第3話 生命の檻
立ち入り禁止区域に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。上層階の人工的な清涼感とは全く違う、冷たく湿った、そして微かに鉄錆のような匂いが鼻腔を突く。奥から低く、しかし絶え間なく響く機械音。それは、何かが「動いている」音だった。生きた、あるいは生かされている何かが。
通路は薄暗く、壁面に走るパイプやケーブルが複雑に絡み合い、巨大な生物の血管や神経のように見える。私のエンジニアとしての知識が、それらが何のための配管であるかを瞬時に分析する。エネルギー供給ライン、冷却システム、そして……体液循環? ざらついたコンクリートの床を踏みしめ、警戒を怠らず進む。内側から、得体の知れない不安が這い上がってくる。
突き当りの重厚な扉を、ハッキングツールと自身の魔法能力を組み合わせて開く。内部に広がる光景に、私は息を呑んだ。そこは、研究室というよりは、異様な「工場」だった。透明な培養槽がずらりと並び、その中には薄く光る培養液が満たされている。そして、その液体に浮かんでいるのは……。
人間の、体の一部だった。腕、脚、臓器らしきもの。それらがチューブで培養槽に繋がれ、微かに脈動している。そして、それぞれの培養槽から細い光の糸が伸び、中心にある巨大な集積装置へと繋がっていた。その光の糸こそが、私がブラッドラインで見たエネルギーフロー、魔法源の「血流」だった。
胃の奥からせり上がるものを必死で抑え込む。これは、私が知っていた魔法源とは違う。資源でも、エネルギーでもない。これは、生命そのものだ。あるいは、かつて生命だったものの残骸。企業は、人間の肉体や意識を利用して、魔法源を「生成」していたのだ。非倫理的、? そんな言葉では生ぬるい。これは冒涜だ。人間の尊厳に対する、許されざる罪だ。
脳裏に、再びあの日の光景がフラッシュバックする。採掘場で見た、魔法源の奔流に巻き込まれた家族の姿。彼らは、あの時、ここに送られるための「素材」にされたのか?怒りが、悲しみが、憎悪が、内側で嵐のように吹き荒れる。手が、無意識のうちに震えている。冷徹な仮面の下で、感情が熔岩のように煮えたぎるのを感じる。
その時、身体の内側の「魔法源」が警告を発した。鋭い痛みと共に、システムの監視の目が私を捉えようとしているのが分かった。警報が鳴る寸前だ。長居はできない。発見した情報は、レジスタンスに伝えなければ。私は急いで持参した記録媒体にデータをコピーし、立ち入り禁止区域から脱出した。
企業のセキュリティ網を掻い潜り、私は都市の地下深く、古い地下鉄の廃駅へと向かった。そこは、レジスタンスの秘密の連絡場所の一つだ。錆びたレール、崩れかけたホーム、そして、静寂。地上とは隔絶された、真実の影のような場所。
廃駅の片隅で待っていたのは、フードを目深に被った人物だった。長身で痩せているが、纏う空気は研ぎ澄まされ、一切の隙がない。コードネームは「シャドウ」。組織の中でも特に信頼されている、情報伝達のスペシャリストだ。
「来たか、セラフィナ。」彼の声は低く、感情が読み取れない。だが、その視線には、組織の一員としての警戒と、同志としての連帯感が混じっている。私は記録媒体を彼に手渡す。
「情報は全てそこに。ブラッドラインの真実の一端よ。企業は、魔法源を……人間の体から作っている。」私の声は、自分でも驚くほど冷たかった。感情を排した結果、鋼鉄のような響きになった。シャドウは何も言わず、媒体を受け取り、頷く。彼の顔は見えないが、その表情が硬くなったのが分かった。
「分かった。直ちに上層部に報告する。君は、しばらく潜伏しろ。企業も、君が何かを見たことに気づくだろう。」彼の言葉に、私の任務が新たな段階に入ったことを悟る。もう、単なる情報収集ではない。私は、システムの核心に触れてしまった。
シャドウは音もなく立ち去り、闇の中に溶けていった。私一人、廃駅の冷たい空気の中に残される。手の中に、隠された魔法源の力が脈打っている。それは、血と魂の繋がりか、それとも呪いか。この発見は、私を、そして世界を、どこへ連れていくのだろうか。