この不思議な思い
視点が、がらっと変わります。
「ね、おじさん。今日は、ここに止まっていってもいい?」
ビジネスホテルの一室、同じベッドの中で、華奢な金髪の少年が呟くように尋ねてくる。
「ああ、もちろん」
私は、幸薄そうな少年に、そう答えた。出来るだけ優しい声を出して、出来るだけ優しいふりをする。
少年は、何かもごもごと呟いてそのまま寝てしまった。私は乱れた少年の長い髪を、ゆっくり手ですいてやる。
その少年の名前は知らないが、着ている制服からこのあたりでは有名な私立の進学校の生徒であることは分かっていた。それだというのに、この少年は多い時にはほとんど毎日、私に抱かれに来るのだ。もちろん、私から金をむさぼり取るためだ。
以前、その金を何に使うのかと聞いてみたことがある。その時、少年は一人暮らしをするための資金にするのだと言っていた。正直、私はそれを本当だと思っていない。
なぜなら、有名な私立の高校に行く学費を家が出せるというのに、一人暮らしをするための金を親が出し惜しむとは到底思えないからだ。もちろん、それは両親が反対しているからなどと理由は挙げられるかも知れない。だが、自分の子がこんな夜中に帰ってこないのを心配もせずに放っておくような親が、はたして子供の一人暮らしを反対するだろうか。いや、するはずがないのだ。資金面でも問題ないのだから、きっとお金もある程度は出してくれるだろう。
だが、きっとこの少年は両親からの連絡を待っているに違いないのだ。その証拠に、この少年は、いつも自分の携帯に縋るようにして眠りについている。それにくわえて、朝になれは、必ずメールや着信履歴を確認している。それでも、両親からの連絡があった試しはないのだ。
つくづく、冷たい親だと思うが、少年にはそうは思えないらしく、携帯の待受は親子三人で撮った写真が設定されている。むしろそれは、家族の遺影なのだろうか。
いずれにせよ、この少年が華奢で、よく体に痣をつくってくる事実は変わらない。
今更だが、本来、私に少年を抱くと言う趣味はない。異国に妻も子供もいる。だが、この少年は出会った時からどこか女性的だ。初めは長い髪がそう思わせるのかも知れないと思ったが、実は仕草や色気が女性のものにそっくり似通っているのだと、最近気付いた。この少年はいつも、快活な婦人のように振る舞う。その婦人はとても男勝りでサバサバしているがために、誰に抱かれても平気のだと、周りの人に思わせがちだ。いや、実際そうなのかも知れない。私の隣で寝ている少年は、今日も私の前に誰かの相手をしてきたらしかった。
朝になると、少年は私よりも先に起きていた。きっちりと着込んだ制服姿で、申し訳程度に置かれている丸い机に向かって、真剣に何かをやっている。
「おはよう、何をやっているんだい?」
そう話しかけると、少年はビクリと肩を一度大きく振るわせた。
「あ、おはよう、おじさん。えと、なんでもないよ」
苦笑いをする少年をよそに、私は机をのぞき込んだ。そこにあったのは、ノートと教科書。どうやら、勉強していたらしい。
「随分熱心じゃないか。テストが近いのかい?」
少年はまた、苦笑い。
「どうでも良いじゃない。気まぐれで、教科書を開いただけだよ」
気まぐれ、と言うレヴェルのものでもないような気がしたが、私たちの関係を思い出し、深入りするのはやめておいた。
それから暫くして、少年は熱を出した。もう、夏も暮れの頃。
「心配しないで、おじさん。何ともないよ」
そう言って、ドアへと行く足取りは弱々しく、真っ直ぐに歩けていない。私に抱かれたのが原因なのか、はたまた昨日から熱があったのか。
「いや、無理だろう。家まで送っていくよ」
「いいの。気にしないで……あ、じゃあ、学校まで送ってくれる?」
振り返った顔は真っ青で、とてもじゃないが学校には行けそうにない。
「そんな顔色の悪いやつを、学校になんか送れないな。今日は家に帰ったらどうだい?」
「それは、嫌」
