第2話 癒しとの遭遇と魔法手帳
「……ない……ない! どうしましょう!?」
卒業まで今の生活を楽しむことを決意してから数日後。私は一人、放課後の教室で叫び声を上げた。
誰も居ないのが唯一の救いであるが、事態が好転するわけでもない。私が狼狽している原因は魔法手帳がないからである。トム・ロマイの素晴らしさと、日課や工程を書き記した貴重な手帳を紛失してしまったのだ。
あの手帳には今まで、彼を調査観察した結果が記されている宝物である。魔法手帳な為、使用者か許可を得た者しか閲覧出来ない仕組みにはなっている。私にあれをくれた子がそう説明をしてくれた。だから彼の情報が拾った人物に洩れる心配はない。これでも私は隣国の祖母譲りで魔力の質は高いのだ。
「はぁぁ……」
問題は宝物を無くしてしまったという精神的ダメージである。あれは二重の意味で宝物なのだ。鞄も教室もロッカーも全て探したが、見つからない。再度溜息を吐いた。
「失礼致します。プライマー様はいらっしゃいますか?」
「……っ、あ……私がアンネット・プライマーですが……」
控え目なノックが教室に響き、扉が開いた。その人物に私は瞠目しながらも、何とか挨拶を口にする。私の癒し相手のトムが現れた。動揺しながらも奇声を上げずに挨拶をすることが出来たのは、伯爵令嬢令としての意地である。可愛らしい癒しの前で、失態を晒すわけにはいかないのだ。
「これは……失礼致しました。僕はトム・ロマイと申します。突然の訪問をお許しください」
「……いえ。大丈夫ですわ」
トムは柔らかい笑みを浮かべ、自己紹介を口にした。可愛い、浄化されそうだ。正直に言えば、彼の名前を知っていると大きな声で叫びたい。だが私と彼はこれが初対面である。その初対面の相手から、自身の情報が語られれば戦慄することは間違いないだろう。
私は残り少ない学園生活を穏やかにそして平穏に過ごしたい。それに私は彼と如何かなりたいという気持ちはないのだ。傷心を癒してくれている彼に、これ以上のことを求めるのは烏滸がましいだろう。
「その……実はこの手帳を拾いまして……」
「あ! それは……」
彼の手には、私が探し求めていた魔法手帳があった。紺碧色の小ぶりの手帳である。まさかトムが拾ってくれているとは思わなかった。
「プライマー様が持っているのを前に見かけたことがあったので……」
「ロマイ様、ありがとうございます。これはとても大切な宝物なのです」
差し出された手帳を受け取り、両腕で抱きしめる。トムの魅力が書かれていることもあるが、あの子から記念にと貰った二重で大切な宝物だ。その子の顔は覚えていないが、紺碧の綺麗な瞳をしていたのは覚えている。
「……それは良かったです。では、失礼致します」
「ええ、本当にありがとうございました」
彼は爽やかに微笑むと、お辞儀をして教室を後にする。私は去りゆく彼の背中に、慌ててお礼を口にした。
「はぁ……会話をしてしまいました……」
再び一人になった教室で椅子に座り込む。初めて直接会話をしたが、大変可愛らしく癒された。今になって自身の鼓動が速く、顔に熱が集まっていることに気が付いた。
「あ! 今日の出来事を書き留めなくては!」
魔法手帳も手元に戻り、彼と出会い癒された。この記録をしっかりと残そう。
ご機嫌で我が家の馬車が待つ、校門へと向かった。