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ガラスの靴はいらない  作者: 朝日奈 松葉
サギソウ~夢でもあなたを思う~
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違い

「ラグさん、とりあえず帰りましょうか」

 あんた誰? そう言われた時には、心臓が止まるかと思ったが、それは一瞬のこと。ラグさんが、こんなに震えてるのに俺が動揺してどうするんだと、自分に言い聞かせる。

「ね? ラグさん。寒かったでしょ」

「やだ」

 子供みたいなことを言う、ラグさん。つい先週も同じとを言われた気がする。

「そんなこと言わないで下さい。困っちゃいます」

 そう言うと、俺の顔をのぞき込んでくる。その時に、薄暗い街灯に照らされて、ちらりと首元が見えた。そこには、くっきりと手の跡が残っている。

「困るの?」

 その他にも、よく見ると顔にも、少し赤くなっているところがあった。そんな顔を、気にするそぶりも見せず、様子を伺ってくるラグさん。

「え、あ、はい。そうです。だから、ね?」

 どうしよう。ラグさんに、あんた誰? なんて言われた時よりも、ラグさんの怪我を見た時の方が、動揺している。この怪我について、聞いてしまいたい。だが、そうすると何かまずいことが起きるような気がした。

「……今日だけね」

 ラグさんは、訝しげに俺を見上げてから、そう言うとすたすたと歩いて行ってしまう。

「あっはい」

 俺は、その後を慌てて追う。

 そう言えば、ラグさんは出て行く時に、こんなコートを着ていただろうか。それに、なんだか、いつもと違う匂いがするような。何か俺、変態臭くないか。

「あ、ラグさん。荷物、持ちますよ」

 そう言って、ラグさんの手から荷物を取ろうとした。

「あ、ダメっ!」

 が、その手は、見事に避けられてしまった。

 俺は、立ち止まって唖然とラグさんを見つめることしかできない。ここまできて、初めてラグさんに拒絶された気がした。

 所々にある街灯の色が、ラグさんの肌の白さを強調させて、いつも以上にその顔が白く見えた。慌てているようにも見えたかも知れない。

「こ、これは、その。……」

 ラグさんは、そう言うと気まずそうに俯いてしまった。そう言えば、少しだけ髪の毛に癖が付いているかも知れない。いつもあまり寝癖が付いていなかった髪が、少しだけ跳ねている。とか、そんなことで気を散らさなきゃならないほど、俺は傷ついているみたいだ。

「いいんです。気にしないで下さい」

 俺は、そう言って歪に笑うのが精一杯だった。そして密かに、へこたれるな自分、と自分を自分手鼓舞する。

 それから、気まずい雰囲気を抱えながらラグさんの家まで歩いた。

「ね、晩ご飯。晩ご飯、もう食べたの?」

 玄関に入るなり、ラグさんはそう聞いてきた。今の今まで、黙り込んでいたのに。

「まだ、食べてないですよ」

 俺は慎重に、言葉を選んだ。

「じゃあ、何か作るね? 何がいい?」

 そう聞いてくるラグさんは、少しだけ不安そうに見えた。

「そうですね、ラグさんの好きなものがいいです」

「僕の、好きなもの?」

 ラグさんはきょとん、とした顔で首を傾げる。

「はい、ラグさんお好きなものです」

「そっか、分かった」

 そう言うと、ラグさんは荷物を自分の部屋に運び込んだ。それから、コートを脱いで、髪を適当に結い上げ、手際よく料理をはじめた。

 ラグさんは、何を作るだろう。ラグさんは、どんな料理が好きなんだろう。ただそればかりが気になって仕方がない。まだ、一週間しか一緒に暮らしていないが、ラグさんが自分の食べたい物を作っていた記憶はない。それどころか、ラグさんはほとんど毎日、僕にどんな料理が食べたいかと聞いてきていたくらいだ。

 俺はただ、椅子に座って、キッチンに立つラグさんの後ろ姿を眺める。後ろから眺めたラグさんは、女の人のようだった。そこには紛れもなく、母性を感じさせる何かがあり、それがとても儚げなのだ。それは、出かけるまでにはなかった儚さだった。そして悟る、この人とラグさんは、やはり別人なのだと。

 それにしても、ラグさんはどうして知らないはずの俺のために料理を作ってくれるのだろうか。家にまで上げてしまうなんて。図々しく上がり込んだのは俺だが、いささか、不用心すぎるというものだ。

 そもそも、この人に何があったのか、気になるところではある。でも、さっきの様子からして、ラグさんは本当に何も覚えていないのだろう。どうすればいい。

 そう思った時、ラグさんが『お父さん』と呼んでいた人のことを思い出した。あの人なら何か分かるかも知れないと、そう思った。でも、俺はその人がどこにいるのか全く知らない。何をしている人なのかすら、知らない。兄貴なら、知っているかもしれないが。