あまりにも幼稚な返答に、私は返す言葉を見つけるのに、少々の時間を要した。
「……だが、顔色も良くない。今日は休んだ方が良いだろう。なぜ家に帰りたくないんだい?」
そう言うと、少年は不機嫌そうに顔をしかめた。
「嫌なものは嫌なんだ。それにね、おじさん。僕たち、お互いのこと、そんなに心配し合うような仲でもないと思ってたんだけど?」
もっともな意見だった。所詮、この少年と私の関係は、買った人間と買われた人間。お互いのことを詮索するような関係ではない。だが、何度もこの少年を抱くうちに、恋とはまた別の情が湧くようになっていた。
「では、こうしよう。私の家で休むといい」
少年は一瞬だけ固まってから、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「何、まだ僕を抱きたりないの?」
「違う。君が心配なんだ」
本心からそう思った。でも、少年の心はかたくなだった。
「そう、そういうことに、しといてあげるよ。でもね、知らない人に着いて行っちゃいけないって、よぉく習ったからね。それに、これ以上欠席を増やしたら……あ、もう行くね。遅刻しちゃうし」
そのまま、私はその少年を引き留めることが出来なかった。
その日の夜、また少年は私に抱かれに来た。
その日は、午後からは台風によるすさまじい雨が降っていた。その雨は、夜のなっても降り止むことはなく、その威力は増すばかり。そんな雨の中、人と待ち合わせをする人はいないだろう。だから私も、少年がいつもの公園で待っているとは思わなかった。だから、行くのが遅くなったのだ。
本当は行かないつもりだった。だが、無性に少年が心配で、少年がいつも私を待っている公園へと足を運んだら、この有様だ。
「良かった、今日は来ないのかと思った」
少年は傘もささずに、ベンチに座っていた。
「……一体、君はいつから?」
当然の如く、少年はずぶ濡れだった。朝、あんなに熱があったと言うのに。
「七時くらいじゃないかな。よく覚えてないや」
腕時計を見る、今は午後十一時過ぎだ。単純に、四時間近くこの雨に打たれていたことになる。
「君というやつはっ! ……」
今朝方、この少年に言われたことを思い出して、私は無性に腹が立った。私を、知らないやつと言ったのはこの少年だ。そんな私には、着いて行けないと言ったのもこの少年だ。その少年が、まるで私を待っていたような口ぶりだ。
私は、自分で考えるより先に、少年の細い腕を掴んで立ち上がらせた。そのまま無理矢理に、目的の場所へと向かう。
「ちょっと、おじさん? え、どこに……」
「黙って着いてくればいい」
少年の疑問の声を遮った私の声は、思っていたよりも感情的で、酷く大人げないものになってしまっていた。掴んだ少年の手が、熱い。
「お、怒ってるの?」
少年の声は、酷く怯えているようにも聞こえた。
「そうだ」
私が短く答えると、もう少年は何も言わずにおとなしく着いて来た。
的地は私の家だ。ここからそう遠くはない。
私は一応、支店長というものをやっていて、それなりのマンションに住んでいる。エレベーターに少年を押し込んで、自分の部屋のある階のボタンを押す。少年は俯いていて、表情は分からない。ただ隅の方で、自分を抱くようにして小さくなるばかりである。
エレベーターが止まり、扉が開いた。
「来なさい」
私は、少年を無理矢理に歩かせる。
早々に自分の部屋まで行き、また少年を押し込む。そして、ベッドに突き飛ばした。少年は、面白いくらい簡単に飛ばされて、ベッドに埋まった。それでも、少年は抵抗しない。
私は、少年の顎に手をかけて、顔を上げさせる。
「……」
私は息をのんだ。少年が、本当に怯えた顔をして震えていたからだ。
「……ご、ごめんなさっ、ごめんなさい」
少年は私の手から逃れて、自分を守るように頭を両手で抱え込んだ。そして、何度も、何度も、震えた声で謝罪の言葉を繰り返す。
