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ガラスの靴はいらない  作者: 朝日奈 松葉
閑話:ダイアモンドリリー~また会う日を楽しみに~
24/41

この独り善がりな思い

 僕には、弟がいる。弟と言っても、たった三ヶ月しか生まれた時が違わない弟。もっと言えば、血のつながらない、義理の弟だ。

 彼はとても優秀で、僕の受験した高校も推薦で入ってしまった。

 彼の名は、アリーと言った。悪くない、名前だと思う。でもその名前が、彼を傷つけて、歪ませてしまったことを、僕の両親は知らない。

 僕には、お母さんがいた。彼女はとても、男勝りで、快活な美しい人だった。料理や家事は苦手だったけど、専門の分野はすごかった。彼女の専門は、考古学。そして彼女は、大学で教授を務めるほどの人材だった。

 彼女の名は、フランシアと言う。とても、ステキな名前だと思う。

 彼女は、とても優しい人だった。

 僕には、二人のお父さんがいた。二人とも、お母さんを確かに愛していた。

 初めのお父さんは、僕と血のつながったお父さん。初めのお父さんは、コックだった。とても料理が上手で、大概のものは何でも作れた。料理が苦手なお母さんとは、丁度よかったと思う。

 初めのお父さんの名前は、アーロンという。

 初めのお父さんは、ある日、突然、交通事故で死んでしまった。その時、お母さんは、泣いていた。僕も、泣いていた。その時、僕は小さかったから、詳しいことは分からない。

 でも、お父さんが最後に言った一言は、絶対に忘れない。

「母さんを、頼んだよ」

 病院で、そう言っていた。僕は、お父さんの手を握っていたと思う。そこから感じたのは、だんだんと消えていく体温。お父さんの、お母さんに対する愛。

 二番目のお父さんは写真家だった。二番目のお父さんは、家事という家事が苦手で、お母さんと良い勝負だった。

 彼の名前は、レイフォンスと言う。

 今はもう、この中の誰とも暮らしていない。連絡先も知らない。でも、ある日、たった一人の僕の弟から手紙が届いた。

 内容は、午後五時、母さんのお墓、たったそれだけだった。

 手紙が届いた日は、丁度、店もお休みの日だったから、そこに行くことはそんなに迷わなかった。ヴェルという居候に留守番をさせていけば問題ないし、お母さんのお墓はそう遠くない。そして僕は、あまり好きじゃない、夕暮れ時に外に出た。

 待ち合わせ場所には、しっかりとした体格の青年がしゃがんでいた。ブラウンの髪が、夕焼けに照らされて、やけに赤く見えた。

 彼が僕の弟、アリーだ。昔から、スポーツも得意で元気な少年だったらしい。

 近づいていくと、アリーは僕に気が付いたのか、立ち上がる。

 初めに声をかけたのは、僕だった。

「久し振りだね、アリー」

 アリーは、僕の方を見ずに答えた。

「そうだね、兄さん。十年近く会ってなかった。会いに来たくもなかったけどね。で、今日はさ、お届け物があって、連絡したんだよ?」

 彼の話し方には、少しばかり棘があった。

「そうなんだ。わざわざ、ありがとう。そうだ、よかったら家で、お茶でも……」

 彼は、僕に最後まで言わせてくれなかった。

「お断りするよ、兄さん。兄さんの作ったのもなんて、食べたくもないんだ。あ、そうそう、父さんね、退院したよ? 随分前に」

「そ、そう、それは知らなかった」

 僕の声は、震えていないだろうか。

「そりゃ、そうだよね。兄さんさ、一度もお見舞いに来なかったそうじゃないか。酷いことするよね、父さん、寂しがってたよ。それでさ、どうせ会いに来ないんなら、来させたくなるようにしてあげたいんだって。それで、はい、これ」

 そう言って、差し出されたのは、大きめの袋。受け取って中身を見てみると、どうやら、アルバムが入っているようだった。

「それさあ、すごくよく撮れてるよね。初めは、母さんかと思ったよ。ホント、兄さんて母さん似なんだね」

 アルバムの中に入っているのは、全て僕の写真だった。

「あ、アリー、まさかコレ……お前、見たのか?」

 その時彼は、初めて僕の方を見た。

「もちろん。あ、まだあるよ。……にしてもさあ、よくやるよね、こんなこと。信じらんないよ」

 袋はまだあるらしい、一つ二つ、三つ。袋は全部で三つ。

「そ、そんな。お父さんが見せたの?」

 酷く、寒気がする。

「そうだよ。ってかさ、こんな事してて、よく平気だったね、兄さん。それとも、これって趣味なの?」

 彼は、飄々としている。その口元には、笑みを浮かべて。

「ねえ? 聞いてるの?」

 彼の声に、温度はなかった。

「ぼ、僕は……」

 平気だった? この写真は一体なに?

「まあ、いいや。でさ、父さんが、この写真、誰にも見せたくないって。でも、兄さんがいないと、寂しくて、みんなに見せちゃうかもってさ。この意味分かるよね?」

 分からない。何か言いたいの?