 おそらく、入院していたなら、多少の個人情報くらい病院にあっても良さそうなものだ。

こんな時に、兄貴に頼ることしか考えられない俺の情けなさを、まざまざと見せつけられている気がした。それでも、それしか方法が浮かばないのだから仕方ない。

 そんなことを考えていると、ラグさんが、くるりと振り返った。

「できたよ。ね、食べよう?」

 この人の手際がいいのか、俺の考えていた時間が相当長かったのか、その手には、料理の盛られたお皿を持っている。

「はい。ところで、何を作ったんですか?」

「えと、カボチャのスープと、サラダと、あと……スコーン」

 スコーン、異色のコンビが結成されている気がするな。いや、悪いとは言わない。

「あ、あのね、嫌いだったら、他に何か作るから……」

 俺が少し返事に手間取っていたことを、何か俺の気に障ったとでも思ったのか、ラグさんは急に慌てだした。いや、さっきからこんな雰囲気はあった。ただそれが、大げさになっただけだ。

「いえ、そんなこと無いです。美味しそうじゃないですか。俺、もうお腹ペコペコで、早く食べたいな、なんて」

 俺って、こんなに取り繕うのが下手だっただろうか。

「そう? じゃあ、今、テーブルに並べるね」

 ラグさんは、俺の拙い返事でも安心したらしく、テーブルに作ったものを並べていく。それは、少しだけ嬉しそうに見えた。

「ど、どうぞ?」

 未だにおどおどしながら、ラグさんがこちらを伺ってくる。

「いただきますね」

 ラグさんは、いつも相手の反応を見てから自分の分に手を付ける癖があった。それは今も変わらないらしい。

 じっと見つめられて、食べにくいことこの上ないが、それでもカボチャのスープを口に運んだ。何かリアクションをしなくては。

「美味しいです、ラグさん」

 出来るだけ、優しい笑みを浮かべてそう言った。この人を、安心させるために。

「よかった」

 ラグさんは、嬉しそう、というよりは安心したようにそう言って自分の分に手を付けはじめた。黙々と、食べていく。

 コレは気のせいかもしれないが、少しだけ料理の味付けが変わったような気がする。もちろん俺は、特に味に敏感だとか料理の評論家みたいな舌を持っているわけでもないから、あくまで、気のせいだ。

 ラグさんの方に視線を移すと、目が合ってしまう。ラグさんは、慌てて顔をそらしたが、気になって仕方がない。

 俺は、少しばかり手を止めた。

「どうしたんですか?」

 ラグさんは、居心地悪そうに俯いてしまう。

「……あ、のね、あなたのこと、何て呼べばいいのかなって。それで、気になって」

 俺は少し納得した。

「俺の名前は、ヴェルダンディー・コーディアルです。好きなように呼んで下さい」

 不思議な気分だ。つい一週間前は、無理矢理名乗っていたのに、今は俺の名前だけを聞かれているなんて。

「そ、その、あなたは、あなたの好きな人はあなたのこと、何て呼ぶの?」

「え?」

 俺はラグさんが何と言ったのか、暫く理解できなかった。

「ええと、その、好きな人、いるんでしょ? きっと僕に似てる人なんだよね? だからね、あ……ち、がって、たら、ゴメンね?」

 正直図星だった。もし、違うところを指摘するなら、似ている、ではなく、この人自身だということか。もし、それ言ってしまえたら、どんなに楽だろうか。それとも、ここからまた苦悩が始まるのだろうか。

 それとも、この人は、今のラグさんとさっきまでのラグさんを比べていることに気付いたのだろうか。だから、こんなことを言ったのか。

 ラグさんは、俺を置いて話を続ける。

「そ、それでね、僕、少しくらいなら、き、きっとね、代わりに……。そしたら、そしたらね、きっと、少しだけ寂しくないよ?」

 何故そうなった。どうしてそんなことで、寂しさが和らぐんだ。俺は、どうしても、前のラグさんと今のラグさんを比べてしまっていることに、罪悪感を覚えた。

「俺は、ラグさんを誰かの代わりになんかできないです」

 そう言うと、ラグさんは顔を上げた。

「そうだよね、変なこと言ってゴメンね」

 その顔は、諦めを多く含んでいるような、悲しみをため込んでいるような表情をしているくせに、笑っている。

 その表情の理由が、俺には分からなかった。

 ラグさんの手が、少しだけ震えている気がした。

 気まずい雰囲気のまま、俺たちは食事を終えた。


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