ヴェル
僕は、壊れかけの目覚ましを買い換えることを決意し、着替えをしながら、リビングに向かう。
「あ、おはようございます。よく寝てましたね」
我が物顔で、ソファーに座っているヴェルダンディーに、一瞬殺意を覚えた。
「起こしてくれても良いだろっ。あ、てか寝室、覗くな。それから、夕飯は店で食べて。カレーとか、オムレツとかならあるから。あと、開店の準備、手伝って、居候君」
僕のお店では、お酒だけじゃなくてご飯も食べられるようにしてある。以前、そんなリクエストがあったので、お客のニーズというやつに答えてみた。
「……良いですよ。手伝います。何をすれば良いんですか?」
嫌そうな顔で了承するヴェルダンディーを無理矢理連れ出した。さっさと店で料理を出して、黙らせることにした。もちろん、腹が膨れればおとなしくなるだろうと思ったからだ。
客でもないやつの注文を聞く気はないので、店についてすぐ、適当に料理を作って出した。
「うわあ……ラグさん、やっぱり、料理上手ですね」
ヴェルダンディーは、並べられたパスタに目を輝かせた。まるで、子供のように。
「普通だろ。これくらい出来なくて店が出せるか」
正直なところ、パスタは得意料理だ。なぜかしらないけど、気付いたら上手くなっていた。僕が好きな訳じゃない。
「あはは、ま、そうなんでしようけど。お母さんの影響とかですか?」
いただきます、律儀にそう言って、食べ始めるヴェルダンディーを横目に、僕は棚を少しいじった。
「って言うか、血の繋がったお父さん? コックなんだ。だから、その人に習った」
「え、あの、朝会った人ですよね?」
「そうそう、そんな人。お母さんは、結構男っぽい人だったから。家事が苦手でね、よく失敗してた」
僕のお母さんは本当に、男勝りな人で、力仕事こそ得意だったけど家事はとことん駄目だった。オーブンの温度調節なんかは、よく間違えてたし。玉ねぎの皮を包丁で剥こうともしてたっけ。……ああ、思い出される、お母さんの恐怖神話。
「そうなんですか。男っぽいお母さんか、楽しそうですね。キャッチボールとか、したんですか? 」
「ああ、誘われてやりはしたけど、全然僕は出来なかった。お母さんは、上手かったけど」
よく、窓ガラスに当てていた気がする。そのたびに、パリンと乾いた音をたててガラスが割れていた。たまに家の中の食器なんかにも被害がいってたっけ。
「へえ、今度、俺とやりましょうよ」
ヴェルダンディーは、しれっと、そんなことを言う。
「あ、無理。僕、ホントに出来ないから。ガラスとか普通に割れるから」
僕は、前科があるから本気でお断りする。だというのに、この優男は意味を解していないのか、にへらと笑っている。それはそれは、楽しそうに。
馬鹿にされてるんだろうか。
「じゃあ、人がいないような、広くて見晴らしのいい所でやりましょうよ! ね?」
どんなとこだよ。僕はこの町から出たことないんだよ。
「ね、ラグさん!」
ヴェルダンディーの顔が子供のように輝いている。そこからは悪意なんてモノは微塵も感じられなかった。
「ま、いいけど」
僕って、こんなに押しに弱かったんだ。
「約束ですよ!」
「はいはい、分かったから、早く食べなよ。お客が来るだろ」
また、ヴェルダンディーは料理を食べ始めた。
あんな楽しそうな目されたら、断れるわけない。が、キャッチボール、というかスポーツそのものが苦手なので、正直気乗りはしない。
カランカラン
店の戸に付けてあるベルがなった。
「いらっしゃい」
入ってきたのは、五十代前半くらいのスーツの男。少し白髪が目立ち始めているが、それもなんだか似合っている。
「こんばんは」
これは、いつものやり取り。
男はヴェルダンディーの隣に座った。
「私もこれと同じものをもらおうかな」
男は笑顔で言う。
「あなたが、料理を頼むなんて珍しいですね」
この男は、いつも酒しか頼まない。
「おや、覚えていてくれたのか。いやあ、こちらのお兄さんがあまりにも美味しそうに食べているから、ついね」
この男は、僕をなんだと思っているんだ。
「お客さんの顔くらい、覚えますよ。ちなみに、あなたが最近、タバコの煙を避けているのも分かります」
男は少し驚いた顔をしてから、愛想のいい笑みを浮かべた。