 僕は、知らず知らずに、彼を見上げていた。薄暗くて、彼の表情は分からない。

「あ、いい顔するんだね。なに、誘ってんの? もしかして、写真見たら思い出しちゃった?」

 彼の手が、僕の首に触れた。その手は、酷く冷たい手だった。

 気持ち悪い。耳鳴りがする。

「気が変わった。父さんのだから、何もしないでおこうとか思ってたけど、やっぱ止めるわ。おいでよ、兄さん」

 彼は、僕の腕を掴んで、無理矢理引っ張っていく。

 僕はそれに何故か、抗えない。

「いっ、いやっ。なに、するの。アリー」

 やっと、やっと、それだけ口にすることが出来た。でも、

「なに? 抵抗すんの? 生意気」

 彼の膝が、僕のお腹に勢いよく突っ込んでくる。僕は、それを避けられない。

「ぐっ……」

 思いっきり、その膝をお腹に当ててしまった僕は、抵抗するのを止めた。別に痛かったからではない。ただ、妙に悲しくて、その悲しみが僕のやる気を奪っただけだ。

 それから、彼は、僕を乱暴に車に押し込む。どうやらそれは、彼の車らしかった。

「ねえ、今一緒に住んでるやつとは、もうやったの?」

「え?」

 何を言ってるの。そんな冷たい顔で。

 僕は、後部座席に押し倒されていた。

「やったんでしょ? 兄さんってホント、汚いね」

 ちがう。

「何コレ。包帯なんか巻いちゃって。兄さんにこんなもの、必要ないのにね?」

 彼は、僕の腕に巻かれた包帯を解いていく。

 耳鳴りが止まない。もう、触らないで欲しい。

「ねえ、どうして、父さんは、兄さんしか見てないの? 俺は、こんなに好きなのにっ。あの人が呼ぶアリーは、いつも俺のことじゃないっ! あんたがいるから、フォンは俺を見てくれない。俺は、あんたの代わりじゃないっ」

 それは、悲痛な叫び。

 僕は、その痛みを知ってる。きっと、誰よりも知ってる。

 僕の名前は、ラグナード、ラグナード・A・トールステン。それも、本名とは少し言い難い。なぜならそれは、略式の名前。僕の名前に入っている“A”に、略されているのは、アリー。それは、血のつながったお父さんの、名前、アーロンから来ているらしい。

 でも、彼の名前も、アリーなのだ。

「そうだね、アリー。君は、僕じゃない」

 君は何も悪くないのにね。どうして、幸せになれないんだろうね。可哀想な、僕の弟。君をそんな風にしてしまったのは、間違いなく、僕なんだ。

「黙れっ。あんたが悪いんだ!」

 そうだね、君は悪くない。そう、言おうとしたのに、僕の口はその言葉を紡ぐことはなかった。

 アリーは、僕を殴った。殴って、そして、僕を抱いた。泣きそうな顔で、辛そうに、僕を抱いた。アリーは、あんたが悪いってずっと言っていた。泣きそうな顔で、ずっとそう言っていた。

 だから、僕は、アリーを憎めない。僕は知ってる、彼が優しいことを。優しいから、お父さんに、自分を見てって言えないんだよね。知ってるよ、ずっとずっと知ってた。でも、僕は何も出来なかった。ごめんね、僕、お兄さんなのにね。何も、お兄さんらしいこと出来なかったね。

 僕は、彼に抱かれながら、いろんな事を思い出した。お母さんのこと、お父さんのこと、シルア先輩のこと、全て思い出した。

  それは、今回が初めてじゃない。でも、それでも、僕は、弱いから、このことはいつも全て忘れてしまう。なんだか、あの楽しかった頃に戻れる気がして。

気が付くと、墓地のベンチに寝かされていた。ゆっくり起き上がると、バサリと何か落ちる音がする。不思議に思って、音のした方を向くと、そこにはコートが落ちていた。アリーが掛けていってくれたのもだろう。そしてその側には、大量の荷物。持って帰りたくはないが、ここに置いて誰かに見られるのはまずい。

 仕方なく、その荷物を手に持ち、コートを羽織り、立ち上がった。体中が痛い。けれど、重い体を引きずりながら、帰路についた。

 帰る間に、全て忘れてしまおう。そう全て。きっと、もうヴェルとは一緒にいられない。だって、あんな写真を見られなくないんだ。それに、またお父さんにあったら、僕はきっと帰れなくなるだろう。

 もう、戻れないなら、全て忘れてしまおう。そうでもしないと、僕は足がすくんで、お父さんの所には行けない。でも、お父さんの所に行ったら、そうしたら、せめて、アリーだけは解放してあげたい。あの、家族だなんて綺麗な言葉で囲っただけの、重くて苦しい束縛から。

 ヴェルにはもう、会えないかも知れないけど、もう、ヴェルのこともシルア先輩のことも、おじさんのことも思い出さないかも知れないけど、忘れてしまおう。それほどまでに、僕の過去を、あの人達に知られたくないんだ。家族が、こんなに重いなんて、思って欲しくないんだ。

 僕はまだ、お父さんが好きだ。あのね、アリー。僕も、僕もお父さんが、大好きだよ。だからね、君のお父さん、貰っていくね。

 全てを、忘れようとする中で、僕を呼ぶ声を聞いた。その声が、あまりにも優しいから、縋ってしまいそうになったけど、僕はそれをしなかった。それは、この独り善がりな思いから。

 ――――もし、また会えたら、僕は、君に謝らないといけないね。ヴェル。

 

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