第1話 婚約破棄からのストーカー
「アン……そのすまない。フェレッタ侯爵家から婚約破棄をされてしまった……」
「理由をお尋ねしても宜しいでしょうか」
麗らかな昼下がり、執務室に苦しそうなお父様の声が響く。お父様の執務室に呼ばれた時から、何か嫌な予感はしていた。しかし、婚約破棄を告げられるとは予想外だ。
私、アンネット・プライマーの、元婚約破棄殿は五歳年上のエリック・フェレッタ侯爵子息である。学生の身分である私とは違い、既に騎士団に所属している。デートは婚約後に食事をした一度だけで、慰めるように贈り物が家に届くだけの浅い関係だった。
そもそもこの婚約は侯爵家からの一方的なもので、伯爵家である我がプライマー家は頷くしかなかっただけだ。そこに愛はなかった。あくまでも紙面上の契約のようなものだ。
しかし侯爵家との破談は、我が家に損をも齎す。婚約破棄の理由を求めた。
「そ、その……運命の人に出会ったからと……」
顔に大汗を搔きながら、呻くような声でお父様が告げた。その瞬間、頭の中が真っ白になる。
貴族同士の結婚に自由な愛を求めることは立場上、許されるものではない。利権や国の情勢による政略結婚が殆どなのだ。国を担う貴族として生まれた時点で、それは決定づけられていることだ。義務であり責務である。
だから政略結婚であろうと、愛はなくとも良きパートナーになれるように努力を重ねて来た。少しでも相手を理解しようと、慣れない剣の稽古もした。幼く見える服装を止め、メイクや化粧品も変えた。彼に歩み寄ろうとしたが、全てが無駄だったことを悟る。
「ふふっ……はははっ」
そうだ。彼は一度も私に会いに来てくれなかったではないか。私の努力も目にしていない。報われない努力を重ねていた私は、どれ程滑稽で愚かだったのだろう。そう思うと笑いがこみ上げてくる。
「ア、アン? 大丈夫かい?」
「ご心配には及びませんわ。そうだ、お父様商人の方を呼んでくださいます?」
私の行動に、恐る恐る声をかけるお父様。私は笑い過ぎて、目尻に溜まった涙をハンカチでそっと拭う。
「……え? うん?」
「元婚約殿が体裁の為に送り付けてきたゴミの処分を致しませんとね?」
「あ、そ、そうだね! 直ぐに呼ぶよ!」
私がにっこりと、微笑む。
男なんてもうウンザリである。
〇
「はぁ……可愛い。癒しだわ……」
私は現在、学園の茂みに隠れある人物を観察し独り言を呟く。
「ありがとうございます。トム様」
「構わないよ。それよりも先生の手伝いとは偉いね」
中庭を歩く男女。頬を赤く染める女子生徒と、優しく微笑む男子生徒。可愛らしい青春の一ページである。私が淑女らからぬ行動を取っている原因は彼だ。
彼の名前はトム・ロマイ、地方のロマイ男爵子息である。柔らかな栗色の髪に新緑を思わせる翡翠色の瞳を持ち、性格は紳士的で物腰が柔らかだ。それ故に一年生の編入生でありながら、学園の生徒や教師達からの信頼が厚い。
これだけ彼のことを調べているが、私は彼とは会話をしたことが一度もない。一方的に調べ上げたである。何故、伯爵令嬢である私がこのような奇行に走っているかといえば、原因はつい先日の婚約者破棄の所為だ。
元婚約者殿は学園の卒業生ということもあり、私の婚約破棄は学園中に知れ渡った。周囲は婚約者に捨てられた哀れな令嬢として、私を腫れ物扱いしたのだ。辟易としていた際に、教室の窓からトム・ロマイの笑顔を目にした。
その時の胸の高鳴りと動悸は、摸擬用の剣で攻撃された際の衝撃を上回った。
つまり私は婚約破棄の傷心から、癒し系年下男子のストーカーになってしまったのだ。男なんてもううんざりだと思っていたが、彼だけは特別である。
「この癒しも……後少しだけだと思うと、悲しくなるわ……」
誰も居ない中庭に私の声だけが虚しく響く。
私は三年生であり後数か月には、この学園を卒業するのだ。本来であれば卒業後は侯爵家に嫁ぐ筈だったが、それは婚約破棄によりなくなった。婚約破棄をされたばかりの令嬢に、婚約を申し込む酔狂な人物は居ない。きっと卒業パーティーは前代未聞のエスコート無しでの参加になることだろう。
「卒業まで楽しみましょう!」
私の奇行は褒められた行動ではないと、重々承知の上だが止められない。せめて卒業までは、彼の行動を見守り楽しませてほしい。気持ちを切り替えて明るく宣言をした。
まさか、私のその行動を見ている人物が居るとは知らなかった。