問に、興味は三割くらいしか含まれていない。残りは、全てその他に分類されるほど、細かく、まとまりがないもので構成されている。

「そう、だね。僕は、た、多分、今までずっとそうしてきた、気がするんだよ」

 それは、非常に楽しくないのではないだろうか。と言うか、痛いのが、今までずっと、なんて言われるほどたくさんあったのだろうか。

「あ、……で、も、ね? たまにね、胸が痛くなるよ、……なあんてね? 言ってみたりして」

 もしかするとこれは、この人の本心なんだろうか。それとも、嘘か。

「背中、終わりましたよ。まだ痛みますか?」

 どちらにせよ、この会話で俺はこの人の真意が掴めなかったことは、事実だ。俺とラグさんとの距離を、この時はじめて、自覚した気がした。

「だ、大丈夫だよ」

 決して近くはない距離が、さらに開いていくのが分かる。

「そうですか、よかった。じゃあ、今度はこっちを向いて貰えますか?」

 そう言うと、ラグさんは無言でこちらを向いた。

 嫌でも目につく、赤い痣。

「……あ、のね、僕、前なら自分で、できるから、もう、いいよ?」

 俺の視線の意味に気がついてしまったのかと、焦る。

「俺が、やりたいんです。ほら、首のとことか、やっぱり一人じゃ難しいし、利き手だってやりにくいだろうし……」

 駄目だ。これ以上は聞いちゃいけない。そう思っても、口は他人のものように言うことをまるで聞かなくなっていた。

「……、それとも、それとも、俺に触られるの、嫌ですか?」

 言った瞬間、合ってしまったラグさんの視線に、後悔が溢れ出した。

「そ、そんなこと、ないっ。あ、温かい手、嫌いなんかじゃないよ? 本当なんだよ?」

 そう言って、一生懸命にこの場を取り繕うラグさんの姿に悲しくなる。

 だって、何となく、俺に話しかけている気がしなかった。ラグさんは、俺を通して誰かを見ている。

「そうですか、よかった。安心しました」

 そうは言ったものの、俺はまだこの人の視界にさえ入れていないことに愕然とした。今まで、不安そうに見上げてきていたのも、よく考えると俺じゃない誰かを見ているような気がしてきた。

 嫌な沈黙の中、俺は作業を開始した。ただ黙々と手を動かす。


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