「分かるかい。実は、家内に止められてね。女とは時に、とても恐ろしいものだねえ。しかし、君に顔を覚えられていないと思っている輩は沢山いるよ」
そんなこと、言われなくても分かってる。冷たくそう思ったが心の片隅では、シルアと同じように嫁に頭が上がらないであろうこの男に同情した。
僕はそれを表情に出さずに、パスタを茹でに取りかかる。
「ごちそうさまでした。美味しかったです、ラグさん」
そんな中、ヴェルダンディーはお皿のものを綺麗に平らげた。
「お粗末様」
これは決まり文句だと思う。
「ラグさん? 」
男が横やりを入れる。どうやらこの男は、ヴェルダンディーが僕を、ラグさん、と呼んだのが気にかかったらしい。
「あ、僕の名前です。よかったらラグナって呼んで下さい。呼び捨てでいいですから」
そう言うと男は、珍しいものを見るような目で僕を見てきた。
「そうか、ラグナ君だね」
呼び捨てでいいって言ったのに、この男はご丁寧にも君を付けてくれた。
「ええ」
僕は不満を隠して、短く答えた。
「ラグさん、お客さんの名前、知らないんですか? 」
一連の会話を聞いて、疑問を持ったらしいヴェルダンディーが、声をあげた。
「聞かないからね、基本的には。そういうのって、プライバシーでしょ」
聞かれたくない人もいるかもしれない。
「えー、つまんない。聞けばいいじゃないですか」
「どうして? 」
嫌みとかじゃなく、純粋に理由を聞いてみたかった。
「そうですねえ、仲良くなれる気がしませんか」
「あ、確かに」
職業柄、お客とのコミュニケーションは大切だ。
茹で上がったパスタの水をきりお皿に盛って、ソースをかける。それから、作りおきの簡単なサラダもつけて、お客にだす。
「はい、できました。サラダは最近血圧が気になってるあなたに、サービスです。こういうパスタは、結構カロリーが高いですからね」
男は少し驚いたような顔をした。
「バレていたのか。すごいな、君は」
それから、男は食べ始めた。
この日は、普段よりお客の入りがよくて、大忙しだった。
片付けまで終わったのは、深夜一時過ぎ頃。
「だー、終わった」
「お疲れさま、ヴェルダンディー。お礼になんか、甘いもの作ってあげるよ。なにがいい? 」
なんだかんだで、ヴェルダンディーは今まで手伝ってくれていた。
「んー、そうですね……。じゃあ、あだ名で呼んでください」
考えた末に出た結果がそれか。脳みそが退化してるんじゃないのか。
「それは、食えないだろ」
「でも、そっちの方が嬉しいです。ラグさん」
まただ、こいつのすがるような目にはいつも勝てない。
「なんて、呼べばいい」
結局、言うことを聞いてしまう。
「お好きなように」
まさかの指定なしだぞ。しばらく、考える。どうせなら、短い方がいい。
ヴェルド、一瞬、シルアの声が脳裏をよぎった。でも、僕はその呼び方では、呼びたくなかった。こいつを呼ぶたびにシルアを思い出していたら、心臓がもたない気がしたから。
暫く、考える。
「……ヴェル。ヴェルでどうだ。呼びやすくていい」
我ながら愉快な名前で、良いじゃないか。そう思った。
「はい、いいです。とっても」
その時のヴェルの顔は、向日葵のように輝いていて、本当に嬉しそうだった。
そんなほのぼのした生活がそれから六日も続いた。
でも、そんな幸せと呼べるような生活は、僕をすぐに見放してしまうことを、心のどこかでは理解していた。
ヴェルが居候し始めて、一週間が経った。我ながら、よく、他人と一週間も同じ空間で生活できたな、と思う。
今日もまた、お店はお休み。一週間の内で数少ない僕が日のあるうちに出掛ける日だ。
「ヴェル、出掛けてくる。七時頃には帰るから」
「買い物ですか? 」
「そんなとこ」
日はもう傾き始めていた。
はい!
とりあえず、ラグさんの視点で書くお話はこれで終わりにしようかな、と思ったので、終わりにします。(え? 矛盾でいっぱいですって? いや、まぁ、それは・・・決して忘れてたとかではない、はず)
なんて言うんですかね、一部完結?
次回からは二部ですね、きっと。でも、特に話自体が変わるわけでもないので、これで完結、次から新連載、とかにはしません。
感想などがありましたら、是非、お聞かせ頂けるとありがたいです。