鬼嫁
「え? いないってどういうことよ! ……早番?ああ、分かったわ。怒鳴ったりしてごめんなさいね」
ため息をつきながら、義姉さんは電話を切った。
「どうだった?」
恐る恐る聞いてみた。
「どうだったもこうだったもないわよっ! 早番? ならさっさと帰ってきなさいよ!」
聞かない方がよかったかもしれない。
兄貴の結婚相手は、鬼のように怒っている。この美人は気性が荒いらしい。長い髪を振り乱して起こるその姿は、人外のモノだった。
俺は黙って兄貴の携帯電話に電話をする。レイ姉の携帯では、たまにだが兄貴の携帯に繋がらないときがある。どうやら、着信拒否にしているらしかった。これが新婚の成れの果てかと思うと少し、いや、かなり悲しいが、今はそんなこと構ってはいられない。
プルル……プルル……
すでに何回なっただろうか、もうでないんじゃないか、そう思い始めた頃やっと電話が繋がった。
「あ、兄貴? どこいってんだよ? レイねぇカンカンなんだけど」
俺はどうしようもなくて、現状をそのまま伝えた。
「え、あ、あの。君のお兄さん? なのかな。その人、ウチの店で寝ちゃってて……えと、連れて行ってくれると、助かるんだけど」
電話の向こうから聞こえてきたのは、どこか頼りない男の声だった。もちろんそれは、俺の知る兄貴の声じゃない。
「え? なに、兄貴じゃなんですか? しかも、寝てるって?」
人に嫁預けて何やってんだか。
思わずため息が出た。
「う、うん。そうなんだ」
また頼りない声。
バイトかなんかか?
「そうですか、すいません。ウチの兄貴が迷惑かけているみたいで。で、引き取りに行くんで場所教えてもらっても良いですか?」
とりあえず、店の場所を聞いた。それは、思いの外近い場所だったので、すぐに着くと伝えて、大急ぎで家を出た。
たどり着いた場所は、落ち着いた雰囲気のあるバー。俺は未成年だから、あんまりこういう所には親しみがない。
まだ明かりがついているから、やってはいるんだろう、とにかく店のドアを開けた。
カランカラン
店のドアにつけられていると思われる鐘が鳴った。
店の中は、これまた落ち着いていて、ガキが入るとこじゃないんだな、って一瞬で分かった。しかも閉店間近、いやもう閉店後なのかも知れないが、店内は薄暗い印象を受けた。
鐘の音に、綺麗な金髪の男が振り向いた。兄貴よりは年下だろうか。少年な訳でもなく、大人も落ち着いた雰囲気はあるもの、大人になりきれていないような印象を受けた。
「こんばんは、ここで、兄貴がお世話になってるって聞いたんですが……」
よく見ると兄貴は、その人の椅子で後ろで泥酔していた。
「あ、ああ。そう、ここであってるよ。こんばんは、こんな遅くにごめんね」
すぐにこの男が電話の相手だと分かった。声は、電話とは少し違うが、頼りなさげなその口調が酷似していた。
よく見ると、綺麗な金髪の後ろ髪は一つに纏められていて、その儚げな印象を強調していた。
「いえ、ウチの兄貴、結婚してるのにこんな夜遅くまで帰ってこないことがよくあるんですよ。そのたびに、姉さんが、ああ、義理のですけどね、心配して、怒るわ怒るわ……」
少し小声で、鬼のようですと付け足した。
その答えに、金髪の男は苦笑いをして、なぜかそれがとても美しく見えた。
「ここには、よく来るんですか? 兄貴は」
何となく聞いてみる。男は、少し考えるそぶりを見せて答えた。
「うーん、月一くらいだけど、結構前から来てくれてるよ」
そんな高頻度で来ていたのか。医者である兄貴の休日と言ったら、それはもう微々たる物で、しかもそれからレイ姉のご機嫌を取る日を抜いたら、月に三日あるかどうかだ。それが月一とは、よほどここが気に入っているらしい。
「そうですか、じゃ、そろそろ行きます。長居してすいませんでした」
俺は、酔いつぶれている兄さんの肩を担いだ。
「あ、いえいえ、よかったら君もそのうち寄ってね」
男は、業務的な笑顔でそう言った。俺は、分かりました、そう言って店を出た。もちろん、未成年なんで無理です、とか、そんなことは言わなかった。
夜道を大の男を抱えて歩く。
畜生、意外に重いぞ、兄貴。
兄貴は、本格的に寝ているらしく、起きる気配がない。普段の疲れもあるんだろう。
それにしても、さっきの男は兄貴と仲が良いのだろうか。とても優しい視線で兄貴を見ていた。なんだかこう、乙女的な。
そう、乙女的な。体の線も細いし、色も白いし、髪は少し長めで全体的に儚げで、百合みたいな感じ。そういや、目の色も綺麗な青だった。
いやいやそうじゃなくて。
なんだかそんなだと、俺があの人に恋してるみたいじゃないか。
「……」
恋? え、いやいや、だって男の人だしね、あの人は。ないない。
そう言えば、あの人の兄貴を見る目って、なんかそんな感じだったかも知れない。
男なのに?男同士なのに?
「……」
もしかして、あの人ってそっちの人なのか?
俺はその夜、現実逃避するようにベッドに入った。
次の日、大学の講義は全く頭に入らなかった。ただ、あの人の事が悶々と頭の中を支配して、そして、ある考えに行き着く。
それはもちろん、レイ姉恐かったなとか、そんなんじゃなくて。でもホントに恐かったな。世間では、ああいうのを鬼嫁って言うんじゃないだろうか。
ここからいきなりヴェル視点です。
会話が殆ど同じなので少しあれですが、視点が違うのでそこを重視して頂けるとそんなに面白くなくもない・・・…はず。
でも、マジで恐そうですね、レイ姉さんは。