私は、この少年がこんなにも怯えることを全く知らなかった。いつも気丈に振る舞う少年しか知らない。それだけに、唖然としてしまった。先程までの怒りがすうっと引いていくのが分かった。
「……もういい。分かったから」
私は、少年の頭に手を伸ばした。少年の頭に私の手が触れると、少年は体をビクリと揺らしただけで、やはり抵抗はしなかった。
「こんなに、熱を出して……。シャワーを浴びて温まってきたらどうだい?」
私は、少年の頭を撫でる。時折、髪の先から小さな滴が落ちていく。まるで、今は大きくなった子供達が、小さかった頃のようだった。やんちゃだった子供達は、よく妻に怒られ、いじけて部屋から出てこなくなる。その時に、子供を慰めるのはいつも私の仕事だった。
「……おじさん、き、今日は抱いてくれないの?」
少年声は、震えたままだった。
の言葉に、少年の頭を撫でていた私に手が止まる。
「君はっ、君はどうして自分の体を大事にしないんだ!」
気付いたら私は、少年を怒鳴りつけていた。
少年は、またビクリと震えた。でも、少年は顔を上げる。その目には、涙がたくさん溜まっていた。
「お金がっ! お金が必要なのっ、もう時間がないの。早く、早くしなきゃ。……もう帰る家なんて無いのっ!」
少年は、珍しく声を荒げて、それは叫びにも似た訴えだった。
「ねえ、おじさん。僕に、僕にっもう帰る所なんてないの! だから、一人で、一人で生きていくの。これからはもう……」
また少年は、俯いてしまった。
帰る家がないと少年は言った。それは、どういう意味だろうか。所詮たいした問題もないごく普通の家庭で育った私には、到底理解し得ないことだった。
私が、この少年に出来ることは何だ?
「一人で、一人で暮らせるところがあればいいのか?」
私は、この子が望むことをしよう。
「え?」
少年はまた顔を上げた。
「親戚の老夫婦が経営しているアパートがある。そこに住めるように、手配しよう。私が頼めば、家賃は水道代やガス代なんかだけで済むだろう」
「いいの?」
少年の不安そうな瞳が、私を映している。
「もちろん」
例えそれが、最善の方法ではなくても、逃げることだとしても、もうこの少年には、傷ついて欲しくない。
「だから、もうこんな事はするな」
こんな、自分を売るようなまねは、もうして欲しくない。
少年の顔が、年相応な無邪気な笑みになったのを、私はその時、初めて見た。
「ありがとう」
それはきっと、私が初めて聞く、少年の本心からのお礼の言葉だろう。
「どういたしまして。さて、今日はもう、シャワーを浴びて寝るといい。着替えは用意しておくよ」
「うん……あっ」
少年は、立ち上がろうとして、前に倒れそうになる。
「おっと。これじゃ、一人では入れなさそうだね」
私は、何とかその体を受け止めた。
「……う」
少年の意識は朦朧としているらしく、目蓋を重そうに閉じたり開いたりするだけで抵抗はしない。仕方ないので、そのまま横抱きにしてバスルームまで連れて行く。
「ほら着いたぞ」
話しかけてもあまり反応がない。先程まで叫んでいたのに、不思議なものだ。
「自分一人では入れなさそうだね……」
どうしたものか。悩んでも仕方ないので、早々に脱がせにかかった。
ところで、濡れた制服はどうすればいいのだろうか。感触はスーツと同じなのだが、クリーニングに出せばいいか。
そう思いながらシャツに手をかける。
「……これは」
シャツを脱がす手が早まる。
シャツから覗く白い肌はいつも以上に傷だらけだった。よく見ると、刃物で切られたような傷まである。それは下半身も同じで、見るに堪えなかった。
少年を支えながら、シャワーを浴びせる。かすかに血が溶け出して、バスルームには赤い道が出来上がった。
「……ん、くすぐったい」
少年が身をよじって、私に抱きついてきた。仕方がないので、気にせずそのまま少年の体を洗う。
