愚弟
BLものです。
嫌悪のある方は閲覧をおすすめいたしません。
「あー……お客さん? そろそろ閉店なんだけど……あの、起きて」
ここは、ヨーロッパのあるバー。
そこの店主、ラグナード・A・トールステンは非常に美味しくない状況に遭遇していた。それというのも、酒を飲みまくっていた客が寝てしまい、閉店時間を間近にしても起きる気配がないと言う、とてもベタな展開のモノ。
バーをやっていたら、いつかはこんな展開になるんじゃないか、なんて思ったこともあったが、そんなことになるわけ無い、それはきっとテレビでの話だと高をくくっていたらこの有様。
「お客さん、あの……」
困り果てて、少し揺すってみる、が起きる気配も反応もない。どうしたものか。
もう少し、揺すってみる。お客のつやのいい黒髪が揺れた。しかしそれでも起きない。
ブーブーッ
その時、すっかり寝込んでしまっている客がしっかりと握って話さないケータイが振動した。
少し罪悪感を抱えながら、ケータイのディスプレイを確認する。と、そこには愚弟の文字。
弟、なんだろうか。少し、扱いが酷い気もするが。
とりあえず、このお客を引き取ってもらおうと、勝手にその電話に出てしまった。
「あ、兄貴? どこいってんだよ? レイ姉カンカンなんだけど」
電話からは、やはり男の声が聞こえてきた。
「え、あ、あの。君のお兄さん? なのかな。その人ウチの店で寝ちゃってて……えと、連れて行ってくれると、助かるんだけど」
いざ、言ってみるとなると少し緊張してしまった。
「え? なに、兄貴じゃなんですか? しかも、寝てるって?」
向こう側から大きなため息が聞こえてくる。なんだか、悪いことをしてしまったような、そんな気になった。
「う、うん。そうなんだ」
「そうですか、すいません。ウチの兄貴が迷惑かけているみたいで。で、引き取りに行くんで場所教えてもらっても良いですか?」
愚弟という文字を見た時には、どんな愚か者かと思ったが、自分よりもしっかりしていそうだ。
それから、その弟らしき人に店の場所を教えて、どれ位かかるのかと聞いた。もし遠くの方だったら、別に明日でも構わない、そう思ったからだ。だが答えは、すぐ来るから、と言うことだった。
それから暫くして、
カランカラン
店のドアにつけてある鐘が鳴った。
「こんばんは、ここで、兄貴がお世話になってるって聞いたんですが……」
時間にして、二十分。思っていたよりも早かった。
「あ、ああ。そう、ここであってるよ。こんばんは、こんな遅くにごめんね」
入ってきたのは、明らかに自分よりも若い青年。お客と同じ黒い髪で目の色も黒くて、真面目そう見える。だがどこか、ホストのような、そんな雰囲気があった。
「いえ、ウチの兄貴、結婚してるのにこんな夜遅くまで帰ってこないことがよくあるんですよ。そのたびに、姉さんが、ああ、義理のですけどね、心配して、怒るわ怒るわ……」
鬼のようです、と青年は付け足した。
「ここには、よく来るんですか? 兄貴は」
「うーん、月一くらいだけど、結構前から来てくれてるよ」
「そうですか、じゃ、そろそろ行きます。長居してすいませんでした」
「あ、いえいえ、よかったら君もそのうち寄ってね」
分かりました、そう言って青年は足早に出て行った。
誰もいなくなった店内は、ただ時計の音が寂しく響いていた。
「行っちゃった……」
少し残念。
いつからだったか、自分はあの男、酔いつぶれていた男に恋心を抱くようになっていた。はじめの頃はこの辺では珍しい黒髪が、この店に来るたび目で追っていた。その好奇心がいつしか、こんな不純な気持ちに変わっていた。
本当は、二人っきりでいられるのが嬉しかった。本当は、もう少し彼の寝顔を見ていたかった。
あの電話だって、出しゃばって出たりせずに無視すれば良かった。でも、彼には妻がいる。半年ほど前に結婚したそうだ。だから、自分の思いはこれ以上強くなってはいけなかった。もう、押さえられないくらい、大きく膨らんでいるから。
男同士、そんなのは分かっている。あまり公にはできない恋心だ。このまま、消えて無くなってしまえばいい。