それから、服を着せる前に体中に湿布やら絆創膏を貼り付けた。そうすると、少年の体はほとんどがそれらで埋まってしまっていた。私はその上に適当に見繕った服を着せて、ベッドへ寝かせた。
私の部屋は、リビングに自分が寝られるほどのソファーなんて気のきいた物は置いていない。なので、私もシャワーを浴びて、少年と同じベッドで寝ることにした。
それから丸一日、少年は目を覚まさなかった。さらに二日、少年はベッドから起き上がることが出来なかった。
その間、私は珍しく慌て、妻に連絡を入れてしまうくらいだった。
「それが気に入ったのかい?」
私は、ショウウィンドウに見入っている少年に、声をかけた。
結局、少年は合わせて三日寝込んでいた。おそらくまだ、全快とは言えないのだろう。
「あ、いや、そんなんじゃ……」
少年は慌てて、見入っていた物から目をそらした。
ついさっきまで、私と少年は、早速、私の親戚の老夫婦の所に行き、格安で部屋を貸してもらう約束をしてきた。今はその帰りに立ち寄った、デパートにいる。
少年が見入っていたのは、ガラス細工の付いたネックレス。よく見るとそれは、ハイヒールのような形をしていた。
「買ってあげるよ。思い出にね」
「思い出?」
意味が分からないと言った表情で、少年は私を見つめてくる。
「そう、思い出。実はね、私はもうすぐ母国に帰らなければならないんだ。出来れば君に、私のことを忘れて欲しくないんだよ」
そう言いながら、私はそそくさと会計を済ませる。
つくづく私は、悪い大人だ。恋愛の情で抱いていたわけでもないのに、忘れて欲しくないだなんて。
「はい、どうぞ」
少年を前に、会計を済ませたものを差し出す。だが、少年は受け取らない。
「……もう、会えないの?」
少年は泣きそうな顔をしていた。
「ああ、もしかしたら、いつかまた、ここにとばされるかもしれないけど」
「そう、戻ったら、奥さんと仲良くしてね」
少年の顔は、行かないでと言っていたが、それを少年が口に出すことはなかった。
「ああ、分かった。君も……」
「アリー」
突然少年が発した言葉に、私は、え? と短く聞き返す。今まで少年が、私の話を遮ったことは無かった。
「アリーっていうの、僕の名前。ね、国に帰るまでで良いから、僕のことそう呼んで?」
少年が私に頼み事をするのは、ホテルの宿泊許可を取る時意外では、とても珍しいことだった。少年は、私を真っ直ぐ見ている。
「アリー、君のことは忘れないよ。だから、自分を大切にして欲しい。ああ、そうだ。私の名前は……」
「いいの。聞かない。おじさんが、もし、国に帰ってから僕に会いに来てくれたら、その時に聞くから。ね、今日だけ、ワガママたくさん言わせて?」
少年は、そう言って笑った。
「分かったそうしよう。さあ、受け取ってくれ、アリー」
「うん、ありがと、おじさん」
アリーは、笑顔でそれを受け取ってくれた。
それから暫く、私が出国するまで、私と少年は私の部屋で過ごした。だが、結局、私が少年に出会ってから、別れるまで、少年の目に溜まった涙は、一度もその柔らかい頬を伝うことがなかった。
あれからもう十年近くたったが、私はまだ少年のことは忘れていない。だが、未だにその時の少年とは会えずじまいだ。私は、その少年と会えることを無理に望んだりはしない。それは、少年の身に起こったことを考えると、私とその時の少年が会うことは最善とは言えないからだ。今度こそ、私はアリーに最善の手を尽くしてあげたいのだ。
それは、決して、若い頃、妻に抱いたような青い恋の情ではなく、子供達に対する愛情や、友人に対する友情といったものと、とても似通っている、この不思議な思いからである。
ちょっと、違う話を入れてみました。
あ、いえ、全く別のストーリーというわけではないのですが、気分転換してみようかと。
この話はなんだか、とても長くなってしまったので、長いんだよ、と思った方は、私を助けるつもりで苦情を下さい。
全力で何とかします。
……にしても、”おじさん”はキャラが薄いような。